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「失業しても幸せでいられる国」~労働礼賛・人権無視の国は社会保障という安心と幸福のある国にはなれないと思った~

「失業しても幸せでいられる国 フランスが教えてくれること」

都留民子著

日本機関紙出版センター

 

「誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国」の記事でも書きましたが、

この本を読むと、日本という国は不幸な国だとしか言いようがありません。

この本の最後に「都留先生が薦める本」という項目があります。そのなかで「1日3時間しか働かない国」が紹介されています。

数年前「絶望の国の幸福な若者たち」という論文(書物)がありましたが、「不幸の国の不幸な人々」のように私には見えます。けれども確かに、自分たちの不幸さ加減に気づいていない、国とメディアによってそのように教育されている、コントロールされているので不幸だとは気づいていません、という意味では「幸福な人々」なのかもしれません。

一方で人々も「不幸だとは思いたくない」という心理も働いているのだと思ます。

 

私はいつも思うのです。「1日3時間しか働かない国」でも書きましたが、人々が穏やかな気持ちで生きることができれば、そこには嘘も盗みも犯罪も病気も、イジメもなくなる、と。その通りのことが「1日3時間しか働かない国」にも書かれていました。

逆にいえば、嘘や盗みや犯罪、うつ状態も含めた病気、イジメ、パワハラ、がはびこっているということは、人々が心穏やかに暮らす、生きることができていない、ということなのです。

平穏に生活することができる状態とは何でしょう。衣食住が整っていること、社会保障が万全であること、いつなんどき不幸な出来事があったり、衣食住的に生きていくのが困難な状態になっても大丈夫、という安心が保障されていること、なのだと思います。

衣食住に加えて、老後の生活、教育費、医療費の心配が不要であること、つまり「健康で文化的な最低限度の生活」がいつなんどきも保障されていると分かっていれば、人々は安心して暮らすことができます。

 

この書物で取り上げているフランスは、最低限どころか余裕すらあります。

けれども私は、はたと思いました。これを日本で実現するには、庶民の意識改革も必要ではないか、と。制度を作る政治家は当たり前ですが、社会保障を受ける側の心構えもです。今のままですと、狡い人がより得をすることを考え出すでしょう。そういう人は貧困層にも富裕層にもいます。さらに富裕層は富裕層の役割というものを自覚する必要もあります。

 

病気になったとき、人は一番不安ではないでしょうか。収入もなくなりますし、治療費もかかります。最近は、金銭的余裕がなく、行きたくても病院へ行けないという人も多いと聞きます。私もそのひとりです。本当は定期的に通って検査をして薬を処方してもらわなければならないのですが、あるときやめました。お金がかかるからです。今度病院へ行くときは死ぬときだ、と覚悟を決めて、そういう選択をしました。無理に生存しようとは全く思っていません。

 

本著のなかで気になった箇所はとてもたくさんあるのですが、日本への忠告、警告、と言いますか日本に必要なことのように見えますので、いくつか抜粋して転記してみたいと思います。

もちろん、フランスにも問題はたくさんありますよ、と著者は付け加えています。

 

日本の企業だと「職場の人間関係がむずかしい」とかって言いますよね。でもこの日本でいう「人間関係」って実は背景があるんですね。例えば、正職員がパートの女性をいじめたりしますね。「人間関係」というのは、日本の働かせ方の問題なんです。日本の今の企業はものすごい階層社会です。同じように働いても、正社員とパートで賃金が3分の1とか半分とかです。これで仲良くなれるわけないじゃないですか。

(P16)

フランスの働き方、そして職場の人間関係はすごく透明性があると思います。同じ労働に同じ報酬と同じ待遇なので、さらに職場が人生・生活のすべてにならなければひどい人間関係にはなりませんよ。

(P18)

それだけでもないのかもしれませんが。日本人独特の陰湿的干渉癖とかもあるでしょう。あるいはその前に、自立した精神とか、人権意識とか、尊重と自尊とか…の欠如。でも、働き方が自由になれば、干渉や嫉妬からくるイジメはなくなるはずです。

 

なぜアソシエーションが簡単にできるのかっていうと、時間がたっぷりあるからです。ホームレスや失業者の団体だって、バカンスを取ります。日本人の感覚からすると、失業してずっと休んでいるのにバカンスをとるというのは不思議かもしれないですね。

(P28)

