清水眞砂子のエッセイを読んでいると、20年前のエッセイなのに、まるで今のことかと錯覚する。
日常を散策するⅠ「本の虫ではないのだけれど」
日常を散策するⅡ「不器用な日々」
日常を散策するⅢ「あいまいさを引きうけて」
そして、繰り返し同じ話題に触れていることと、先日観たNHKの番組「こころの時代〜宗教・人生/己の影を抱きしめて」でのインタビューでも同じことを喋っていた(この番組は2020年3月に放送されたものの再放送)ことから、何十年もの歳月、清水の思想は一貫しているのだな、と感慨深い。
決して体制側というか多数側にいる人ではない。
戦中戦後から、平和、平等という視点を持ち続けている。学校という現場での理不尽とも戦いながら、しかし、助けられなかった教え子がいたことを今も悔やんでいる。
そして、自分の心のなかにもまた、影、闇の部分があると言う。人間なら誰でもそうだ。
ゆえに「ゲド戦記」では、ゲドが自分の影を抱きしめるシーンに激しく感動し、救われた、と。
エッセイでもインタビューでも清水が持ち出すエピソードがある。「戦争を体験した人たちがうらやましい」と学生たちが話すのを聞いてびっくりした。戦争体験を語る人たちが生き生きとしている、というのだ。そして、自分たちにはそのようなものがない、と。
この清水の教え子たちは、おそらく私と世代的に近いと思い、ふと自分を振り返った。戦争を体験した人たちをうらやましいなんて思ったことあったかなぁ、そんなこと言っている人いたかなぁ、と。私は思い当たらなかった。ただ、やはり、自分たちの世代は損だ、というようなことは言われていた。すなわち、もうすでに多くのものが出尽くしていて、何をしても画期的ではない、昔は何もなかったからちょっと何かすればそれが成功した、と。確かに生き生きワクワクできなかったのかもしれない。
少し話はずれるが、ある日の私の占いに自衛隊員の男性がいらした。彼は上へ上へと都度目標を定めて目指してきた。頭脳も体力もある、おそらく優秀な隊員だ。次は何をしようかと考えている、ということだった。そしてこう言った。最後は戦争に行くしかないのだ、と。それが階段を登ってきた最後の到達点なのだ。
さらに話はずれるかもしれないが、人は他にやることがなくなると、あるいは暇だと戦争を思いつくらしい。戦争は最大のイベントだから。楽しくないはずのイベントなのに、そのプロパガンダにときに人間は熱狂してしまう。それこそ、清水の学生たちではないが、熱狂できることがあるのはうらやましい。
また清水は、短大在職中「子ども時代の一番幸せな思い出は?」という課題を学生たちに与えたところ、ほぼ100%イベントと消費、すなわち、どこどこへ連れて行ってもらった、なになにを買ってもらった、という回答だったというそのことを嘆いている。しかし、これは別の先生に相談すると、それは質問の仕方が悪い「イベントと消費を除いて」という条件をつけなければだめだ、と言われて助言に従うと、心で感じた思い出が学生たちのなかからたくさん出てきたそうだ。
このエピソードから私は、是枝裕和監督の映画「ワンダフルライフ」を思い出した。死後に死後の世界へ旅立つまでの1週間を過ごす役所で「あなたの一番大切な思い出を1つだけ選んでください」と問われて……という物語だ。この映画でも高校生の女の子がやはり清水の教え子たちのようだった。が、役所の担当者と語り合ううちに、清水の教え子たちのように変質し、ある日ひだまりのなかで風に吹かれながら母親と居たときのことを幸福だったと思い出す。
思い出に関しては、私自身、これから時間をかけて考えていきたいと思っているところだ。
「楽しさ」と「愉しさ」の違いだろうか。
さて、夫婦別姓についてのエッセイが出てきて驚いた。え?ついこの間、そんな論議が国会であったような……。
今、開かれている国会には「選択的夫婦別姓制」を含む民法改正案が提出される予定だったが、住専処理のごたごたか、それも強硬な反対が出てきたせいで、どうやら先送りになりそうだという。(略)
