ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

日本はガラパゴス~テレビドラマ「グッド・ドクター」からニュース番組まで~日本とアメリカ~

アメリカテレビドラマの良質のものを観続けていたところ、日本のテレビドラマへのわくわく感が減ってしまっています。

アメリカでもどこでも良質でないものもあれば良質なものもある。さらにここで言うところの良質には、私が「面白い」と感じた作品という意味も含まれている。世間的にいくら良質と言われようとも、面白いと評判が高くとも、努力しても視聴することのできない作品もある。)

 

春夏秋冬、毎シーズンドラマを楽しみにしているドラマフリークの私。それぞれ私なりの評価も加えてきたが、2019年冬ドラマ、すでに観る意欲がいささか薄れているのが悲しい。特に地上波。それでも始まったばかりの作品をいくつか観た。が、すでにやっぱりと言ってはなんだが、がっかりするもの、奇をてらいすぎているものもあり、一方で、あれ?この演出家はアメリカドラマを研究しているのかな?と思わせる少し期待の持てるものもある(別箇記事にします)。

 

ドラマだけはない。

日本の報道番組があまりに「ひどい」のでCNNやBBCばかりを観ていたところ、久しぶりに観た日本の報道番組があまりに「ゆるく」て驚いているところだ。茂木健一郎も以前同じことを言っていた。その意味を実体験したのがここ1~2、3か月という次第。

 

デイブ・スペクターが以前言っていた。日本はどうしてアメリカドラマから学ばなかったのか、と。ドラマだけではない、ニュース番組もコメディも。 

最近はBSやCSで昔のドラマを観ることができる。先日、当時大人気だった脚本家と演出家のドラマを観た。たぶん当時はそれなりに感動して観たのだろうが、全く面白く感じない自分に驚いた。例えば「大草原の小さな家」は今観ても面白いのに…。

 

ガラパゴス化」という言葉がいっときはやったが、今、テレビのドラマと報道番組にそれを感じる。

ガラパゴス化」は日本で生まれたビジネス用語。孤立した日本の市場だけで発展する商品のことについて言っているようだ。スマホの登場で二つ折り携帯電話が「ガラ携」と言われている。これはこれで便利な道具だと私としては思うのでネガティブな印象はあまりない。

私が日本のテレビ番組について「ガラパゴス!」とふっと思ってしまったのは、明らかにネガティブな側面からだ。

 

西洋と日本を単純に較べることはできない。文化の違いもあるだろし、アメリカのテレビ番組にもドラマにも映画にも評価しがたいものはたくさんある。それは世界中、どの国も同じだろう。日本人が日本にいて知ることのできる海外のテレビドラマは、自国ですでに高評価の定まった作品が選ばれて放送されているのだろうから、そりゃあレベルが高いに決まってるじゃん、かもしれない。

日本のテレビドラマは、私も完璧に全てをチェックしているわけではないが、それでもけっこう観ている方の市井の視聴者という立場からすると、アメリカ(いわゆるハリウッドのドラマが日本では多く視聴されていると思うのであえてアメリカを強調)のテレビドラマを越える作品、肩を並べる作品は、まず「無い」。

 

「グッド・ドクター」

2013年韓国KBS 2017年アメリカABC 2018年日本フジテレビ

というドラマがある。

日本では2018年夏ドラマでリメイクされた韓国ドラマ。

とても面白く興味深いドラマだった。

付け加えると、最近の韓国ドラマ(恋愛ドラマだけではなく)のレベルも高い。「シグナル」も2018年春ドラマでリメイクされたがとても面白かった。

「グッド・ドクター」。自閉症サヴァン症候群の医師(レジデント)が、その天才性を発揮しながら苦手な人間関係(コミュニケーション)を構築して成長していく様子が、医師や同僚のレジデントそして患者たちを通して描かれていくヒューマンメディカルドラマ。

