ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

ヤマザキマリファンの私が心痛すること〜「老い」の哲学〈+α〉人生の回収③〜

「人生の回収②」のテキストで「今の私をつくっている栄養素を知覚することは、楽しいこともあれば、苦痛もある」と書いた。

 その「苦痛」である。

 そこは実は見たくないところであり、できれば焼却したいのだが、それらがなくなることは決してない。ゆえに向き合って受け止めて昇華させるしかない。

 その「苦痛もある」は、端的に言えば私の人生のなかでの不満足である。叶わなかった夢と言ってもよい。不必要な作業かもしれない。が、私の場合は偶然なのか必然なのか、偶然は必然なのか、どうしても向き合ってしまうような状況となった。すなわち敏感な私自身の魂が反応してしまった。正直なところあまり気分の良いものではない。ゆえに避けられるなら避けて、不満の残る過去ではなく、明るい未来(余生)についてひたすら思いを致すことを、老齢期の読者諸氏にはおすすめします。

 

 私はヤマザキマリのファンだ。と言っても、漫画のほうは読んだことがない。「テルマエ・ロマエ」は映画で観た。

 きっかけはなんだったのだろう。明確な記憶がない。テレビ番組で何か発言しているのを聞いたのか、それとも新聞の人生相談コーナーを読んだのか、気づいたらファンになっており、ツィッターをフォローし、エッセイや出演番組(テレビ&ラジオ)を貪っていた。「テルマエ・ロマエ」の作者だと知ったのは、ファンになってからである。

 とにかく物知りで、知識の幅がものすごく広い。そして、並々ならぬ見識を持っている。これまでは日本に滞在している月日は少なかったが、コロナ禍で日本を出ることができなくなり、そのせいなのかテレビやラジオ、雑誌、文筆で大活躍な2020年2021年だった。本当に本当に驚くほど多種多様な事々について語ることができる。温泉から民主主義、三島由紀夫まで。稀有な人だ。

 社会についてのあれやこれやの発言は、ご自身がイタリアにいた学生時代に社会運動に関わっていたこともあってなのか、現在の日本社会の閉塞への批判的見解も含めて、たいへん興味深いし、多いに賛同できる。内田樹や斎藤幸平などの学者をはじめ多分野の著名人との対談もたいへん面白い。

 

 そんなヤマザキの著書「地球生まれで旅育ち ヤマザキマリ流人生論」に、兼高かおるについて書いている箇所がある。

 すでに兼高かおるとの対談も「ヤマザキマリ対談集」に収録されており、どこかで話しているのも聞いていたが、あらためてヤマザキの思いの丈を読んでいたら、自分の過去が蘇ってきた。兼高かおるの代表作は、TBSで放送されていた「兼高かおる世界の旅」という紀行番組。

機会があると「自分は兼高かおるさんになりたかった」と口から漏れてしまうことがあるが、小さな島国日本と世界とをしっかりと繋がらせた貢献者である彼女を未だに私は尊敬している。

(「地球生まれで旅育ち」P62)

「自分は兼高かおるさんになりたかった」と言うヤマザキ

 私もなんです。

 何のときだったか進学か就職か忘れてしまったが、「面接のとき、尊敬している人は兼高かおるさんです、と言ってもいいよね」と友人に相談したことがある。友人は肯定してくれた。実際にそのように答える機会があったかどうかの記憶はない。記憶にないということはなかったのだろう、と思われる。

 私は外国が好きで世界のことに興味があったので、大学受験には世界史を選択した。参考書は、資料として外国のカラー写真がたくさん載っているものを選んだ。旅をしている気分にもなれて、あまり楽しくない受験勉強に楽しみながら取り組めた(実は気が散ってしまったかも)。

 もちろんヤマザキ同様私も、毎週日曜日の朝「兼高かおる世界の旅(TBS)」を観ていた。

 そういえばそうだったよなぁと我が身を振り返りつつ、私は何もできなかったなぁと落胆してしまった。

 海外をあちこち移り住んだり旅をしたりするヤマザキマリのような生活をしたいと思っていた私。上に書いた友人には「半年働いて半年旅に出る、そんな生活もいいかなと考えている」と言った記憶がある。甘いよね、私。いや、やる人はやる。私に実行力と勇気がなかっただけだ。甘ちゃんなのはそこである、ということは余生の今を過ごている身としては分かる。

