8月11日、朝の報道番組「モーニングクロス」のなかで、経済ジャーナリストの金子雅子が、さくらももこの例に触れながら「病気のカミングアウト」問題について話していました。
さくらももこは、その病について、まったくマスコミに知らせていませんでした。少なくとも、一般には知られていませんでしたし、週刊誌にも載っていたなかったと思ます。
この間にさくらももこが大好きな西城秀樹が亡くなって、そして、おそらくは自身も闘病中にもかかわらず、ごく普通にメッセージを寄せていました。
私は、さくらももこのLINEBLOGをフォローしていました。
「さくらプロダクションからのお知らせです。さくらももこは……永眠いたしました」のお知らせが届いてショックを受けたのが8月27日。
そのひとつ前のブログは7月2日で、「ダイハツTOCOT」の画像とともに、「W杯を観ています」でした。とにかくベルギー戦頑張って欲しいです、と。それと、メキシコのGKがフジテレビのまる子のプロデューサーに似ていると、家族で大笑いしてる様子も書かれていました。
なんだか元気そうです。それから二か月もしないで、さくらさんの訃報を知らせるLINEが届くなど、誰が想像したでしょう。
さくらさんがどういった気持ち、理由で病気をカミングアウトしていなかったのかは、知る由もありません。
著名人の場合は、あえて公表する人もいますし、さくらさんのように亡くなってしばらくしてから公表する人もいます。マスコミに嗅ぎつけられてしまった場合は、いたしかたなく公表、ということもあるのかな、と想像します。
公表したとしても、テレビ番組や週刊誌などであることないこと詮索されて、まったくもって無礼な現象もたびたび目にします。心配ですねと言いつつ、なんだか好奇心のほうばかりが目立つような放送内容だったり出演者だったり、あるいは、突然その病気についてのコーナーで主治医でもない番組や局と契約しているのであろう医師に意見を求めてやんやの推測をしたりします。
そういった放送は、あまり気持ちの良いものではありません。が、それらも含めて有名人だということなのだろう、ということも理解していますし、確かに病気について知識を得ることは悪いことではないのですが、私としては、人への尊重という気持ちに欠けているような放送も、全てではありませんが、あるように見受けます。
ずいぶん前ですが、ある芸能人の深刻な病のことをあれこれレポートして、そのあとに元歌手(今もかな?)のタレントが「こわいね、オレもすぐ検査にいく」とコメントしていました。え、そこ?と私は思いました。確かに検査を促すための放送内容だったのかもしれませんが、なんとも言えない違和感を抱いたことが今でも心に残っています。
上記、経済ジャーナリストの金子雅子によりますと、最近は、カミングアウトしない人も多いということです。
病気による差別、ということが往々にしてあるからです。
また、それを知った周囲の人々の「口」が、心無いことだったりするからです。私が、金子のオピニオンに反応したのは、そこでした。
あることないこと、おもしろおかしく、読者の好奇心をくすぐるように記事を書く週刊誌の記者は市井の人々の周囲にはいませんが、同質の友人知人隣人はいます。
誰かが誰かの病や死の話を、噂話のようにしている、してくるのに出くわしますと、「あ、私のこともこんな風に喋るんだろうな」と想像してぞっとします。そして私は、病気や死にゆくことから死亡まで、決して知られたくないと強く思ったことが過去にありました。
私の人生は私のものなので、他人からとやかく言われたくありません。
また、こんな治療があるよとか、こんな薬があるよとか、様々な知り合いが言ってくるかもしれません。善意だと思っている分、あるいはそう見える分、余計に困惑します。
なかには、いわゆるカルト教団からのお誘い的なものもあって、おかしな呪文や御祈願をすすめてくることもあります。
あるいは、そんなに悪くなるまで何で気づかなかったのか、といったような非難めいた言葉を投げかけてくる人もいます。これは家族にも本人にもきついものです。
人は病気になったらおしまい、死んだらおしまいだと、ひとりの社員が入院しているときに、社員たちの前で威張って言っているある会社の社長というのを見たことがあります。昔々に私が短期間お世話になった会社です。その社員は入退院を繰り返していました。それであるとき、解雇を言い渡したのです。こんな人間雇っておけない、はやく辞めさせろ、と社長が大きな声で言っているのを聞きました。その直後、その社員は電車に飛び込んだのです。社長はもしかしたらそのことに衝撃を受けて、自分は悪くないと自己を鼓舞するつもりで心無い言葉を吐いたのかもしれません。それなら多少の自省もあったのでしょうが、それでも、この社長どんな死に方したんだろうな、と失礼ながら平成最後の夏にふと思ってしまうほど、とても無礼で野蛮なだと感じました。
確かに会社に出てこない社員は困ると思います。私が社長だったら、やっぱり考えますよ。けれども、何と言いますか、もっと愛情深い対応があったのではないかと思うのは、経営者としては失格でしょうか。
ゆえに、私自身、自分が重大な病気で倒れたり、余命が判明したりした場合、自分自身の家族以外には知らせない、と決めていますし、知ってほしくありません。死んだあとも知らせないつもりです。会社その他どこかの組織に所属していて休まなければならない状況なら、そこを自ら退きます。お金が必要なら、理解のある所を探すかもしれません。
死ぬ前は穏やかに死んでいきたいですし、死んだ後はとやかく感想を言ってほしくないからです。
