ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

「1日3時間しか働かない国」~理想郷が語り継がれる意味~楽園追放の呪縛~

「誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国」

シルヴァーノ・アゴスティ著

マガジンハウス

 

小説です。

ルネサンス時代、トーマス・モアの「ユートピア」という小説がありましたが、これは社会批判の目的で書かれた色合いが濃く、のちにモアは処刑されます。この書き物が最大の原因ではありませんが。

思わずその「ユートピア」を思い出してしまったのがこの小説。主人公「僕」が、母国にいる友人たちに送った十通の手紙によって、アジアのどこかにある不思議な幸せの国「キルギシア」について語る、という物語。

偶然、不可思議な島や国に辿りついて奇妙な体験をするという冒険物語は昔からあり、その類いの理想郷物語でしょ、と言ってしまえば身も蓋もないような気がします。が、理想郷が語り継がれるということは、そういった社会を人々が望んで願っているということ、裏を返せば今現在、人々は幸福ではない、ということの証明ともなっていると言っても過言ではないのかもしれません。なにせ、私たち人間は、神の怒りを買って「エデンの園」を追放され、罰として生涯労働して苦しまなければならない身になったのですから。

 

さてこのキルギシア国。

どんな職場であっても、公共であれ民間であれ、1日3時間以上働く人はいない。

そのおかげで、生産力は三倍になった。

勉強もユニーク。遊びのなかで学ぶ。

 

要するに「好きな事をする」「好きな事を好きな時にする」ということが「ストレスフリー」という状態になれる、ということです。それが結局は無駄な時間を過ごすことなく、また心の病を患うこともないという日々の生活に直結する、ゆえに労働的効率がよくなるというわけです。

生産性が低いということは、みんなが「嫌いな仕事」をしているからだ、と作者は言います。

それって、日本のことみたい。作者はイタリア人なので、日本人よりずっと、いわゆる短時間労働で生産性をあげているし、日本人より楽しそうに生きています。そのイタリア人ですらそう考えるのですから、日本の現状など作者の想像をはるかに越えるものなのでしょうね。

 

キルギシアでは政治的な腐敗は全くないそうです。

なぜかと言うと、

この国の政府関係者は「ボランティア」で自分の役割に取り組むからなんだ。政治的な業務に就いている間は、それ以前の仕事でもらっていた給料が継続されることになってる。政治というのは、ここでは奉仕の精神から成り立っているんだと気づいた僕は、やっと謎がとけたんだ。どうしてイタリアの国会議員がテレビで話しているのを見るたびに、そいつの顔とそいつが言っていることの間に埋めがたい距離を感じていたのか。だってそうだろ?僕らの社会の代議士なんて最低でも月に二万五千ユーロ(約四百万円)ももらってるんだぜ。こんなに甘い汁を吸っているやつらがどんなにきれいごとを言ったって、自分の思想や言動に説得力なんて持たせられるわけないさ。

(P13)

すでに海外では、地方議員はほぼ無報酬という国もあります。私は日本もそうしたほうがいいと思っています。報酬を高くしないと誰もやりたがらないとか、優秀な人材が来ないとかよく言いますが、どうですか?国会議員も地方議員も、日本全国、優秀でしょうか?不祥事がばれて時折り報道されている姿を拝見しますと、地位的優越感と利権、金とセクハラのことしか考えていないふんぞりかえったオヤジがいっぱいいるように見えます。若い奴らはやりたい放題の勘違い。

ここを変えるだけでも、ずいぶんと社会は変化していくように思います。いや、ここが根幹かもしれません。

地方議員は特に、学級会、生徒会のような仕組みにしたらいいと思います。仕事は別に持っていて、定期的に議会を開く(日当制)。誰も積極的にやりたがらないというのであれば、持ち回りにすればいいと思います。汚職なんて起こり得ません。これはすぐにできると思います。

国会議員もいずれキルギシアのようにするのが理想でしょう。それには、仕事や生活の価値観を根底から変革する必要があるとは思います。

 

僕はみんなの中にものを生み出す力があるんだってことに気づいたんですよ。ちょっとやそっとじゃ消えない激しい力です。この力を今まで見過ごしていたのは、みんな、何かにつけててやらなきゃいけないことに追われてたからなんですよ。来る日も来る日も自分のための時間なんてわずかしかなくて、そのせいで大勢の人が鬱病やときには絶望感に苛(さいな)まれていたんですから。

(略)

働いて働いて、ただただ働いてなけりゃならない。僕たちはそう信じ込まされていたんですよね。

(P82)

 

 主人公「僕」に届いた手紙

僕はよくわかった。自分でも気づかないうちに、生きるってことをやめちゃってたんだ。

シルヴァーノ、僕は疲れてるよ。肉体的にも、精神的にも、疲れきってるよ。僕の仕事や用事や、まともな生活や自分が本当にやりたいことからはかけ離れたものになってしまってるんだ。前に進めと常に自分を駆り立てるのがつらくてたまらないよ。

