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「日本の同時代小説」斎藤美奈子②~TVドラマ「大恋愛」のなかに登場する作家・間宮真司における純文学(私小説)を考える~

先の記事【「日本の同時代小説」斎藤美奈子①】で、純文学という名の私小説の極めて日本的な鬱屈について書きました。

 

奇しくも2018年秋シーズンテレビドラマに「私小説/純文学作家」が登場していました。


「大恋愛~僕を忘れる君と~」TBS(2018年9月~12月)
脚本/大石静
出演/戸田恵梨香 ムロツヨシ

ムロツヨシ演ずる真司は、小説家。その妻となる尚(戸田)は、若年性アルツハイマーを患っています。
大石静は、恋愛ドラマを上手に描く脚本家という認識をしている人は多いと思ます。2017年にテレビ朝日の昼帯ドラマで放送されていた「トットちゃん」でも、黒柳徹子の恋愛シーンについては力を入れた、と大石はインタビューで語っていました。

まさしくこのドラマは、真司と尚の恋愛ドラマです。ドラマフリークの私としては、どこがどう「大・恋愛」なのか少し腑に落ちない気持ちもありますが。

恋愛ドラマの前に、いわゆる難病ドラマでもあるこの「大恋愛~僕を忘れる君と~」。その二人の出会いからはじまって、病気を知り、悩み、結婚して家庭、子どもを持ちながらさらに悩む……数年が物語られています。

尚は母(草刈民代)と共に産婦人科の開業医で金持ち。真司と尚が出会ったときは女性のほうが収入も社会的地位も高いいわゆる格差恋愛です。尚には井原(松岡昌宏)という婚約者がいました。井原は精神科医アルツハイマーを研究する権威です。尚は婚約を破棄して真司を選びますが、井原は尚の主治医となります。

ドラマ中盤、かつて一冊本を出したきりで引っ越し業者でアルバイトをしている貧乏な真司が、ふたたび小説を書き、一躍ベストセラー作家となります(そのデビュー作品のファンだった尚)。

私のナナメ目線は、次第にムロツヨシ、否、間宮真司が鼻についてきてしまいました。あれほど卑屈だった真司が、小説家として再生したとたん尚との恋愛に自信を持ち、そして結婚を決意します。いわゆる格差婚ではなくなりますし、いわゆる男のプライドなるものが保てるということでしょうから、気持ちは分かります。が、結局そこなんだ……というナナメ目線は否めません。「大恋愛」なのに。

そして何を隠そう、このドラマ自体を物語っているのが「小説家の間宮真司」なのです。第三者的視点も交じってはいますが、「このドラマ」がそのまま「間宮真司の小説」になっている構図です。

 

このような病気感動ドラマは、「野菊の墓」「愛と死をみつめて」から「世界の中心で、愛を叫ぶ」などなど昔からいくつもあります。ベストセラーや映画化、テレビドラマ化によっておそらく大金を手にしたであろう残された夫や恋人を悪く言う人が出てきます。「愛と死をみつめて」は繰り返しドラマ化もされている50年以上も前のベストセラーですが、これでさえ、当時週刊誌で騒がれたという記事を読んだことがあります(真相は分かりません)。

そのつもり(儲ける)ではなかったとしてもそうなってしまうのは、商業主義のなせる技なのでしょうか。

チリで鉱山落盤事故があったとき、作業員たちがまだ救出されていないにもかかわらず、映画化などの申し入れがあったという報道もありました。 

体験や経験を書いて大きな収入を得ること自体を私は全く否定しません。

私が少々違和感を感じるのは、小説家の習性的作業です。それを私のナナメ目線が間宮真司という登場人物のなかに見てしまったという不幸です。

私小説作家が、ネタに尽きたとき、小説にするのを目的で行動する、経験する、ということはあったようです(今でもあるのでしょうか)。取材ではなく実体験。特に昭和の作家などは、その破天荒な生活自体が小説になったりしました。俳優や芸人なども芸の肥やしは必要だという考え方の人のほうが今でも多いのかもしれません。もしかしたらそれは不倫の言い訳、延いては正当化の理屈となっているのかもしれません。また、犯罪者の吐露や暴露は、出版社の大好物です。なかには良質のものもありますが、斎藤美奈子が言うところの希望のないディストピア小説と同質のものが大概かもしれません。 

若くして死んだ女を生き残った男が振り返る「難病モノ」の歴史は古く、「涙と感動」を求める読者に愛好されてきました。とはいえ、なぜ二一世紀にもなって、こんな手垢のついた小説を読まなければならないのか。それは小説に新しさを求める文学ファンを萎えさせるものだった。

(P181)

 と、斎藤美奈子は書いています。 

 

ドラマ中盤以降、尚と同じ病の公平(小池鉄平)という患者(主治医は井原)が登場します。公平は、病気が分かってから妻に離婚されて自暴自棄になっています。尚の存在を知ってストーカー的ちょっかいを出してきます。その公平が第8話で真司に言い放ちます。真司は尚を利用しているだけだ、と。

つまりこのドラマは、愛すべき女性と出会って、その病を知ったスランプ中の作家が、その特異な状況から刺激を受けて再び小説を書き出し、思うところを小説にぶつけてベストセラー作家になりました、そういうドラマなのです。

別の言い方をすると、創作する才能も意欲もなくなってしまっていた間宮真司が、青天の霹靂のごとくに尚とその病気という特別感の強い題材と出会ってネタができた、と言ってしまっては身も蓋もない意地悪目線だとは思いますが、それが正直な感想です。純粋にドラマを楽しむことができませんでした。大石静脚本としては「トットちゃん」はあれほど感動したのに……。

