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「ベニスに死す」の「世界で一番美しい少年」③〜「ベニスに死す」数十年ぶりの再読〜そしてビョルン・アンドレセンについてあれこれ勝手に思った

 もうほんとうに私は、トーマス・マンの「ベニスに死す」をこうしてこのときに再読することになろうとは、思ってもみなかった。

 思ってもみなかったことは、歳を取ってくるとしばしば起こるようになる。すなわち、人生の回収のためのような機会に突如として、恵まれる。

 

「世界で一番美しい少年」というドキュメンタリー映画を観たせいで、私は自分の書棚から、古く劣化して薄茶色に変色してしまっている文庫本を取り出すことになった。

 先の記事にも書いた通り、一冊は角川文庫。こちらは映画でタッジオの役を演じたビョルン・アンドレセンの映画シーンの写真が6枚もカバーに載っている。もう一冊は新潮文庫。こちらは今も出版され続けている高橋義孝訳のもの。両方とも読んだ形跡がしっかりある(小説なのに線が引いてある)。

 再読にはどちらが良いか迷ったが、新潮文庫のほうを選択した。

 時間をつくって2日で読んだ。もちろん純粋に没頭できれば1日で読めただろう。中高生や大学生だったら、けっこう時間を掛けて読むのだろうな、とふと思った。通学中のバスや電車に揺られながら。おそらく私も当時そうしたのだと思うが、定規を当てて線を引いてるところもあり、机に向かって読んでいたのかな、と思ったりもする。おそらくそうだろう。なんとなくうっすらと記憶が蘇ってくる。

 

 実は老齢期を迎えるにあたって、昔読んだ本を死ぬ前に再読したい、という願望を持っていた。が、新しく出会う興味深い本が次々と出てくるので、なかなか実現できずにいた。とくに、ヘルマン・ヘッセトーマス・マンは、私にとってとても大切な作家なのでぜひとも読み返したいという衝動を抱き続けていた。

 読めずにいたのは、新しく出会う本のせいばかりではない。人間というのは勝手なもので、その日、すなわち死を迎える日はそう遠くないと思いつつも、その日はまだまだ来ない、今日明日ではないと思っているので、本の再読もなんとなく後回しにしていくのだ。

 トーマス・マンの作品では、「ベニスに死す」「トニオ・クレーゲル」を必ず読む本として心の隅に置いていた。「魔の山」は長編なので一気に読むのは難しいかもしれないが、これも思い出深い小説だ。これら3作品は必ず再読したかった。

 ヘッセについては、また別の機会に。

 

 ラッキーなシンクロニシティが起きた。どこの誰かは存じ上げないが、「ベニスに死す」のタッジオ、すなわちビョルン・アンドレセンドキュメンタリー映画をつくってくれた。そして私はそれを録画して観ることができた。加えて、「ベニスに死す」を読み返すに至った。

 ああ、そうだ。トーマス・マンって、形容詞や説明で文章がやたら長いんだった、ということを「ベニスに死す」を読み返しながら思い出した。

 線が引いてあるのは、詩的な表現だったり、思索的な断片だったり、それからプラトンの「パイドロス」からの一節だったりする。

 さらに映画「ベニスに死す」も久方ぶりに鑑賞した。20代の頃にはビデオテープに録画してあったものを繰り返し観ていた。どのくらいだろう。10回いや20回、30回…何回観たかは定かではない。

 

 読み返してみて思ったのだが、主人公のアッシェンバッハは、映画でもそのまま文筆家のほうが良かったのではないか。この老作家は、常に自己分析をあれこれとするタイプのようなので、音楽という抽象的な芸術を扱う人間よりも、物書きとしてタッジオを見つめながら刺激されるほうが分かりやすかったかもしれない。非常に芸術性の高い、絵画的要素も強いヴィスコンティの映画作品なので、私などがあれこれ言う立場にもないのだが。映画では、その老作家(作曲家)の複雑な内面性が、言葉ではなく美しい映像に託されている。

 余談になるが「世界で一番美しい少年」から窺い知ることのできるヴィスコンティのビョルンへの仕打ちは、今で言うところのMe Too運動に当たるものだ。ハラスメント行為だ。犯罪だ。ハリウッドではすでに過去の出来事について逮捕者が出ている。こうしてみると、ヴィスコンティという人は素晴らしい才能の持ち主なのかもしれないが、悪いやつだ。以前、クズにも才能は宿る、なのか、才能を発揮してのちクズになるのか、ということについて考えた記事をこちらに載せた。この度ビョルン・アンドレセンの人生について考えさせられると、再びその疑問が目の前を過る。

 ビョルンの母親が生きていたら、しっかりマネジメントして違っていたのだろうか。とにかく祖母は金の亡者のような人だったようだ。ひとたび孫が金になると分かってそうなってしまったのか、もともとそういう人だったのか、それは分からないが。

