ねことんぼプロムナード

タロット占い師の神秘と現実

ソーシャル二日酔い〜人は社会を以前と全く同じに戻したいのだろうね

「ソーシャル二日酔い」というワードと症状が、少し前(2022年4月上旬ごろ)にメディアでにわかに取り上げられていた。

 それほど多くのメディアに広がったり、大きくフォーカスされていたわけでもなかったようなので、ものすごく話題になったという印象でもなかった。

 が、私はたいへん気に掛かって注目した。

 

「ソーシャル二日酔い」とはすなわち何のことか。

 コロナ禍で、リモートワークが主流になったり外出を控えたりで、人との対面での触れ合いが2年以上に渡って減少していた。いよいよ生活が戻ってきたところで、人との対面のあと、気分が悪くなったり、体調不良になってしまったりということが起きている。その症状が二日酔いのようだということでこう呼ばれているようだ。

 

 医者に聞くまでもなく、こういうことはコロナ禍に限らず昔からあった。

「人酔いする」という言葉を聞いたことのある人は多いのではないだろうか。

 

 実は私は「人酔いする」タチである。ゆえに、人混みがひどく苦手だ。混雑しているところには行きたくない。満員電車は大嫌いだ。そもそも満員電車、あらゆる意味で人間の心身に良いはずがない。具合が悪くなって電車を途中で降りた、という話はよく聞く。みんな我慢しているのだ。我慢が良いことみたいに。

 

 COVID19パンデミックによって、新しい生活様式なるものが日本やその他の国々でも叫ばれたが、すでにそれも忘れられつつあるような雰囲気なのが残念でしかたがない。

 コロナ禍で感染拡大防止のために実践されてきた事々(止む終えないことも含めて)、例えば工場の稼働を止めたり、人が移動しなくなったりすることで、空気や河川がキレイになったという現象が起きた。

 平和な世界、地球を破壊しない世界のあり方を望むのであれば、あるいは心の平和のためには、コロナ後に戻ってほしくないこと、戻らないほうがいいことがあるはずだと、学者や作家などが盛んに言っていたと記憶している。ある種の警鐘であり、より良い社会づくりへの提唱でもあったのだろう。変革のチャンスでもあったのだ。

 

 私は人混みが苦手なので、満員電車には戻ってほしくなかったし(そもそもコロナ禍でも都会の満員電車ぶりは通常通りだったようだが)、劇場や映画館、レストランなども満席ではなく、ゆとりのある座席数が理想だった。

 兎にも角にも、現代の行き過ぎた資本主義社会にはあらゆる場所でゆとりがない。「ゆとり教育の失敗」などと決めつけて「ゆとり」は忌避される言葉となってしまっているようなのが残念でならない。「ゆとり世代」を「さとり世代(良い意味で)」と呼ぶ人がいるように、実は「あれ」はなかなか良かったのである。それはまた別のテーマとなるので、ここでは深く語らないが、いろいろな意味で「ゆとり」は大事だ。

 

 しかし、人が戻ってこなければ、そこで働く人々の生活が立ち行かなくなるだろうから、私の理想は無謀なのかもしれない。

 新しい生活様式というのは、すなわち、それでも(混雑しなくても)人々がちゃんと生きていくことができる生活、社会をつくっていくということなのではなかったのか。

 加えて日本では新しい資本主義とか言っているが、どうやら所得を投資して資産を増やす、ということだったらしい。???である。はじめは所得倍増みたいなことを言っていたと記憶しているが(私の錯覚?)、資産倍増計画だったらしい。岸田首相はソフトだけれど、言葉と思考と実践がぶれすぎている。それが作戦なのか?それとも言葉の概念が庶民と違うのか。誰かから入れ知恵されて変わるのか。アメリカから要求されているのは確かなのだろうが、それもそろそろやめてほしい。

 話を戻す。でもきっと、本気で(私や一部の学者や作家が思い描くところの)新しい生活様式を考えると、資本主義というものを考え直さなければならず、競争社会、金儲け主義、消費社会といった産業革命以降の地球のあり方を変化させていかなければならないということになる。それを望まない支配層、富裕層が当然のごとくいる。

 資本主義から脱却していくということは、気候危機を回避して地球と人類を守っていくことにもつながるはずだ。それは、コロナパンデミックのなかでのロックダウン中に起きた自然環境の変化が証明してくれている。

 

 自然環境もそうだが、人間の精神衛生にも良いはずだ。人は資本主義競争社会のなかで、どれほど心身をすり減らしていることか。それに慣れきっている人類ではあるようだが、本来は人間というのは混雑や競争や息苦しさに耐えるために生きているのではない。その証拠のひとつとして、心を病む人たちが年々増えている。確かに100年前、それ以上前の時代よりも、貴族だけではなく庶民も豊かに便利に暮らすことができていて、人類は科学や文明の恩恵を受けているのかもしれない。が、何かがおかしいと感じている人も多いのではないか。だって実際、生きづらい。ピュアで真面目な人ほどそうだ。

 それらは、政治の問題でもあるのだが、政治家や官僚にとっては、資本主義社会、中央集権的国家のほうが市民をコントロールするのが容易い。

 

 話は飛ぶが、私は「人酔いする」と上に書いた。

 私の仕事は占い師なのだが、この仕事をはじめたばかりのころ、何が心配だったかといって「人酔い」であった。多くの人たちと会って、悩みを聞いて、話す。具合悪くなったらどうしよう、と用心深くしていたのを覚えている。そうでなくても、私は疲れやすいタチなので、心身ともに気掛かりではあった。

 スピリチュアル的に言えば、様々な人の念がたまるのは確実なわけなので、魔除け的なものを密かに置いていたりもした。

 ところが、心配していたような現象はまったく起きなかった。トイレに立つ間もないほど途切れなく相談者さんがやってくるような日でも(さすがにちょっとくたびれることはあったが)、人酔い的な疲労や苦痛を感じることはなかった。

 たぶんこの仕事が私に合っているのだろう。人酔いに限らず、朝の満員電車がネガティブなのは、自分に合っていない仕事を生活費のためにしている人々が大半だからだ。私もそうだった。もちろん、会社内での良くない人間関係の影響もあるだろうが。

 

 新しい生活様式は、ソーシャルディスタンスやマスク、手洗い、消毒という習慣のことだけではない、と私は思っていた。

 なぜか人はいつも、単純に元に戻ろうとして、せっかくのチャンスを無に帰する。原子力発電がそうだった。変わったほうがいい要素をいくつも抱え持っている原発事業なのに。

 日本人はそのような傾向が特に強いかもしれない。そうかと思うと平気で景観や自然、歴史的建造物を破壊したりする。ヨーロッパよりアジアにこの傾向は強い。

 向かう方向が拝金主義なのだろう。けれどもそれももう世界のなかでは凋落しつつある国になっているので、最後のあがきはなかなか醜悪なことになるかもしれない。

 

 まずはソーシャル二日酔いを経験しなくてよい本当の意味での新しい社会、をつくることを考えることが先決かもしれない。

 

 天国というところは人(魂)と人(魂)の距離がとても離れているのだそうだ。混雑しているのは地獄である。スピリチュアルに興味のない人でも、なんとなくこの感覚は想像できるのではないだろうか。

 人は誰かにそばにいてほしいときもあるが、基本的には自身の落ち着く空間が守られて、他との距離がしっかりと保たれていることが健全な個々の存在のあり方なのだと思う。

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