さくらももこは、夢を叶えました。
漫画家になるという夢。何か書く人になりたいという夢。
【「ひとりずもう」のあとがき】で、さくらはこう書いています。
よく、“夢は願っていれば叶う”とか“思い続けてればきっと叶う”とか言うけれど、私個人としては、人にそんな事をとても言えない。“叶う事もあるかもしれない”か、或いは「叶うといいね」という言葉が精一杯だ。
みんなが叶うのなら、あゆやヒッキーが何万人もいるだろう。でも実際はそうじゃない。モー娘。だって常に10人前後だ。
でも、叶った人がいないわけではない。だから叶う事もあるかもしれないのだ。
もし夢が見つかった場合、その夢を叶えるためにどういう手順を踏むべきなのかをまず考える事が必要だ。オーディションなのか投稿なのか、弟子入りなのか大学受験なのか、夢のルートを見つける事が大事だ。それが見つかったら、あとはやってみるということになるわけだが、何回かやってみて自分が本当にそれに合っているのかどうか、実力も含めて冷静に判断する事も必要だと思う。
自分はとにかくそれになりたいとかそれ以外に考えられないという情熱だけではどうにもならない場合も多い。どうにかなる職種もあると思うが、それはそれでいいとして、どうにもならない職業の場合は実にシビアなものだ。
そこで、自分には少しムリかもとか合ってないかもと感じたら、微調整を考えてみる事も大事だと思う。私の場合は、一度トライしただけでいきなり大きな方向転換を考えたりしてみたのだが、結果的には正統な少女漫画というのは自分には合っていなかったので、今の作風にするという微調整を行ったのだ。
ひとつのスタイルをずっと追い続けてなかなか上手くゆかなかったら、もしかしたら人生の莫大な時間をムダにしてしまうかもしれない。
自分のできる事と自分のレベルを冷静に自覚し、それなりの手応えを感じれば、まっしぐらに挑戦する時期がある事はすばらしいと思うが、状況に応じて対応できる柔軟な心というのも非常に大切だと私は思う。
簡単にまとめると、夢があったらやってみて、どういう具合か判断し、調整が必要ならそうした方が良い、という事である。
更に言えば、今ここで言っている“夢が叶った”というのは例えばデビューしたとか、何かの目的の職業に就けた、という段階であり、単にスタートする機会を得ただけである。本番はそこからだ。
私は「コジコジ」の世界が大好きです。コジコジもそれなりにシビアな表現はありますが、基本的にメルヘン、つまり夢の世界。現実世界で感じているストレスのない世界、と言い換えることができるかもしれません。イジメとか嫌がらせとか、パワハラセクハラ、権力者の横暴とその下で苦しむ人々はいません。
前にも書きましたが、さくらももこが表現するのは、メルヘン国だけではないのです。まるちゃんの生活をどっしりと描いています。
さくらももこのなかの2つの世界。通奏低音はあります。それは作家の思想の基本ラインなので、そこがぶれるようでは超一流の作家とはいえません。しかし、それをもって、結局同じことなんだよね、と断言して、さくらももこの世界を1つに帰結してしまうのもまた違うのかな、と思っています。
「まる子」と「コジコジ」。
これは、さくらの魂を形作っていた2つの世界意識、なのかもしれません。
簡単に言うと「現実と夢」です。
先の記事でも引用しました「ツチケンモモコラーゲン」の一節。
人間生活をしていると、地球に生まれてきたことっていうのはいろいろ不便なこともあるんで……
と言うさくらは、さらにこう言います。
それにはくじけないで対処したり、改善の方向を選ぶっていうファイトが、私はわりかしあるほうだと思います。
これも「夢と現実」双方のバランスを取っていくことの大切さと、さらに彼女にはそのパワーと能力があった、ということを告白しています。
告白するということは、そいうファイトがなくてくずおれていく人たちがいるということを知っている、ということのように思います。
さくらさんはたぶん、そういう悲しい思いをする人がひとりでも少なくあってほしいと思っていたのではないか、と想像します。その一方で、「シビア」な彼女は、ただただ無頓着に夢を見ること、夢の夢を見るような状態をよしとしていません。
自分を見極めた「選択」と「覚悟」その先の柔軟な「調整」と「バランス」ということを訴えかけてきます。
けれども、これほどのファイトのある人は、やっぱり非凡と言わなければならないでしょう。もちろん、才能もある。努力もした。どん底からの光も見ました。
本当はコジコジたちのように、みんながそれぞれに好きな事がストレスなくできる世界が理想なのでしょうが、今の地球ではそうもいかないルールがあることを、暗に伝えてくれていたのかな、とも思いを致します。
本当に夢が叶ったのかどうかなんて、死ぬ寸前になるまでわからない。私だって、とりあえず作家になれた事はうれしいが、夢が叶ったかどうかなんてまだ言えない。そもそも、よく言う夢が叶っている状況ってどういう状況だろうか。
ただ言える事は、ああ面白かった、満喫したなァと感じながら死を迎えられるように生きてゆきたいというのが、夢というより希望だ。だから毎日、自分の役割をコツコツ果たし、その場その場で細かい事を面白がったり味わったりしている。違う職業だったとしても、基本的には同じように過ごしていると思う。
毎日、人の数だけ違う事が起こっている。同じ日なんて無い。一瞬も無い。自分に起こる事をよく観察し、おもしろがったり考え込んだりする事こそ人生の醍醐味だと思う。
さくらさんはきっと、
「ああ面白かった、満喫したなァと感じながら死を迎えられるように生きてゆきたいというのが、夢というより希望」
この夢を叶えたのでしょう。
そして、ここまで人間観察ができていて、尚且つ、思いっきり人生を楽しむことができているこのメッセージは、釈迦やイエスを超えているようにすら感じてしまいます。
(略)人生って夢やイメージではなく、毎日毎日が続いてゆくものであり、人間が一日にできる事といったらホントにちょっとだけだし、ちょっとだけしかできない事を、楽しんだり味わったりしてゆく気持ちを若い頃から忘れないでいて欲しいと思う。もう若くないよという皆様も。
と、せんえつながら夢についてついつい語ってしまいましたが、若い人達が夢中でがんばっている姿を見ると、涙が出そうになってきます。がんばれ!!って思います。
くじけても、すぐに立ち直って欲しい。いっぺんわんわん泣いたら、じゃあ次どうしようかって、考え始めた時から次が始まってます。
皆様、どうか無事で元気でありますように。そしていっぱい、いい事がありますように!!
二〇〇五年 五月 さくらももこ
いわゆる「夢」について、謙虚に的確に優しく語ってくれていると思います。
こんな風に語る人を他に知りません。私の小さな知識と記憶のなかでですが。
13年も前にこのメッセージを残してくれていた。やっぱりすごい人だ、と感心しながらますます悲しくなります。
でも、コジコジは悲しまないんだよね。
「まァまァ お茶でものんで ひとやすみしなよ」
「さてと あそびにいくか」