 ヤマザキのエッセイを読んでいると、私にはとても真似のできない活力と能力が漲っている。もちろん、ヤマザキ自身も楽しいことばかりがあったわけではない。むしろ苦しいことのほうが多かったのかもしれない(特に生活費)。留学時の過酷な生活について、今ではテレビ、ラジオ、書物で面白おかしく語ってくれているが、例えばフィレンツェの町並みを見ると当時の辛さが蘇ってくるのであまり見たくない、というようなことも書いている。豪快に見えても、そこは芸術家なので繊細さは人一倍なのだと察することができる。

 

 私も留学したかったのだが結局できなかった。親が絶対に許してくれなかったのだ。今は留学というのはそれほど大それたことではない。どうしてあんなに大変なことだったのだろうと今となっては不思議でならない。金は出さんぞと言われたら、バイトするとか、奨学金とか、いろいろ方法はあったはずだが、そこまでできなかったのは、そこまで本気でやる気がなかったからなのかもしれない。それに今考えると、じゃあ本気で何を勉強したかったのかなと思わないでもない。ただただ外国に行きたかっただけだったのかもしれない。でも、そんな動機も悪くはないと私は思っている。そこから何か見えてくるかもしれないし、出会いをつかむことだってあるだろう。傷心旅行がチャンスになった、なんて話はごろごろある。

 私が20代のころ、ウィーンで出会ったあるに日本人女性は「なんかいいことないかなぁ」と思ってウィーンの語学学校に入った、と言っていた。そこで出会った地元の男性と結婚して、二人の子どもに恵まれていた。そんな様子を見て、どうして私だけ留学に関してあんなに厳しくいろいろな人から言われなければならなかったのかな、ともいまだに思ったりもする。それが運命だったのか、そのほうが私の人生には良かったのか、ただただ私の力不足か、私がよほどいい加減な人間に見えていたのか……。

 大学院に進んで研究をしたいとも思った。だが、ある理由で気持ちが萎えた。せっかく教授に誘われたのに。でもその教授、私が大学院生になったとしても、2年目くらいに亡くなってしまった。けれども本気で研究したいことがあれば、その道に進むことはできたはずだ。卒業して就職したくないからという理由だけで大学院に進む人もいた。わざと留年するよりは知的なのかもしれないが。もっと気楽に進学していればよかったな、とこれにも悔いが残る。

 

 ヤマザキマリの生存欲は強い。何がなんでも「生きのびる」という気迫が違う。あるとき「頼れるのは自分しかいないと思った」とどこかで言っていたが、それにしてもこの迫力は尋常ではない。もちろん能力、才能の問題もあるだろうし、自分をヤマザキと比べてもはじまらないのだが、私にはこれほどのことはできなかったなぁと思うと、現在の自分を納得せざるを得ない。

 さまざま後悔はある。後悔はあるが、「らしさの哲学」で考究してきた「らしさ」と「コナトゥス」からすれば、扉が閉ざされていてなかなか開かなかったり、邪魔が入ったりするように見えるのは、道が違うことを物語っているのだろう(占い師になるときには壁がなかったように思う)ということになる。

 

 ヤマザキの苦労は凡人の私には計り知れないのではあるが、それでも自身の決断力も含めて、シンクロ的に道は開けていったのではないか、と軽々しくそして無遠慮に想像する。おそらく助けてくれる人もその都度現れただろう。まさしくタロットカード「No11力」のエネルギーを見せつけられる思いだ(ちなみに、ヤマザキマリさんの持って生まれたカードは「No11力」ではありません。カードはお知らせしませんが特性としてあるのは、なかなか複雑な人で、人生を探求するという課題を持って生まれて、そのことを深く知り得るために様々な体験をする。そして人生にとっていちばん大切なものは何かということを知っていく。これもまさにその通りですね)。

 ヤマザキマリのエッセイを読んだり、テレビやラジオで話を聞いたりするのが余生を過ごしている私の楽しみのひとつであり、ヤマザキマリは私が敬愛している文筆家、識者のひとりだ。いつもワクワクしながら読んでいるヤマザキのエッセイのページをめくりながら、いささか心痛を味わうことになるとは思いがけないことだった。

 だが、これも「人生の回収」のひとつの場面であり、逆に私のなかに当時のワクワクを蘇らせる作業ともなったのだろうと理解している。私が生きてきた人生のある特別なシーンを振り返る機会が与えられたので、昇華させたいと思う。

 

