スポーツ選手というのは、勝負師だ。
卓球の水谷隼が、あちこちのテレビで話しているのを見ていると、この人ほんとに勝負師なんだな、と感じることがしばしばある。しかもじゃんけんに強いという。相手が何を出すかだいたい予想できるというのだ。あるテレビ番組で実際にやってみると、その通りだった。もちろん100%ではないが、その揺るぎない自信、躊躇しない行動力、それがけっこう伝わってきて、勝負師の鋭さというのは尋常ではないのだなと思っていた。
日本チームがWBCで優勝したあと、栗山監督はあちらこちらのメディアに登場していた。そのインタビューのなかで印象的だったのは、
できるかなぁ、できないかなぁ、と思った瞬間にアウト。
という発言だった。
すなわち「できるかできないか」ではなく、「やるかやらないか」なのだ、と。
できるからやるんじゃなくて、やると決めたらやる
だそうだ。
「きっとできるだろうからやろう」ではなく「やると決めてやる」ということだ。
私たちはともすると、できると分かってから行動を起こす、起こそうとする。なぜなら、失敗したくないから。けれども、ある程度の可能性を見い出してからやったにもかかわらず、うまくいかないことは意外と多いのではないか。
加えて、やりたいと思っているのだがどうしても一歩踏み出せない、という人もいるだろう。こちらのほうが、前者よりも多いのかもしれない。
思い切って踏み出せない背景はさまざまある。誰かが言っていたが、そこまで切羽詰まっていない、今のままで生活に困ることがないから、という理由がもしかしたら、無自覚的にいちばん多いのかもしれない。だって「何かやる、行動を起こす」という決断は、言うほど簡単ではないのだ。例えば会社を辞めるなども、どれほど嫌な思いをしていたとしてもなかなかそこから外に出られないでいる人は多い。ゆえに、私の占いでもそのような相談は多くなる。
「やると決めてやる」の宣言の前には、もしかしたら「できるかできないか分からないけど」という文言が隠れているかもしれない。けれどもそれでは、栗山監督の助言とはいささかズレてしまう。
栗山監督が示してくれている決意のほうは、強い確信に満ちている。「できるかできないか分からない」というのは「できるかなぁ、できないかなぁ、」というつぶやきに近い。
一方で私は少し思うのである。「やったるぜ!」と思いっきりの決意を胸に行動を起こすとき、そこには「覚悟」がないか?すなわち「覚悟」とは、できなかったとき、思うような結果が出なかったとき、その結果を自分でしっかりと受けとめる心の準備ができている、ということだ。
何事も人生には100%ということはないのだから、どれほど確信や勇気を持っていたとしても、どれほどの確証(例えばコネクションなど)があったとしても、否定的な結果が出る可能性はゼロではない。
どうしてもそのことがやりたいという気持ちが何よりも強いのであれば、どちらに転ぼうともその結果をがっつりと受けとめる、その覚悟を持つことが大事だったりする。ただ大事なのではなく、実は、その覚悟こそが、行動を起こすときの大きなパワーと確信の土台となるのだと私は思っている。
「できるかなぁ、できないかなぁ」ではなく「できる、やりたい、やる」のだけれども、どのような結果も引き受ける、と覚悟を決める。それは「できなかったらどうしよう」という弱気とは違う。
希望を実現したいなら、やりたいことがやりたいなら、「覚悟」と「信念」とよく言うけれども、まさしくそれである。
「引き寄せの法則」的には、うまくいかなかったときのこと(覚悟)なんて想像していたらそちらのほうを引き寄せてしまうから、ネガティブな発想は排除しろ、ポジティブだけ考えろ、と言われているのを聞いたり読んだりしたことがあるかもしれない。が、いちばんいけないのは、「失敗したらどうしよう」なのである。失敗を怖がっていると確かにそちらを引き寄せてしまうかもしれない。
さて、もう一方で、これは神秘的な領域とつながる事柄となってしまうのだが、栗山監督からのメッセージのなかに、
いけると思った。なぜならストーリーが完結するから。
という語りがあった。
これは、WBC決勝戦9回表ピッチャー大谷、のシーンでのことだ。
先頭打者と次の打者を押さえれば、3番手はトラウトだった。その夢の対決でトラウトを抑えて優勝というのが、いくつものあるラストシーンのなかの最高のシーンだ。大谷もそう思っていたようだ。
ところが、大谷は先頭打者にフォアボールを与えてしまう。ということは、トラウトは最後のバッターにはならないかもしれない。ここからアウトを3つ取らなければならないからだ。その予想も大谷の頭を過ぎったそうだ。
ところがところが、次のバッターを併殺打に討ち取ることができた。ここで2アウトになった。何ということだ。次のバッター、トラウトを最後のバッターにすることができる。しかもこれほど緊迫したドラマチック対決があるだろうか。
栗山監督は「ここ」で、「いける」と思ったそうだ。つまり勝てるぞ、と。「なぜなら“物語が完結”するから」
ここで言うストーリー、物語とは、すなわち「大谷vsトラウト」という黄金対決のことだ。これは、トラウトと大谷がWBCに出場を宣言した時点から、世間では囁かれ、期待されていたドラマだったのだ。栗山監督が言うところの「ドラマの完結」である。
「ひとつの物語が終わる」ということは、「そこで結果を手に入れる」ということだ。もちろんトラウトのほうにも物語はある。ホームランを打つとか。けれどもそうなるとそこで試合は終わらない。スコアは3−2と日本がリードしているので、たとえトラウトがホームランで1点を返しても勝つためにはさらにもう1点入れる必要があるし、尚且、裏の日本チームの攻撃へと試合は、ある意味気が抜けたようにだらだらと進んでしまう。
9回表の時点では、大谷が投げ勝てばそこで試合はすぱっとドラマチックに美しく終わる。そしてここまで様々なシンクロニシティを経て語られてきた「ひとつの物語」が「Fin」となる。そんなシーンが映画のスクリーンに見えてくる。
栗山監督の瞳にも、そのスクリーンが見えたに違いない。だから「勝てる」という確信が一瞬にして降りてきたのだろう。
これは「希望実現」「成功哲学」などでよく言われることでもあるが、自分の願望を具体的に思い描いて、そしてその思いの先でカチッと音がするほどに結果を捕まえることができたなら、それは手に入れることができる、と。カチッと音がするとは「確信」のことだろう。そうそう簡単な作業ではないが、物語を繰り返しイメージしたり、自分のなかで語ったりすることは、大谷が言っていた「最高の形の最高の結果」を受け取るためには有効な手段なのだろうと思う。
その「物語の結末」が「そこ」にあったがゆえに、栗山監督は「いける!」と確信したのだ。この瞬間はエキサイティングな醍醐味だったに違いない。栗山監督は、トラウトを見ながら「三振しろ」って思っていたらしいけど。だから、大谷が歓喜して帽子とグローブを放り投げた瞬間を観ていなかった、と言っていた。
日本中の人々が栗山監督から様々なメッセージをこの度受け取ることができたと思うが、私は、占い師という職業柄、上記の2つに着目せずにはいられなかった。
「できるかな、できないかな、でははなく、やると決めたらやる」
「ストーリーを完結させる」
追記
「できるできない」について。
自分にできることをやることは、言うまでもない。
いくら「やる!」と、決めてやっても、自分にできないこと、すなわち得意でないことや合っていないこと、適していないことは、おそらくできない。
そこは「自分を知る」ということを前提に置くことが条件に加わるだろう。
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