私は野島伸司作品が好きではない。
けれども、このドラマは、
「あいくるしい」2005年4〜6月 TBS日曜劇場
脚本/野島伸司
出演/市原隼人 綾瀬はるか 神木隆之介 原田美枝子 竹中直人 杉浦直樹 他
主題歌/「ベンのテーマ」マイケル・ジャクソン
名作だと思う。
「海に眠るダイヤモンド」の感想を書いている人が、神木隆之介が子どものころから天才だったということがすごくよく分かるドラマだ、と「あいくるしい」を紹介していたので、観た。huluにあった。
2005年なので、神木はまだ12歳。
当時、このドラマの記憶が私にはない。脚本が野島伸司だからかもしれない。なんとなく野島のドラマは病んでいる感じがして、避けていた。けれども「あいくるしい」の3年後、2008年の「薔薇のない花屋」は観ていた。香取慎吾と竹内結子が出演していたからかもしれない。
どこのどなたか分からないが、このドラマを紹介してくれた人に感謝したい。神木が天才という証拠を残してくれているのみならず、ドラマ自体が名作だ。
ところがウィキペディアによると、視聴率が変だ。初回が17.3%もあるのに、2話で突然11.9%まで下がっている。その後は12.6〜11.1%をうろつき、後半は10%台、最終話にいたっては8.8%である。なんだこれは?
17.3%から8.8%って、視聴者はよほどつまらないと思ったということか?それとも裏(番組)でなにかあった?
まあ、8%という視聴率は、2025年の現在ではドラマの視聴率として良いほうになる。17%も取れるのは、朝ドラくらいだ(2024年後期の「おむすび」は初週こそ16%台だったが、どんどん下がり続けて最後は12%台だった。朝ドラ好きの私も、ごめんなさい、観ていませんでした。前作の「虎に翼/主演・伊藤沙莉」の人気が凄すぎたのかもしれない)。
いずれにせよ、「あいくるしい」の視聴率は私としては解せない。そういう私も2005年の時点で視聴していなかったので、言う資格はないかもしれない。しかしこの度、20年後に視聴して、何度も言うが、たいへん感銘を受けた。
もしかしたら、神木隆之介の現在を知っているからよけいにそう感じるのかもしれない。が、そうだとしても、面白くないドラマはいつ見てもやっぱり面白くない、面白いドラマはいつ見ても、どこから見ても面白い(それでも、自分の変化や成長、社会の変化などによって、当時は面白かったのに今見るとまったく、というものもある。そんななかで、普遍性のある作品というものも必ずある。いわゆる「古典と」言われるものだ。これについてはまた別の機会に執筆します)というのが私の持論なので、「あいくるしい」は、私の評価基準からすると「名作」に入る。
もちろん、こういったタイプのドラマがもともと好きではない、苦手だという人からすれば、全く違う意見だろうが。
「あいくるしい」の神木は、どこから見てもやっぱり天才だし、12歳にしては(撮影当時は11歳かな?)幼い感じでとてもかわいらしい。
そして、ここから20年後、2024年10〜12月の日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」の神木。ストーリー自体も傑作だったが、神木の二役あってこそのこのドラマだった。2023年前期の朝ドラ「らんまん」も、もちろん物語も興味深かったのだが、神木隆之介(植物学者牧野富太郎がモデルの主人公・槙野万太郎役)の演技のたまものなのか、え、もう終わり?もっと観たい、と私は毎週言っていた(金曜日にNHKオンデマンドでまとめて観ていたので)。
主題歌であるマイケル・ジャクソンの「ベンのテーマ」がvery good.ドラマにぴったり合っている。
これは、「ベン」(1972年アメリカ)という映画の主題歌。マイケルはまだ声変わりしていない。聞くところによると、ダニー・オズモンドが歌う予定だったらしいが、マイケルに変更になった。今思うと、マイケルの声で良かったかもしれない。
「ベン」という映画は、友だちのいない病弱な少年とネズミの友情物語。けれども街にネズミがどんどん増えて、確か…ネズミを駆除することになるんだよね(記憶が正しければ)。
歌詞もこのドラマにあっている。
日本では、フィンガー5のアキラが日本語で歌った。
「ベン 僕らは友だち 探し求めていた……」
神木隆之介演じる真柴幌(ほろ/愛称ポロ)は、虹色の戦士(友人)を集めている。
おじいちゃん(杉浦直樹)たちが小学校を卒業するときに埋めたタイムカプセルを掘り出すことになった。そのなかから七色のビー玉が出てきて、それをポロが譲り受ける。そこから、ポロの戦士集めがはじまったのだった。
舞台は伊豆の自然豊かな村。
家族について紹介する初回冒頭の幌のナレーション。最後に自分の紹介。
僕の名前は幌と言います。トラックや馬車についている緑の布のことです。なかの大切なものを、雨や風から守れるような人に、という意味だそうです。
そして、シーンが切り替わる。
友だちはポロ、と呼びます。以上、おわり。
このナレーションは、学校での作文発表だったのだ。先生が言う。「将来の夢は?」作文の課題は「家族と将来の夢」。
はっとしてポロは付け足す。
そっか。将来の夢は…えっとぉ…世界を救うことです!
