どんどんぶっこんでくるすごさ。
「貞女は二夫に見えず?」(ていじょはじふにまみえず)
貞操堅固な女は二人の夫を持つことをしない。貞女は再婚しないことをいう。
貞婦は両夫に見えず。
(コトバンク)
なるほど。第21週では、寅子の再婚について、さまざまな背景から描かれる。
花江はどうなのだろう。今のところ、このことわざを実践しているように見えるが。
寅子のモデルとなった三淵嘉子は、41歳で再婚した。「そういう人」が現れれば、それはそれで自然なことなのだと思うし、貞淑な女性は再婚しないというような信条を持っている人は、それはそれでよいと思う。貞淑な男性のことを何と呼ぶのか分からないが、夫の側だって、妻が亡くなっても再婚はしない、と決めている人がいても問題はないだろう。
最近思うのは、ことわざや慣用句が十把一絡げの同調圧力的な意味になるものがある、ということ。時代背景や価値観、社会の変化と人類の成長、というところを加味していく必要がありそうだ。問題なのは、古い価値観を金科玉条のごとく示してくる人たちが一定数いる、ということ。アップデートは大事です。
その寅子(伊藤沙莉)の再婚である。
結婚へ向けての寅子の葛藤に、選択的夫婦別姓問題、事実婚から同性婚問題までを、物語、脚本に盛り込んでいく脚本家・吉田恵里香の能力の高さにあっぱれである。
振り返れば当初、「虎に翼」放送開始の4月から、吉田の現代社会への「はて?」と明瞭な問題提起が、並々ならぬ数々のエピソードのなかで見事に描写されてきた。
さて、プロポーズされた寅子は、佐田から星へと名字が変わることに違和感を覚える。
直明(三山凌輝)と結婚する玲美(菊池和澄)は、名字が変わることに抵抗はないのかと寅子に尋ねられて、むしろ早くなりたい、と答える。
小さいころからたぬきの田沼とからかわれてきたので、強そうな名字になるのはとっても嬉しいです。
確かに「猪爪」は強そうだ。
私もこれだった。実家の名字が好きではなかったので、結婚して名字が変わるのは大チャンスだった。意外とこういった気持ちの女性はいるのではないだろうか。もちろん逆もあるのだが。すなわち、夫の名字になることで「この名字かぁ」みたいな。
余談ですが、自分も夫も珍しい名字なので自分は名字に祟られてる、なんて嘆いていた私の知人がいました。
寅子としては、そんなこと(いや、上記のことも大事ですが)ではなく、もう少し複雑な葛藤がある。
結婚して名字がどちらかの名字に変わるということは、個人の尊厳や平等とかけはなれていないか、と。
優三さん云々よりも、弁護士として、裁判官として生きてきた佐田寅子の経歴、歴史を失いたくない、という気持ちが強いようだ。すると、妄想のなかの女学校時代の寅子が、その理屈だと、佐田寅子になった時点で私はあなたのなかでは消えてしまったということか?と問い質してくる。あのときは社会的地位のために名字を変える必要があった、と応答する寅子。
結婚についても、今ひとつ納得がいかない。今さら結婚する必要があるのか、子どもをつくるわけでもないし、二人共経済的に自立し合っている、それぞれの家族もいる。結婚する意味を見いだせない。
これを「山田轟法律事務所」で、よね(土居志央梨)に話した。
そのときその場にいたのが、轟(戸塚純貴)とその恋人。恋人は遠藤時雄(和田正人)。
轟と遠藤は、結婚したくてもできない、法律的に認められない、そういう立場だ。その二人の前で、結婚の必要性の意味が分からない、子どももつくらないのに、という寅子の言い分は配慮がない、と言えそうだ。寅子もその静かな違和感に気づく。
航一(岡田将生)は、寅子との結婚を望んでいる。その理由のひとつがこれ。
婚姻することによって互いの家族を養い、財産を残すための法的な後ろ盾が生まれます。我々もいい年です。お互い、旅立ったあとのことを考えると、安心し合うことができるのではないかと。
これだよね。同棲カップルが令和の今も立ち向かっている困難のひとつ。
後日、寅子は、男女の恋人のことしか考えていなかった、と轟に謝罪する。
人間なんてそんなもんだ。今振り返ってみればの連続。過ぎてから分かることばかりだ。
この轟のセリフ、ぐさっとくる。その通りだよね。人生は「今振り返ってみればの連続」だ。
振り返って分かることって、後悔が多いように思うが、内田樹がこんなことをつぶやいていた。
