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「虎に翼」第18週〜私の周りの普通をおかしいって言ってくれる支部長(寅子)〜星航一の後悔と自責の念はアイヒマンとは対照的

 

 差別問題と戦争問題という、かなり厳しい内容の週だった。

 すみません。今週も語ります。

 

「七人の子は生すとも女に心許すな?」

身内でも裏切ることがあり身を滅ぼすことがあるから、長年連れ添った妻でも気を許すなということ。

たとえ長い間一緒にいて、七人もの子供がいるような仲の良い妻であっても、大切な秘密を全部話してしまってはいけない、と教えてくれる言葉。

(ことわざ・慣用句の百科事典)

「秘密」といえば、星航一。先週(第17週)、星も戦争中に何かあったのかと寅子がぶしつけに尋ねると、「秘密」だと言っていた。

 それが今週、打ち明けられることになった。

 朝鮮人に対する差別問題も「秘密」に属するのかもしれない。本名を隠して日本名を使わざるを得ない社会的背景がある。香子(香淑)もそうだ。

 

 ということで、第18週では2つの大きなエピソードが語られた。

 

 ひとつは、朝鮮人差別について。

 弁護士の杉田太郎(高橋克実)が大泣きして、星航一判事(岡田将生)が「ごめんなさい」と言ったその夜、火災が起きた。

 スマートボール場から出火。スマートボール場を経営している朝鮮人・金顕洙(許秀哲)が逮捕された。経営がうまくいっておらず借金を抱えていた。ちょうど火災保険を契約した直後だったことも疑われる要因となっていた。放火と保険金詐欺の罪。

 裁判所では公判中、弟の広洙(成田瑛基)が無実を叫ぶ。

 警察官をはじめ、朝鮮人はこれだから困る的な考えを持っている人々の思い込み、それは本当に怖い。差別だとは思っていないようだし。もしかしてこの時代に「差別」という意識を寅子のように持てる人はそう多くはなかったのであろうか。

 朝鮮人と日本人との間のいざこざや事件は実際にさまざまある、ということを新聞は伝えている。

 判事補の入倉(岡部ひろき)まで「困った奴らだ」と言う始末。

 昭和生まれの入倉、そして寅子にもあまり記憶にない関東大震災。そのときに起こった悲劇について航一が語る。

あのとき「朝鮮人が暴動を起こした」という流言がとびかって、大勢の罪のない朝鮮人が殺されたことは?

差別が生まれる理由はさまざまです。

火のないところに煙は立たずで終わらせるのか、それともその煙を上げたのは誰なのかを見極めるのか。

 このあと「ライトハウス」へ行くと、涼子(桜井ユキ)と玉(波瀬川なぎ)たちが嫌がらせをずっと受けていたことを知る。

 寅子は嘆く。

戦争が終わって、新しい憲法ができて、全ての人が平等である正しい世の中になった、はずなのに。今扱っている事件や、玉ちゃんを取り巻くものは……

寅子 私、ごいっしょしている裁判にふさわしくないかもしれません。どうしても被告人側、差別を受けている方たちに気持ちが寄ってしまいます。

航一 全ての事件に公平でいるなんて無理ですよ。もちろん、感情が法を超えてはいけません。でも裁判官だって人間で、揺れ動くのは当然だ。先人たちはそれも分かっているから、合議制をつくったのでは?

 なるほど、合議制の意義がとてもよく分かる。人間なら誰でも心は揺れ動く。裁判官だって、聖職者だって。

 

「兄が弟に宛てた手紙」という証拠が出てきた。その翻訳のなかの「私が中を完全に燃やしてしまったせいで心配をかけただろう」という部分に、寅子は違和感を覚える。

 寅子は思い切って香子(ハ・ヨンス)に手紙を書く。

 後日、香子が汐見(平埜生成)とともに新潟まで来てくれる。そして判明する。

「私がなかを完全に燃やしてしまったせいで」ではなく「私が気を揉ませてしまったせいで」だった。「ソグル テウダ」「テウダ」には「燃やす」という意味があるが、「ソグル」「なにかのなか」という意味が上につくと、「ソグル テウダ」「気を揉ませる」「心を苦しめる」という慣用句になる。そう香子が指摘してくれた。

 だが、どうして被告人は反論しなかったのか、という疑問が残る。味方もいないなかで諦めてしまったのでは、と言う香子。

 

