ここ最近、ますます強く確信していることがある。
「名称」だ。
あるグループや団体、組織、活動などなどの名称を見たときに、直感的に嫌な感じ、気味の悪さを感じるものは、のちのち「やっぱり」ということが、100%とは言わないが、ほとんどだ。
名称とは少し違うが、そのような感覚を覚えることは人物についても経験する。
そういった意味では私の直感はよく当たる。私自身は気持ち悪いと思っていても、世間やメディアが持て囃しているとき、それを否定することはできない。だが、のちにその正体が暴かれて「やっぱり」ということはこれまでにもあった。
「この人なにか悪いことしてるな」とテレビ画面を見ながら思っていると、その翌日とか数日後に、その感覚を立証してくれる報道を見て「やっぱり」と思ったりする。
今まさに報道を見ながら、「やっぱり」のオンパレードになっている。
具体例をあげることは避けるが「名称」というものには、そこにそれなりの思いや思考が宿っているものなのだ。
ゆえに私は直感を大事にしようと、あらためて思っているところである。
これまでに直感を退けて信用して失敗した例が2〜3ある。
最初は良いと思って応援していてのちに落胆した例もあるが、これは見る目がなかったと反省するしかない。
思想家で武道家の内田樹も言っていた。「なんとなくいやだな」と感じることはしない、と。
この「なんとなく」はけっこう重要だと思う。
エビデンスは?が流行っている昨今。「なんとなく」にエビデンスはない。が、これが人間にとって大切な感覚だということはおそらく、誰もが知っているはずだ。
どうして「いやだな」という方を人は多く感じるのだろう。
そちらのほうがより多く覚えているだけなのかもしれない。なぜなら「いいな」という感覚は心地よい、気分が良いのでそのまま受け入れることができる。「いやだな」は気分を悪くするので、人の心身には元に戻ろうとする力が働く。
「なんとなくいいな」も大事だが、「なんとくいやだな」のほうがより大事かもしれない。それは危機を回避するという意味で。
ソクラテスのダイモン(守護霊みたいなもの)は、回避すべきときのみ助言してきたらしい。ゆえに、毒杯を飲んでしまったのだが。それは弟子たちにとっては悲劇だったが…それはまた別の話題になる。
いずれにせよ、私の直感を証明してくれている最近の報道。
やっぱり直感は大事にしよう、と思っている次第だ。