 私だっていっしょうけんめい生きてきた。

 話はずれるが、体調不良となってからマッサージ店に通うことになった。息子が誕生日のお祝いにと施術料金をチャージしてくれたのだ(いい息子さんね、と私の担当になってくれたNさんが感動してちょっと泣きそうになっていた)。体調がなかなか戻らないを見かねてだ。

 身体中バキバキだ。筋肉が固くなっている。体調不良の要因のひとつだろう。

 先日Nさんが言った。〇〇さんは、これまでいっしょうけんめい頑張ってきたのよ。それでずっと身体に力が入っていたんじゃない、と。

 まさしくそれ、私の人生だな、と思ったので「私の人生って…」とつぶやいたら、「人生なんてずいぶん大きな話になりましたね」とNさんの笑顔。

 おためごかしではなく、本気でそう言ってくれたのだと思う。もちろん、身体が固くなることは良いことではない。が、がんばった証拠のように言ってもらえれば、救われた心地もする。

 ベテラン、新人にかかわりなくマッサージ師さんというのは、利用者の身体を触っただけで何かしらの現況が分かったりする。施術はセラピーでもあるようなので、占い師と少し似ているのかもしれない。これは接骨院では味わえない特徴だ。

 

 若松英輔が次のようにつぶやいていた。

これまでも「がんばる」方法について話したことはなかったが、自分は知らないうちに「がんばっていた」。これからはどうしたら自分を「いたわり」「ねぎらう」ことができるかを語りたい。なぜならそれは「がんばる」ことよりも、よほど重要なことで、同時に「いのち」にかかわることでもあるからだ。

『自分を「いたわり」「ねぎらう」』は、「老いの哲学」の要にもなりそうだ。

 私は、何か大きなことを成し遂げたなどの目立つ功績を持ってはいない。若松英輔のように書籍を多く出版し、Eテレや大学で活躍し、自身の講座で様々な書物の読み解きをしたりしている批評家の足元にも及ばない。「いたわり」だの「ねぎらう」だのは、何かを成し遂げた人がすることで、私のような中途半端(中途半端にすらなっていないかもしれない)な人間が取り入れる概念ではないのかもしれない。

 けれども、万人が自分の人生をいっしょうけんめいに生きている。私も自己卑下をしないよう心掛けようと思った。

 

 私は「夢見る少女」だったのだろう、と思う。「夢見る少女」は、中年、老年となると「夢追い人」になってしまう傾向が強い。理想と現実のギャップに悩むことの多かった人生を生きてきたと思う。これは、私の持って生まれたカード「No21世界」のエネルギーにありがちな傾向である。理想が高すぎてしまう嫌いがある。その上、いわゆる世渡りも下手くそだ。

 そんな私も、私なりにいっしょうけんめいにやってきたと思う。緊張しながら。逆に言うと、もっとリラックスしながら生きてくることができたらよかったのかもしれない、とも思う。「人生の回収③」で書いたように、若草物語のジョーではなく他の3人の姉妹のような生き方をふと思い浮かべるのと同じように。

 でも、それはどうなのでしょう。(おそらくは生来の)自分自身の性質というものをどう捉えれば、変えていくことができるのだろうか。よほどの悪質でない限り(おそらく悪質は後天)、変えようとすることは、自分ではない誰か他人になろうとすることなのではないか。私がジョーに惹かれたのは、かぶれただけなのか、それとも持ち前の能力に目覚めたからなのか。

 ある状況下で短所となってしまうことが、その人の良いところだったりすることは少なくない。「自分らしさ」という観点からも、これはまたひとつのテーマになりそうだ(余生の時間が許せばいずれ書きたい)。

 

 今の私の身体の具合が私の人生をも物語っているのだな、とマッサージを受けるようになって知り、いささか愕然としないでもない。

 これからは「自分をいたわり、ねぎら」ってあげたいと思う。それだけいっしょうけんめいに生きてきたのだから。「がんばったね」と。

 

 こうして私が恥をさらしているのも、同じような悩みや心の痛みを感じている人たちへの何らかのアドバイスになれば、と思っているからである。

 占い師になったのも、同様の理由だ。すなわち、同じような悩みを抱えている人の助けになることができれば、と思ったからだ。それは特に親子の葛藤についてと、夢の実現についてだった。

 

「海外を飛び回る」という叶わなかった夢(そうなのです。私は心のなかに「塔」カードを持っているのです)を、あらためて振り返ることになったわけではあるが、ヤマザキマリのようなタフさも能力も私にはなかったということに得心がいった。

 そしてそれはまた、そのプロセスが私自身を編んでいる様々な成分となっている、ということに変わりはない。

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