「後出し」でいいと思うんです。「あのとき、ああしていればよかった・・・」というのはすごく大切な想像力の使い方だと思います。「ああするしかなかった」という言い訳からは叡智的であれ倫理的であれ価値あるものは何一つ生まれませんが、(略)
(2024年8月24日)
このあと轟は、自分の気持ちを振り返って語る。花岡の死後、よねが「私の前で強がならなくていい」と言ってくれたから自分の心と向き合うことができた、と。けれどもこんな気持、誰も分かってくれないだろうと思っていた轟。時雄と出会って救われた。
でも、この先の人生、お互いを支え合える保障は法的にない。俺らが死ねば、俺らの関係は世の中からはなかったことになる。
じいさんになって人生を振り返ったとき、俺は心から幸せだったと言いたいんだ。
ほんとう、これだよね。「心から幸せだったと言いたい」。それだけなのに。
よねは、寅子の気持ちをわがままだとは思わない。
結婚しても名字を変えたくないと思うこと。当然の権利だろう。誰の顔色気にして弱気になってるんだ。
いっぽう航一は、星家での昼食会で、自分は佐田姓になると表明。名字にこだわりはない、と言う。優未(毎田暖乃)に相談されてそう決意したのだった。義母の百合(余貴美子)は、それは絶対に認めないと、と譲らない。亡きお父様、朋彦(平田満)に顔向けができない、と。
まあ、百合からすればそういうことになるのかな。
でも、寅子は航一に佐田姓になってほしいとは言っていない。
航一は、寅子と結婚したい理由は、寅子を自分の妻だと世間に紹介したいからだ、と急に突飛なことを言う。これは「愛しています」ということなのだろう。名字が同じになることで、世間には結婚の証明になるからね。今でも、名字が別々だとその二人が夫婦だと想像できる人は、おそらくほとんどいないのではないか。
今思い出したのだが、私と夫の新婚旅行(エジプト・ギリシャ)でのエピソード。いつも一緒にいて、ホテルの部屋も同じの私たち二人の名字が違うので、同じツアーの人たちが私たちのことを「あの二人どういう関係なんだろう」と訝っていたらしいのです。2〜3日したころ事情が分かり、「新婚旅行なんだぁ」とツアーメンバーたちに安心されたということがありました。なんで私が旧姓のままだったかというと、パスポートを更新できていなかったから。
寅子は名案を思いつく。戸籍的に星寅子になっても、仕事上は佐田寅子を名乗ることはできないか?と桂場(松山ケンイチ)に尋ねにいく。
すると桂場はこう喝破する。
そんなものだめに決まっているだろう。
(寅子 桂場さんも夫婦は同じ姓を名乗るべきだと?)
違う。きみは裁判官だからだ。きみがこれから関わる事件の判決、令状、全ての文書に記名する名前が、戸籍上の名前と違うとなったとき、そこをついてくるやつらが必ずいる。署名ひとつで裁判の判決にケチがつき、信憑性が疑われる。司法の独立、判決に対する国民の信頼を揺るがす行為を許すわけにはいかん。
結婚はかまわん。だが、旧姓で働くことは不可能だ。
まあ、これ、正論ですね。
「なんでそんなくだらないことにこだわるのだ」と尋ねられた寅子は反発する。
はて?桂場さんにもこだわられるものがありますよね?司法の独立、裁判官の資質、あんこの味。
どうしてもこだわりたいことが人にはそれぞれあるんです。私のこだわりをくだらないと断じられる筋合いはありません。
これには、「失言だった」と桂場も折れた。要望は認められないが、きみの言う通りだ、と。「あんこの味」という寅子の指摘が刺さったのでは?
(ナレーション)
裁判官が判決文や令状に旧姓を使うことが認められるのは、平成29年のことです。
2017年か。ついこの間ではないか。そうなんですね。
それから寅子は、山田轟法律事務所で、同性カップルの千葉(ニクまろ)と秋田(水越とものり)、バーを経営している性転換手術(現・性別適合手術)を受けて女性になった山田(中村中)に会う。そして彼らのさまざまな事情や心の内を聞く。
今の自分が好きだという山田が次のように話す。
でも、頑張ったり、理由を考えたり、説明したりしなきゃ自分が認められないことがずっと苦しいの。
これって、こういった事情だけではなく、普通に社会のなかであることではないか。理由を話すことを求められたりすること。例えば、なんでそれやりたいの?「好きだから」「やりたいから」じゃだめなのか?