私は本家本元の韓国ドラマは観てないので、原作ドラマが日本版とアメリカ版とどちらにより近いのか知らない。と言うのも、アメリカ版は日本版とかなり違っているので。

昨年(2018年)の夏ドラマで日本版「グッド・ドクター」(出演/山崎賢人 上野樹里 藤木直人 柄本明 他)を観たときには、なかなか良い出来だと感じて高評価の感想を書いている。もちろん、韓国の原作が良いわけなのだが。

ところが、アメリカ版を観てしまったところ、これが非常に良く出来ており、正直なところ、…驚きました。勝ち負けで批評すべきではないが日本は負けている、とすら思ってしまった。韓国ドラマをすんなりとハリウッドのものにしてまっていた。

何がどう違うのか冷静に(私としては)考えてみた。

社会的背景も違うので、全てを良し悪しで較べることはできない。その上、芸術作品は個々人の好悪が付きまとうものなので、いやぁ日本版のほうがよくできてるでしょう、という感想もあるだろう。が、日本のテレビドラマの全般が陥っている病理のようなものが、すなわち、これまでうすうす感じてはいたし茂木健一郎やディブ・スペクターの発信にも同調してきた事々が、「グッド・ドクター」という作品を通して、私は明確にその何たるかを見せつけられて愕然とした、というのが今の心境。ゆえに、今年はどこまで日本のテレビドラマを視聴し続けることができるだろうか、と自分自身に疑心暗鬼なのである。

日本版の何がいけないと言って、地上波ドラマのお決まりとでも言ってよい脚本と演出、つまり、つくり過ぎの対立軸、イジメ、権威と資金に屈しなければならない苦悩ばかり、これらを第1話からずっと引っ張り続けるストーリーとその陰湿さ。そこから這い上がる主人公。これは、花登筺橋田壽賀子か。

さらに主人公は、なんだかんだと言ってスーパーマン的存在になって危機はほとんどのとき逆転勝利する。「グッド・ドクター」の場合は患者の生還ということになる。これは、日本お得意のお涙ちょうだい手法にほかならない。アメリカ版の主人公ショーン・マーフィー(フレディ・ハイモア/「チャーリーとチョコレート工場/「ベイツ・モーテル」)は失敗もする、そして悩んで考える。助けられない患者もいる。

アメリカドラマの涙は、自然だ。私の場合、「クリミナル・マインド」という極めて猟奇的なシリアルキラーを追いつめるドラマでも、最後、涙が出てしまうエピソードは多い。それは無理やりな押し付けの感動ストーリー展開ではなく、ドラマを追ってきたそこまでの思考展開のなかで自然と辿りつく事件の顛末である。

「グッド・ドクター」の主人公の高機能自閉症サヴァン症候群アメリカ版ではその辺りのこともしっかりと描けている。患者にも自閉症の人が登場したりする。日本版と同じように彼を医師として病院に受け入れることに反対する医師もいるが、基本的には全員が個として自立しているので、日本版のように指導医の存在が必要以上に大きくないところもいい。チームのなかにむしろ自然に(と言っては言い過ぎかもしれないが)入り込んでいるように描かれている。互いに能力も認め合っている。日本版の山崎賢人もなかなか上手に演技していると思っていたが、フレディ・ハイモアの演技はより魅力的で、自閉症の雰囲気を巧みに醸し出し、ときにコミカルに演じている。ひと言で言って、うまい!

 

しかしこれらは、真似をしてつくれるものでもないだろう。人間の言動は文化的背景からくるものだとすれば、そこは日本人の「教育」から変えていかなければならない。

何も欧米化する必要はないではないか。 …そうだろうか。 

私が常に違和感を覚える日本のテレビドラマのもどかしさは「水戸黄門」的なもの(権威主義)、「下町ロケット」的なもの(根性主義)でよくみかける。また「涙」というキーワードは視聴率の王様だ。これらは、わざとらしくこれでもかと組み立てられる。

