ねことんぼプロムナード

タロット占い師のetc

映画「PLAN75」〜高齢者の命の選択〜倍賞千恵子の透明感

 これは、倍賞千恵子の柔らかいイメージとちがって、まったくもって恐ろしい映画だった。

 

「PLAN75」(2022年日本 フランス フィリピン カタール

監督 脚本/早川千絵

出演/倍賞千恵子 磯村勇斗

 

 この映画の宣伝だったと思うのだが、倍賞千恵子が歌をうたっている(「林檎の樹の下で」)のをテレビの情報番組で見かけた。とても綺麗な声で上手だった。80歳とは思えない澄んだ伸びのある歌声だった。高音も美しい。「つづきは映画で」と言っていた。そう、映画のなかでも歌っていた。ちょっと下手っぽく老人ぽく。下手に歌うのってたいへんなんだろうな、と思った。下手な人が上手に歌うのも大変そうだが…そもそも下手な人は上手に歌えない…か。

 

 深刻なテーマをコメディタッチで明るく描いているのかなと、想像していた。例えば「老後の資金がありません(2021年日本/主演 天海祐希)」みたいな。倍賞千恵子の映画宣伝の場での歌声があまりに綺麗で、瑞々しく透き通っていたからだ。たとえ深刻に描かれたとしても、最後かどこかにきっと救いがあるに違いない、と。

 先だって、丸四角メガネの学者が高齢者の集団自決について提案していた。加えて、彼の信奉者の少年が老人を消滅させる方法を学者に問い掛けるという、気味の悪い発信を目にしたばかりだった。ゆえに、そのような恐怖とは逆の映画(であってほしい)という願望が私の心のどこかにあったのかもしれない。

 しかし、その期待は見事に裏切られた。

 救いなんてなかった。救いらしきものがあるとすれば…それは2つ。

 倍賞千恵子が演じる78歳のミチが、PLAN75の施設で、最後の最後に「自らの意志で」ガスが流れてくるマスクを外してそこから逃げ出す(背景としては、手違いでガスが流れなかったということらしい)シーン。

 もうひとつは、PLAN75の職員であるヒロム(磯村勇斗)が叔父を助け出すシーン。残念ながら叔父はガスを吸って死亡したあとだったが、その遺体を運び出す。叔父は合同プランに申し込んでいたので、このままだと合同火葬で、きっと乱雑に葬られてしまう。それを避けたかったのだろう。叔父はヒロムの亡き父とは仲が悪かったようだが、それでも、ちゃんとひとりの人間として弔ってあげたかったのかな。

 死者への敬意をコロナ禍で奪われてしまう(入院中も会えない、死後も通常の儀式ができない)という経験をした私たちには、その辛さが身にしみている、あるいは想像できるのではないだろうか。

 コロナ禍で世界中の哲学者がさまざま意見を述べていたが、イタリアの哲学者ジョルジュ・アガンベンの論考は炎上した。権力が緊急事態を利用して行動の自由など人々の権利を侵害して民主主義をないがしろにしている、というような内容だった。そのなかで「死者の権利」という問題提起をしている。

 國分功一郎(日本の哲学者/東京大学大学院教授 2023年現在)が「目的への抵抗」のなかで次のように書いている。

人間は、単に生存しているのではなく生きているのだと言えるために必要な何かを失いつつあるのではないか。その何かの中でアガンベンが強調しているものの一つが死者に対する敬意です。先の引用文では、死者が葬儀の権利をもたないと指摘されています。これは、コロナ危機の中で死者が葬儀を経ることなく埋葬されていった事態を指しています。

(P39〜40)

 それはどうしようもなかったことではあるのだが、と國分はこのあとで書いている。私もそう思う。

 しかし一方で、私たちはそういったことに慣れきってしまってはいけない。人間はすぐに慣れてしまうだろう、とアガンベンは忠告しているのだろう。死者へ敬意の気持ちを持つ、示すということは、すなわち、人間が互いに尊重し合うという気持ちとつながっているに違いない。死者を無碍に扱うということは、人間同士で尊重し合う、敬意の気持ちを持つということがない、ということになるのではないか。

 ゆえに「PLAN75」は恐怖のプランなのであり、ディストピアなのだ。

 

 75歳以上の高齢者に認められた安楽死の権利「PLAN75」。それをいかにも素晴らしいことのように伝えるテレビのニュース。ものすごくお得なプランですよと明るく勧誘して説明する職員たち。ちょっと違和感を覚えている職員もいるようだが、仕事には淡々と取り組んでいる。

 ミチは、ホテルの客室清掃員として働いていた。が、高齢者を働かせるな、という客からのクレームによって、ホテルを解雇されてしまう。その後あれこれ仕事を探すが見つからず、生活保護を勧められるが断ってしまう。ミチは自分の力で生きていきたかったのかな。

 そんなとき仲良くしていた友人が死んでしまう。連絡が取れないので家を訪ねると、居間の椅子に座ったまま息絶えていた。

 追い詰められていくミチ。気がつくと「PLAN75」の会場の前に佇んでいた。

 手続きをして、自由に使える10万円を受け取って、それから施設に入る日まで毎日サポート係の人と電話で15分対話できるというシステムを楽しむ(楽しもうとする)。

 そして最後の日…と物語は描かれていく。

 

