ねことんぼプロムナード

タロット占い師のetc

『「笑っていいとも!」とその時代』太田省一著〜終了から10年〜振り返るとそこには知性と平和があった②

 ①から続く。

 

 さて、ローラのスピーチである。

 

『「笑っていいとも!」とその時代』

太田省一著 集英社新書

 

 ローラのタモリへ向けたメッセージが、なんだか良かった。ローラは大声で泣きながらメッセージを読みあげた。あのたどたどしい(?)日本語で。そして、泣きながら笑った。「どっちなんだよ」と嬉しそうに言うタモリ。この場面が私は好きだ。「グランドフィナーレ」のなかで、もしかしたら私のいちばんのお気に入りはこのシーンかもしれない。ローラの人柄の良さが隠しようもなく滲み出ていた。とっても温かく、そして同時に、悲しく、寂しい。だから、ローラは泣きながら笑ったんだと思う。

 

 感謝のスピーチの最後を飾ったのは、笑福亭鶴瓶。鶴瓶は言った。「いいとものレギュラーになれなかった芸人はかわいそうだ」と。そうだと思う。レギュラーになりたかった人、テレフォンショッキングに出たかった人、芸人に限らずいたと思う。素人だって出たかった。

 そうそう、素人のコーナーもあったし、なんだったらテレフォンショッキングに3回ほど素人が出てしまったこともあった。それはゲストタレントからの電話の手違いから起きたハプニングだった。そういった偶然の出来事が、生放送「笑っていいとも!」とタモリの絶妙な芸の醍醐味だった。

 ちなみにある朝、会社にいく途中でたまたま新宿アルタの裏を通ったところ、人が大勢並んでいて、ぎょっとしたことがあった。なんだろうとちょっと考えて、あ、笑っていいともか、と合点がいった。並んでいる人たちにじろじろ見られて、おそらく私も出演希望者と間違えられているであろう気配を横目に、その場を通り過ぎたのを覚えている。…なんだかいろいろ思い出すなぁ。

 

「笑っていいとも!」を立ち上げた横澤彪(当時フジテレビプロデューサー)は、笑いいに知性を求めていた。

「笑っていいとも!」の前には「笑ってる場合ですよ!」が放送されていた。フジテレビから始まった漫才ブームで人気者となった芸人たちが日替わりで出演。ツービートから明石家さんままで。

(略)横澤彪は、あるときから不満を抱くようになっていた。その理由は「知性の欠如」だった。

(P35〜36)

 芸とは違うところで観客が笑う、という現象がおきていた。芸人のアイドル化現象も手伝っていたことだろう。

「笑いというのは、パロディにしろナンセンスにしろ基本は凄く知的なもの」と横澤は考えていた。

「笑ってる場合ですよ!」の楽屋では、芸人たちが金の話ばかりしているので、これはいけないと番組の終わりを決めた、とどこかで読んだことがあるが、それについてはこの本には記されていない。

 

 私は思った。この横澤の感覚が「笑っていいとも!」の全てだったのだな、と。なぜなら私は、この横澤の「笑いへの哲学」を全く知らなかったが、当時から、あるいは番組終了後も、「笑っていいとも!」は知的なお笑い番組だ(った)、と感じてきた。「笑っていいとも!」が終わってからは、知的なお笑い番組が、たぶんない。

 だが、知的というコンセプトで、なぜタモリ?

 1982年10月4にそれは始まった。お昼の番組の司会者になぜタモリ?日本国中がそう思ったに違いない瞬間だった。

 私はなぜかその日、家にいた。チャンネルはフジテレビに合っていた。すると、始まった。「森田一義アワー」と書いてある。タモリが出て来た。え?だれ?そっくりさん?森田一義って?タモリ?うそだよね。冗談だと思って見続けていたら、なんだかどんどん番組が進行していった、と記憶している。狐につままれる、とはこういうことか。

 でも不思議と嫌な感じはしなかったように思う。なぜならその放送を最後まで観たし、その日から、見ることができる日は「笑っいいとも!」を観ることになったので。

「テレフォンショッキング」も面白かったし、各コーナーも充実していた。

 ゲストも多彩で、様々なジャンルの著名人を堪能することができた。

 

