ねことんぼプロムナード

タロット占い師の神秘と現実

2022年冬ドラマについて「となりのチカラ」「恋せぬふたり」他〜そうなのかぁイライラするのかぁ

「となりのチカラ」

テレビ朝日 2022年1月〜3月

脚本/遊川和彦 主演/松本潤

 

 ここのところ記事を更新しておらず、「となりのチカラ」の記事が連続投稿となってしまったのが不甲斐ないのだが、いささか体調を崩しておりました、というのを言い訳のひとつにさせていただきます。

 

 すでに春ドラマが始まっているなかで、冬ドラマについて書きたくなったのは「となりのチカラ」についての酷評や、検索ワードのネガティブさ加減に驚きを禁じ得なかったからだ。

 とあるサイトの芸能記者(署名なし)によると「チカラはなさけなく、視聴者はイライラしっぱなし」「イライラの度が過ぎたのか、視聴率はみるみる低下。松本が爆死俳優と責められることに」だそうだ。

 確かに視聴率は、初回の11.5%(最高)から最終話の9.5%まで下がっている。最低視聴率は6話の7.9%。平均視聴率をみると「DCU」14.5%、「ミステリと言う勿れ」11.8%、「となりのチカラ」9.3%という順だ。(ネットサイト「ciatr」より)

 爆死というほどのものでもない。いや、業界的にはそう表現する数値なのだろうか。

 

 私は視聴率について語ろうとしているわけではない。

 先の記事でも書いたが、ドラマの質と視聴率は必ずしも比例しない。

 

 確かに主人公チカラにいらついていた視聴者は多いようだ。そういうキャラクター設定なので致し方ないとは思いつつも、視聴しながらイライラしてついには演者である松本にまでイラつくほどだったのかどうかというと、私としては首を傾げる。

 脚本演出の遊川自身が「情けなくてカッコ悪い役」と話していたということなので、確かにそのとおりの人物像なのだろう。一方で遊川は「自信ある会心の作」という話もしており、ドラマを観終わって私は深く頷く。いや、初回からすでに頷いていた。

 

 中越チカラは、作家とはいえゴーストライターで、妻の収入に頼っていて、人助けをしたい思いはいっぱいなのだが常に迷いながら行動する。

 本当は小説を書きたいチカラが仕事にしているゴーストライターというのは、世間的には情けないのかもしれないが、それはチカラが人の話を聞いてその内面まで汲み取って書く能力があるがゆえに出版社からも依頼者からも頼られている、という理屈が良くも悪くも成り立っている。

 妻に生活費を頼らざるを得ないのも世間的には情けないのかもしれないが、特に21世紀では、主夫という存在に違和感を覚える人も減っているように思うし、生き方はそれこそ多様でいいのであり、夢を応援する妻なのかもしれないし、そこを取り上げての低評価は時代遅れだろう。

 とはいえ、そういった「情けなさ」「カッコ悪さ」がなくなってしまうと、コメディドラマははじまらない。このドラマは、内容としては現代社会を深くえぐっている社会派なのだが、一方で実はコメディなのである。コメディドラマのなかで、実社会の不条理や問題点を描き出す手法はよくある(特に欧米で)。ウクライナのゼレンスキー大統領が大統領選挙直前(大統領になってしまったので途中で終わっているらしい)まで主演していた「国民の僕(しもべ)」もそうだ。そしてゼレンスキーは、現在(2022年4月時点)このドラマを地で行っている。

 

 役柄と俳優がぴったりと結びついてしまって、その役がさまざまな意味でネガティブなとき、俳優はそのイメージに大きく影響を受けてしまうことはある。私自身もそれをもって「役に恵まれない」と言ってしまうことはあるし、その延長で俳優へのイメージも変化してしまうことは頻繁ではないが、ある。

 けれどもそれは、その俳優がうまく演じたという証拠でもある。その前提として演技が下手クソでないという条件は欠かせないが。

 加えてそれは、その役が善人であるか悪人であるかは関係ないはずなのだが、往々にして悪役の場合のほうがよりネガティブな反応を受けやすい。アイドルの場合はとくに、どれほど意義のある役で本人がやりたいと主張したとしても、悪役を演じることはいわゆる事務所的にNG、ということになることは多いのだろうと推測する。

