ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

話し相手・相談相手は友人知人?占い師?精神科医?

あなたは誰と話をしますか?

話し相手がいますか?

相談できる誰かがいますか?

 

こんなツィートがありました。

エリック ・C@x__ok
日本に自殺者が多い理由は仕事が長時間だったり競争社会であることがあるが、それよりも多くの人が普段から話し合える友人を複数人持っていないという事が大きいのではないかと思う。全く別の複数の人と相談できる環境をいつも持っていることが心の拠り所となる。時間がないから持てないのだろうか。

エリックさんは信頼できるご友人がたくさんおられるのかなと想像しますが、上記のようにアドバイスされてしまうと「友だち幻想」に陥って逆に苦しむ人もでてきそうです。

友人というのは良し悪しで、友だちがいなくて不安だと言う人に私がよく助言させてもらうのは年齢にかかわらず、悪い友人ならいないほうがいい、ということです。

人の口は思っているよりも意外と軽いですし、またいい加減なあれこれやときに嫉妬から貶めるような事を助言のように言ってくる人もいます。特に、会社や学校、ご近所については要注意で、教師すら要警戒です。あっという間に広がります。しかもネガティブな雰囲気で。

もし話すのであれば、当たり前ですが相手をよく見極めたほうがいいです。大勢とつるんで、いわゆる友だちがたくさんいそうな人にはしないほうがいい、というのが私の経験です。それでも、なかには「良い方向へ導く」ような言動をしてくれる人もいるので、その人物が発している雰囲気というのを上手につかめるといいですね。

いつも仲良くしている友人が、必ずしも「話し合う」ことのできる人ではないかもしれません。普段どのような会話をしているか、どのような反応を見せるか、に注目することは大事です。どれほど良い人でも、あなたの難しい相談に耐えられる人であるかどうかは別です。

 

生田瞬@稼業崩壊@shishitou43
相談相手の裏切りを怖れて本音を言える人が少ないのもあると思います。結果、怪しげな占いやカルトにハマるか、「昨日見し人今日はなし」のネットか、行きずりの旅の途中で知り合った人の無責任なアドバイスに頼ることで悲劇になることもある。

とっぽ@toppor
あと日本ではメンタル系の医療に対して根強いアレルギーがある。具合が悪ければ医者にかかるという選択肢は社会的にはないに等しい。
一方、受け入れ側も医師免許にはジャンルがないので専門外がクリニックをやっていたり、カウンセラーも公的資格がないので怪しい素人ばかりなのも問題を深めている。

占い師として反応させていただきますと、相談相手に占い師を使ってください。若新雄純さんも以前「モーニングクロス」で発信していました。精神科へ行く前の相談相手としての占い師という選択の認定をしてもいいのではないか、と。

上に書きました「どれほど良い人でも、あなたの難しい相談に耐えられる人であるかどうかは別です」ということから言えば、占い師は「耐えられる人」です。

占いでも宗教でも「カルト」はいけませんが、「怪しげ」でない人もいます。とはいえ、私も「怪しげ」という表現を自虐的に使ってしまうこともあります。目に見えないことを扱っている世界なので確かに怪しく見えるでしょうから致し方のないところなのかもしれませんし、確かに怪しい人、怪しげに見える風体の人もいます。とりあえず疑っておけば間違いない、というのが一般的意見でしょう。

「怪しい素人」ということですが、怪しいのは素人ばかりではありません。公的資格を持っている精神科医心療内科医、カウンセラーでも、怪しい人はたくさんいます。

精神科では、薬漬け、というところも多いと聞きます。また、何度も書きますが、私の友人は精神科へ行ってよけいに落ち込んで帰ってきました。なぁんだこんなものか、と通院を辞めた人もいます。この分野は極めてセンシティブです。

「公的資格」をもって「怪しくない、信頼できる」ということの権威的基準、水戸黄門の印籠にはしないほうがいいと私は思っています。医師ということで言うなら、どの診療科でも同様です。ゆえにセカンドオピニオンが推奨されるわけです。頭もよくて、何千万円もかけてもらって賢明に勉強したのでしょうに、紋切り型で程度の知れた医者は世界中どこにでもいます。医師になったことだけをおのれの優秀の証(あかし)としてさらなる学びを怠っている人々です。傲慢になってしまった人々です。こういう人が謙虚さを取り戻すには、「塔」カードの体験が必要となります。

 

技能だけではありません。精神科医や占い師に限ったことではありませんが、患者(相談者)との相性は見逃せません。心の世界では「相性」はより大きく働く要素ですので、心療内科医も占い師も、この人変だな、合わないな、と思ったら即離れて別のところへ行きましょう。その医師や占い師が悪いというわけではなく、たんに相性が悪い、というだけの場合も意外と多いものです。もちろん、患者・相談者である自分が悪いなどと思う必要はありません。

私の場合は、究極的にはあの先生のところへ行こうと決めている心療内科医がいましたが、結局、行くことはありませんでした(まだこれから分かりませんが)。

 

