ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

ベストセラーは読まない、低視聴率ドラマが好きという少数派である私が占い師になった理由

私もこれだぁ~と思ったコラムがありました。

 

2018年9月9日毎日新聞「新・心のサプリ」海原純子心療内科医)

「少数派」

大好きなチーズがあって、地元のスーパー(そこにしかない)でいつも買っていたが、ある時から見当たらなくなったので店員に尋ねたところ、「売れ行きがよくないので仕入れなくなった」と言われてがっかりした、という話からはじまります。

私の大好きなものは、こういう運命をたどることがきわめて多い。

何故だろう、と思ったが、答えは明確だ。私は少数派(マイノリティー)」なのである。

私もまったく同じです!

私も気に入って買っていると、ある日突然なくなることが多く、これはきっと人気があるから品薄になっているのだろうと自分本位に考えていたことが多いのですが、ずっと出てこないと、あれ?と思いながらも、特に店員に尋ねることもなく、材料不足とか方針とか様々な理由でなくなったのだろう、また復活するかもしれない、などと思いつつ、実は今も待ち望んでいる商品があります。

売れ行きが悪いから、と考えたことはなかったですね。私も今度は店員に聞いてみようと思います。でも、その店での売り上げということで、商品そのものの製造が中止されたということはないのかもしれませんよね。メーカーに訊くか、今ならネットで探すか、でしょうか。

 

私はいつも正規分布曲線のカーブを心に思い描く。(略)その曲線の左右の8割に集団はおさまるものだが、端の1割に少数のおさまりきらない集団がある。

私はそういう嗜好性の場にいるのだろう。

 なるほど。

身体的な条件でも少数派だったことは間違いない。

私もです。身長とか髪の毛の量の半端ない多さとか。周囲を見渡すとうらやましいことだらけでした。

 

興味を感じる分野も少数派らしく、ベストセラーにはほど遠い本が好きだったりする。

自分が「これは面白い」と思って書いた本が売れないのは、そういう理由だろうな、と納得したりする。

私も、大衆受けとは違う道を辿ってばかりです。ベストセラー作品とか芥川賞作品とか、いわゆる世間で評判になっているものはほとんど読みません。と言いますか、ベストセラーだから、という理由では読みません。たまたまベストセラーになっていることはあります。マイナーな書物に興味を抱くことが多い私には、図書館やネットはありがたい存在です。

書物もそうですが、テレビ番組も同様です。ドラマなどはたいてい、視聴率の悪いものほど私の評価は高いのです。

こちらでドラマ評書いています。よりみちねこのドラマカデミア

今夏シーズンは、「義母と娘のブルース」最終話前に17%いったそうですが、私は酷評しています。一昨日(9月18日)は主役の綾瀬はるかがTBSで朝から夕方まで報道番組で番宣していましたが、私などは「綾瀬はるか、どうしてこんな役……」と思ってしまっています。録画していますが、ここ4回ほど観ていません。観る気が起きないのです。けれども、一昨日が最終回でしたので、近くなんとかまとめて観て感想だけは書こうかと思っております。

しかしテレビドラマの場合は、視聴率と質は必ずしも一致しない、というのは周知の事実ではあります。でもなんか、悔しくて、悲しくなってしまうのですよね。

 

コラム後半、海原は一転して少数派のメリットを述べています。

医療の分野で、ほとんどそうした反応はおこさない、とされているような反応を起こす人がいた場合、(略)少数派の人でそんなことがあるかもしれない、とごく自然に思うことは仕事上役に立つ。

職場の働き方にどうしてもなじめず、みんなと同じように何故できないのだろう、と悩む少数派の人たちの不安感も察しがつく。

なるほどなるほど。

さらに転じて、差別の話題から、少数派へのエールへと話が進みます。

少数派というのは、多くの人と違うことで生じる生活上の不便さの中で生きることの他に、多数と異なるということでゆらいでしまう自己肯定感と戦わなければならないのだ。

ちょっと難しい表現ですが、つまり、こいうことですよね。

周囲と違う感性を持っていることで、周囲に合わせる苦労があったり、同調圧力に抵抗できているうちはまだいいのですが、自分っておかしいのかな?間違ってる?などと不必要な悩みを抱いてしまうこともある。

 

少数派はいじめの対象になったりする。いくら多様性を、と叫んでも想像力がない人には理解できないのかもしれない。 

これが一番困りますね。仲間外れ的な。子ども社会にも大人社会にもあります。排除や差別はどこの国にもありますが、日本のある種の仲間意識的プレッシャーは、個を認めないという不健全さ伴っています。ヨーロッパやアメリカだと、誰が何をやっても、何が好きでも、どんな服を着ても、それをとやかく言う人はほとんどいないと思います。飲み会に行くか行かないは本人の自由。少数派タイプの人が、罰ゲーム的に幹事をやらされたりしない。日本の場合、いまだにハーフということがいじめの原因になったりするのも、私の感覚では全く分かりません。

 

少数派たちよ、じゃぁ、どうする?

みんなと同じことができない人は、みんなと違う「できること」がある。それをみつけて磨きをかけることに集中してほしいと心から願うのだ。

最近、うつだったり、心身症だったりで会社に行けなくなる人は本当に多いです。

「できる・できない」はその場の型にあてはめてのことですよね。そうじゃなくて!と周囲に言いたいところですが、想像力の育っていない人々はまずそこから学ばなけれならないので時間がかかります。学んでも理解できない人もいるでしょう。

だったら、自分の心身を守るためにも、自分の持ち味を生かせる方向を見い出していくことが得策です。必ずあります。見つけにくければ時間をかけて見つければいいと思います。そういう人がたくさん増えてくれば、自ずと社会も変化していきます。

同調圧力者たちも黙るでしょう。

 

私の仕事は、少数派の人たちの中に眠っている宝物を探す手伝いをすることだと思っている。

海原さんは心療内科医。

私は占い師ですが、まったく同じことを思っていつも仕事をしています。

ふざけるなぁ!占い師なんてインチキだろう、くわせもんだろう、いいかげんなことを言うなぁ!という声が聞こえてきそうです。

私がこの仕事をしようと思った心根は、

「自分と同じような悩みを抱えている人たちを助けたい」だったのです。

私の占いは「当たるか当たらないか」だけではありません。

タロットカードを使う「カウンセリング」と言っても過言ではありません。

実際、タロット占いはカウンセリングの要素を持っている、と言っている人は最近多いです。

政策プロデューサーでコミュニケーション論が専門の若新雄純は、心療内科や精神科へ行く前の気軽な相談者(所)として、占い師を位置づけてもいいのではないか、と「モーニング・クロス」という情報番組で発信していました。

私もそう思います。薬も処方しませんし。

ひょっとするとたった1回の対話で、すんなり悩みが解けるかもしれません。あ、そんなことだったのか、と。心のもやもやを晴らすのは、ほんの少しの気づきだったりします。自身の思い込みや、他人から不条理に受けた呪縛で、心は締め付けられています。

 

自分の宝に気づいていない人は、意外と多いのです。と同時に実は逆に、少数派をなじる人たちも、本当の自分の宝が見えていないのです。