思いますに、アソシエーションできないようにわざとしているのが日本なのでは?学校もそう。勝手な行動をさせないように部活動を義務付けています(そのようにしか見えません)。故意な誤魔化し、イルージョンのなかで拘束されています。

 

労働礼賛で、労働することが素晴らしいと言っていると、またホームレスの人々にまで就労支援とか言ってる国では、労働者はストライキできないですよ。ストライキは労働放棄(サボタージュ)のことだから。ですから、労働組合が就労支援だとか、自立支援だとか、労働は素晴らしいなんてこと言っててはだめ。過酷で低賃金の労働は放棄しなきゃだめですよ。(略)

日本の労働組合の場合、組織率が低いからストライキをやれないんじゃなくて、根本的な問題は「労働礼賛」という考えだと思います。(略)

障害者作業所なんかでも、月給が2千円とか3千円とかでしょ。そんな仕事拒否しなさいって言います。障害者だから2千円で使ってもいい、3千円で使ってもいいってことを認めちゃったらだめです。(略)障害者が超過搾取されていることに気づくべきです。

(P34~35)

 「労働礼賛」と「人権無視」。市民革命で民主主義を勝ち取った国とそうでない国の違いなのか、それともDNAなのか。

 

日本は一面的にはとても豊かに見えますね。(略)

また、消費欲求がすごいと誰もが言います。なんで日本人はこんなに物を買うのかと。

(略)

外国人はみんな言いますが、日本のゴミ捨て場に行ったら家具がみんなあるよって。

(略)

日本は消費を駆り立てる状況がものすごいと外国人はみんなもう驚く。

(P37~38)

随分と前の話ですが、私がドイツ人のお世話をしているとき、彼らも驚いていました。若い人たちがブランドものを持ってるんだね、って(私のことではないですよ)。

 

フランス人は家なんかでも、時間がたくさんありますから自分たちで改築するんです。私の友達なんかも中2階を作ってました。彼は失業中にもかかわらず、仕事探しではなく、毎日忙しく大工仕事をしていました。

(P39)

そういえば、ウィーンであるお宅にお邪魔したとき(夫・オーストリア人、妻・日本人)、夫が何でも自分で作る、と言っていました。その集合住宅の地下には、住人たちが使える共有の作業場があるそうです。そういう作業場がそもそもある、ということは、日曜大工的なことをする人が多い、という証明でもありますね。

 

日本には不幸な歴史があって国民が国家を信用していない。フランス人は国家は自分で作るものだと思っています。それが民主主義です。フランスの為政者たちがどういう風に福祉国家をつくってきたのかを調べていくと面白いです。

フランスでは19世紀の初めから、民主主義の根幹は累進課税だと行っています。

(P40)

 日本では逆になっています。

 

鳩山元総理の金銭スキャンダル。あれは個人的なスキャンダルにすぎない、と都留は言います。

鳩山さんの場合、それだけのお金があるなら税金をきっちりとればそれで終わる話。日本はいつも個人的スキャンダルに終始して大事な政策論争にいかない。

政治の話題がまじめにマスコミで論じられるフランスの国会は面白いですよ。国会での論争は一日中テレビ中継をします。

(P42)

この本の出版が2010年。今は、個人的どころか、公務員の汚職縁故主義がまかり通っています。韓国だったら逮捕されるレベル。こちらのスキャンダルは看過できません。

最近CNNを見ていますが、キャスターやゲストが、ものすごくハキハキと発言していて、そのあとに日本のニュース番組を見ると、あまりにおっとりしていてバカに見えてしまいます。茂木健一郎が「ぬるい」と言っていた意味を実感しているところです。

 

フランス人とよく話していくと政府に対しての不満をすごく言いますよ。皆さんが行っても、フランスのことをほめないと思います。

(略)

フランス人だけじゃなくて、イギリス人だとかアメリカ人も「日本人はあきらめが早い」といいますよね。「仕方ない」っていうのは、日本だけだって。

ヨーロッパの人は絶対、自分を貫きます。それは小さい子どもの時から、学校でも家庭でも徹底的に主張するっていうことを教えるからです。そして社会は、賃金をもらっているだけと割り切っていて、企業絶対主義ではない。

(P45)

日本人は、意見を言わないように躾けられています。政治の話しかり。何かを質問したり主張したりする人を文句ばかり言う面倒な人間だとみなす傾向があります。

その一方で、陰湿なクレーマーとか、いばりくさって自分の主張ばかり通す人間を甘やかしています。それは違うよ、と言う人がいないからです。

 