生徒たちが笑い、ポロも照れたように笑う。
そして、ポロの語りが言う。
信じられないかもしれませんが、僕はまだ泣いたことがありません。いつかポロポロと涙を流してみたいです。
そう、ポロは涙を流したことがない、と言うのだ。
生まれたとき泣かなかったから?両親はしばらく障害のことを心配していた。
みんなには笑われたけど、天文台で働いているおじいちゃんは、ポロのすべてを受け止めてくれる。星を見ながらおじいちゃんと語り合っているとき、涙を流すことができない自分がこわい、と話すポロ。
ポロ おじいちゃん、僕は冷たい人なのかな。
祖父 そうじゃないさ。幌は優しい子だよ。おじいちゃんは保証するよ。心にある幹が太いんだ。人間は誰もが心に木を持っているんだ。その木が、幌はふつうの人より太くて強いんだ。人は、悲しいことがあると、瞬間その木が折れてしまうんだよ。そうすることで、木が悲鳴をあげるように涙をこぼす。だけど幌の幹は太くって強いから、簡単には折れない。風が吹いても雨が叩いても、折れない。
ポロ 嵐が来ても?
祖父 そうだ。
ポロ でも、どんな意味があんの?ぼく…
祖父 慰めてあげられる。支えてあげられるじゃないか。人はね、心の木が折れると、自分ではどうしていいか分からない。何も考えられない。だけど、幌の幹は強いから、そんなときでも考えられる。行動することができる。思いやることもできる。誰よりも強くて優しいあかしがそこにある。世界を救えるほどさ。
ポロ それ、みんなに言ったら笑われたよ。
祖父 笑わしておけきゃいい。今に分かる。
ポロ 父さんよりも強い?
祖父 そうさ。
ポロ お姉ちゃんや兄ちゃんよりも?
祖父 ああ。
ポロ そう。
祖父 そうとも。
ポロ おじいちゃんよりも?
祖父 わたしかい?わたしはぜんぜんだめさ。もう枯れ果てて、風がなくても倒れそうさ。
ポロ だけど、僕を支えてくれる。
祖父 ああ。
このあと、ポロがおじいちゃんが一番好き、と言うと、おじいちゃんは好きに順番をつけてはいけない、と言う。でも一番好きだとポロが言うと、二人だけの秘密にしておこう、と言ってくれるおじいちゃん。そして、おじいちゃんはポロに目薬をくれる。泣けないときに使えってことなんだよね。
でもって、翌朝、入院しているお母さんのことで暗い雰囲気の食卓。ポロは突然立ち上がって「四季の歌」を歌い出す。次第にみんなもいっしょに歌う。
ポロの優しさが溢れていて、おもわずこちらも涙。
そして、この物語は、天文台でのおじいちゃんとの対話の通りに進んでんいく。すなわち、ポロが家族、友人たちを支えて、助ける。それも静かに。ときに自分が犠牲になってまで。けっして諦めずに、忍耐強く。いや、ポロにとっては犠牲とか忍耐とかではないのだろう。ひたすらの優しさ、思いやり、なのだということがこのドラマからは十分に伝わってくる。
姉のみちる(綾瀬はるか)が言っていた。「幌は、悲しいとか、寂しい人を感じて、そういう人を放っておけないたちだ」と。
通学のバス。妹と同級生2人とポロが乗っている。そこに、これからポロが救うべき2人の同級生が乗ってくる。そこに幌をかけたトラックが対向車線を走って行く。ポロは目薬をさして涙を流す。ポロの役目が象徴的に描かれているシーン。
だけど、僕もいつかはポロポロと涙を流すときがくるかもしれません。大きな僕の心の木が役目を終えて折れてしまう、世界のすべての人を救い出したあとには。
というポロのナレーションで第1話が終わる。
この最後のポロの語り、ドキッとする言葉だ。
ドキッとするセリフは他にもある。
祖父 幌は世界中の人を応援したいんだろう?