日本は「考えること」をしないような人間を育てる教育している、とは最近ようやく多くの識者たちが言いはじめた。ドラマもまさしくそれで、「考えさせない」のである。あるいは思考を押し付け、感動を押しつけ、答えを提示してくる。これは人の精神への悪影響になっている。「考えさせる」ようなドラマは、難しい、暗い、あるいは何も起こらないということで視聴率が取れないらしい。朝ドラで例をあげれば、「つばさ」は視聴率が低迷、「純と愛」は評判も悪かった。カンテレ制作の2018年冬ドラマ「僕らは奇跡でできている」も低視聴率で、「分からない」と評するドラマ評論家までいた。私はとても面白かった。

難しいもんつくったってどうせ視聴者はバカだからわかんねぇよ、と政治家まがいのディレクターの思い込みのせいなのか、それが本当だとしても、大半の日本人は「考えることができる」ようになる教育を受けていないので視聴者もディレクターも同類のはずで、だとしたら制作サイドもレベルの高いドラマをつくれていないということに気づいていないのだろうと思わざるを得ず、これは制作者サイドの有毒な優越主義的ガラパゴスなのではないか。

制作者たちはせめて、プロなのだから、海外のドラマを研究するのも仕事のうちではないのか。デイブ・スペクターが言うように、戦後、アメリカのドラマをまるで洗脳のようにあれだけ放送していながら、いったい何を見てきたのだろう。いや、逆効果だったのかもしれない。自由や幸福について考えたり、豊かな生活を求めたりする庶民が出現しないように日本のドラマは故意にしてきた、ひょっとして国策なのかもしれないと妄想すらしてしまう。

私がずっと不思議に思ってきたのは、「奥さまは魔女」。アメリカの庶民の生活がいかに豊かであるかを見せつけてくれていたと思う。そしておそらく、あと10年かそこらすれば日本の庶民家庭もこうなるのだろうと思っていた当時の日本人は多かったのではないだろうか。もちろんテレビもエアコンも全自動洗濯機も車もほとんどの家にある。が、広い空間がない。プールも前庭の芝生もなくてもいいが、団地もアパートもマンションも戸建も、狭い部屋の家を建て続けている。いつまでたっても庶民の家は広くならない。アメリカの貧しい貧しい労働者の薄汚い家、というのが日本の「ウサギ小屋」と同クラスだ。国の政策を反映しているのだろう。庶民がみんな豊かになったら黙って言うことを聞かなくなるから。だから「考える」こともさせないようにしている。ドラマもそれにすっかり加担してしまったようだ。日本のテレビドラマの浮かばれない現状は、けっこう根深そうだ。

 

ガラパゴスの視点からもうひとつ。

ここ2~3年のアメリカのテレビドラマを観ていて、10年前と多分すごく違っているのは、あくまでも私が視聴している範囲のみだが、有色人種率がとても高い。まず黒人がとても多く出演している。そしてアジア系もすごくよく見かける。「クリミナル・マインド」でも先日、逆に白人が出てきて違和感を覚えたくらいだ。「クリミナル・マインド」には今韓国系の俳優もBAUメンバーになっている。韓国でリメイクされたということも大きな理由かもしれないが、それより日系アメリカ人をまずほとんど見かけない。たいていは日系人の役も中国系や韓国系の俳優が演じている。昔からそうだとは思うけど、これは先の戦争の影響なのだろうか、と身勝手に推測してる。と同時に、人権意識の低さも手伝っているのではないだろうか。つまり尊厳とか尊重の問題。アメリカは日本よりも人種差別問題は大きい。階級格差も大きい。と同時にそれらへの抗議運動も盛んだ。日本にはそれがない。表だっては分からなくても、そういった心のエネルギーはなんとなく勘付かれるものだ。女性蔑視も強すぎる。アメリカも同様にあるが、公には努力しているようだし、そもそもそ差別や蔑視に大きな抗議の声が必ずあがる。日本ではあがらない。俳優たちも黙っている。

