新型コロナウイルス流行への総理大臣からの要請によって行動が制限されているので、市民は必然的に収入がなくなり、仕事もなくなる。経営者は給料が払えないので従業員を解雇する。会社は倒産する。
消費が冷え込んでしまうので、消費税を0にするという案が浮上している。しかしそれは手続きが面倒だということで、ポイント還元をするなどしたほうがお金が回る、と言っている税理士や元官僚のタレント弁護士などがいるが、彼らは「生活」ということは考えにも及ばないのかな、と思った。現金給付案についても、市民に現金給付してもそれは使われずに貯蓄に回されてしまうと言って反対する。
いやいや、今はそんな悠長なこと言っている場合ではない。この人たちの言っている「お金を回す」は、買い物や遊興のことだと思うのだが、公共料金なるものが支払えないレベルに来ている人も多い。ガス、水道、電気、社会保険、そして家賃が払えないという人たち(家庭でも会社でも店舗でも)がでてくる、という現実には想像が及んでいない。当面の生活と命がかかっているという人たちが少なからずいる。いわゆるベーシックがない。貯蓄や買い物どころの騒ぎではない。
ローン(家、学費など)や社会保険税は猶予してもらえる仕組みがあるが、通常だと手続きには手間暇がかかる。
公共料金と税金の減免(とりあえず無料)こそ、非常事態の先見条項だと私は思う。私権制限よりも。ベーシックインカムができないのなら、そちらを検討すべきだ。
現に自己破産を視野に入れている市民や経営者もいるということだし、生活保護についての相談を受け付ける弁護士らの活動も始まっているようだ。
すでに他国では当面の間、公共料金を無料にしたというニュースも聞いた。
日本は大企業を助けることしか考えていない。というかそもそも、日本の政治はそういうやり方なのだそうだ(私も最近知った)。その考え方を変えるえるのはなかなか難しいのかもしれない。
中小企業などには無利子無担保の貸付を行うというが、返さなければならないお金を借りる余裕はない。
そう考えると倒産したほうが楽、ということだって年齢や人生の諸事情によってはあると思う。たいていの人は金儲けや競争をしたいわけではない。穏やかに人生を送りたいだけだ。とはいえ、生活保護だって申請して通るまでどれほどの困難や屈辱があることか。
ベーシックインカムを実行すれば、当面は助かるという庶民は多いと思う。公共料金無料や家賃免除なども、それが数カ月続けば、ガス会社も電気会社も貸主も収入がなくなる(結局は国が補填することになるだろうが)。そのうえ税金が払えなくなれば、政治家、官僚をはじめとする安泰公務員だって収入がなくなる。
誰もお金を得ることができず回すこともできなくなる。
こうした大きな出来事を境に、人類の社会、生活様式は変化してきたという歴史がある。ヨーロッパでは、中世のペスト流行のあと封建社会が衰退した、と言われている。
庶民の欲望を駆り立てることで成り立ってきた現代、消費社会、資本主義、競争主義、効率主義、即物、定量、格付け主義なシステムを見直して、ユマニスム、人文的クオリアな世界観へと視点を変えるチャンスなのかもしれない。
そういえば、21世紀22世紀に株式というものが残っているかどうか……と言っている人が昭和時代の末にいたなぁ。
「お金のない世界」とは、このような経緯を通じて次第に金銭価値やそれに基づく優越を争うことのバカバカしさに人類が目覚めて、実現していくことになるのかもしれない。
「スター・トレック」の世界にはお金がない。時代背景は23世紀(22〜24)だ。
まだまだ遠い未来の話かもしれないが、ある日突然シフトアップしないとは誰も言えない。
変化に突然はつきものだ。
それには多くの人類の心が、そちらの傾向に靡かなければ、望まなければ実現しない。
その観点で言うと日本は、世界で一番それが起こり難い国かもしれない。9年前の原発事故や今回のコロナウイルスへの政治発言と対処方法を見ていて、残念ながらそれがよく分かった。
に次のようにある。
お金がないなら、お金がなくても気分よく暮らせるシステムを作ればいい。(略)ほとんどの問題は金さえあれば解決するという信憑にいつまでもしがみついているのはあまりに芸がないですよ。
(略)
生きるために本当に必要なものは、本来無償で手に入る仕組みでなければならないはずなんです。必要最低限の衣食住も、防災も防犯も公衆衛生も教育も医療も育児も介護も、そういう行政サービス。(略)人が生きてゆく上で必要不可欠なものは、「金を出せば手に入るが、金がない人間には与えられない」ということであってはならないんです。
(P268)
繰り返すが緊急事態宣言は、私権を奪うという権力者が強権を振り回して優越的満足を得るためにあるのではない。みなさん安心してくださいという、現金給付だったり、食料物品の充足を担保する発信をするためにあるのだ。
日本の緊急事態宣言は私権を奪うとか言論統制のほうにばかり意識が向いている。現に、民放の放送内容を制限するという話も与党からあった。情報統制して何がしたいのだろう。
例えば外出を禁止するのは市民が危険だからであって、為政者たちが国民を操るためではない。
何と言いますか、日本の場合、大いなる勘違いをしているようだ。独裁権力を振り回すことだと思っている。いや、そうなる可能性を含んでいるので、市民には抵抗権なるものが与えられているのが欧米なのだろう。
ジャーナリストたちも、言論統制を心配した質問をするのではなく、本来の民主的な政治のあり方に焦点を当てた質問をしたほうがいいと思う。言論統制などしないでしょうね、という不安からの投げ掛けは、逆にそれを市民に認知させ、強権を煽ることになるからだ。
このようなツィートがあった。
中野晃一
コロナ「緊急事態宣言」の意味は日米で真逆。米国では連邦政府が州や市に最大5兆円支援する。日本では外出禁止など私権制限で国民生活に更に負担を掛けることに。
どうしてなのか理解し難いのだが、日本には、どうしても国民の自由を奪いたい人たち、そのことに異様なまでの執念を燃やし続けて生きがいとしている人たちがいるようだ。加えて根底のところで概念の逆転、本末転倒的なことが起こる。
こういった現象を内田樹はけっして日本人の民族性ではないと言っているが、そうだとしたら、いつからそのようにネガティブで民主的、人文的ではない人間に日本人はなったのだろう。
ものすごくオカルト的な観点(輪廻転生)から魂を語らせてもらえるならば、ヨーロッパ系の魂の人たちは人文的、日本土着の魂の人たちは封建的と見えなくもない。
強欲と消費と搾取で成り立つ地球の幼年期は
終焉するのだろうか。
ツトムの手ではあのポーズを取れないが……