ポロ うん。
祖父 みんなに優しくしてあげたい。
ポロ うん。
祖父 そうなると、これからも多くの人に傷つけられてしまうかもしれないね。
ポロ 僕、へいきだよ。だって、僕の心の幹って強いんでしょう。
祖父 ああ。
ポロ お母さんが言ってた。人を傷つけるのは悲しい人だって。たぶん、誰にも好きって言われたことがない人だって。だから僕ね、そういう人に会ったら好きって言ってあげるんだ。
祖父 傷つけられてもかい?
ポロ うん、そうだよ。
祖父 幌、幌がそんな大人になったら素晴らしいことだね。ほんとに世界が救えるかもしれないな。
傷つけられても、なお、人を応援する、助けるって、なかなかすごいセリフだ。そして小学生の幌がこれを言う。
本当のヒーローはこういうことなのかもしれない。ヒーロー論は世にさまざまある。誰かに気づかれ認められることがヒーローの条件だともいう。けれども、人を救う、世界を救っているのは、人知れず、悲しい人、寂しい人に「好き」と言ってくれている人たちなのではないか。そして、ヒーローというのはみな、実は人知れずどこかで傷ついているのかもしれない。
このポロの様子から、「ペイ・フォワード 可能の王国」と「スタンド・バイ・ミー」という2つの映画が私のなかで重なった。
「ペイ・フォワード」(2000年アメリカ 主演/ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、「自分で世界を変えたいと思ったら何をするか」という社会科の課題で、トレバー少年が「ペイ・フォワード」を思いつく。自分が受けた善意を別の3人に渡す。それがどんどん広がっていけば、世界中の人が幸せになれる、と。そしてトレバーは実践していく。困っている人を助けるのだ。そして…。
ポロも困っている同級生たちを助けて、そして虹色の戦士としてビー玉を渡す。
「スタンド・バイ・ミー」(1986年アメリカ 出演/ウィル・ウィートン リヴァー・フェニックス)は、少年たちが冒険に出かける(死体を探しにいく)物語だが、「ベンのテーマ」が流れるオープニングとエンディングのポロとその仲間たちの映像が、雰囲気的に似ている。少年少女時代の束の間の結束と思い出、とでも言おうか。
ポロの妹・唄(うた/松本梨菜)は、なにかというといつも大声で泣く。でも、それがドラマのアクセントになっている。
母・由美(原田美枝子)が死んだとき、村祭の夜だった。ポロと唄と3人で帰宅して、母はポロにお湯を沸かしてと頼んだ。母と唄は横になって眠ってしまった。やがてお湯が沸き、ポロが母を呼びにいくと、母は死んでいた。そして唄はその傍らで大声で泣いていた。ポロはおじいちゃんの天文台に電話をして、それから走って泥だらけになって、祭りの会場にいるみんなを呼びに行く。
ここはポロの健気さと懸命さが伝わってくる、なんとも言えないシーンだ。
姉のみちる(綾瀬はるか)が東京へ行くというとき、ひとり踏切の傍らでじっとうつむいて佇んでいた。そこを走りすぎていく列車。窓からポロを発見するみちる。なんだかとても強烈なシーンだった。
みちるが、死んだ母にそっくりな女性のもとに意を決して向かうとき、ポロにいっしょに来てほしいと頼んだ。ポロはこのときまで家族のなかでひとりだけ、その女性に会っていなかった。どうしてかなと思っていたところ、このシーンがやってきた。見事な演出だと思った。
そう、ポロはいつも、助けを求めている人のそばにいる。
さて、このドラマの主演は誰なんだろう?とふと考えてしまう。
おそらくここまでこのエッセイを読んでくださっている皆様は、私同様、神木隆之介演じる幌が主役だ、と思いませんか?
