さぁ、いよいよ東京へ帰ってきた。
ライアン(沢村一樹)、多岐川(滝藤賢一)の笑顔が懐かしい。
なんていうか、新潟ではホラーめいた出来事もあったので、この帰京はなんだか嬉しい。ライアンと多岐川の思いっきりの笑顔が安堵感を、視聴者にも、与えてくれた。
「稼ぎ男に繰り女?」
働き者で稼いでくる男性と、家計のやり繰りがうまい女性のこと。
「稼ぎ男に繰り女」という表現は、男性が外でしっかりと働き、家族の生計を支える一方で、女性が家の中で家事を上手にこなし、家庭を守っている様子を言っているんだ。
(ことわざ・慣用句の百科事典)
今も昔も逆の家庭はある。
家のことをやってくれる人がいないと、賃金労働はできない。人が生きていく上で、家事は欠かせない。もちろん今の地球(特に資本主義社会)では、お金も欠かせない。いつか「お金のない世界」が実現してほしい。「スター・トレック」みたいに。
「虎に翼」では、寅子(伊藤沙莉)が稼ぎ男で、花江(森田望智)が繰り女、であることは間違いない。
第20週で勃発したのが、寅子の弟である直明(三山凌輝)の結婚問題。直明は花江たちと同居したいと言うが、花江は大反対。なぜなら、嫁が姑と暮らすことの苦労を花江はよく知っているから。
花江は直明の母ではない。直明の亡き兄・直道(上川周作)の妻、すなわち義理の姉だ。ということは、姑ではない?小姑でもない?なんだかややこしいのは、花江が猪爪家の嫁ではなく、母という認識(立場)になっているから。それほど花江は、夫が戦死したあと、猪爪家を立派に守り通してきた。
そして、直言(岡部たかし)とはる(石田ゆり子)亡きあとは、親代わりとして直明と接してきたという自負も花江にはあるはずだ。
かたや直明は直明で、この家に同居しながら、大学まで通わせてくれた恩返しを寅子と花江にしたいと言う。直明は、戦時中に家族からひとり離れていたときのことがトラウマになっていて、とにかく家族といっしょに居たい、という気持ちに駆られているようだ。
花江の息子たちは、自分たちが息子なんだから、お母さんのことは僕らに任せてくれと主張する。すると花江は、やっぱり自分はいつも誰かの世話にならないといけないんだ、といささか卑屈になる。それは違う。息子たちがお母さんの世話をするのは、たくさん世話をして家をしっかりと守ってきてくれたお母さんの権利だ、と言う。権利か、すばらしいね。
現実には、戦没者遺族年金を花江も受け取っていたと思うので無収入ではなく、加えて、空襲でなくなった実家の両親からの資産もどこかの時点で受け取っているのでは?と想像する。もちろんそれだけでは、まったく猪爪家の生活に十分ではないだろう。だから寅子は必死で働いてきたし、直明も、恩返しをしている途中なのかな。
よく「誰のおかげで飯食ってるんだ」みたいなことを言う夫がいるけど、そういうヤツには、じゃあ「誰のおかげで外で働けてんだ」だよね。
この頃、猪爪家にも電気洗濯機が来た(花江も、ひとりでに洗濯してくれるから魔法みたいと言っていた)が、家事はそれまで本当に本当に重労働だったと思う。もちろん現代でも家事は、やり出せば切りがないと言われるほど仕事はたくさんあるし、便利で楽になったとはいえ、ハードであることにかわりはないのだが。
家事をはじめとする「ケア労働」を軽く見たり、こんなことは無償で行うことだと思っていたりする風潮が今もなお根強くあることが、社会に歪みを生じさせているのではないか。本当に必要な仕事ほど安く見積もられている社会構造がある。それはコロナ禍でも明瞭になった。
加えて言えば、花江こそが猪爪家のみんなの世話をしてきた人間だ。花江がいなかったら、猪爪家はどうなっていたことだろう。
もちろんだからといって、どこぞの政党や宗教団体が提唱する、男は外で働き、女は家にいて、子どもは二人、という家族像を私は肯定するわけではないし、このドラマだってそうだろう。
それぞれの生き方がある。それぞれができること、得意なことをして力を合わせればいい。そう思う。家庭に限らず。
航一(岡田将生)も東京へ戻ってきた。最高裁判所調査官。
航一の家族も、なんだか一癖ありそうな雰囲気だ。
寅子と優未(毎田暖乃)が星家に招待されたが、航一の息子、娘、継母の様子、これがまたなんかホラーっぽい。とてもきちっとしているのだが…なんだか硬くて不気味。
なんでこんな感じになってるんだろう。航一の父で初代最高裁判所長官だった星明彦(平田満)は、あんなに穏やかでいい人だったのに。航一の妻・照子の死と何か関わりがあるのかな。あるいは、家での顔と、寅子が話す航一の顔が、あまりに違いすぎる、ということなのかな?
