ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

男の子女の子~男らしさ女らしさは必要?~「有毒な」をつけるとつけないでは大違い~

君たち女の子
僕たち男の子
ヘイヘイヘイ
ヘイヘイヘイ

1972年リリースの郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」。2019年現在から47年前…かれこれ50年前のヒット曲、ということかぁ。郷ひろみは現役で活躍中。

作曲は当時のヒットメーカー筒美京平

作詞は岩谷時子岩谷時子の天才性にあっぱれ。それにしてもこんな歌詞(こんなと言っては失礼だが)、どこから降ってわいたのだろうと思ってしまうほどけっこう斬新な歌詞だと思うのだが。

このあとに続くのが、

ヘイヘイヘイ
ヘイヘイヘイ
おいで遊ぼう
僕らの世界へ
走って行こう

である。

 

最近は、男女差別、とくに女性蔑視の問題が取り沙汰されている。ジェンダーフリーの観点から平等な社会を目指そうという意識が広まりつつある。

「男の子女の子」の歌詞はさらにこう続いている。

幸福(しあわせ)さがすのは
まかせてほしいのさ

ヘイヘイヘイ

ヘイヘイヘイ

これを歌っているのは「郷ひろみ」という「男の子」なので、「幸福(しあわせ)さがすのは(僕に)まかせてほしい」と「主語」を補うことができると思う。さらにファンである「女の子」へ向けてのメッセージでもあるはずだ。歌の途中に「ゴーゴー」と合いの手を入れる女の子たちである。

当時郷ひろみはかわいらしい容貌の男の子だったが、「僕が幸せにする」ということなので、やっぱり男子は女子をひっぱっていくもの、という印象を受ける歌詞だ。恋人に「きみを幸せにする」とプロポーズした男子は、結婚の許可をもらいに行った恋人の実家で父親に「お嬢さんを幸せにします」と宣言させられる。「幸せにする」とは愛情だけのことではない。衣食住の心配は無用です、ということだ。毎日お金に困っていたらそれは普通は幸せとは言わない。「貧乏でも幸せ」というのはまた別の価値観だし、この世では、お金がないよりお金があったほうがいいに決まっている。単純な話、お金がないために諦めなければいけないことはたくさんある。これは世界中共通の当たり前のことだ。

今は夫妻共働きの家庭が多いが、富裕層の家の妻が仕事を持っていたら、それはむしろ恥、であることはこれも世界中共通の価値観だろう。ゆえに、妻が働いているというのは昔は恥ずかしいことだったはずである。夫がよほど稼ぎが悪いんだなと思われるから。アメリカのコメディードラマ「ザ・マーベラス・ミセス・メイゼル」を観てもよく分かる。働く女は、教師、看護婦、学者、弁護士など(特別な)仕事であれば、財産の多寡は気にされなかったようだ。今は、日本でも仕事を持っている女性のほうが偉い的な風潮もある。「主婦」という名称にはネガティブな印象すらある。学校の保護者会では、仕事を持っていることが役員回避の良い言い訳になったのは昭和の話。平成の30年間で、主婦もフルタイム/パートタイム母も条件は同じになった。ついでに言うと介護や赤ちゃんがいますも言い訳にならない。平等にそして強制的に選ばれる。つまり、いわゆる専業主婦がほとんどいない、ということだ。

 

最近、ジレットのネットCMが話題になった。

男性用カミソリのブランドとして知られる米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)傘下ジレットが、行き過ぎた「男らしさ」の問題や女性たちによるセクハラ告発運動の合言葉「#MeToo(私も)」を取り上げたコマーシャルを公開し、賛否両論の波紋を呼んでいる。

(略) 

しかしユーチューブやツイッターには、「侮辱的だ」「フェミニストの宣伝工作だ」と反発するコメントが殺到した。

一方で、こうした反応は逆に、意識改革を促す運動がいかに必要とされているかを示す指標になるとの意見も寄せられた。

(CNN.co.jp)

「行きすぎた男らしさ」とは、toxic masculinity「毒性のある(有毒な)男らしさ」のことだ。ジレットのCMが公開されてから日本では「有害な男らしさ」と訳されているようだ。

かみそりブランドのジレットは先日、「有害な男らしさ」を非難し、男性らに対していじめやセクハラをやめるよう互いに呼び掛け合うよう訴える新CMを発表した。

P&Gのデーモン・ジョーンズ副社長(グローバルコミュニケーション・アドボカシー部門担当が次のように言っている。

男性は今、多くの点で岐路に立たされており、古い意味での男らしさと、新たな男らしさの時代に挟まれている。大事なのは、男性たち自身に男らしさを定義する余地を与えること。私たちは男らしさの基準を決めたりしないが、男性であることの意味をポジティブかつ達成可能で、包摂性があり、健全な視点から捉えるよう促すことはできると思っている。

私たちが言っているのは、「女性に対するハラスメントは許されない。キャットコール(通りすがりの女性を性的にひやかすこと)は許されない。いじめは許されない」ということ。CMでは最高の姿ではない男性たちが登場するため怒る人もいるだろうが、最後ではポジティブな例を示している。

私たちが視聴者に求めたのは、このCMを全体的な視点から見て、それから少し時間を取って考えること。もちろん、どんな意見であれ尊重するが、人々には未来の世代の視点からこのメッセージについてしばらく考えてほしい。

(Forbes Japanから抜粋)