「おちょよやん」(2020年後期NHK朝ドラ)で天海一平を演じた成田凌は「今日本でいちばん嫌われている男になっている」というようなことを言っていた。できればこのあとNHKでものすごく爽やかな役をやらせてほしい、とも。

 

 松本が演じたチカラは悪役ではない。むしろいい人すぎるほどの善人だ。ただ「嵐の松本潤」が演じるには「カッコ悪すぎ」ということなのだろうか。「99.9」でも、おかしなダジャレを言う奇妙な弁護士で、ものすごくスマートな役ではなかったように思うが、それでも職業は弁護士、さらに真実を追求していくという正義感あふれるキャラクターは、カッコいいのかもしれない。率直に言えば私は巷間とは逆で、チカラよりも深山弁護士のほうが馴染まない。

 前の記事でもすでに書いたが、松本は「となりのチカラ」でいよいよ良い役(はまり役)をもらったのではないか、と感激しているほどだ。

 

 チカラは全くカッコ悪くない。人を助けたいという善意にあふれた人だ。

 なぜカッコ悪く見えるのかというと、人助けを、いわゆるヒーローのように「チカラ参上!」みたいにできないだけ。助けなきゃ!と直感しても、どうしようか、どうしたらいいのかな、迷惑じゃないかな、と戸惑っておろおろしてしまう。でもそれって、私たちが日頃取っている態度と同じではないだろうか。最近はそういった遠慮的躊躇感覚のせいなのか(ときに無関心)、日本では他人に手を差し伸べる人がたぶん本当に少ない。でも、ぐずぐずしながらもチカラは必ず手を差し伸べる。

 もうひとつチカラがカッコ悪く見える理由は、ここ2〜30年の間に根付いてしまった「早急に答え(正解)だけを求める(知りたがる)」「短い言葉で断言する声の大きい人をもてはやす」風潮といった社会背景があるのかもしれない。ゆっくり考えながら話をする人を遮ったり馬鹿にしたりする傾向がある。これは、人間にも社会にもよくない傾向だと私は感じている。

 このような価値観を内面化させられながら現代社会を必死で生きている私たちからすれば、チカラという人間はなんとも不甲斐ないキャラクターとして認定されてしまうのかもしれない。

 といはいえ、ドラマをしっかりと視聴すればわかることだが、チカラは「人助け」ができているのである。もちろんドラマ、フィクションなので、そんな簡単にいく?そんなことありえる?都合良すぎない?という展開や演出はある。

 

 もうひとつ、別の側面から考察したときに浮かび上がってくるのは「嵐の松本潤」というアイドル像。

 芸能記者の記事を読み、このドラマへの巷間の反応を知ったあとで、遊川のコメント「情けなくてカッコ悪い役を演じてもらいたい」は、事前のエクスキューズなのではないか、と私は推察した。

 コアなファン心理というのはなかなか微妙で複雑で手強い。アイドル本人ではなく例えば脚本や楽曲、番組への批評、批判であっても、アイドル本人へ批評、批判と受け取る人は多いようだ。ゆえに、その辺りを配慮しての発言だったのかな、と極めて身勝手に思うに至った次第。

 ただ少し腑に落ちないことがある。どんな役柄でも、どんな脚本でも、どんな演技でも、いちおしアイドルについては褒める、擁護する(脚本家や演出家、撮影背景なども含めて)というほうがよく見かける、あるいは自然な反応であるように思っていたのだが、それは一昔前の感覚なのだろうか。

 

 コアなファン層はいちおしのアイドルのどんな姿を見たいのか、というのが最大の問題事項なのだろう。ここで言えば、どんな松本潤を見たいのか、という願望。

 

彼らは私たちの想像や妄想でかたどられた、負荷の大きな仕事を担っているのです。

(2020年10月3日 毎日新聞人生相談)

テルマエ・ロマエ」で有名な、漫画家で随筆家のヤマザキマリが、以前このように書いていた。

 これは、ある俳優が自死したとき、なにもやる気が起きなくなってしまったという相談者への回答の一節。文面からすると、相談者はその俳優が負っていたと思われる苦悩を想像して深く同調し、しかも自分も彼を忘れたくないし、世間の人たちにも忘れてほしくない、という心情を持っているようだ。