 当時も感じていたし、録画して残していたものを今観ても、「知的な笑い」がそこにある。知的な笑いってなんだ?と問われても、私には解説する術がない。ただただ、そう感じるのである。自分のなかの知性や感性をくすぐられたり、なんとなく心が満足していたり、嫌な感じを受けなかったり、クスッと笑ったり、爆笑したり、新しい発見があったり(芸人、タレント、物、出来事etc)。

 絵画のコーナーは心底面白くて有益だった。子どもが描いた絵と有名な画家が描いた絵を当てるなんていうのは、なかなかエスプリが効いている。

 この番組から有名になった芸能人も多い。

 印象深く私の心に残っている人を数名あげたい(記憶はあいまいです)。

 まず要潤。彼は「いい男さんいらっしゃい」のコーナーの出場者で、まだ飲食店でアルバイト中の俳優志望の人だったと記憶している。そこからチャンスを掴んで、今ではさまざまなドラマで活躍している有名俳優だ。

 いっこく堂。腹話術師。何のコーナーだったか忘れたが、その芸のすごさにびっくりした。それ以降、ものすごくメジャーになったと私は思っている。

 DAIGO。竹下元総理の孫。他番組に出始めたころは、なんだかちょっといや〜な感じの腹の立つキャラクターだった(演じていた)。出自がいいこともあってお高くとまっている雰囲気だった。そのキャラでいこうというのが戦略だったのかもしれない。なので、「笑っていいとも!」ではじめて私が彼を見たときは、やっぱりまだちょっと嫌な感じだった。

 ところが、彼の特徴をすかさず捉えたタモリがモノマネを例によってしつこくやった。それがすっごくおかしくて、後説だったか何かに登場するようになって、そこでもしつこくいじられて、次第に「いいひと」が暴露していた。それからレギュラーになって、即興で作曲したりするコーナーがあったりと、今の良い雰囲気のDAIGOにつながったように私は感じている。

 坂上忍。彼は天才子役時代からの有名人。だが、本人はおそらくちょっと尖った雰囲気を醸し出していたように思う。毎年年末にはギャンブルをして1年分の稼ぎを全部使うとか、ブスと仕事が大嫌いとか、豪語していた。ところが、芸能人のお悩み相談みたいなコーナーに毎週出るようになってから変わった。回答者が草彅と坂上ともうひとりいたかな。

 3人3様の回答を出して、そのなかからいちばん良いと思う回答をゲストが選ぶという趣向。もちろん坂上はいつもの調子で尖った答えを書く。草彅はやさしい感じだったかな。おそらく草彅の回答が多く選ばれることを想定したコーナーだったのだと私は推測しているのだが、なんとほぼ毎週、坂上が選ばれた。坂上本人も、え?これでいいの?と驚いていたほどだ。そこから坂上の快進撃がはじまった、と私は思っている。これも「人柄は隠せない」、「笑っていいとも!」では特に、ということの証明かもしれない。

 そして「笑っていいとも!」終了後、坂上は「バイキングMORE」のMCとなる。はじめのうちは、面白くなかったので全く視聴することはなかった。が、いつごろからか、観るようになった。とくに、政治や社会に物申す的な発信を坂上がするようになってから、この手のスタンスは最近では珍しいもので(とくにタレントだし)、他にはない番組だと感じていた。

 特にコロナ禍では、政府への批判ともどかしさを明確に語る姿勢には好感が持てた。いい番組じゃん、と思っていたら、2022年に終わってしまった。やっぱり政権与党からの圧力だったのか、と思ってしまってもおかしくないタイミングだった。その後、ジャニーズ問題、裏金問題が世を騒がせていくなか、坂上だったら何と言っただろうか、と思うことしばしばだった。

 ……ほかにもたくさんいます。

 

 黒柳徹子のテレフォンショッキングが、番組のほとんどの時間を使ってしまったときのことははっきりと覚えている。話が面白いので仕方がない。もっと聞いていたいほどだった。

「〇〇してくれるかな?→いいとも!」「〇〇ですね→そうですね!」など、観客とタモリの間のコール&レスポンスも「笑っていいとも!」ならではだった。

 巷間でも、「いいとも!」のレスポンスは流行っていた。「いいかな?」みたいに尋ねられると自動的に「いいとも!」と応答してしまうという現象は、日本人の身体に染み込んで、対話形式のひとつのようになっていた。

