ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

「僕らは奇跡でできている」最終話~本当の自分と宝箱の正体~

2018年秋ドラマが続々最終話をむかえています。

いつもながら視聴率と質は必ずしも一致しないわけですが、今シーズンもそれを見事に示してくれたドラマがこれでした。

今シーズンの「ねことんぼ評価」1位です。

 

「僕らは奇跡でできている」フジテレビ(カンテレ)

脚本/橋部敦子

出演/高橋一生 榮倉奈々 要 潤 児嶋一哉 田中泯 小林薫 戸田恵子

 

橋部敦子の作品テーマのなかに「本当の自分を生きる」ということがあるように思います。医療ものも多く手掛けており、その表現、ストーリーは巧みです。また今回のドラマもそうですが、障害もふくめて個性的人物がその人生を生きるその生き方を、愛と神の視点で描いている、と言っては言い過ぎでしょうか。

草彅剛主演の「僕シリーズ3部作」でも、「死(僕の生きる道)」「障害(僕の歩く道)」「家族(僕と彼女と彼女の生きる道)」を描くなかで「本当の自分」を問いかけてきました。

「僕らは奇跡でできている」では、昨今の学校でも話題にのぼる親からすると「育てにくい子ども」が、様々な悩みと苦痛を乗り越えて自分の好きなことをして喜びを感じていく姿が、ひとりの研究者と彼を取り巻く人々を通して、深刻ではなく「優しく」描かれていました。

「私も相河先生のような研究者と出会いたいと思いました」と、私が中学生だったら感想文をそう締めくくります。

 

私たちは、普段の生活のなかで「肯定」されることが少ないと思います。どちらかというと「否定」ばかりされているのが日本の特徴と言ってもよいかな、と感じています。

静かなドラマを「深刻」で「重い」と決めつける評論家も多いようですが、このドラマはそれどころか「肯定」の嵐で、とても「癒される(この言葉は手垢がつきすぎているのであまり使いたくないのですが)」ドラマになっていると思います。ドキドキハラハラする事件が起きるわけではありません。ゆえに視聴率が低いのかもしれませんが。

もったいないですね。もっと多くの人々に見てもらいたいドラマです。ぜひ放送局の方々、並びにドラマ評論家の方々は、消えものとして放っておくのではなく、長く視聴され続けるドラマのひとつにしていただきたいと思います。制作者よりも評論家の使命の方が大きいでしょうか。映画評論家の町山智浩は、過去の映画を論評を加えながら推薦するメッセージを発信してくれています。

 

「僕らは奇跡でできている」、最終話はナイスなセリフが満載でした。

 

祖父(田中)と相河(高橋)の対話。 

大学休んだ。

 

そうか。

 

光を大きくしたらやなことまで入ってきて、辛くなっちゃって。

 

そうか。良かったな。

いつも「良かったな」と対応してくれる祖父。 

ネガティブをネガティブと受けとめない。ネガティブなことを「~のおかげで」と理解するようにしてきたのは、祖父のおかげのようです。

器を大きくすると、入ってくるものが増えるのは当然です。今まで見えなかったものまで入っていきます。すると悩みが多くなったように感じることもあります。学べば学ぶほど知らないことが増えるのも同様の現象だと思います。

 

相河と鮫島教授(小林)との会話。

同じことをしても、熊野事務長には怒られて鮫島先生にはいいと言われました。

 

僕も事務長もそこはいっしょなんだけどね。学生たちを思ってのことだから。

あるある、そんなことってある、と思った人も多かったのでは?同じことをしているのに、言っているのに、肯定する他人と否定する他人がいます。

鮫島先生は、学生たちのことを思う気持ちの根本は同じだ、と言います。が、これを教師にやられる子どもは困ってしまう。どちらもあなたのことを思ってだ、と言うかもしれない。どっちを信じればいいのだ?

あるいは、ひとりの人間でも、昨日と今日と言っていることが違うということもあります。これを仕事場でやられると非常に困る。臨機応変とか柔軟性だけでは済まないこともあるので、みんながみんな善なる思いからの肯定否定だとは思わないほうがいい、と私は思っています。このドラマは本気で善人しか出てこないので。

もうひとつは、同じことを言ってもしても、自分は怒られるのに、Bさんは怒られない、ということもあります。昔それは男女の差であったようですが、それ以前の問題で理不尽な振る舞いの人間はどこにでもいます。

 

辛い気持ちだって光だから。これからも僕のなかの光を広げてく。

相河先生、さすがです。

辛い気持ちも光、とはなかなか言えません。分かってはいても。

 

相河と樫野木准教授(要)の対話。

聞いたよ、やめるんだって?僕が、言ったから?