 故意にではなかったのかもしれない。単なる翻訳者の知識不足だったのかもしれない。本当のところは分からない。しかし、誤解が重なって冤罪を生むということは往々にしてあるのではないか。そして、偏見という視線が間違いを助長する。

 そういうことって、裁判だけではなく、普段の生活や仕事場、学校などでも見かけることは少なくないのでは?教師だって思い込みで生徒を罰することがある。もちろん、悲しいかな、故意に陥れようとする人がいるのも事実だ。

 

 そこへ三条支部の小野(堺小春)が現れる。話を聞いていたようだ。

 どうして二人は結婚できたのか、と香子と汐見に尋ねる。交際相手が朝鮮人だったが親に反対されて婚約を解消したが、それ以来ずっと苦しんでいる、と打ち明ける小野。

そんげとき、私の周りの普通をおかしいって言ってくれる支部長が、朝鮮人の事件を担当するって知って、苦しくのうなる手がかりがあるかもしんね、自分の選択に納得できるかもしんねって、傍聴に行って。そらろも、もっと苦〜しくなって現れた。あんとき、どうせばえかったんか。お二人はどうしてご結婚できたんか、教えていただけねえでしょうか。

「好きになった相手が日本人だった、それだけ」と答える香子。

「僕もです。小野さんも自分に正直に」と言う汐見。

 そうだよね、この二人も勘当されたんだった。そしてまだ、その状態は続いているようだ。

 加えて「私の周りの普通をおかしいって言ってくれる支部長」という文言が小野の口から出ていたが、これは寅子への最大級のリスペクトではないか。「周りの普通」を「おかしい」と言ってくれる人、寅子。

 私たちは世間体や常識・慣習という名のルールみたいなものを、自分の気持ちに反して押し付けられることがある。そこで心折れてしまう人は多い。あるいは納得して、自分もそのルールを内面化していき、それをまた次の世代に押し付けたりしていることがある。そんなことにまで想像が広がるこのシーンだ。

 ゆえに、汐見の「自分に正直に」という助言は、一見単純で簡単な言葉のように聞こえるが、実はとても深い、二人が実体験から導き出した答えであり、勇気であり真理なのだ、と思う。なぜなら正直であることは、今の地球では、簡単ではないからだ。

 

 合議の結果、被告には無罪が言い渡される。控訴の申し立てもなかった。

 あの兄弟は頻繁に近所といさかいを起こしているから誤解が生まれてしまったのだろう、と杉田弁護士。でも、よかった、と。あの杉田弁護士兄弟がうれしそうだ。

 

 入倉、航一、寅子3人で「ライトハウス」へ行くと、そこには杉田弁護士兄弟、太郎と次郎がいて、食事をしていた。

 法定での入倉の顔が何かにおびえているように見えた、と言う寅子。

入倉 俺は、ただ納得いかなくて。あいつの、金広洙の目です。判決を聞いたときのあいつ、俺らをまるで仇でも見るみたいに見てた。

寅子 それは、これまでの歴史が…

入倉 昔のことなんて知りませんよ!町で会う朝鮮のやつらもそうだ。俺は誰も虐げたことなんてない、普通でいるのに。敵扱いされて、にらまれて。そんな態度されちゃ、そりゃ彼らへの印象だって悪くなる。頭じゃ駄目だって分かってても。

寅子 嫌な行動をされて、気分が悪くなるのは当たり前。でも入倉さんは踏み留まれてるじゃない。

 この入倉の感情、なるほどと思った。日本人も朝鮮人のことを恐れている。だから過剰な反応をしてしまう。もちろんそこには恨みや蔑視の感情もあるだろう。だがもしかしたらそれ以上の、互いを良く知らないがゆえの恐れの感情が2つの民族の間にはあるのかもしれない。

 だからといって、罪をでっち上げあり、虐殺したりするのは、人間のする行為ではない。けれども…というところが、人間社会の本当に怖いところなんだと思う。

 

 そしてここから、緊張感あふれる「戦争」についての驚きの告白が語られる。

 

 さらに寅子が徐ろに話す。このところずっと自分の無力さがもどかしかった、と。

14条が謳っている平等とは何なのか。私にできることは何なのか、考えていて。分かり合えないと思っても、一度じゃ伝わらなくても、あきらめずに向き合う。それくらい、なのかな、って。でも一歩ずつでも、前には、進まないと。