 上記一文だけ切り取るといささか冷たい回答に見えるかもしれないが、ヤマザキは相談者の思いに寄り添って丁寧な助言をしている。

「となりのチカラ」と松本潤について思いを巡らせているときにこの一文がふと蘇ってシンクロしてきたので、あえて切り取って言及した。

 たぶんそうなのだ。「想像や妄想でかたどられ」ているのだ。その想像や妄想も人それぞれかもしれないが、どちらかといえば「カッコ良い」ほうの想像であり妄想なのだろうと思う。

 

 芸能記者の記事には、その他に「DCU」の横浜流星、「ムチャブリ!わたしが社長になるなんて」の高畑充希についても、大失敗の作品に出演したと評している。

 これには私も賛同する。さらに私はもう1作品あげることができる。「ゴシップ」の黒木華

 私はとくに、高畑と黒木のファンなので、その駄作ぶりに唖然としていた。横浜流星も、その魅力が削がれていた観は否めない。それでも最後まで観たが。申し訳ないけれど、このような脚本を新人賞に応募したら予選すら通らないのでは、と思うほど。それが企画会議で通っているわけだから、なんとも不可思議なドラマの世界である。加えて「相棒」などもそうだが、最近のテレビドラマの演出になんだか奇妙なものがある。

 テレビ局は、人気俳優やアイドルだけで視聴率を狙っているのかもしれないが、そういう時代は終わりにしてほしい、終わりつつある、いや、終わらせるべきではないかと感じる。さもなければ、日本のドラマの質はどんどん劣化していってしまう。

 確かにドラマは観てもらわないことには何もはじまらない。ドラマで何かを表現し、主張して訴えかけたり、考えてもらったりすることも、より多くの視聴者がいればいるほど影響力は大きくなる。それが社会を変えるきっかけになることだってある。人気俳優やアイドルを起用することもひとつの手段として否定はできない。

 

 前の記事でも「となりのチカラ」の影に隠して、ある脚本家の今期のドラマについて私は酷評した。今回も似た感じになって「となりのチカラ」に申し訳ない。

 

 繰り返すが、「となりのチカラ」で松本潤は良い役をもらった、と私は高く評価している。

 他の出演者たちもおおむね、すばらしくそれぞれのキャラクターを演じきっていた。

 

 ちなみに、

「ムチャブリ」で失敗したという高畑充希について芸能記者は、「過保護のカホコ(2017年日テレ)」「同期のサクラ(2019年日テレ)」でクセのあるキャラを見事に演じ、高い視聴率と演技に対する賞賛を受けてきたが、今回の失敗はそんな輝かしい経歴に傷をつける結果になったと評し、脚本との巡り合わせも運命、次回は良い作品に当たるように、と願っている。

 この論からいくと、すなわち「となりのチカラ」は脚本が悪かった、俳優さんには不運なことでしたね、ということになるのかな。

 それは決してない、というのが私の感想だ。

過保護のカホコ」「同期のサクラ」ともに脚本は遊川和彦である。確かに「となりのチカラ」よりも視聴率は高いようだが。

 

付記

「恋せぬふたり」

NHK総合 2022年1月〜3月

脚本/吉田恵里香 主演/岸井ゆきの 高橋一生

 大変良質のドラマだった。第40回向田邦子賞を受賞をしている。

「アロマンティック・アセクシュアル」について描かれていた。人には人それぞれの人生、生き方がある、ということがしみじみと伝わってくる作品だった。岸井ゆきのは、この手の役をやらせると右に出るものはいない(ちょっと言い過ぎ)。

 こういった落ち着いたドラマは、民放だと難しいのだろうか。昔は「すいか」日本テレビ2003年/脚本 木皿泉/ 主演 小林聡美)とかあったけどなぁ。

 ちなみに、2022年春ドラマ「パンドラの果実〜科学犯罪捜査ファイル〜(日本テレビ)」では、岸井ゆきのは科学者役で出演する。ドラマではディーン・フジオカが演じる警察官僚が主役だが、原作小説では、岸井が演じる科学者が主人公のようだ。なにせ題名が「SCIS 科学犯罪捜査班 天才科学者・最上友紀子の挑戦」なので。そちらのヴァージョンのほうが観てみたい。なにはともあれ、楽しみだ。

 

 2022年の冬ドラマでは、「となりのチカラ」と「恋せぬふたり」が群を抜いていた。

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