この話題は日本でも少し紹介されたが、それほど大きな意見交換がなかったのは、女性蔑視的なものではなかったからなのかもしれない。むしろ逆なので、父権主義、家父長制、男尊女卑がいまだべったりと染みついている日本ではあまり広めたくない意識(改革)なのかもしれないと私は身勝手な感想を持った。

 

私としては「有毒な男らしさ」というキーワードがようやく日本にも到着したかぁ、という思いだった。

「有毒な男らしさ」については、下記に紹介している記事でご確認ください。【「刑務所のフェミニズム教育」~有毒な男らしさ~】このドキュメンタリーはとても分かりやすい。この受刑者に日本でも講義してもらったらよいでは、と正直なところ思う。

 

「モーニングクロス(キャスター/堀潤)」という東京MXの朝の報道番組で、すこし詳しく取り上げていた。「男らしさ女らしさ」は必要かという視聴者アンケートでは、肯定する視聴者の数が大きかった。私は驚いた。え?ホント?

だから「女子力」とか、女の子の「トリセツ」とか流行るんだ、とようやく納得した。けれども私はこちらでも書いてきたが、そのような価値観こそが、女性蔑視に抗議し、まっとうな社会進出を望みながらも女性は自分で自分の首を絞めているのであり、男性は「有毒な男らしさ」という価値観に束縛され続けているのだと感じざるを得ない。

 

要するに、「男らしさ」「女らしさ」で質問するからいけない。

生物学的に男性性と女性性があるのは間違いない。ゆえに男女「らしさ」があるのは自然なことだ。身体の大きさ、形、機能が違う。力が違う。ゆえにできることできないこと、得意不得意があるのも当然だ。男女の区別だけではなく、人間として誰もが補い合って生きていくことには誰も反対しないだろう。

そして私は理解した。「男らしさ」「女らしさ」の前に「有毒な」という形容詞をつけなければならない、と。

「モーニングクロス」では、「有毒な男らしさ」「有毒な女らしさ」と表現するべきだったと思う。「男女らしさ」だけだったら、否定するほうが難しい。視聴者側も、すでに「有毒な」という意味を込めて投票した人とそうでない人がいたことだろう。概念の共有という前提は大事だ。

とはいえ、この番組内で「有毒な男らしさ」について解説する時間はなかった。コメンテーターのひとり(男性)が「有害(ここではそう表現されていた)な男らしさ」というのがあるんですね」と感心していたのが印象的だった。

つまり、「有毒(有害)な男らしさ」という概念はまだ日本には浸透していないのだ。「有毒な男らしさ」は男性のストレスにもなっている。男女とも「有毒ならしさ」があるんだ、ということをキーワードによって知り得ていくことは、その呪縛から抜け出る第一歩となるはずだ。上記の男性コメンテーターが感心していたということは知らなかったとういことであり、意識していないということは無意識に定着している慣習、価値観となっているわけで、この場合悪習にすぎない。あるいは「古い価値観」と言ったほうがいいのかもしれない。言語化されることで認識に至り、そこから先へ進んでいくことができる。ジョーンズ副社長の「人々には未来の世代の視点からこのメッセージについてしばらく考えてほしい」という発信が知的だ。

 

私自身、「有毒な男らしさ」は、昨年「町山智浩アメリカの今を知るテレビ」(BS朝日)のなかで紹介されたCNNのドキュメンタリー番組で初めて知った。そのあとエマ・ワトソンの「フェミニズム」についてのスピーチなどもあって、私は「有毒な男らしさ」と「フェミニズム」を通して、男女差別への意識改革がいかに犯罪を少なくしていくかという思想を理解することとなった。

「有毒な男らしさ」を示そうとして暴力を働き、刑務所に入ってしまう人間はたくさんいると語るリッチー受刑者の講義。「有害な男らしさ」の何たるかを知るには大変良いドキュメンタリーだと思う。(※M)

「有害な女らしさ」については、私が思うところを書いたものがある。(※F)

ここで繰り返し説明することはできないので、以下にリンクをはってありますので、そちらからお読みください。

お金、地位、名誉、腕力が強い、女にモテるという「有毒な男らしさ」はまた、女子力高い、男にモテるという「有毒な女らしさ」が助長しているということもあるだろう。それはまた、同性同士の争い、競争、出し抜く労力、にもなっているわけだ。どこにも穏やかさがない社会に人間たちは生きている。

 

短絡的に「男らしさ」「女らしさ」を否定してしまってはいけないのと同時に、「有毒な男女らしさ」について考えていくことは、すなわち男尊女卑、女性蔑視、男性優越主義、ハラスメント、あらゆる差別をなくしていくための意識改革になっていくのではないか、と私は感じています。

 

郷ひろみの「男の子女の子」はもちろん、昭和の大ヒット曲。

ちなみに、岩谷時子物語をNHKの朝ドラでやってくれませんか?

 

(※M)

「刑務所のフェミニズム教育」①~ある受刑者による講義~有毒な男らしさ~

「刑務所のフェミニズム教育」②~ある受刑者による講義~フェミニスト~

(※F)

「無意識のフェミニスト」が望んでいる社会~エマ・ワトソンの国連スピーチ~

この記事のなかに<「女性」という呪文と呪縛>という記事へのリンクをはってあります(アメブロ)が、関連記事になりますので、こちらへ持ってきます。