トイレットペーパーの買い占めは欧米でも起きているが、にしても、いつになったら普通に買えるの?日本には今までどおり普通にあるのに。
生協でも抽選になった、と先日書いたが、
抽選どころか、
「予測を大幅に上回るご注文をいただいたため、本日分につきましては欠品とさせていただきました」
になった。
え〜〜〜!
毎週コンスタントに注文している人に回してくれないかな。いつも注文していない人が大量に注文してるってことなのだから。
このままだとドラッグストアやスーパーマーケットの前に朝数時間並ぶ一定の同じ人たちが常に買い占めることになって、体力のない人たちはいつまでたっても手に入れることができない。
その一定の忍耐強い買い占め愚民たちの家がトイレットペーパーで満杯になってようやく彼らが満足するときまで、日本に潤沢に存在しているはずのトイレットペーパーがごく普通にドラッグストアに並ぶ日は来ないのだろう、と思う。はやくその日が来てほしい。
この強欲は不安と恐怖から来るものなのだろうから一定の理解はするが、こういうときこそ、良識と良心と品位を保ってほしいものだ。
「十分に在庫はあります」と、メーカーも商店も言っているのだから。
生協も「お詫び」してばかりではなく、トイレットペーパーがどのように生産されていて、実は在庫は十分にあり、なぜ欠品状態になってしまうのか、という説明を加えたほうがいいと思う。落ち着いていつもどおり注文しましょう、生活しましょう、と呼びかけることも公的立場としてすべきことではないか、と私は思っている。あるいは組合員でもいい。
マスクについては、これは本当に足りていないという現実があるので致し方ない。が、これも今まで通り店に出すと、強欲買い占め愚民たちが全て買い漁るので、「いい人」たちは常に買えないことになるのは目に見えている。
フランクルも五木寛之も「いい人たちはみんな死んでいった」と語っている。この二人だけではない。戦争体験者の多くが異口同音に話す。「いい人たちは先に死んでいく」と。強欲じゃないからだ(トイレットペーパーの有無で人は死なない。強欲の例として)。
地球というのは、こうした大きな出来事があるたびに、「いい人」たちがいなくなって生存欲旺盛な上品とは言い難い人間たちの割合が増えていく、という仕組みなのか。いや、それは神による試練なのか。
アトランティスの最後もこんな感じに近かったのかもしれないと想像する。
ハリウッドのパニック映画だと、いい人たちは確かに先に死んでいくが、悪い奴らやずるい奴らも途中で天罰が下るように死ぬ。鑑賞しながらたいていの人が「そうだよね」と神の正義を信じたりする。そして、一部の善人と正義の味方のような勇者(主人公たち)が生き残って映画は終わる。
「いい人」「正義の味方」というのは、実はこういうとき弱い。ウルトラマンも最後には勝つが、たいていはいわゆる敵のほうが強い。
現実の世界では、映画のように善人たちが生き残ることはほとんどないだろう。
映画というのは「理想」であり「カウンター」であり「啓発」の役割を持っている。
トイレットペーパー、本気で困っている人けっこういるんじゃないの?災害への備えがあった人もそろそろなくなるのでは?
ティッシュペーパーはドラッグストアの棚に残り始めた。だが、ティッシュペーパーを流したらたぶんトイレはつまる。なので我が家では、水に流せるティッシュペーパーというのを買った。これはたくさんあった。
PS
生協(パルシステム)では、
「(略)予防の一貫として配達担当者のマスクの着用を義務付けています。なお、配達担当用のマスクにも限りがあるため、在庫がなくなるまでの期間とさせていただきます。(略)」
というチラシが入っていた。
PS
高輪ゲートウェイ駅には人がいっぱい集まっているが、これはいいんだ。ものすごくひっついて写真撮影している。
徹底していない日本。