ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

「同期のサクラ」第6話〜自分“らしく”生きること〜

自分に嘘をつかないで生きることはできるのか?

 

「同期のサクラ」日本テレビ水曜夜10時

主演/高畑充希 脚本/遊川和彦

 

2014年秋。

花村建設本社で、女性活躍推進セミナーのために、ある有名評論家先生を講演に呼ぶことになった。わがままいっぱい理不尽な要求をしてくる女性評論家。自分を「先生」と呼べと言う。

社長案件なので、しっかり頼むと言われてしまった人事部のすみれ(相武紗季)。

子会社の代表としてサクラも参加することになる。

どれだけ偉い評論家か知らないが、こんな人間はこちらから願い下げだな、と思うほどの勘違い人間が描かれている。いや、実はこんな人間は多いのだろう。だからこそ、遊川があからさまに描いている。

会社の要求には従わなければいけない。逆らわずに首尾よくこなさなければならない。それが「大人になる」ということ。

サクラ(高畑充希)がこの評論家を先生と呼ばす、さんづけでずっと通したところは拍手を送りたい。自分は彼女から直接何かを教わったことがないので、と。

 

私事で恐縮だが、占い師のことを「先生」と呼ぶ人は多い。私は「先生と呼ばないでください。サリーさんでお願いします」とお願いしている。占い師でも弁護士でも、医者でも、代議士でもなんでも、先生と呼ばないと機嫌の悪くなる人もいるので気をつけなればいけないが。私は、先生、先生と呼び合っている占い師同士の間でも、さんづけで呼ばせて頂いていた。失礼なヤツだと思われていたかもしれないが。

なぜ私が「先生」という呼称を嫌っているかと言うと、どういうわけか人間は「先生」と呼ばれると簡単に「偉く」なってしまうようだからだ。政治家その他の例からご賛同いただける方もいるのでは。

もちろんサクラ同様、私もなにかを教わる人は、先生と敬意を込めて呼びます。

 

さて今話のキーパーソンは、すみれの娘、つくし。

学校でダンゴムシをかわいがっていたところクラスメイトにからかわれ、殴ってしまう。

「自分の言いたいことを言って、やりたいことをやりたいだけなのに、それのどこが悪いの」と言うつくし。

「人はいつまでも自分の好きなように生きられないの」と、つくしを諭すすみれ。

 

あれしちゃだめ、これしちゃだめばかりじゃんこのごろ。じゃあ、つくしは何をすればいいの?お母さんの言うことを黙って聞いてればいいの?おとなしく勉強してればいいの?なによ、仕事場ではペコペコしてるくせに。お母さんの仕事って、謝ることなの?すっごいかっこ悪いんですけど。

すみれは思わずつくしの頬をぶってしまう。

子育てに自信をなくしてしまうすみれ。

 

会社に入ったころには、サクラのように仕事に燃えていた、と話すすみれ。

でも、どんなに理想や正論を主張しても、上司には黙って言うこと聞けとか、女のくせに生意気だとか言われるし、周りの女子には媚売ってとか、目立ちたがりとか言われて、心が折れちゃった。

だから結婚に逃げた。愛する家族のために生きようと思った。が、離婚。今回、つくしがお父さんのほうがいいと家を出たので、自分にはもう何もなくなってしまった、と嘆くすみれ。

それでも評論家の理不尽な要求に走り回る。

 

サクラはすみれに次のように話す。

私の母は、私が好き勝手なことをしようとするといつも、しちゃだめ、ではなく、していいよ、やってごらん、と言ってくれました。

そのせいで私はこんな人間になってしまい、すみれさんに散々迷惑をかけて申し訳ないと思っているのですが。

 

講演はひどいものだった。予定より短時間で、新しい情報もない。

ついにすみれが立ち上がる。

「先生は本の宣伝のためにこのセミナーにいらしたんですか?」と、その場の女性参加者全員が感じているであろうことを叫んだ。

「会社が女性の活躍を応援していると内外にアピールするのにつきあわされただけじゃないですか、私たちは」

社長まで批判してしまう。

「そんなことを言ってどうなるか分かってるのか」

社長から言われても動じないすみれ。

別にかまいません。(略)

おかげでこれからどんなに辛いことがあっても、自分に嘘をつかないで生きていこうという決心ができました。娘や後輩のサクラを見習って。

 

「つくしはつくしのままでいい」

と、つくしに言うすみれ。

 

すみれは、人事部から異動になった。

 

物語は前後するが、サクラとつくしの対話が興味深い(薄字がつくし)。

おとなになるって大変?