千葉が言う。
僕らだけいつも理由が求められる。いつから異性が好きなのかなんて質問、絶対にされないのに。
確かにね。
「ほんとだ、理由なんていらないのにね」という優未に、よねが言う。
ひとつに決めつけるな。理由がいるときだってあるぞ。
私は男になりたいわけじゃない。女を捨てたかっただけだ。自分が女なのかと言われれば、もはや違う。恋愛うんぬんは、男も女も心底くだらない、そういうやつもいる。
よねさんは、アセクシャルなのかな。
さて、寅子と航一は、婚姻届を出す結婚をやめて、いわゆる事実婚に落ち着く。
互いに「遺言書」を交わして、今後のことを表明し合い、それで夫婦「のようなもの」になった。
このあと、結婚式もしないという寅子のために、直明があるサプライズを計画する。
甘味処「竹もと」に、なんと明律大学女子部の同級生たちが集まってくれた。
涼子(桜井ユキ)、玉(羽瀬川なぎ)、久保田(小林涼子)、中山(安藤輪子)、香子(香淑/ハ・ヨンス)、梅子(平岩紙)、よね 轟が、あの法服を着ている。
判決文。
(久保田)主文。私たちは、申立人の夫婦それぞれの姓での婚姻関係を認める。
(中山)理由。民法において、夫婦はどちらかの氏を名乗ると決められてはいるが、
(涼子)姓を変えることは、夫婦どちらかの社会生活に不利益や不都合をもたらす恐れがある。
(香子)名前を変えることで、自分が失われると感じる人もいる。夫婦のどちらかがそれを負うのは平等とは言えないのではないか。
(梅子)同じ姓を名乗ることが、夫婦や家族であることの証しにはならないと考える人もいる。
(玉)同じ姓を名乗るか、それぞれの姓を名乗るかは、申立人の夫婦間で自由に決定するべきである。
(よね)それは憲法により保障された権利のはずである。よって、星航一と佐田寅子の、それぞれの姓での婚姻関係を認め、主文のとおり決定する。
(轟)我々の主張には法的効力はないが、これを二人への結婚の祝いの言葉とする。
このあと、同窓会のようになり、大団円。
よかった、香子もみんなに打ち解けてくれている。
あのころのなりたい自分とは違うかもしれないけれど、でも私たち、最後にはいい方に流れます。
と、香子。
さてさて、ステップファミリーとなった寅子と航一。何か起こりそうな気配…。

追記
脚本家・吉田恵里香の「X(ツィッター)」より抜粋。
セクシャルマイノリティーの方々も夫婦別姓を望む人も今の時代にポッと生まれたわけじゃありません。昔から存在したのです。多くの問題が解決されぬまま今の時代まで続いていることが大問題なのです。
この時代のセクシャルマイノリティーの方々の境遇は驚くほど過酷です。
その当時よりは現在のほうがマシになっているけれど、心から「良くなっている」と言えないのが悲しいところです。そして、この回には登場しませんが、女性の同性愛者の方もこの時代にも当然ですが、存在します。尺上カットすることになりましたが脚本上はこんなシーンが存在します。(というか尺的にカットせざるを得ないことは分かっていたけれど、脚本上には残したかったシーンというほうが正しいですね)
航一「……女性の同性愛の方も?」
遠藤「勿論大勢いるでしょう。ただ男性と違い、なかなか表に出てきづらい、出会いを求められない現状はあります」
航一「というと?」
遠藤「理解のある人たちが集まる雑誌を買ったり、お店で飲んだり……ある程度、時間とお金が必要ですから」
梅子「女は時間もお金も、自由にできないものね。家庭に入ってしまえば尚更」
寅子「……ここにまで男女の差があるのね」このような背景から女性の同性愛者の方々の資料は、この当時も驚くほど少ないようです。(もちろんゼロではありません。明治大正時代の女性の同性愛者の記録も存在しています)
今現在もセクシャルマイノリティーの方々について語られる際、女性の同性愛者の存在があとまわしにされがちな部分があると思います(もちろん全てが、ではありません。素晴らしいエンターテインメントも増えています。先日ラジオで紹介された「線場のひと」などもそうですね)。
みなが平等で対等な社会になる道のりは、まだまだ遠いと思いますが、それでもできることをしていきたいです。誰しも何かを強要されることは嫌だと思います。それを他者にするのはやめましょうね。
まるで現在のことのようだと当初から言われていた「虎に翼」。
今の時代の問題は今の時代に「ポッと生まれたわけじゃない」。昔からずっと存在し続けている。すなわちそれは、解決されていないということを意味する。改善されているものも多々あるにはあるが、根本的なところはどうなんだろう。そしてある意味、SNSの広がりのなかで、より劣化していると思われる部分もある。
このドラマが、深く見直して語り合う機会を、視聴者に与えてくれているのかもしれない。この半年という期間だけではなく、ここから繰り返し気にかけていかなければいけないエピソードばかりだ。