ねことんぼプロムナード

タロット占い師のetc

津村記久子「くよくよマネジメント」〜愚痴と相談〜占いでは…

 著者独特の語り口(文体)が、興味深い内容をますます面白くしている。

 

「くよくよマネジメント」

津村記久子著 清流出版

 

 社会、出来事、世間の人々と著者自身の関係性、そこに発生する様々な状況とそれに対する著者の感想、ときに愚痴や弱音や疑問や正義が、愉快に(と言っては齟齬があるかもしれないが)描かれている。

 思わず知らずどんどん読んでしまう(この本に限らず、津村記久子作品は小説もエッセイも、時間を忘れて読み耽ってしまう傾向にある。私の場合)。

 

 ネット上の感想に「もう一度読みたい」とあったが、同感だ。

 

 本当に面白くて為になるので、ご一読をおすすめする。

 

 と、たった数行で読書エッセイを終えるのも味気ないので、私が「これきびしいなぁ」とページの余白に書き込んでしまった箇所について、少し書かせていただくこととする。

 

「愚痴の危険な側面」というタイトルのエッセイ。

 著者は、愚痴を言うのが好きなのだが、ここ数年、愚痴はときに危険なものなのではないかと考えるようになって、ちょっとやめてみようと思っている、という。

 その理由のひとつが、間違った相手に愚痴を言ってしまう場合があること。

愚痴というものは、実はすでに渋々是認していることや、動かせない現状などについて、とりあえずそれと折り合いをつけるために話す、応急処置にも似たものだと思うのですが、ときどき、愚痴と相談を取り違える人がいます。

たとえば、仕事がしんどい、と言ったり、上司が面倒くさい、と話すと、「転職すれば?」だとか「上と掛け合って係を変えてもらえば?」などと言う人です。(略)

聞き手に不向きの人は、真剣にそれらのことを勧めてきます。

(P33〜34)

 私は占い師なのだが、相談者さんの相談事がふっと脳裏を過ぎった。

 すなわちそれは「愚痴」なのか「相談」なのか、である。

 

 占いという仕事でお金をいただいているので、話を聞くだけでお金をいただくことにいささかの後ろめたさがある。

 けれども、話を聞くことも占いの大切な仕事だ、と私は思っている。とくにタロット占いの場合はそうなのだろうと思う。カウンセリングの要素が強いので。なので私は、相談者さんの話を伺いながら、カードを切るようにしている。カードがアドバイスをくれるからだ(カードが飛び出してくる)。

 占いの現場では、「愚痴」という表現がふさわしいかどうかは別としても、相談者さんたちは、なにか心に思うところがあるので占いをしに来ることが多いだろう。そしてそれは、他の誰にも言えない、言いたくないことで、占い師になら言えるということもあるだろう。

 

 このエッセイのこの箇所を読んでいて、もしかして「愚痴」なら、こちらが偉そうに助言するのは間違っているのかな、とちょっと思ってしまった。ま、でも、占いなんだから、何かしらのメッセージが聞けるかもしれない、という期待めいたものが全くないということもないだろう。

 人は話したい、いっぱい話したい(そうでない人もいる)。話すことは大事だ。ゆえに私の占いでは対話を大切にしているし、私も相談者さんが言葉を発信してくれるように問い掛けることを心がけている。もちろん、常にそうではない。尋ねたいことが決まっていて、淡々と占いが進んでいく場合もある。

 人は、話していく過程で、自分の思いに気づいたり、考えがまとまったり、自分自身で答えをみつけたりできる。

 いっぱい話したあと、これこれこうしようと思っているそれでいいですよね、とだけ聞いてきた相談者さんも過去にはいた。後押しがほしかったのだろう。このときはほとんどまったく占う時間がなかった。

 

 津村記久子が書いているように、ちょっと愚痴ったりぼやいたりすると、すかさず意見や助言らしきことを述べてくる人って、確かにいる。答えや助言がほしくてつぶやいているわけではないのに、それに過剰に反応されて、賛同はともかくも否定されたり、説教めいたりすると、いささか落胆してしまう。え、そんなつもりで言ったんじゃないんだけど、と。

 

(略)相手の適性を見極めず、友達だから、長年の知り合いだからと自分の弱みをさらしていると、ときどき、愚痴の対象以上に、聞き手の反応に対して腹を立てている場合があります。

(P34)

 占い師にはぜひ、弱みをさらしてほしい。

 加えて言うと、占い師の前で強がったり、虚勢をはったり、見栄をはったりしないでほしい。ときどきそういう相談者さんを見かけることがある。もしかしたら「愚痴」ではなく、「自慢」を言いに来ているのかもしれない。意図的ではおそらくないだろう。無意識の行為。誰かに言いたくても言える相手が身近にいない自慢話なのかもしれない。単なる自慢話と、占ってほしいことへの経緯説明を聞き分けるはもしかしたら難しいかもしれない。その話(自慢話に聞こえる)をすることで、本人の気分が落ち着くということもあるだろう。

 普段の誰かとの会話のなかでも、自慢しているわけではないのに自慢話と解釈されてしまう場合もある。…この心理や経緯も探索すると興味深いが、また別の機会に。

 もちろん、話しているうちに嬉しくなって自分語りをしたり、前の占いの結果で幸運を引き寄せたりと言った報告は、ありがたいし、私も嬉しい、ということは付け加えておく。

 

「愚痴」か「相談」か。私自身、プロの占い師としても参考になるエッセイだった。個人的にも「あるある」な指摘だった。

 いずれにせよ、ある程度の見極めは必要なんだろう、と思う。

 そして、よほど深刻でない限りは、賛同したり問い掛けたりしながら相手の話を聞く、というのが程よい聞き役なのかもしれない。

 

 愚痴ったり、相談したりしたりすると、延々と自分の話をし始める人もいる。あるいは、他人には興味がないのか空返事的な人もいる。著者が書いているように、「相手の適性を見極め」ることが防衛手段となるようだ。

 ちなみに、占い師にそのような人物はまずいないと思う。加えて、占いの場合は、求めてもいない助言を聞かされる、という状況にはならないだろう。だが、津村が体験したように相手の反応に腹を立てる、ということは占いの現場でも人によってはあるかもしれない。相談者さんの予想通りの話、助言をしないということはあるだろうから。そんなときは、セカンドオピニオン、行ってみてください。

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