 

「いいとも」は「広場」だった、と著者は言う。そうだったのかもしれない。出演者と観客だけではなく、視聴者も含めてその広場にお昼になると集まった。心地の良い広場だ。古代ギリシャのアゴラだったのかもしれない。

(略)『いいとも!』が体現していたのは、個を埋没させる集団的沸騰の場、単なる祭りの場というよりは、個が自己表現を通して自由に交わることのできる場、稀有な癒やしの場であった。そこで自らをさらけ出すありのままの有名人に対し、私たちは自分もそうありたいと思う。“もうひとりの自分”を多少なりとも託したのではないか。『いいとも!』の広場性の本質とは、そう理解すべきものに思える。

(P162)

 

 タモリは決して怒らない、ということを、「グランドフィナーレ」での感謝のスピーチのなかで出演者たちは口を揃えて言っていた。

 笑福亭鶴瓶が明かしたのは驚愕のエピソードだった。

 タモリの別荘に行ったときのこと。庭に木の切り株が7つも8つもあったという。タモリによると、木(枝)を切ってくれと業者に頼んだところそうなったと。

「まちがえちゃったんだね」とタモリが言った。

 鶴瓶は仰天した。自分だったらひどく怒る、と。私だって怒って文句を言うと思う。だって全部根本から切られて木がなくなってしまったのだから。笑福亭鶴瓶は、すぐに業者に電話するように促した。タモリは電話するも、問い詰める様子もない。

 間違えちゃったんだ、で許してしまうというのか、受け入れてしまうというのか、その感覚が凄すぎる。もちろん確かに、切ってしまったものはもうどうにもならない。が、弁償させることだってできるはずだ。私だったらそうする、と思う。だってそれらの樹木が再生するのにどれだけの時間がかかるのか。竹だったらあっという間かもしれないけれど。これもお笑いなのか。

 加えて鶴瓶が話していたのは、タモリは誰にでも平等だ、ということ。それは海外の大スターにも同じだった。番組終わりにちょっと出てきて宣伝する海外のスターたちが…そういえばいたね。彼らが宣伝に使えた時間はたった30秒。スターたちは驚いたに違いない。彼らはいつも、手厚く特別扱いを受けることに慣れているのだろうから。

 

 この本では、戦後の日本社会と闇市からはじまった新宿の歴史を、タモリの30歳までの経緯と重ねて考察したりもしている。それを読むと、まるでアルタはタモリのためにつくられたかのようにも思えてくる。

 ルールや慣習、伝統に馴染めない人たちがいる。タモリもそうだった。

土着性からの解放は、戦後民主主義が求めたひとつの理想だった。土着文化の一面としてある古くからのしきたりがもたらす束縛から脱し、個の自由を実現すること。それが戦後民主主義が指し示した希望だった。しかし、言うは易く行うは難し。実際、そんな行き方を貫き通せる人間はまれである。だがタモリは違った。そうした戦後民主主義にとっての理想の生き方をいともたやすく軽々と実現しているように見えた。

(P211)

 

 番組終了から10年が過ぎた。

それでもなお、『いいとも!』の復活を望む気持ちが私たちのなかにあるとすれば、それは、ここまで述べてきたような重層的な「つながり」がもたらす魅力が現在のテレビから失われつつあるように私たちが感じているからだろう。

(略)

インターネットのつながりには閉じていく傾向がある。(略)趣味嗜好を同じくする同好の士は集まりやすいものの、インターネットのコミュニティには新たなつながりのための余白が、その分あまりない。

それに対し、『いいとも!』にはそうした余白が豊富にあった。出演者であれ観客であれ、はたまた視聴者であれ、そこに入っていける広場として常に開かれていた。その違いは大きい。

(P212〜213)

「笑っていいとも!」の復活を望む人は、それなりにいるらしい。私もそのひとりだ。

「ヨルタモリ」(フジテレビ2014〜15年)も面白かった。けれども、テレビドラマ「相棒」(テレビ朝日2000年〜)に亀山くん(寺脇康文)が戻ってきたみたいに、「笑っていいとも!」がお昼に戻ってきてくれたらなぁ。