どうしてもお礼を言っておきたい人などがいれば、手紙を書いたり、会ったりするかもしれません。
病気や死と向き合っている人の心は、なかなか複雑なものです。そのような状況にある人の心をそのまま静かに受けとめて癒してくれる人は、いないのかもしれません。いるとすれば、よく修行を積んだ神父とか牧師とか僧侶とか、でしょうか。家族との関係が良い人であれば、家族。
治療についてはあれこれ選択肢があるようですので、それをどう選ぶかは、本人の意志と医者の勧めと様々検討して選ぶしかありません。その治療方法が自分に有効かどうかは神のみぞ知るという部分もあるのだと思います。
治療費の問題もありますので、どんなに良い治療だと分かっていても庶民には受けられないということもあるでしょう。 また、死にゆくときに、無理やり存命することを選ばない選択もあります。また、死を前にしたときには、慰めや励ましよりも、その現状をそもまま受けとめてくれる人の存在がありがたいと、私は思っています。
こちらの記事「さくらももこ哀悼①~⑤」で私が感じてきたさくらさんは、いつでも自分で自分にとって快適な選択をしてきた人ですから、きっと最後までそうだったのだろうと、身勝手ですが思っています。
「医師の在り方とは」というコラムがありました。
ある女性の夫が重い病気で亡くなりました。夫はホスピスに入っていました。
ホスピスでの担当医は、夫の病状が重くなってからは、毎朝7時前後に病室に入ってきて、夫の手を取り顔をのぞき、あとは泊まりがけで付き添っている女性とさまざまな話をしたのだそうだ。
その医師はこんな話もしていたそうです。
医大では医療が病気を治すと教わった。でも、医師には治せない病気の方が多い。そこで何かできるかを考えている。
このような対話ができる時間は、女性にとって嬉しいものだったに違いない、と香山は書いています。
上記の事から私はこう受け取りました。
治せない病気のほうが多い。死にゆく人も付き添っている人も、この病室を訪れてくれて様々対話してくれる医師の存在によって、救われている。ゆえに医師にできることは、寄り添うこと。それは、外科医の役目ではないかもしれませんが。
自分の死が近づいているとき、詮索や要らない質問やくだらなくはなくとも面倒で飾った会話をしなければならないのなら、それは平和ではありません。
落ち着いて、穏やかな心で心静かに死んでいきたいと、私は思います。
解決策を探します。見つかれば正常に戻ります。見つからないときもあります。
共感してもらうことでまずは気持ちのよどみは解消されます。
しかし、共感はいっときの気休めにしか過ぎないことも多々あります。
第三の場が必要になります。
これは、荻上チキが言っていたイジメにあったときの対策です。そのまま病や死と向き合うときに当てはまります。
ここで言うところの「第三の場」が、例えばホスピスなのでしょう。自宅かもしれません。教会かもしれません。
それは、騒音や喧噪、雑踏ではない所、なのではないかと思います。静かで小鳥のさえずりが聞こえてくる山小屋のような場所です。物理的な意味ではなく詩的に。
「半分、青い。」というNHKの朝ドラがあります。
このドラマのなかに、原田知世が演ずる萩尾和子(わこ)という女性がいます。彼女は病気で余命を宣告されています。小さな町ですから本人が知らせたくなくてもほとんどの近隣住民が知り得てしまうわけですが(誰が言うのでしょうね。絶対に漏らさないようにしていても必ず噂って広がりますよね)。
和子さんが一番仲くしていた、ドラマの主人公である鈴愛(すずめ)の母親にだけは、自分の病気と限りのある命のことを打ち明けます。
あるとき、どうして他の人は知らせないのかと尋ねると、和子さんはこう言います。
道で出会う人たちに、ああ、あの人もうじき死んじゃうんだな、かわいそうだな、と思われたくないから(セリフは正確ではありません)、と。
この和子さんの気持ち、言葉で説明しにくいですが、腑に落ちて分かります。「これ」なんですよね。
普通に接してほしいけど、普通に接してくれない。仕方ないですけどね。接する方からすれば、どうしていいか分からないということもあるでしょうし。
その上、余計なお世話的に自分についての感想を抱いてくれる。深刻な病気や死という人生の極めて特別な場面では、この親切心のようなものが妙な粘着性を醸し出し、同時に無機質な冷たさを残すのです。
和子さんは鈴愛のアイデアで、命あるかぎり仕事をしました。鈴愛はすごいです。
その人が病気であることを忘れてしまっている状態というのが望ましいのだと思います。これは、あらゆる差別に言えることだと思います。
この人は●●だ、と意識しているから差別ということが起こるわけです。
差別する心のないところには、その人が病気だとか、死にゆく人だとか、男だとか女だとか、子どもだとか老人だとか、先生だとか生徒だとか、職業だとか学歴だとか、金持ちだとか貧乏だとか、健常者だとか障害者だとか、国籍だとか人種だとか宗教だとか、そういった意識は消え去っているのだと私は感じています。ひとりの人間同士、尊重し合っている。
日本人は人権意識が低いうえに、妙に他人に干渉するという悪癖があります。どこの国でもそういったことはあるでしょうが、日本人はそれが目立つ。
人権意識の低さが、先の戦争を総括できていない要因のひとつとなっているようです。
前にも書きましたが、
私は死にゆくとき、意識があれば、ゆったりとした状態で、平和な映像を観ながら死にたいということを家族に伝えてあります。ひっそりと家族のなかだけで心穏やかに死んでいきたい。
ちなみに、その映像のリストに「コジコジ」が入っています。