それは、よく分かりません。

なんで?

私は、いまだに周りの人におとなになれって言われるので。

じゃあさあ、自分の思い通りに生きるのって、やっぱり辛い?

そんなことは……ないと思っていましたが、結果的に今子会社にいるので、やっぱり辛いのかもしれません。

じゃあ、つくしも今みたいにはいられないのかな、おとになったら。

それは……よく分かりません。

 

画家の奈良美智が次のようにツィートしていた。

サクラが母親から小さいころに「自分の思ったように生きなさい」と言われて育ったと言ってたが、かつて大きな失敗をしたときに自分も母からまったく同じように言われたことがあるので、少し泣いた。

「“らしく”生きる」ということではないだろうか。

最近はこの「らしく」を良い意味で捉えない潮流もある。

ジェンダーの観点から「男らしさ」「女らしさ」が、強制的価値観や差別主義を後押しする呪文にすらなっているからだ。「有害な男らしさ」という文言のもとにアメリカでは意識変革を求める声もあがっているが、同様に私は、日本では「女子力」という文言が「有害な女らしさ」ではないか、と考えている。

けれども、

「私の母は、私が好き勝手なことをしようとするといつも、しちゃだめ、ではなく、していいよ、やってごらん、と言ってくれました」

「自分に嘘をつかないで生きていこうという決心」

「自分の思ったように生きなさい」は、

「自分らしく」「あなたらしく」「サクラらしく」ということだ。

「らしく」は良い意味でも使うことができる。

「らしさ」

そのものふさわしい様子をしていること

コトバンク

人はそれぞれ、その人らしい良さを持っている。それは性質だったり、能力だったり、得意なことだったり、感じ方だったり。

また、「らしさ」はつくられてもいく。だいたい人を見ると職業が推察されたりするのがそうだ。教師、銀行員、セールマンなど。あるいは、役職。こちらの「らしさ」は、悪弊であり悪癖であることのほうが多いように思う。

サクラはおそらく、いささか奇妙な子どもだったのかもしれない。それを母親は見抜いていた。だからこそ強制的に矯正しようとはしなかった。そういったことは世の中に天才と言われる人たち特有のことでは決してない。

もちろん、サクラの母親だって野放しをよしとしていたわけではないだろう。善悪の何たるかは教えているはずだ。

 

あなたは私みたいになっては絶対にだめ。あなたは十年後もその先もずっとそのままでいなさい。

私はもうあなたみたいに生きられないから、あなたのことを応援する。

と、サクラに言うすみれ。

サクラは嬉しさのあまりすみれのことを「おかあさん」と呼んでしまう。「すみません、母親と話しているような気になってしまって」と。

そのシーンがこれ。

サクラが遅刻ギリギリになりながら毎朝撮りつづけている街なかの建物の写真を、サクラ入社以来この日初めて、すみれは見てくれた。

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「同期のサクラ」 @kinirobotti

 

 

サクラのじいちゃんFAX名言。

「生きていれば辛いことばかりだ

でも

人生で一番辛いのは 自分にウソをつくことだ」

 

附記

釈尊も言っている。生老病死 四苦八苦。

釈尊は若いとき、4つの城門の外で「生・老・病・死」の人々を見て、人生について深く思いをいたし、出家した。

釈尊の説いた「八正道」 には「正語」がある。「妄語・綺語・両舌・悪口」から離れることを伝える戒め。

「妄語(嘘をつくこと)」は、対外的な戒めであると受け止める向きのほうが強いだろう。当時の人々は「自分に嘘をつくこと」とどれほど向き合っていただろうか。「八正道」には自己との対話が含まれているのだろうが。

現代社会はもっと深刻だ。

嘘が平気で公的にまかり通っている昨今、せめて自分に嘘をつくのをやめて生きたいものだ。しかし、そういう人たちは、おそらく出生コースから外れていく。だが、そういう人たちが人口の大半になってくれば、自ずと世の中は変わっていくのであろう。