 

(テレビは)「なんでもあり」だったかつてに比べれば、不自由になったと言えるかもしれない。だがいま感じる“不自由”とされる状況には、たとえばLGBTQと呼ばれる性的マイノリティの権利など、かつては不当に軽視された人びとの自由を保障するためのものという側面がある。そうした点を深く思慮したうえで、テレビに自由を取り戻すことが必要だろう。

『いいとも!』には、当時の、いわゆる「昭和」の価値観を反映した旧い部分もあった。しかし他方で、「怒らない」タモリが体現していたように、多様な個人のありかたを認めるきわめて寛容な空間でもあった。そこには成熟した自由の空気があった。そしてそれこそは、戦後とテレビの合作による次世代への果実、テレビの可能性であったはずだ。

(P228)

 今こそ「笑っていいとも!」なんじゃないか?

 先日「ぽかぽか」(フジテレビ2023年〜 )を見ていたら、京本政樹がゲストだったのだが、なんと番組進行中、「いいとも!」って、対話の途中で突然叫んだのです。MCの澤部は驚いて制した。すると「思い出しちゃって」と京本。

 場所はアルタではないけれど、あのスタジオの雰囲気、懐かしかったのでしょうね。何かの機会にそうなる人、多いはず。

 

 さて、最後に。

横澤は「笑いとは本来知的なものである」という固い信念を抱いていた。

(P222)

 アメリカではお笑い芸人がショーのなかで時事ネタを繰り広げる。週末に、その週の出来事をネタにして喋る。社会や世相を反映するのもまた、昔からのお笑いのスタイルなんだろう、と思う。

 爆笑問題の太田は、「笑っていいとも!」でも、事件や政治、社会をネタにしていた。「グランドフィナーレ」のなかでも、「佐村河内も呼んだら」などと言っていた。ああ、あの事件、ちょうどこの頃だったのですね。

 その太田が、「タモリへの感謝のスピーチ」のなかで、タモリのことをアヴァンギャルド(前衛、革新、型にはまらない)な人だと言ってから、次のように話した(田中は、また荒れるぞ、と止めに入ったが)。

タモリさんは誰とでも、興味深く話すと言われているが、実は、興味がある人とない人、すぐ分かる。

安倍さんが来たときに、SPがアルタのお客を睨みつけてるんですよ。そのときにタモさんが安倍さんに言ったは、「SPの態度の悪さ」と、それから「バラエティを国はなめるな」と、この2つだったんですよね。僕はそれ見てて、すごく痛快でした。この人の番組に出れてほんとに良かったなと思って、これ以上迷惑をかけないようにしようと…

 おそらくの「興味ある人、ない人」というのは、主語が抜けていて「この番組に、バラエティに、興味のある人、ない人」ということだろう。

 SPが観客をものすごく疑って(SPだから当たり前なのだが)いるのも、タモリからすれば、失礼だなと感じたのだろうし、「バラエティをなめるな」は、すなわち「興味もないところへ力ずくで割り込んで来て好き勝手に広場を使うな」ってことなのではないでしょうか。

 太田が「痛快だった」と言うのも、おそらく、裏では権威を振りかざした国の人たちへの応対で大わらわだったり、見下されたりと、スタッフも出演者も気分を害していたのではないか、と想像できる。タモリがみんなの気持ちを、代弁し、守ってくれた。

 SPや政治家の態度には、知性はなかった。ただただ無礼だったのだろうな。

 土足で入り込んで来て、踏みにじっていくみたいな。ドタバタと入って来たあと、花々が踏み散らされている、そんな風景が見えるようだ。

 だからこそ太田は「痛快だった」と感想を述べているのだろう。

 この首相がやってきた日は2014年3月21日なのですね。グランドフィナーレの9日前。このスピーチの日時からすれば、ついこの間、のことだったのですね。

 

「笑っていいとも!」が終了せずに今でも続いていたら、コロナ禍ではどのように放送したかな、というのがちょっと気になっている。観てみたかった。

「笑っていいとも!」テレフォンショッキングに出演するツトム ©2024kinirobotti