 この余談は、私が巨匠ヴィスコンティ映画の批判をするための根拠となるだろうか。彼の映画だからといって無批判に称賛しなくてもよい、ということだ。批判に遠慮はいらない。しかもこれだけの酷いヤツならなおのこと(それほどの衝撃のあるドキュメンタリーなのだ)。

 すなわち、アッシェンバッハは音楽家ではなく作家にして、あれやこれやと葛藤して自己分析をする独白とともに物語を進める。小説「ベニスに死す」を2023年に読み返したあとには、そのほうがより味わい深い映画になるのではないか、そちらのほうが観たい、と素人の私には思えた、という話。

 一方で美と老については、十分にこの映画で描かれていると思う。この小説の主題は、なんといってもそこにある。

 美はあるとき自然に生まれるものなのか、芸術家が生み出せるものなのか。

 人はみな、必ず年老いていく。

「若と老」は、換言すれば「美と醜」である。

 

 さて、あれこれ思いつくままに書いてきたが、いつまでもお喋りが続いてしまいそうなので、そろそろいったん筆を置いたほうがよさそうだ。

 その前に、もうひとつ。

 現実的な話をすると、ビョルン・アンドレセンはどうやってこれまで生活してきたのかな、と下衆の勘ぐりを働かせてしまう。それほど落ちぶれているかのようにドキュメンタリーには映し出されているので。

 けれども、映画やテレビドラマにもいくつか出演していたようだし、音楽を教える仕事もしていたらしい。

 もともとそれなりに裕福な家庭だったようだし、「ベニスに死す」後の世界の熱狂のなかでギャラはけっこうもらっていたはずだ(特に日本から)と想像する。10代のころに彼が得たお金を祖母がどのように扱ったのかは、このドキュメンタリーからは分からない。祖母が亡くなったあとには遺産があったのだろうか。いや、それよりもいつ亡くなったのか。孫を金儲けの道具にしていた祖母からビョルンが解放されたのはいつだったのか。

 蓄えが全くなかったわけでもないのだろう。仕事もしていた。その上スウェーデン福祉国家だし、かつ、余計な情報かもしれないがコロナ禍でロックダウンもなにもしない自由な国だ。

 アルコール依存症だったというけれど、中年期はどんな按配だったのかな。欲を言えばそのあたりも表現してほしかった。

 

 ビョルン・アンドレセンの、決して優雅とも成功とも言えない人生を今こうして見せつけられて、そして老年期に入った彼が自らの人生を振り返るとき、それはあるひとつの甘美で残酷な世界へと人々をいざなう。

 それはまるで、トーマス・マンの小説そのもののようだ。トーマス・マンビョルン・アンドレセンの人生を知っていたかのようだ。

 ②で書いたようにある学者が言っていた、老人を見たときの、あるいは少年少女を見たときの、そこにあった、あるいはあるであろうその人間の人生の物語「運命」というものをけっこうな衝撃性をもって私たちに視覚化してくれたのが「世界で一番美しい少年」というドキュメンタリー映画なのではないか。

 加えて、「ベニスに死す」のタッジオとアッシェンバッハその両人を、自身の人生を通して、ビョルン・アンドレセンが演じているかのようだ。

 そう、タッジオもアッシェンバッハも、ビョルン・アンドレセンだったのだ。

 芸術家であるところも、息子を亡くしたことも、人生に葛藤していることも、「美」に翻弄されたことも、ビョルンはまるでアッシェンバッハのようだ。そして今、年老いた彼がドキュメンタリー映画のなかで自らの若かりしころを辿る旅に出たのは、リドでベニスでタッジオを追いかけているアッシェンバッハのようにもみえる。

 

 ビョルンの娘が、「ベニスに死す」のことを知り、そしてオーディションの映像などを見て、とても悲しんでいた。自分の父親の少年時代を哀れんでいたが、それだけなのだろうか、と私はいささか冷静に冷酷に思ってしまった。確かに当時の監督、映画関係者たち、周囲の熱狂者たちによる扱いには不適切がたくさんあった。

 けれども、そこにあなたのお父さんは確実にいた。父親の心の傷に同情することは大きな愛だが、一方で、あなたのお父さんは確かにそこで輝いていた。栄光のときを褒め称え、素晴らしいと思うことはないのだろうか(父娘の関係があまりよくなかったということなので、複雑な心境はあるにせよ)。もしかしたら、そういったシーンもあったが、意図的に構成されている?

「私はあの映画の父を誇りに思います」と言ってほしかった。他人の気持ちに注文をつける私もどうかしているが。

 

 トーマス・マン著「ベニスに死す」のタッジオがビョルン・アンドレセン以外の俳優である映像は未来永劫、想像できない。それほどの強烈なイメージがおそらく世界中に焼きついている。

「ベニスに死す」にとってビョルン・アンドレセンは運命の人物だったのだ、とあらためて言うよりほかはない。

 

 またなにか心が、思い出(記憶)が刺激されたら、執拗に筆を取りたいと思う。

「ベニスに死す」映画パンフレット

「ベニスに死す」映画パンフレット

こちらもご参考にしてください。

risakoyu.hatenablog.com

 

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