(P119)

こちらのサイトでも書きました「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」のなかで、著者の若林正恭が、常に前へ進めと駆り立ててくる「広告」のことを述べていました。

広告といえば、この書物のなかにも以下のように書かれています。

(略)

この国の経済学者がね、発見したんですよ。広告をやめればものの値段は全部半額になるじゃないかってね。

それからは、生活環境改善省が、宣伝広告をやめて、きちんとした情報を公開することを提案したんです。それ以来、コンピューターでデータベースにアクセスしさすれば、必要な情報はどんなものでも教えてくれるようになったんです。

(P50)

「広告」は、人々の欲望を搔きたてて、ときに焦らせて、消費させるという、一歩間違えると詐欺のような手法とも言えるものです。私たちは、駆り立てられて購入したあと「なんでこんなもの買ってしまったのだろう」と冷静になった心で後悔したり、ときに使用することもないまま捨てたりします。

物の値段の半分以上は広告費だ、というのは昔から言われています。女性の場合、化粧品がまさにそれで、中学生でも知っています。

 

犯罪、社会問題について。

心穏やかに生きていて、自然が産んだ傑作として認められている人というのは、物を盗んだり、嘘をついたり、ましてや人を殺そうなんて、夢にも思わないでしょう。

(P73)

一人ひとりが今までとは違う自分の価値を見出して、生きていくうえでの当然の権利をちゃんと尊重する。そうすれば、僕たちの社会ではしょうがないことだとあきらめてしまっているような問題や犯罪だって、失くなっていくものなんだろうなって思えてくるよ。

(P26)

私も先の記事で書きました。宗教の戒律にある「殺すなかれ」「盗むなかれ」「嘘をつくなかれ」。その戒律(道徳)に再び注目しなければならないような社会の劣化と混乱ぶりです。

「心穏やかに生きることができる社会」では、争い事もなくなっていくし、そもそも「しょうがない」と諦めなければならないような事は起こらないということでしょう。

 

病気について。

改革の前はたくさんの病院がありましたけど、どこも病人でいっぱいでしたよ。今ではそれぞれの街に一つずつしかありません。のびのびと暮らしてさえいれば、人は病気にならないものなんですね。

(P46)

病気の最大の原因はストレスです。

ある会社でストレスフリーの働き方改革をしたら病人がいなくなった、というような報道も聞いたことがありますし、欧米のドキュメンタリー番組では、学者たちも声高にそう主張しています。

日本の場合、満員電車、パワハラ長時間労働、好きでもない事をお金のためにやっている、それが尊いことだという古い価値観のなかで、地球上でも最大級のストレス国(民)と言えるでしょう。つい先日もCNNで「Karoshi(過労死)」を取り上げていました。

 

どうやら不幸の原因は、生活のために嫌いな仕事を労働させられていること、しなければならないという社会通念のようです。そんな社会には嘘、盗み、殺人、そして病気が増えます。

日本では、70歳まで現役労働という仕組みを整えているところです。年金も支給年齢がどんどん上がっていきます。保険料も生きている間ずっと払い続けなければならないようです。国は、過酷を強いることをポジティブ的文言でカモフラージュしています。「働きたいんですよね。働いてください。そうできるようにしてあげます」。

引き続きいままでの会社で働ければ「まだ」いいですが、あたらしく仕事を探そうとすると清掃のような仕事しかない、ということ。老人が清掃の仕事って、普通は体力的に大変だと思います。もちろん、清掃の仕事が好きで体力もあってという人もいるでしょう。

日本人は、リタイアしてゆったりと過ごすということに抵抗があるように教育されているのだと思います。

死ぬ前くらい労働なんかせずに静かな心持ちで好きなことをして、そして死んでいきたい、と私は思います。生活のためのお金を得るために働かないといけないのであれば、それは不幸です。いえ、好きな仕事なら全く問題ないと思います。たとえば舞台で死ねれば本望みたいな。そうでないなら、人間関係に悩んだり、いじめられたりするわけですから(今のままのストレス社会なら)。

ヨーロッパでは、定年がきたらあっさりリタイアして、悠々自適に老後を送るそうです。社長とか政治家は別として。

何のために生まれて

何にをして生きるのか

答えられないなんて

そんなのはいやだ!

(「アンパンマンのマーチ」より)

 

人々がそれぞれやりたいことをやって生きること、きっとそれは可能なのだと思ます。そんなことできないと洗脳されてきてしまっただけなのでしょう。

その洗脳は「楽園追放」の呪縛、なのかもしれません。これは「罰」なんだ、と。そして、それを利用して罠をしかける権力者たち。

 

キルギシアでは今、2時間労働にする話し合いがなされているそうです。