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「心の傷を癒やすということ」〜ひとりぼっちのいない尊厳ある社会〜

「いい人は早死」「憎まれっ子世にはばかる」とはよく言ったもので、この物語の主人公である安克昌は、2000年12月に39歳で亡くなっている。

 

「心の傷を癒やすということ」

NHKドラマ2020年冬期全4話

主演/柄本佑

 

実話に基づいたテレビドラマ。

心療内科、カウンセリングがまだまだ日本では馴染んでいない当時、人の心を癒やす、心のケア、ということをずっと考え、実践し続けていた精神科医

ちょうど阪神大震災のときだ。

 

静かな素晴らしいドラマだった。

安克昌を演じた柄本佑、本人にこれだけ寄せて演じることができるとは、いや、寄せている云々よりも、柄本佑はすごい役者だと、あらためて思う。妻の安藤サクラもすでに大女優の貫禄で、この夫婦の一族、おそるべし。

 

多重人格の女性(清水くるみ)に向き合い、寄り添い、見守っていく安先生の姿に癒やされた視聴者も多かったのではないか。

自身の死期が近づいたとき、弟子の医師が担当するから安心するように伝えるシーン。安先生、弟子、患者の女性の視点と、さらに視聴者の気持ちが重なり合って、複雑だけれども、これもまた癒やされる場面でもあるように思う。

 

特に心にとまったナイスなセリフ、シーンがあった。

 

避難所になっている小学校の校長先生(内場勝則)。妻は亡くなった。仮設住宅に入ったころから心が沈みがちになり、お米がなくなったら死のうと思っていた。いよいよと思っていたところへ隣りに住む女性(紺野まひる)が、おすそ分けですと言って佃煮を持ってきてくれた。

この女性は、赤ちゃんと二人暮らし。少し前に、子どもの泣き声がうるさくてすみませんと声を掛けてきた女性だ。近所からいろいろ言われているようだ。校長先生は、壁がうすいからねぇと言葉を返したあとに、震災のあと泣く子が増えているという話を知り合いの精神科医から聞きましたよ、と女性の心を癒やしてあげていた。

校長先生は涙を流しながら、米買いに行こう、とつぶやく。

人というのは、誰かのほんの一言、ほんの小さな思いやり、たったその一瞬で救われたりするものだ。その感覚が印象的に描かれている。ついでながら、その逆もしかりなので、人には良い言葉を掛けるということの大切さは心しておきたいものだ、と思う。私自身もこちらのサイトですでに書かせてもらっているが、これからも繰り返し発信していきたいと思っている事柄だ。

 

安先生の弟子である北村医師(浅香航大)への最後のアドバイスが大変良い。

北村先生は、自分のことを鈍臭いって言うけど、そのままでええよ。焦ることはない。ゆっくり進むことで、みんなが見落としたもん見つけられる人やと思うわ。

 ちょっと自信なさげないかにも優しそうな医師。

「ゆっくり進むことで、みんなが見落としたものを見つけられる」というのは人生訓でもあるように思う。

歩みのゆっくりな人は、人から置いてきぼりになったり、それこそ自分はダメなんだと思い込んだりしてしまいがちだ。

でも安先生は言う。

「そのままでいい」

「歩みのゆっくりの人だからこそ見えるものがある」

そのように私は受け止めた。

 

「心のケアって何だろう」と考えつづけていた安先生が「何か分かった」と言う。

一人ひとりが尊重される社会をつくること。

誰もひとりぼっちにさせへんということ。

いずれも、安先生が実践してきたことだ。 

これは20年前の安先生の思い、言葉だが、今こそ必要だ。

逆に言えば、このときから20年後の日本、世界には、レイシズムがあふれ、互いの尊厳は軽視されている。

平和や平穏はいかなる時にやってくるかというと、気持ちがひとつになったときとか、絆があるときとか、同じ価値観に統一されたときとかではない。安先生が言うように「一人ひとりが尊重される」ときだ。どちらかが、あるいは誰かがマウントを取ったり、誰かに合わせたりすることではない。

「ひとり・孤独」というのは決して悪ではない。が、「ひとりぼっち」はよろしくない。その背景にあるのが、排除や非難、差別というネガティブ感情だからだ。

「一人ひとりが尊重される社会は、ひとりぼっちのいない社会」だと私は思う。

 

安先生は、生きておられたら今年60歳だ。まだまだ活躍できる年齢。

この20年の間に、災害や痛ましい事件がいくつもあった。安先生はどんな癒やしを発信してくれただろうと思うと、残念でならない。

安先生と新聞記者が残してくれた「心の傷を癒やすということ」という書物(震災直後から新聞連載されたコラムをまとめたもの/サントリー文芸賞受賞)が、これまでずっと人々の心を癒やしてきた。そしてこれからもずっと、その本を手にした人々を励まし続けていくのだろう。

死から始まることがある、と誰かが言っていたが、まさに書物というのは古典となり、著者の息吹を生き生きと伝えてくれるものとなる。そして、このようなドラマもまたそれである。

死者は、生きている誰かを救い、誰かの心の支えとなり、気づきとなり、夢となる。

 

ドラマの最後に、安先生のお子さん3人も登場するという演出があった。

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