「戦争が終わってまだ10年もたっていない。平等や何やらに気を遣えるのは、学があるか、余裕がある人間だけ。憲法が変わったんだから変われなんて言われても、全部なくなったみたいで、おっかなくなってしまう。そんな人もいるだろう(すみません、東京弁に変えました)」と、太郎。

 いやぁ太郎も良いこと言うじゃん。「平等や何やらに気を遣えるのは、学があるか、余裕がある人間だけ」って、その通りだ。みんな自分の生活で精一杯だ。今でもそうだけど(これがよくないんだよね、きっと)。

 すると航一が「ごめんない。…僕に言えるのはそれだけです」とまた謝った。

「前にも兄に謝っていたけど…、意味ありげできになる」という次郎。

「自分たちが徴兵されていれば、若い人たちが死なずにすんだかもしれない。我々は無力だ、どうあがいても戦争を止められなかった」と太郎。

 

「もし、止められていたとしたら?」と、唐突な航一の問い掛け。「こまったな、こんな話をするつもじゃなかったのに」

 

「昔、私の兄がよく言ってました。思ってることは口に出したほうがいい!」と寅子。「そのほうがいい!」と、寅子と涼子が声を合わせる。

「お兄様は?」

「亡くなりました、戦地で。見当違いばかりする兄でしたけど、事あるごとにこの言葉を思い出します。だからといって、無理に話せというわけではないんですけど」

「僕、総力戦研究所にいたんです」航一の口から聞き慣れない言葉が出てきた。

「総力戦研究所」ってなんだ?

 私もこの年齢になって、初めて知る戦争関連のことって意外と多いのだが、これは本当にドラマを見ながら、え?なにそれ?だった。実話?フィクション?くらいに。戦争にとても詳しい人なら知っているようだだが。

 ちなみに「総力戦」とは

 国家や組織の人的、物的、精神的な、すべての力を動員して行なう戦い。

(コトバンク)

 

「総力戦研究所」については、この航一の告白が、分かり易い解説になっている。

知らなくて当然です。そこでのことを口外するなと禁じられていましたから。

昭和15年に設置された、内閣総理大臣直轄の研究所です。官界や民間組織から30代の優秀な人材が集められました。

研究所の目的は、総力戦の本質を明らかにし、その運営の中枢人物たるに必要な能力を習得されること。そして、大戦に向けて、軍を、国民を指揮監督する人材を育成すること。僕たち研究生は、模擬内閣を発足され、机上演習を行いました。日米戦争を想定した総力戦の机上演習です。

机上演習の結果は、日本が敗戦。その理由は、資源の自給率の低さなどさまざま。何度も演習を重ねましたが、その結果が覆ることはなかった。

僕らは机上演習の結果を報告した。当時の国の中枢を握っていた人たちの前でね。(万に一つも勝利はなし。日米開戦は避けるべきと、模擬内閣として提言いたします。戦争のあとまでお考えでしょうか?)

でも彼らは言った。これは机上演習であって、実際の戦争とは全く異なる。研究に関する諸君らの努力は認めるが、この演習の結果は政府の方針とは何らの関係もない。

僕らは口外を禁じられて、解散となりました。

その後、戦争は机上演習をなぞるように進み、そして日本は敗戦した。

さすがに、原爆投下は予想できませんでしたが。

 これすごいな。

「これは机上演習であって、実際の戦争とは全く異なる。研究に関する諸君らの努力は認めるが、この演習の結果は、政府の方針とは何らの関係もない」と言った政府って、今でもそれじゃない?学者とかいっぱい集めて意見を言わせても、結局は政府の思い通りにする、と、ある学者が言っていたし、なんだったら御用学者という人たちもいるらしい。

 原爆投下は予想できなかったかもしれないが、「戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない」というところまでシミュレーションしていたそうなので、驚きべき研究成果ですよね。

 こいう人たちがいたんですね。まったく知りませんでした。そしてそのなかに、寅子のモデル三淵嘉子の後夫である三淵乾太郎(航一のモデル)がそのメンバーだったとは。こんなドラマがあるんだ。

 女性弁護士第一号は他にもいたのに、なぜ三淵嘉子なんだろう、初の女性裁判所所長だから?などとなんとなく思っていたが、後夫のことまで含めての、壮大なドラマだったのですね。人権や自由、戦争への問題提起がなされている。

 

寅子 それで「ごめんなさい」なんですか?戦争を阻止できなかった責任を感じて。

涼子 そんな。星さんのせいじゃございませんわ。

入倉 そうですよ、絶対に違う。

次郎 市民にできることなんかねかったんですよ。

 