思い返してみますと、心が疲れているときいろんな人に助けてもらったなぁと思いますが、それは、かしこまって相談にのってもらった人ではなく、ちょっとした触れ合いのなかでのたった一言二言のなんでもないような言葉だったりします。数名の顔が思い浮かびます。この人たちは決して親しい友人だったわけではありません。ほんの一時期、あるいは一瞬だったこともあります。

旅の途中で出会った人とのほんのちょっぴりの対話、というのもなかなか侮れません。知らない人だから話せるということもあります。そういう意味でも占い師は役立ちますよ。

たとえほんの一瞬でも、出会いというのはシンクロニシティだと私は感じていますので、旅でもどこでも、ちょっとした出会いで交わしたちょっとした言葉は、思いのほか活力を与えてくれることがあります。特に何かを深く考えているときには、そういう人と出会うチャンスがなぜか巡ってきます。上記のツィートでは、どうやら無責任なアドバイスをされてしまったということのようですが。物理的に誤った情報は困りますが、普段の生活からは得られないような珠玉のメッセージがやってくることもあります。

ですがもちろん、出会いのなかにはカルト教団とか霊能的類いのそれこそ怪しい人も混じっていますから、それは注意してください。そうはいっても、そういう人の言葉にも何かヒントが隠れていることがありますから、誘いにのらない、付いていかないという固い心を持っていれば大丈夫です。とはいえ、自分は断れないタイプだと思う人は、その種類だなと思われる人とは接触しないほうが無難です。彼らは巧みに付け込んできますから。

私が言っているのは、ごく普段的な通りすがりの出会いと会話、です。悩んでいそうな人にスルスルっと寄ってくる人は「怪しい人」の確率が高いです。

余談ですが、私は、学生のころから新興宗教系の人によく声を掛けられていました。よほどいつも悩みを抱えているような顔つきだったのでしょうか……。逆に、悩みの深いとき、車窓から見えるキリスト教会に惹かれて、相談に行ってみようかなと何度も思ったりもしました。結局行きませんでしたが。

 

エリック・Cさんは、フランス人は日本人と比べて街なかで話をする機会が多いと、別のところでつぶやいています。例えばお店でも。

日本の場合は、無言が多いですよね。

私もこちらで書きましたが、挨拶や声掛けが大事だと思っています。「ありがとう」「ごめんさい」「すみません」のほかに、譲る心「どうぞ」。

日本人は、お店でも無言です。私は「お世話さまです」とレジでも声を掛けるようにしています。これからはコンビニも無人になるようなので、さらに無言の場が増えるようですが。

もっともっと世の中がAI化して、一家に一台ロボットがいるとか、スタートレックに出てくる「データ」「セブンオブナイン」「ホログラムドクター」みたいな存在がいてくれれば、高度な対話もできて楽しそうですけれど。人間のように面倒くさくないでしょうし、逆に人間のことを面倒くさいと思わないでしょうから。人間のように裏切ることもないでしょう(将来はどうなるか分かりません)。

 

「話す」「語る」ということは人間にとって非情に大切なことであるのに、対話する相手がいない、聴いてくれる人がいない、ということは往々にしてあるわけです。たとえ家族でも。

自分の話は思いっきりするのに、他の人の話には少しも耳を傾けないという人も多いですからね。

 

医師とかカウンセラー、占い師も含めた見ず知らずの人に話す、というのは大変よい手段なのだと思います。診断や解決が見つかる見つからないは別にして。

いずれにせよ、悩みをどう解決するかを最終的に判断するのは、医者でも占い師でもない「自分自身」ですから。 

おそらく「話す、聴いてもらう」それだけで、人の悩みや問題の7~8割は明らかになっていると思います。ときに90~100%かもしれません。

 

上記ツィートには自殺者について書かれていました。

私は犯罪者も同様だと感じています。犯行の前に誰かと会話して、言葉を交わして、その一瞬で心がほどける、ということもあります。2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件。この人は犯行の前に店員と会話していました。私はふっと思ったのです。彼はいっとき、人間に、まともな自分に戻ったのではないか、と。けれども彼にはそれだけでは足りませんでした。無謀で残虐な罪を実行してしまいました。相模原障害者施設殺人事件の場合は、思想的に深い闇があるので一瞬の癒しを得ることは難しいですが、前者のような悲観的プレッシャー、自暴自棄の場合は、一瞬の慰めを得る奇跡の瞬間がないとはいえません。

 

切羽詰まった状態では相手を選ぶことはできませんが、私たちが普通の生活をしているときには、その相手は選ばなければなりません。誰でもよいわけではありません。たとえ公的資格のある医師でも神父でも、です。

相談相手を選ぶとき、またカルトやオカルトに騙されないためには、リテラシーを養っておく必要があると思います。

 

誰かからのたったひと言に救われる、ということがあります。救う側、救われる側、私たちはみなその両方になれます、なります。

 

人間でもAIでもないもので、昔からの最良の相談相手があります。

「書物」です。