 

樫野木先生に、わ~っと言われて、また昔のことを思い出して、すごく嫌な気分になりました。悲しくて辛かったです。どうして悲しくて辛かったのか、考えました。そして、分かりました。僕は樫野木先生と仲良くなりたかったからです。リスの橋に屋根を付けたとき、楽しかったです。樫野木先生すごかったです。仲良くなれた気分でした。

トラウマは誰にでもあります。ずいぶん小さくなったかなと思っていても、不意に同じような状況に襲われると甦ります。でもどうしてだろうと向き合ったとき、相河の心に浮かんだのはポジティブな感情でした。悲しかった理由。

 

鮫島教授の講義中。学生たちが心配して尋ねる。そして鮫島教授の素晴らしい助言。 

相河先生、本当にやめるんですか?

 

聞いたの?

 

はい。

 

君たちも、相河先生からはいろいろと感じることがあるみたいだね。

 

相河先生みたいになりたいです。

 

でも、やりたいことが見つかりません。

 

おそらく、多くの人がそうなんじゃないかな。そういえば、樫野木先生がいいことを言っていたな。

やりたいことを探すのはいいけど、そんなもの簡単に見つからない。見つかるかどうかわからないものを探して、自分の人生ちゃんと考えてる気になったり、逆に、やりたいことが見つからない自分はだめなんだって責めたりする人がいるかもしれない、って。

なるほどって思ったよ。どうすればいいかな。こう考えるのはどうかな。

キミたち、相河先生がいつも持ってる缶、知ってるよね。ガラクタみたいなのがゴチャゴチャ入っているけど、相河先生がやっていることは、そのなかに入っているものをどう生かし切るかってことだと思う。

例えばアイスの木のスプーン、あれをどう生かすか、フィールドワークではちょっとしたことに役に立つ。種や苗を植えたときの目印にしたり、魚を釣るときの浮きに使ったり、スプーンはスプーンのままで他の何かにならなくても、いろいろと生かされる。スプーンが他のものと比べて何ができるとかできないとかじゃない。ただ、そのものを生かし切ること。

 

自分にとっての宝箱は、他人が見ればただのガラクタ箱に見えるかもしれません。いや、自分自身で「ガラクタ」だと思っていることのなかに、忘れている大事なことが眠っているかもしれません。タロット占い師の立場から付け加えさせていただきますと、それを教えてくれているのが「死神」カードです。自分が持っている全てを生かし切るカードは「魔術師」。

「死神」は13番。「魔術師」は1番のカードですから、タロットカード(大アルカナ22枚)を人生の旅路と考えたとき、全てを生かし切るパワーを私たちは幼い頃は持っていたはずなのです。社会的環境によって次第にそのパワーを失っていってしまうのが人間です。ですので「死神」は、そのことを人生の途次で教えてくれているわけですね。

そして、ひとつのものはいろいろなものに工夫して使うことができます。そしてそれは特別な何かになろうしているわけではないし、できることできないことを他と比べることもしない。その素のままを生かし切る。「死神」の「ガイコツ」はまさにその「ありのまま」を伝えています。

 

歯科医院。育実(榮倉)が今後の運営について考えている。

本当にこれ以上のことはできないのかな。今までインプラントはこの地域じゃ需要がないからとか、ただでさえニガテなお金の計算が増えるとか、やらない理由ばかりを見つけてました。そうじゃなくて、やるとしたら、って考えてみようかな、って。

 

まずニガテなことは人に任せちゃえばいいじゃないですか。そしたら院長、治療に専念できますよ。

 

考えたこともなかった。全部自分でやらなきゃって思ってたから。

 

ちなみに私得意ですよ。経理。医療事務の資格ももってます。

 

それを丹沢さんにお願いしたら、歯科衛生師さんを増やさないといけないです。

 

子育て中でフルタイムで働けないけど、職場復帰したいっていう知り合いが何人かいます。

 