星家の食卓、「家族ゲーム」みたい。
けれども、猪爪家での航一の裁きは見事だったと思う。
猪爪家に招待された航一。直明と花江の仲違いについて、家族裁判が行われる。
家族たちがさまざま意見を述べ合ったあと(上に既述)、こう言った。
おそらくですが、花江さんが考えていらっしゃる、お嫁さんの苦しみのようなものは起こらないのではないでしょうか。ご覧のとおり、玲美さんはたいへん気がお強い方のようですので、あるとすれば、花江さんが気を遣うことになるのでは?
さすが裁判官、よく見通している。
直明の恋人・玲美(菊池和澄)は、自分のことが嫌になったらいつでも追い出してくれ、と言って、お試し同居を提案。
まあ、それでもいろいろあるでしょうが、裁判官として良い采配だったのではないでしょうか。
同居したいとお願いしても同居させてもらえない姑もいるのに、贅沢な話ね、と言う花江。
さて、寅子の配属先、東京地方裁判所民事第二十四部。裁判長は汐見(平埜生成)。
たいへんな案件がきた。昭和20年8月に投下された原子爆弾の被害者が、日本政府に賠償を求めている。
被爆者を原告に訴えを起こしているのは、雲野六郎(塚地武雅)弁護士。
その雲野と岩居(趙珉和)が「山田轟法律事務所」を訪ねて来た。
そうです。よねさんは念願の弁護士になりました。弁護士バッチが輝いています。
山田轟にするか、轟山田にするか、じゃんけんで決めたそうで。まあ、でももともと、ここで弁護士事務所をやらないか、と誘ったのはよねだし、ここはよねが働いていたカフェだしね。山田轟でよかったのでは?
そうそう、ライアンが言っていたけど、よねさんはとてもいい、って。ニックネームを断ったのは、よねと桂場(松山ケンイチ)だけだ、と。寅子はサディ、多岐川はタッキー、どうして桂場だけ桂場なんだろう、と前に書いたが、ここでその理由が判明しました。桂場が断ったんだね。ってか、よねさんにまでニックネームをつけようとしていたのか。なんて呼ぼうとしていたのだろう。
雲野は昔話をしに来たわけではなかった。原爆訴訟。
岩居 原爆投下は通常の戦争行為を逸脱し、無差別に民間人を犠牲にした行為で、明らかな国際法違反だ。それゆえに、アメリカは被爆者の方々に対して、損害を賠償する責任があるということを訴えたい。
よね でも。
岩居 ああ、すでに平和条約を締結してしまっている今、日本は、戦勝者である連合国側に賠償を求める権利を放棄している。なので、放棄した日本国に対して、賠償を求めようというのが訴えの骨子だ。
雲野 多くの民間人が犠牲となった、国際法違反と言える行為の責任を、戦勝国であるがゆえに問い質すことができないというのは、あまりにも不公平だろう。
よね 今、訴訟に踏み切った理由はあるんですか?