真司のナレーションがときどき入るのですが、それが自分の小説の一節になっているのです。それが、私はどうもいただけませんでした。しかもこれ、尚が亡くなったあとに書いているのではなく、ほぼ同時進行で書かれているわけです。同じ病の人とその家族の励ましになるようなブログではなく「小説」です。

公平という登場人物は、非常に屈折した思いの持ち主で視聴者をイライラさせる憎むべきキャラクターではあるのですが、真司に放った一言は、共感とはいかないまでも一理あるセリフでした。

もしかしたら大石静も、そういった目線をどこかに入れ込みたかったのかもしれません。公平といういとわしいキャラクターを登場させることによってこのセリフを効果的に使うことに成功したのかもしれません。多少なりともきっとどこかで誰かが抱いているであろう反応、感情。これを言えそうな登場人物は彼だけです。例えば、真司がアルバイトをしていた引っ越し業者の先輩や同僚たちが、嫉妬して暴言を吐くという設定だって可能です。が、このドラマでは彼らは良い人すぎるほど良い人たちで味方、真司の応援キャラとして描かれていました。小説を書いていることがバレても必要以上に反応しないし、真司が売れっ子作家になっても、尚の病気が分かっても、態度が全く変わらない人たち。これまでのドラマですと、この人たちが敵キャラになる場合が多いので、私自身身構えて視聴していたくらいです。この関係性の描き方は、ギスギスした昨今の世の中への癒し効果という意味でも成功していると思います。

物語後半へ向けて、伏線もなく唐突に現れた公平という奇妙なキャラクターに戸惑っている視聴者は私以外にもいました。このキャラクターをここで登場させる意味があるのかと厳しい視線の批評家もいました。

 

話を戻します。

そもそも真司が再びパソコンを開けて書き始めたのは、尚のことがあったからです。そしてまるっきり尚と自分のことを書いているわけです。

気持ちは分かります。物書きというのは、不幸とか不遇とか疑問とかを刺激や糧にして小説やレポート、エッセイ、論考などを書きます。「出来事」から何かを感じ、それを表現せずにはいられないからです。でもこれは、ドキュメンタリーではなく小説です。

真司の創作欲を刺激したのは尚とその病であり、尚は真司の創作エネルギーの源泉であることは否めません。逆に言うと「ここ」がなくなったら創作意欲もなくなり、源泉も枯れるでしょう。いわゆる「私小説/純文学」の典型。だから私は、このドラマの真司を好ましく思えないでしょう。なにしろ「私小説/純文学」を嫌悪してきましたので(①を参照してください)。

とはいえ、作家ではなくとも、苦しみや悲しみ、不具合的な事々については、書き記すという作業がいわゆる「グリーフケア・癒しの作業」になります。単なる個人的なケアではなく、それを「作品」にする才能を作家は持っています。そしてそもそも作家というのは、「書く」ことが「癒し」になる、書くことで癒される、書くことで救われるという人種なのだと思います。書いていないと死んでしまう、という人間が一定の割合で存在しているのも頷けます。

それが作家(小説家)の宿命。宿命だからこそ、公平の口から出た批判的セリフをも内包して耐えなければなりません。宿命とはそういうものです。

 

真司自身も「神様がくれた」と言っています。

書けなくなった作家を神様がどこかで見ていて「書けるようにしてやろうと尚を遣わしてくれました」なのか、「神様、希望を失っていた自分に尚を出会わせてくれてありがとう」なのか。

 

真司は、尚の死後、「大恋愛」という小説を出版。

そして、もう尚のことは書かない、これでおしまいだ、と言います。別のことを書くそうです。何を書くんだろう?子育て?尚の母親と井原の結婚?彼に、まったくの創作が書けるのだろうか?

 

いずれにせよ、私自身はこの純文学感たっぷりのドラマの雰囲気が、ちょっとニガテです。ムロツヨシ演ずる間宮真司が見苦しいのか、間宮真司を演じるムロツヨシがミスキャストなのか、その両方なのか。

 

思わず、ギッシングの自伝的小説「ヘンリ・ライクロフトの私記」を書棚が引っ張り出してパラパラと読んでしまいました。

 

追伸①戸田恵梨香は痩せすぎです。ここ数年こんな感じですが、もうすこし太った方がいいと私は思うのですが。来年9月からのNHK朝ドラの主演も決まったということ。応援しています。 

追伸②サンドウィッチマン富澤たけし。良かった。引っ越し会社の真司の先輩。上にも書きましたが、最近のドラマに多いパターンが引っ越し業者の先輩のパワハラ的意地悪。富澤演じる先輩は、ものすごく「いいひと」。若手アルバイトもいい子。なんだか安心して観ることができました。そしてサンドウィッチマンの漫才、大好きです。

追伸③井原役の松岡昌宏。今年はTOKIOが災難でした。松岡の「あなたは病気です」と言い放った会見は勇気ある率直な発信だったと思います。「家政夫のミタゾノ」も面白かったです。これからも応援しています。 

追伸④今年玉木宏と結婚した木南晴夏。間宮真司の担当編集者役。私は木南ファンなので、実は木南見たさにこのドラマを観たと言っても過言ではありません。そういえば、「勇者ヨシヒコ」で、木南とムロは共演していました。ムロはああいった役が合っています。木南の今年は「海月姫」のジジ様役がよかった。来年も楽しみにしています。

 

最後に

「日本の同時代小説」、面白いですし、参考、勉強になります。平成までの日本文学と時代背景がざっと見通せます。