 う〜ん、これはどういった意図で制作された映画なのだろう。

 ホラーなのか。提案なのか。問題提起なのか。予言なのか。

 いずれにせよ、ここに描かれている社会がディストピアであることは間違いない。そして、丸四角メガネの学者なる人の発言を補完する内容になっている。まさにPLAN75の施設では、老人たちが集団自決しているわけなので。

 この学者は、映画「ミッドサマー(2019年アメリスウェーデン)」のカルト村のシステム(72歳になった老人は崖から転落自殺する)を例としてあげていたので、この映画も、自身の提案を後押しする例のひとつにできるだろう。

 映画にはさまざまな役目があるが、プロパガンダもそのひとつ。この映画もそちら側なのだろうか。元来その意図がなかったとしても、出来上がった結果として無自覚にそうなってしまったのかもしれない。加えて都市伝説的に言えば、意識的な国のプロパガンダである可能性は高いのかもしれない。

 

 2018年にフジテレビ系列で「結婚相手は抽選で」というドラマが放送された。これも少子高齢化がテーマ。こちらは若い世代をどうにかしようとするストーリー。

「抽選見合い結婚法」なる法律が制定され、独身の若者たちが振り回される。そのなかで、結婚や人生、人権について考えていく。人間の暗黒部分も表現されてシビアな内容ではあった。が、一方でこの法律に疑問を抱いた若者たちが、自分たちで考えて、社会に、政治に立ち向かっていくという前向きなドラマとなっていた。

 これは小説原作だけれども、やっぱりプロパガンダだったのかどうなのか…。最近は「結婚すれば、出産すれば、奨学金を減免する」という私案が自民党内で出されているようだ。本音は「抽選見合い結婚法」にもっていきたいところなのかもしれない、と勘ぐることは十分できそうだ。そのほうが幸せでしょう、などとどこかの知事が言い出しそうだ。そのほうが楽だし、と言う若者もいそうだ。

 そうなのだ。「PLAN75」も、それを望む高齢者だっているだろう。生きていてもしょうがいないと思ったら、そちらのお膳立てを選択してしまう。最後に10万円もらって、楽しんでから楽に死のう、と。

 

 でも「死」というものを哲学するとき、やはりこれはディストピアだ。

 そして、年齢に限らず「安楽死」は難しい問題だ。

 

「酸素マスクをつけて待っていてください。あとから薬が来るので。眠くなったら寝てしまっていいですよ」という施設の看護師のセリフが、妙にリアルで怖かった。

 まだ死なないと思わせられて、すなわち酸素マスクみたいなものをつけて安楽死の薬が届くを待っていると思わされている精神状態のなかで、いつの間にかガスが送られて死んでいくのかぁ。施設側からすれば、親切と優しさということになるのかもしれないが…私は、なんとも言えない不気味さを感じてしまった。

 

 まるで、店員が服を勧めるように、営業マンが保険を紹介するように、「PLAN75」すなわち「死」のプランをお勧めしている職員の様子をこの映画のなかに見い出すとき、そのシーンの異様さにぞっとしない人はいるのだろうか。

 この映画を観て「高齢者集団自決」発言の補完性を感じるよりも、「気味悪いよこれ」「おかしいよこれ」と感じる人が多いことを願いたい。

 だが、反戦映画にせよ、国威発揚映画にせよ、どう描けば作者の意図が伝わるのかなと考えないでもない。例えば喜劇なのか悲劇なのか…。いずれにしても、受け取る側、観衆ひとりひとりの感性に委ねられるのだろう、というのが今のところの私の感想だ。これはよろしくない方法だよね、と伝えたかったとしても、それを観たある人は、こういう方法もあるんだと学ぶことができるのだから。…たとえ次のようなラストシーンを観たとしても。

 施設を脱出したミチが、美しい夕陽、夕暮れの道を歩んで行くシーンに、一抹の希望と人間の力強さを垣間見ることができた。

 人間は、命ある限り生きるべきなのだ、と私は思った。

 

 何かのテレビ番組のなかで、ある医師が言っていた。医者の役目は死を与えることではなくて痛みを緩和してあげること、そして自然な死を迎えさせてあげることだ、と。この「痛み」には肉体的な痛みも精神的な痛みも両方含まれていると、私は思う。最後まで文化的な生活、日常を送れること。

 

余談①

 倍賞千恵子は、CMなどで見ても80歳を超えているとは思えないほど生き生きとして美しい。声も若々しい。服装も清楚でかわいらしい。

 映画のなかの倍賞千恵子は、その表情にしっかりとシワが刻まれた普通の老婆として映し出されている。それもまた美しかった。

余談②

 この記事をアップするためにリタッチしているとき、<2023年4月26日(現地時間)第25回ウディネ・ファーイースト映画祭ゴールデン・マルベリー賞(生涯功労賞)が倍賞千恵子に授与された>というニュースが入ってきた。会場では「PLAN75」「男はつらいよ」が上映されたということだ。

ツトムと老人 ©2023kinirobotti