尊重しない人は尊重されない。尊重しない国は尊重されない。と私は思っている。

有色人種率の高さもさることながら、あらゆるシーンでの女性率も高い。いまだに日本のドラマでは、仕事場や政治のなかでの女性率が低い。そもそも刑事ドラマの場合、女性刑事がいないのは問題だ。「相棒」もそうだが、女性被疑者の取り調べを男性刑事が平気でしている。女性を男性刑事大勢で取り囲んでいる取り調べ室シーンもある。もちろん、男性捜査官が女性被疑者を取り調べるシーンはアメリカのドラマにもある。逆の場合もある。話の流れでとても自然に。けれども基本、女性捜査官はメインのチームメンバーに2人以上いる。「コールド・ケース」も途中からチームに女性は2人になった。会社の会議室や政治家でも、日本の場合はまず女性はいない。いても1人。そして虐げられている、今もって。あちらは、あらゆる場所に女性が半々くらいの割合でいる。ゆえに、アメリカのドラマのなかの光景に慣れてから日本のドラマを観ると、男性の多さにぞっとするシーンに出くわすことがあるのである。「相棒」も、そろそろ右京さんの相棒を女性にしたらどうだろう。

ドラマの影響は意外と大きいのです。会社でもどこでも半分女性がいてセクハラや蔑視など不自然な対話のないシーンを描けば、実生活での場面、あるいはテレビ画面に映る男性だらけの政治家、大臣たちの光景を見て違和感を覚えてくると思います。ついでながら、最近日本のドラマで目立つセリフが「これセクハラ?パワハラ?」「これセクハラじゃないからな」「これパワハラじゃないからな」である。情けない。

女性率ということで言えば、CNNなどのキャスターやコメントしたり意見を述べたりする専門家も女性が本当にたくさん登場する。画面のなかに女性しかいないこともあるくらい。日本の場合女性はアシスタント的に扱われていることの方が大半だ。いわゆるきれいどころ感覚なのだろう。

先ほどドラマのなかの有色人種率の話もしたが、ニュース番組でもアメリカでは有色人種率は高い。アジア系も多いが、やはり日系アメリカ人を見かけることはほとんどない。日系人はあえてはずされているのか、それともキャスター志望者がいないのか。

 

ニュース番組の話が出たので、そちらもガラパゴスになっているという話を少し。

日本の報道番組がゆるすぎて見るに堪えないということを先に書いたが、ゆるいだけではなく、ぬるい。

日本のニュース番組しか見ないと世界のことが分からなくなる状態に今なっているように思う。ガラパゴスなニュースしか報道しないからだ。

世界で何が起きているか分からなくなる。

少し前に、日本のメディアが伝える内容はアメリカ目線でしかない、と言っている人がけっこういたが、すでにアメリカ目線ですらない。閉鎖的な日本国内目線だ。2018年は2017年より以上に、世界視野の報道がめっきりなくなったように感じる。日本のニュース番組は火事(火事については、報道に携わっている人自身が批判していました)とスポーツ、芸能(スキャンダル)、飲食物(店)、お天気で占められている。自国の政治ニュースは現政権の広報のみ。批評もしない。その点アメリカはさすがにまだ民主主義が機能しているようで、トランプの発言を「嘘」「間違っている」とはっきりとキャスターが発言する。

 

日本は素晴らしいというテレビ番組が近頃本当に多いが、結局ドラマもニュースもバラエティも、置いてけぼりになっている感を否めない。 

刑事ドラマも、「クリミナル・マインド」や「NCIS」「ブラックリスト」などを観てしまうと、日本の犯罪捜査サスペンスものは、報道番組同様「ぬるい」感満載だ。 

 