もちろん僕ひとりが何ができたかなんてたかが知れてる。

でも、佐田さんや杉田弁護士のように、大事な人を失った人間が大勢いる。妻も、照子も、…満足な治療を受けられず死んでいった。

その責任がみじんもないなんて、自分は従ったまでなんて、どうしても僕は言えない。その罪を、僕は誰からも裁かれることなく生きている。

僕はそんな自分という人間を何も信じていない。そんな人間が何かを変えられるとは思わない。だから、謝るしかできないんです。

子どもを育てきるために、裁判官の努めを果たします。僕自身は信じられなくても、法律は信じられるから。

でも、それ以外はすべて距離を、置いていたのに…。すみません。

 語り続けた航一に、太郎がこう慰めた。太郎にも良い所あるんだ。

おめえさんを恨めば、ちったぁ楽になるんでしょう。誰を恨んだところで、娘も孫も帰ってこない。

おめぇさんはよっぱら苦しんだ。気に病むことはねぇ、謝らんだっていいって。

 

「その責任がみじんもないなんて、自分は従ったまでなんて、どうしても僕は言えない」ってセリフなんだけど。

 ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」によると、アイヒマンは裁判で、「命令に従っただけだ」と弁明したという。

ルドルフ・アイヒマン。ドイツ親衛隊中佐。

ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 へのユダヤ人大量移送に関わった。「ユダヤ人問題の最終的解決」 (ホロコースト) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。

(Wikipedia)

 でもこの人、命令に従ったどころか、けっこう積極的に行動していたようだ。しかも「法に従った」とも裁判では述べている。この人が言う「法」とはヒトラーのことだ。

 ここまでの巨大な事ではなくても、「あのときはしかたなかったんだよね」「ああするしかなかった」と、悪事に加担してしまった、あるいは悪事を止めることができなかったことを正当化する人々は、おそらくあちらにもこちらにも、自分の隣りでも見かけることがあるだろう。あるいは、自分自身がそう言ってしまう(言ってきた)かもしれない。

 朝鮮人の方々に対する態度もまさにそうだ。

 第二次世界大戦で、政府に逆らうことは誰にもできなかった、のは事実。だから戦争という名の人権侵害、大量殺人は、絶対にやってはいけないのだと思う。

「自分は従ったまでなんてどうしても言えない」と語る星航一は、アイヒマンとは対照的な人物ですね。「その罪を裁かれることなく生きている」とまで言っている。

 航一は、積極的に戦争に加担したわけではないので、アイヒマンとは全く立場が違う。むしろ、負けるから止めろと進言しているのだから。それでももっと戦争阻止のために何かできることがあったのでは、と後悔している。自分たちのシミュレーション通りに敗北に向かって進んでいく状況を見るのは、地獄を見るようだったでしょうね。

 戦後は、妻も亡くなり、周囲には大切な人たちを亡くした人々がたくさんいる。自分は分かっていたのに…という思いが過るとき、それはそれはやるせなかったであろうと想像できる。

 航一のように苦しんだ人々は、当時の日本に大勢いたことでしょう。いや、今でもまだいらっしゃることと思います。

 航一は「法律は信じられる(自分よりも)」と言っている。もちろんこの法律は、独裁者の法律ではない。21世紀に生きる人間としてひとつ付け加えさせていただくと、法律も、古くなって間違った状態になってしまうこともある。という意地悪な感想を横に置けば、このときの「自分よりも信じられる」という感覚に、航一の苦しみの帰結が垣間見えるような気がします。

 

 頭を冷やすと言って外へ出ていった航一を追いかけていく寅子。

「自分も同じ立場だったら、自分のせいじゃないとは言えない、謝るしかない、そう思った」と航一に話しかける寅子。

だからこそ、少しわけてくれませんか、航一さんの抱えているもの。

あなたが抱えているものは、私たち誰しもに何かしらの責任があることだから。

だから、バカのひとつ覚えですが、寄り添って、いっしょにもがきたい。少しでも楽になるなら…

 雪のなか、泣き崩れる航一。背中をさする寅子。

 長年連れ添った妻ではないですが、寅子に秘密を伝えられたことは良かったのでは?航一の心の荷が少しは軽くなってくれますように。

「虎に翼」 雪のなかの寅子と航一 ©2024kinirobotti