テロップでは市原隼人の名前が最初に流れるので、みちるの弟でポロの兄・真柴豪が主人公、市原が主演、と考えるのが妥当なんだろう。ウィキペディアにも「主演は市原隼人」と書いてある。
私は途中、主演は綾瀬はるかじゃないか?とも思った。
けれども、やっぱり、主演は神木隆之介、すなわち主人公は真柴幌なのではないかとどうしても思ってしまう。
上に書いたように、物語はポロのナレーションではじまったし、そのポロのナレーションは毎話必ず流れて物語をじんわりさせてくれる。
そして、どう見ても、みちる、豪、唄、そして父親の徹生(竹中直人)と母親の由美という家族の物語、虹色の戦士たちのエピソードが、ポロを中心に描写されている。
余談になるが、綾瀬はるかと市原隼人は、このドラマの2年前、2003年に「僕の生きる道」(フジテレビ・カンテレ 主演/草彅剛)で共演している。
市原隼人演じる豪は、正義感の強い熱血高校生。こんなに演技がうまかったんだ、と失礼ながら、感心。竹中直人相手の激しいやり取りを、コメディタッチで見事にこなしている。
豪の恋人になる女性・ほのかを演じた沢尻エリカも、とても良い。聾唖者なので、ひとことも喋らないのだが、本当に上手だ。
おじいちゃん役の杉浦直樹は、当然ながら存在感があって素晴らしい。ポロをそっと支える様子が映像からしみわたってくる。2011年にお亡くなりになっています。
私のなかでは、「あいくるしい」の主演は神木隆之介、ということにしちゃいます。
最終話、最終シーン、地区対抗運動会。真柴家の6人がリレーを走ってバトンを渡していく。
「ベンのテーマ」が流れる。
僕は今日、いままでどうして涙が出なかったのか分かりました。涙はがんばって流すものではなく、きっと気がついたらこぼれているものなんですね。
そしてそれは、自分のためじゃなく、ほら、こんな風にお姉ちゃんが、ほら、こんなにみんなも、僕はすっと身体の力が抜けました。
どうしてって、それは、もしも世界を救う人がいるとしたら、それは僕だけじゃなく……2005(トウェンティオーファイブ)、ありがとう。

追記
いささか2つほど、視聴率と同じくらい解せないエピソードがある。
みちるの恋愛。母・由美が入院していた病院の医師。ひとりは矢口淳一(小栗旬)、院長の息子。もうひとりは由美の担当医、瀬戸政希(田中幸太朗)。実は二人は母親違いの兄弟。政希は優秀な医師。淳一はまだインターン、そのうえ本当は画家になりたかった。みちるは、淳一が好きだった。政希もみちるに惹かれている。淳一は外国に絵を勉強しにいくといい、さらに政希も、医療ボランティアで海外に行くという。
なんと、ふたりとも。じゃあ、矢口医院は誰が次ぐ?お互いに譲り合っているのかもしれない。
そのうえ、結局みちるは政希が帰国するのを待つと言う。え〜。
分からない。この恋愛エピソードで野島伸司は何を伝えようとしたのか?
もうひとつは、母・由美に瓜二つの女性、園子(原田美枝子)。8話目から登場して、上に書いた、最終話の最終シーンにまで出てくるのだが、真柴家の人々との間で起きる出来事は興味深いものではあるが、いまひとつピンとこない。子どもができない女性が、子どもたちをあいくるしく思う、そんな設定?
これらのエピソードは、はたして必要だったのか。
それとも、私には理解できないだけで、すばらしいエピソードなのだろうか。