私自身も夫婦別姓が選択できるようになるのには賛成で、さらに将来は全く別の姓をつくることがあったって、悪くないと思っている。
(「不器用な日々」P105「いくつもの本当の名前」)
これはなんと1996年7月に書かれたものだ。たぶん強硬な反対で、25年もそのままだ。
清水自身のパスポートは、清水と菅沼(夫姓)の併記になっているそうだが、それも役所で手続きするときに面倒なことがあるらしい。
以下は2001年3月の日付。20年前だ(2021年現在)。
新宿駅西口を出て高層ビル街に向かう通路に沿って、竹を斜めに切ったような形をした高さ1メートル弱の石の柱が立ち並んでいる。これでは腰をおろそうにもおろせず、荷物を置こうにも置けないな、(略)次の瞬間はたと気がついた。石の柱はそうはさせないようにデザインされているのだ。(略)あれでは痛くて休めまい。この何本もの石柱はただただホームレスの人たちを追い払うためにデザインされたものなのだ。
意地悪め!私は声には出さず、ののしった。
(同上P169「人間の悪意、そして記憶するということ」)
私もここ数年、公園などのベンチの真ん中にアームが取り付けられて人が横になれないようにされている、困窮者を排除しようとしている、と訴えかける記事を目にしていたのだが、最近のことではなくもうそんな前からなんだな、と思った。そしてその意地悪は増している。
「教職員倫理110番―教職員の不正行為等を見かけたら、ご連絡ください(政令指定都市となった静岡氏の教職員は除く)」
「県職員不正行為110番―県職員の不正行為等を見かけたら、ご連絡ください」
(略)
これは監視、密告のすすめではないか。何かあったら、いつでも言いつけてきてください、といっている。ただちに110番してくるよう、呼びかけているのである。
(同上P176「のびやかな仕事をこそ」)
清水は背筋が寒くなった、と言う。このあと「権力監視は怠ってはならない」と述べたうえで「すでに人びとは十分すぎるほど萎縮し、遠慮して生きている」と語る。
さらにこう書く。
むら社会の土壌に、いま、人びとの嫉妬や憎しみ、恨みを利用して、現代風の装いをこらした相互監視システムが深く植え付けられようとしている。
つまるところ、監視の方向がまるで逆なのである。監視される側に知事も県議会議員も入っていない。最も監視されるべき人間が監視の外にいて、むしろ弱い立場の人びとに向かって、互いに監視せよという。
(略)
私はこういう監視システムの中で、人びとが萎縮するのを恐れる。萎縮しつつ、一方で傲慢になるのを恐れる。110番は人びとを救うより、いい気にさせる方向に作用するだろうからである。そうなれば私たちはいやしくなっていくほかはあるまい。
(略)
怒りの矛先をまちがえたらどういうことになるか、歴史はすでに証明してくれているのだから。
(同上P178〜179)
内田樹が先ごろ言っていたが、現政権は国民を監視することにお金をかけなくてすむ。なぜなら、国民が自発的に監視役になってくれるから、と。
それは権力者たちに上手に誘導されているのかもしれないし、図らずも権力者たちの無能さが功を奏しているのかもしれず、またムラ社会的要素が市民のひとつの気質となって権力者に便利な状況を生み出しているのかもしれないし、一番大きいのはやはり、人びとの嫉妬や恨み辛みを引き出してしまう社会の仕組みなのだろう。
すでにCOVID19禍で、〇〇警察なるものが登場し、メディアも楽しそうに(といってはなんだが、その本質をしっかり論評報道しないので)伝えている。
戦争中で言えば隣組とか婦人会なのだろう。NHK朝ドラ「おちょやん」でも憲兵を連れてくる婦人会の怖い人出てきたなぁ。
密告する人には2種類あるように思う。真面目すぎる人。この人たちは自分が我慢しているから全員に同じようにさせようとする。もうひとつは権威主義の人。この人たちは権力を恐れているので積極的に権力者側につくことで自分を守ろうとするのだろう。
逆に倫理的な人物は、そっと耳打ちして危ないことを教えてくれたり、助けてくれたりする。