アメリカドラマの良いところは、

①アイドルを使わない

②主題歌をタイアップしない

③内容がすっきりしている

④ユーモアのセンスがいい

など。 

①日本の場合、ジャニーズなどのアイドルを主役に据えることで視聴率を取ろうとする。事務所からの圧力があったりお金が動いていたりということもあるのだろうが、そんなことをしていたら日本のドラマはどんどん劣化する。しっかりオーディションしましょう、と茂木健一郎も言っていた。同感。さらに、役者も大勢いるのだから同じ人ばかり使わないようにしてほしい。

②そもそも人気歌手などが歌っているドラマの主題歌なるものはない。シンプルな音楽がドラマの前後に簡単に流れる程度。日本だとオープニングとエンディングに歌手の歌があって、その上凝った演出の動画がいちいち流れる(なかにはおしゃれで質の高いものもある)。アメリカドラマでは、オープニングもエンディングも映像、音楽とも超シンプル。日本の演出に慣れているとあまりに簡単すぎてダサくさえ見えるほどだ。そしてシーズン2,3,4…10,11…と進むなかでオープニングとエンディングの音楽は変わらない。「相棒」は同じ旋律だがアレンジはシーズンごとに変わっている(流れる映像も最近は変だ)。日本のようにドラマの最後のほうになると「うるさいエンディング曲がかかる」ということもない。これ本当にやめてほしい。「僕らは奇跡でできている」もアカデミックな雰囲気漂う穏やかなドラマだっただけに、煩い歌がドラマをぶち壊していた。その点、WOWOWのドラマはアメリカドラマに近いつくりで良い。

③必ずと言っていいほど、刑事ドラマでさえ恋愛的要素が出てくる。あるいは匂わせる。これもやめてほしい。男と女がいたら必ずそうなる的なDNAが日本人にはあるのだろうか。それともそれを入れないと視聴者が喜ばないとでも?  

過去のことを思い出すにしても、毎回毎回同じシーンを本当に本当に執拗に流すのはやめてほしい。「グッド・ドクター」に話を戻すと、主人公の死んでしまった弟(日本版では兄)との回想シーンを何度も何度も入れ込んでいた。アメリカ版では必要なエピソードで必要な回想を入れ込むのみ。すっきりしていた。 西洋人と日本人の思考回路の違いなのだろうか。

④ユーモア、ジョークというのは絶妙な言葉のやりとり。これは、日本ではできないとあきらめるしかないのかもしれない。文化が違うので。哲学、宗教の素地がない日本では、気の利いたことが言えるはずもない。日本の場合、ユーモアというと「からかい」と勘違いしているようで、ともするとそれがセクハラなどのハラスメントにつながってきたようだ。

 

ドラマは流れものだから、と威張って話すメディアの人がいるが、これからは配信の時代でもあり、アマゾンプライムやネットフリックスなどから好きなときに好きなコンテンツをいつでも視聴できる時代なのだから、茂木健一郎が言うところの「フローからストックへ」と日本も制作の比重を変えていかなければならないのだろうと私も強く思う。

 

日本とアメリカでは、テレビドラマでも映画でもお金の掛け方が違うとよく言われているが、それも確かにあるかもしれないが、じゃあだからといって、潤沢な資金を上手に合理的に使えるのかと言ったらたぶん使えないだろう。そして政治と同じで、お金の使いどころを間違ってしまいそうだ。そもそも今だってお金の使いどころが違うのでは?と感じるのだから。

 

アメリカ版「グッド・ドクター」は、全18話。最終話、え?ここで終わっちゃうの?と残念がっていたら、なんと、シーズン2があるそうで。今年(2019年)4月からWOWOWで「放送決定!」とショーン先生(の吹き替え声優の岡本信彦)が言ってました。はやく観たい! 

 

最後に。

ガラパゴス諸島には、ガラパゴスゾウガメ、ガラパゴスペンギンなど多くの固有種がいて、「ガラパゴス」は本来、破壊されていない自然というポジティブなエネルギーを想像させる名称だと私は思っています。

私もここで、世間にならって「ガラパゴス」という言葉を都合よく使ってしまいましたが、別の正しい表現を使えば「井の中の蛙」です。