日本人は何を考えているのか分からない、いつもニヤニヤしている。言いたいことを言わない。議論しない。でも、日本ではそういうのって、おとなしく従順でいい子だって言われるでしょう。フランスと日本は産業構造は似ているかもしれないけれど、社会モデルは正反対です。

日本では、生活保護がもらえなくて餓死したとか、生活保護裁判を起こすのに自分の名前を出さない場合もあります。

(フランスでは)匿名なんてありえません。エイズ患者だって、はじめから名前を公表します。フランスでは、そういう人たちが社会的に守られているからです。社会的にバッシングされないからです。生活保護だって必要な人は絶対にもらえますから。裁判を起こしたり、闘ったら、社会的に賞賛されます。

(P47~48)

ここは見倣わなくてはいけないところだと思いますが、私が数年考えてきた限りでは、日本民族の特性的になかなか倣えないと思います。日本人も、これから移民が増えて血がが混じっていくと、変化できるのかもしれません。いずれにせよ、2~300年はかかるかも。

 

出生率がヨーロッパで一番高いのは

要は、仕事の仕方が人間的だってことです。

(P51)

その他、子育て支援などの社会保障が充実していますし、シングルマザーの場合も、男のほうが無責任に逃げられないようになっているようです。また、家族の形も多様です。

 

1988年にフランスで生活保護が制度化されたとき、

「こういう新しい制度ができて、今まで失業保険がもらえなかった人たちももらえますから、今からすぐ役所に申込みに行って下さい」というテレビの宣伝がずっと流れてました。

(略)

フランスでは新しい制度はたくさんの人が利用してはじめて成功だという感覚なんですよ。

(P67~68)

日本では、できるだけ庶民を助ける制度は使われないようにしようという意図が透けて見えます。

 

フランスのケースワーカーは決して受給者の悪口は言いません。日本のケースワーカーは保護世帯に対して「家が汚い」とか「だらしない」とか言うでしょう。私、ケースワーカーに言ったんですよ。「あなたの家、そんなに綺麗ですか」って。

嘘をつくとか、時間を守らないとか、酒を飲むとかパチンコに行くとか非難をしますが、それしか楽しみがないんですから。生活保護の生活水準が低いからそうなるのです。(略)(母親から子どもへの)虐待の解決のためには、まず貧困を解決しなければならないと思ます。

(P70)

2018年夏ドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」のケースワーカー義経えみる(吉岡里帆)のような良心的な役人も探せばいるのでしょうが、めったにいない、と言っても過言ではないと思います。役所に相談に行くこと自体が苦痛だと言う人は多いです。プライドがあって、生活保護や支援を受けることをためらう人が日本人には多いと、日本の報道番組でもよく語られていますが、助けてもらうことを遠慮しているのではなく、役所の人間から受ける侮辱へのプライドなのではないでしょうか。そんな思いまでして利用しなくてもいいや、と。そして、そう思わせて諦めさせることこそが役所の思惑、やり口なのかもしれません。日本て怖い。おもてなし?外国人にはヘコヘコする。

たぶん、ハローワークも同じでしょう。親切のしの字もない。

 

ともあれフランスと日本では労働そのものに対する考え方が違います。失業者の運動も、仕事を得るための運動ではなくて、失業しても暮らせるだけの社会保障を獲得するための運動。その辺の根本を考え直さないと、今の日本の貧困問題は打開できないとすごく思いますね。椅子取りゲームをしていては企業の思う壺です。

(P74)

 

先ほども書きましたが、フランスの政府はとにかく広報する、ようです。年金が7月1日あがりま~すとか、広報活動がすごい。

国というものがどういうものかっていう根本が違うんです。国民生活に責任をもたないでは政府の存在の意味がない。フランスには自己責任なんて言葉はありませんから訳せないのです。

(P75)

日本では、いつの間にかいろんなことが決まっていて、国民は文句も言わずに隷従しています。おそらく、日本の政府はいつも何かうしろめたいものがあるのでしょう。国民のためとか言いながら、政府、国、政治家、官僚、支配者たちにとって利益のある制度をつくっているからでしょう。思考の根本がそこにあるので、なんとなくこそこそする。そして少しでも国民の利益になる制度は使いにくくする。ゆえにいずれにしても、声が小さくなる。税金のことも、社会保障のことも、細かく分類するのは面倒だって、どこぞの大臣が言ってましたよね。スランスはものすごく細かく分類されています。