次に「“手づくりなんてクソくらえ”っていってみない?」という見出しが目を引いた。もしかしてこれって……。
「世の中にはいい母親になろうと努力するあまり、いい母親でいる時間が持てないでいる人が多いのではないかしら」こう言ったのは私たち夫婦の友人でメルボルン郊外に住むアンジェラです。(略)
「手づくりのススメ」というテーマをいただいたとき、真っ先にうかんだのはこのアンジェラのことばでした。「手づくり」ということばには人を金縛りにする強力な力があります。「手づくり」をいけないことだという人はどこにもいないでしょう。「手づくり」はいいことだとみんな思っている。(略)
「手づくり」のものをいただけば悪い気はしません。けれど、それが義務となってその人を縛ったり、信仰となってその人を縛ったりしたら、私はいやです。(略)
手づくりしかできなかったときに、その労働の過酷さに泣いたのはどんな人たちだったのか。機械化され、大量生産が可能になって、どれだけおおくの人々が今の私たちからは想像もつかない重労働から解放されたか。
(略)
(「不器用な日々」P180〜181)
このエッセイが1994年。
2020年7月には、次のようなツィートが拡散した。
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。
私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。(みつばちさん)
ワイドショーから報道番組まで、ちょっとした「ポテサラ論争」さらには「手づくり論争」にまで発展した。
私も子育て中、「手づくり」じゃなきゃいけないのだろうか、食事でも持ち物でも、手づくりじゃないものを与えられて育った子どもは健全に育たないのだろうか、そんなことを思わされるような事が度々あった。当時は「母乳かミルクか」も、同じように言われていた。
私はどちらでもいいと思っている。つくりたい人はつくればいいし、つくりたい時につくればいい。清水が書いているように「重労働からの解放」は人類にとって大きいと思う。ポテサラが重労働かと言われればそうではないかもしれないが、手間暇のかかる面倒な作業ではある。もちろん、料理好きの人や得意な人にはなんてことないのかもしれない。なので「それぞれでいいのではないか」と思うわけだ。
さらに清水にならって言及すれば「信仰となって」いる場合が本当にある。知り合いには実際そういった団体に所属している人もいた。母乳、布オムツ、手づくり離乳食。幼稚園でも小学校でも持ち物の「手づくり」を奨励しているところもある。幸いうちの息子たちの幼稚園はそういった「縛り」的なものが全くなかったので助かった(良い幼稚園だと聞いていたので選びました)。
乳児幼児の時代はほんの数年だが、親にとってはどうしたらいいのか分からない時でもある。ゆえに様々な言動に右往左往したり、何かを信じ切って、そして不自由になっていったりもする。難しいところではある。
離乳食だって、今は栄養価の高い安全なものがメーカーから出ている。どれほど疲れ切っている母親を助けれくれることか。例の男性は「離乳食くらい作ったらどうだ」って言うんだろうな。ついでに「オムツくらい縫ったらどうだ」もあるかも。
何をどう食べるか使うかは、自分の生活と心身の具合に合わせて様々選択してけばいいのであって、よほど危険なものでない限り、誰かによって指摘されたり、束縛されたりするものではない。
むしろ「手づくり」信仰は危険だ。
そういえば、息子たちが低学年のころは、手づくりハンバーグとかケーキとかグラタンとか、つくってたなぁ。私の場合は、年齢とともにもう無理です。面倒です。そもそも私は料理が苦手。お弁当はほぼほぼ冷凍食品を使用しました。
例の男性は、何か人生に不満があるのだろうと推測する。子ども連れや子どもに突っかかってくる人は、不幸な幼児体験をお持ちなのかもしれない。今まさに幸せではないのだろう。それはそれで、社会的な問題もはらんでいそうだ。