なんか、できるような気がしてきました。

私も一家言もっています「やらない理由」というネガティブ。私たちはなぜか「言い訳」ばかり探します。癖になってしまっているかもしれません。「できる理由」を考えていくと次々に環境が整っていく、というよい例を示す対話です。

また「自分探し」も、「やってる気」という満足や、行動に移すことを「先送り」するという「やらない言い訳」になってしまう可能性があります。

ネタバレになってしまいますが、相河一輝の母は、実は家政婦の山田さんでした。一輝の母は、一輝を育てきれずに家を出ます。明日は帰ろう、明日は帰ろうと思っているうちに時が過ぎていき……。「先送り」は「すべきこと、できること」をやらない自分を許して安心するための道具です。

余談ですが、丹沢さんの履歴書に資格について書いてなかったのかな、という疑問は残ります。今は学歴も書かないエントリー、ありますからね。

 

樫野木准教授は、フィールドワークをやめた自分に苛立っていたことに気づく。家族のため、という言い訳。樫野木と鮫島の対話。

家族のせいにしておけば、研究者としてフィールドワークで食べていく覚悟も才能もない自分と向き合わずに済みました。自分の選択が正しかったと思うためには、相河先生を否定するしか……

 

だから、相河先生と出会えたのかもしれないね。

本当は自分がやりたかったことを否定する人がいます。自分を正当化しないと人は心が壊れますから。でもそれではいけない。本当の自分と向き合っていない。だからイラつついてしまいます。

覚悟をもって選択したことは、覚悟を持って受けとめ続けなければ自分も周囲も傷つきます。覚悟を持っていれば、もし違うなと思ったとき、勇気をもって方向転換することができます。

否定的な思いが湧くときは、そこに何か違和感が存在しているからです。立ち止まって考えるべきです。自分が誰かを、何かを強烈に否定していたら、そこに宝がある可能性が大きい。樫野木准教授にとっては、相河が「それ」だったようです。 

 

樫野木と相河の対話。 

大学やめるの?ひどいこと言って悪かったよ。

 

樫野木先生のせいでやめるんじゃありません。樫野木先生のおかけでやめるんです。

相河にとっても樫野木は「それ」だったということですね。人は互いに「それ」であることが往々にしてあります。ゆえに出会いは大切。「合わせ鏡」とも言われるゆえんです。

そして、強烈な仕打ちがくるときそれは変化のとき、です。これは「塔」カードからのメッセージでもあります。

 

宇宙でのフィールドワークにいくための準備をするという相河。歯の治療が必要。物語の最初で提示されていた「ブリッジかインプラントか」が、ここで回収されます。

インプラントを選択する根拠は「宇宙へいくこと」。

けれども、インプラントには30万円もかかる。 相河と鮫島教授の対話。

だったらさ、講師をつづけながら準備すればいいんじゃない。ゼロか100かじゃなくてさ。

 

鮫島先生、どうしてもっとはやく言ってくれないんですか。

 

まだ大丈夫。残る気があるなら残っていい。

 

ありがとうございます。

 

宇宙かあ、面白いだろうなぁ。

選択は、右か左かゼロか100かだけではありません。第3の道や融合の道もあります。そうそう、小池百合子都知事が発言して今年ちょっと嫌味な感じで話題にのぼった「アウフヘーベン」。

 

宇宙。物語最後に、夢はでっかく持てよ、ということでしょうか。平成も終わるというときに、まさかの……大きいことはいいことだ?

宇宙に行くために、水泳とロシア語をやっているという相河。 

興味のないことを何かのためにやることは、はじめてです。

何かをやろうと決めたとき、そのために必要なことは、得意なことや好きなことばかりではありません。ニガテなこともあるでしょう。そのニガテは、好きなことをするための土台になることであって目標ではありません。好きなことのためなら、努力もまた楽し、ですね。

 

さて、「宝箱」を開けてみましょうか。そこにありますよ。

 

追伸

このドラマの難を言いますと、テーマソング。

日本のドラマはどうして不釣り合いな歌を持ってくるのでしょう。WOWOWだったらこれはない、と最近WOWOWドラマにはまっている私は思います。

テーマソングをはずしたヴァージョンを観たいです。

 

高橋一生は、顔で演技する人なのかな?

現在NHKBSプレミアムで放送中のアメリカドラマ「THIS IS US」での吹き替えは、率直に言わせていただきますと、はまってないです。

「THIS IS US」は、大変良いドラマです。