ちなみに、フランス語には「めんどう」というニュアンスの言葉もないそうです。言葉がない、ということは、そのような感覚もない、ということか、なるほど…。

 

年金や生活保護は、「再分配」の制度です。再分配は、今日本で一番機能していない制度です。

簡単に言うと社会保障というのは「働かないで食べられる権利」なんです。フランスでは働かないでも食べられるから、働くときにはそれ以上の賃金を要求することができるんですよ。

(P80)

なるほど、だから、子育て支援は何十万円ももらえるんだ。フランス語講座というテレビ番組のなかだったと思うのですが、フランスのある子育て家族を紹介している映像を見て、え、そんなに支給されるなら仕事しなくていいね、と思わず思った記憶があります。日本で普通に働く平均的庶民よりも月収が高かったです。

 

じゃあ、財源はどうするの?という話がすぐ出るが。

日本は1400兆円の個人資産があるし、国家としても純債権国です。政府はアメリカの国際も持っているし、外貨も持っているし、大変なお金持ち国なんですよ。

(P93)

 

 

社会保障っていうのは「働かなくても食べられる権利」です。高齢、病気、子どもにしても、働けない人に働かなくてもいいよ、失業したら無理して働かなくていいよといえるのが社会保障です。

フランスではね、仕事はしっかりと選びなさいっていうんです。日本は仕事を選べないでしょ。贅沢いわなきゃ仕事はなんでもあるなんて言うのは違いますよ。

(P98)

日本の失業保険支給期間(3か月)は短かすぎますし、おそらくパートとかアルバイトとかは利用できませんよね。「贅沢いわなきゃ云々」って、嫌な文言ですね。「贅沢いうんじゃない!」ってことでしょう。

 

仕事がないのも自分は頭が悪いからだとか、学歴が低いからとか思ってはだめです。関係ありません。働いているんだから、どんな仕事に就いても食べられるようにしろ、結婚でき子どもが産めるようにしろと要求しないとだめです。

職業訓練なんて無意味です。

教育なんて「貧困」には無力です。教育ではなくて、仕事の条件をきちんとしてこそ「貧困」はなくせます。

そして教育で大切なのは、仕事のためではなく、人類の英知を身に付ける社会・自然への科学的見方を学ぶことです。

最終的に個人的な問題に落ち着かせるべきではない。

いろいろな人がいて、そして誰に対しても人間の尊厳を守れる生活を社会的に保障することこそ大切です。

(P102)

 

 

学費無料化や医療費無料化っていうのは、教育や医療費を労働で稼がなくていいということです。つまり賃金からの解放っていうことです。どんなに体が悪くても、私は能力がないからって、努力に努力を重ねている人は確かにいますが、こんな奴隷のような働き方を無くさなければいけないと思います。そのために社会保障を充実させなければいけない。

(P104)

 

いわゆるブラック企業と言われる会社や仕事をなくすためにも、社会保障の充実は欠かせないと思います。そんなひどい会社を辞められないのは、やめたとたんにお金に困ると脅されたり、自らそれを恐れるからです。次の仕事が見つかるわけないと脅されたり、自らそれを恐れるからです。

その恐れがなくなれば、その呪縛から解放されれば、人々は穏やかに生きることができます。穏やかに生きる人は、他人にも優しくできます。私はそう思っています。

 

日本でも私たちが民主主義を唱えるならば、仕事を理由とした一般労働者、零細自営業者の自殺・過労死が広がっている労働の実態は一刻も猶予できない社会問題と知るべきです。

(P109)

 

働き方改革とか、70歳まで、いや70歳過ぎても働けるようにしますよとか、なんだか国民のためを思っている風の文言を使っていますが、実は、国や大企業の利益のための制度であることに気づいている人たちも多いことでしょう。けれども、しかたない、そんなに悪いことにはならないよ、自分だけよければいいし、と誰も声をあげません。

そうこうしているうちに、もっと過酷な国民生活になっていくことでしょう。いや、日本人は、それも甘んじて、もしかしたら喜んで受け入れるのかもしれませんね。DNA的に。「違う」と思っても、市井の人々にはどうにもできませんものね。こういうのもストックホルム症候群って言うのかしら。

穏やかに生きて死んでいきたいだけなのに。