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「日本の同時代小説」斎藤美奈子①~純文学という名の私小説的DNA~

私はいわゆる日本の「純文学」なるものが好きではない。ものすごく素晴らしいもののように日本文学史で学習するけれど、それは「私小説」ってやつでそしてとてもネガティブだ、とずっと思ってきました。

 

「日本の同時代小説」

斎藤美奈子著/岩波新書

を読んで、自分の正直な感覚を確信しました。

 

「好き嫌い」だけであまたある小説の価値をはかることはできません。が、芸術作品を受けとめる側は主観的に鑑賞するしかありません。

 

この書物は、1960年代から2010年代までに世に出た小説の道筋を、猛スピードで駆け抜けています。ときに懐かしく「その本」を読んでいた時代がありありと思い起こされたり、「その作家」が朝の報道番組内でインタビューされているのに見入って学校に遅れそうになった小さな思い出、あるいは「そのころ」自分が考えていたことなどなどがじわっと心に甦ってくる、そんな書物です。

斎藤美奈子は鋭い語り口調で政治や社会についてのコラムを書く人、というイメージですが、そもそも文芸評論家。さすがに読書量が半端ない、と単純に関心してしまいました。お仕事なので当たり前といえば当たり前なのですが。

 

「その本を読んでいた時代」などとエラそうに書きましたが、実は私、日本の小説をほとんど読みません。小説はもっぱら外国文学、でした。20代半ば過ぎ頃からは、日本、海外問わず、よほどの必要性がない限りまず読まなくなりました。邪道とは分かっていますが、カズオ・イシグロも、映画やドラマが頼りです。

読みたくない、というより読もうと挑戦しても読めない、その要因はいくつかありますが、日本独特と言ってもいい「純文学=私小説」もそのひとつです。これが何とも肌に合わないようです。ヘッセなども自伝的小説を書いてはいるのですが、ぜんぜんそちらのほうが、私には読みやすい。たぶん、思想的(哲学的)に昇華されているからなのだと思います。

自伝的体験に取材した作品はどんな時代、どんな国の文学にも存在しますが、日本の私小説はややもすれば社会性を欠いているのが特徴です。ゆえに私小説は、しばしば批判の対象になりました。とりわけ戦後の批評家は厳しかった。

(P10)

 

最近のトレンドはディストピア小説だそうですが、芥川賞受賞作品も含めての駆け足紹介文を読んでいたところ、なんですかとても具合が悪くなってきました。

すると最後にこうありました。

<純文学のDNAは克服できるのか>

二〇一〇年代の小説のトレンドをざっと見てきました。ディストピア小説の時代であるといった意味がわかってもらえたのではないでしょうか。労働環境の悪化、少子高齢化、震災と原発事故、そして安全保障政策の転換と、巷で囁かれる民主主義の危機。ディストピア小説の流行は、現実の厳しさに呼応しています。小説家は時代の空気をしっかり吸っているのです。ただ、「警世の書」としてのディストピア小説は絶望しか残さない、ただでさえ絶望的な現実に絶望の上塗りをしてどうするのだ、という意見もある。

(略)

これは震災関連小説に限らず、純文学全般に当てはまる傾向です。

なぜ文学は「その先」を示せないのか。私が立てた仮説は二つあります。ひとつは「純文学のDNA」とでもいうべき性癖です。

(略)

もうひとつは小説の形式上の問題です。

(略)

その間にも、現実に傷ついた人は「涙と感動」を求めて「世界の中心で、愛をさげぶ」に流れ、ディストピア小説ではなく「永遠の0」を選んだ。読者の劣化を嘆くのは本末転倒でしょう。厳しい時代に、厳しい小説なんか誰も読みたくないからです。

(P257~259)

 

ディストピアの向こうへ>

いったい、では今後の日本文学に未来はあるのか。

出版の世界では、たまに不思議な現象が起こります。

二〇一七年から一八年にかけて、吉野源三郎君たちはどう生きるか」(一九三七)が爆破的にヒットしたのは、まさに不思議な現象でした。

(略)

勇気がなくて友達を助けられなかったコペル君は、立場といい行動といい「ヘタレな知識人予備軍」「ヤワなインテリ予備軍」そのもだった。しかし、彼は勇気をふりしぼって長い謝罪の手紙を書き、最終的には友情を取り戻します。最悪の状態から再生した少年の物語。そう考えると、なぜこの本がヒットしたかが理解できます。読者がそこから受け取るのは、ヤワでヘタレな子どもでも、絶望の淵に沈んでも、生還の道はあるというメッセージでしょう。ディストピアな時代にこの本はマッチしていたのです。

君たちはどう生きるか」は正確にいえば、小説でも児童文学でもありません。出版されたのは日中戦争の年。タイトルが端的に示しているように、ファシズムに向かう時代に抗い、知識人が知識人予備軍の少年たちに向けて「知識人いかに生くべきか」を説いた書だった。だらか説教臭くて鼻持ちならない部分があるのです。

 

しかしここにはひとつのヒントがある。純文学のDNAに縛られて、ニヒリズムを気取っているだけが能ではない。絶望をばらまくだけでは何も変わらない。せめて「一矢報いる姿勢」だけでも見せてほしい。読者がもとめているのはそういうことではないでしょうか。

(P266~267)

 

作家というのは、おそらく社会性をもった人々であるべき(はず)なのだと思います。私がヘルマン・ヘッセトーマス・マンに夢中になって、独特の憧憬すら抱きながら読んでいたのも、その文学世界の美しさだけではなく、読み始めた当初は知りませんでしたが彼らが平和主義者であり、ナチスから睨まれて、亡命も余儀なくされたという揺るぎない精神の持ち主だったからなのだろうと、思います。

 

日本の純文学なるものが、日本の小説というものを何かとても特殊なジメジメとしたものにしているという私の感覚が、平成最後の冬にあながち間違っていないという証明を得たように思います。

 

日本の小説家はその小説のなかで「純文学のDNAは克服」はできないと予想します。

ただし現在、一部の作家たちは、ツィッターなどを通じて良心や民主主義を守るために直接語っています。そこでは、日本人の封建主義や人権軽視などの文明的人間として不具合なDNAを指摘し改善していく様相を呈しています。30年前には、なんだこの作家、なんだこの小説、と遠ざけてきた作家たちの賢明な発信に触れるにつけ、やっぱりさすが「作家」だな、ちゃんと世の中を見て考えてるんだ、とここ数年は感心しています(だからといって小説はやっぱり読めませんが)。

斎藤美奈子もそれらの小説を紹介する表現が決して賛辞ではなかったので、世間で騒がれるほど「有意義」な作品でもなかったのかな、という確認はこの本から得ることができました。また、騒がれるには騒がれる理由があるので、それについても著者の論評から勉強になりました。

 

作家というのは、創る物語と語る内容はいささか顔が違うようです。