去年起きた、第五福竜丸事件。
(ナレーション)
昭和29年3月、アメリカ合衆国はビキニ環礁で水爆実験を行い、日本の漁船第五福竜丸が被爆しました。その事件は大きな社会問題となったのです。
忘れ去られることがないように、同じ過ちを繰り返さぬように、誰かが声をあげねばならん。
と、静かに力強く言う雲野。雲野と岩居は、この訴訟の手伝いを頼むために、よねと轟の事務所を訪ねたのだった。
自分はもう年を取って、この先どうなるか分からないから、自分にもしものことがあったときには岩居を助けてほしい、と雲野は言う。あの、寅子の父・直言が巻き込まれた「共亜事件」、あのとき戦ってくれた弁護団のひとりが雲野だった。それから戦争も経て、すでに20年ほどが過ぎ去ったのか…。
轟とよねは、引き受けた。
裁判所にいる寅子、汐見、判事補の漆間(井上拓哉)は、訴状を読んで「争点は多岐にわたる」と確認し合う。
「国際法の問題」
「戦争とは、戦争のルールとは何か」
「原子爆弾とは何か」
「日米関係のこれまでとこれから」
「犠牲者の方々とどう向き合い、これからの教訓とするのか」
日本では、戦争の検討、検証ができていない。コロナ禍や裏金問題で(今更だが)本当にはっきりしたように、振り返って見直すということを絶対にしない国だ。第二次世界大戦のことも、その頃の社会のことも、丁寧な調査も確認もしていない。ゆえに、戦後80年近くの間に、戦争についての知識を学ぶことができていない。特に最近は、家族、親類に戦争体験者もいなくなってきて、学ぶどころか知る機会も少なくなっている。一方でウクライナやイスラエルなどで戦争は続いている。
ここにあげられている「争点」は、すなわち、あの戦争を始めて、そして敗北した日本人全員が考えるべき事柄なのではないか。「日米関係」は、今だに独立国のそれではない。沖縄をはじめ、問題は山積みだ。
「戦争のルール」って何だ?「戦争にルール」があるということは、「戦争」を認めていることになる。そもそも「戦争」自体があってはならないことのはずだ。
「原子爆弾」。
第96回アカデミー賞で作品賞をはじめ7冠に輝いた「オッペンハイマー」を、私はまだ観ていない。
同じく視覚効果賞を受賞した「ゴジラ-1.0」の監督・山崎貴は、「オッペンハイマー」へのアンサー映画を撮りたいと言っていた。ぜひ撮ってほしい。
同じく国際長編映画賞を受賞した「関心領域」も、まだ観ていない。ホロコーストを描いた、じわっと怖い秀逸な作品のようだ。ぜひ観たい。
内田樹がよく言っているが、欧米では、戦争について描かれる映画が検証になっていると。そういう意味では、「虎に翼」は、戦前から戦後までの日本社会を検証するドラマになっている、と言えるのかもしれない。
前にも書いたが、これも内田樹情報によると、NHKは、報道はだめだがドラマはいけてるみたいだ。
前にNHKの方に「ドラマとかドキュメンタリーは攻めてますね」と言ったら「報道は腰抜けですが、他は違います」とさらりと言ってました。
(内田樹「X(旧ツィッター」2024年5月7日より)
そして、寅子は最後にこうつぶやく。
「そもそもあの戦争とは何だったのか」
その他、第20週で気になったシーン。
航一から寅子へのプロポーズ。永遠の愛を誓う必要なんてないと言っていたはずなのにプロポーズ。寅子にはそれが分からない。
轟の恋人が男性だったということが判明。そういえば、花岡が死んだときに伏線があったね。実は私、轟とよねは、いっしょにこの事務所(かつての「灯台」)に住んでいるのかな?でも男女の関係はないんだろうな、なんてちょうど思っていたところへ、この描写だったので、なるほど、でした。
甘味処「竹もと」。店主夫妻が高齢ゆえ、店を梅子(平岩紙)に譲ることを考えているらしい。あんこの味を伝授されている最中の梅子。そのあんこの味を裁定するのが、桂場。厳しい評価にいまだ合格をもらえない梅子。