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「おかえりモネ」〜罪悪感の罠 秘密を語る②〜人生の回収⑥〜「老い」の哲学〈+α〉〜「カップ6」「No15 悪魔」「ワンド9」〜

NHK朝ドラ「おかえりモネ」(2021年前期)

脚本/安達奈緒子

出演/清原果耶 蒔田彩珠 坂口健太郎 内野聖陽 鈴木京香 他

 

「第21週(101話〜105話)胸に秘めた思い」では、前の記事で紹介した70歳の女性相談者さん(医師からすれば患者さん)と似通った打ち明け話があった。

 ドラマもいよいよ最終章。主人公で気象予報士のモネこと永浦百音(清原果耶)は、東京から故郷に戻ってきて、コミュニティーFM(震災のときに立ち上がった災害FM)の気象情報コーナーを担当させてもらうことになった。

 101話でこのような放送をした。

ここでちょっと気象と心にまつわるお話です。

今日は低気圧が近づいてきています。こんな日は身体が重かったり、頭が痛かったりする方もいらっしゃると思います。

これは気象病といって、気圧の変化を身体が敏感に感じることによって起きる症状です。

今日のような日は、普段は忘れていた痛みがぶり返したりするものです。そしてそれは、身体の痛みだけではなく、心の痛みも、だったりします。

みなさん、ちょっと痛いな、しんどいなと思ったら、心にためていること、言えないこと、少しだけでも外に出してみてください。ここに来て話してくれてもいいです。声を聞かせてください。

 雨の日に必ず頭痛を起こすという人もいるし、昔の怪我や手術のあとが傷んだりもする。私も体調不良になってから、曇や雨の日はなんとなく身体が辛い。

 昔の傷は、身体的なものだけではなく、心の痛みも同様だとモネは言った。確かに、どんよりとした日は気分がすぐれない。するとネガティブになって、心のなかは良くない思い出のオンパレードになったりすることもある。太陽が出ていると心も身体も晴れ晴れする。北ヨーロッパの人たちが太陽がいっぱいのイタリアに憧れる気持ちも理解できる。

 

 さて、モネの母親・亜哉子(鈴木京香)は小学校の教師だった。震災のあと教師を辞めたが、義父はそれは6年前に亡くなった義母(義父の妻)の介護のためだったとずっと思っていた。けれども、そうではなかったことを亜哉子は打ち明ける。

 震災が起きたとき、生徒たちのことよりも自分の娘たちのことを考えてしまったからだ、と。

 亜哉子はこの罪悪感をずっと胸に秘めたまま過ごしてきた。ずっと閉じ込めて、悔やんできた罪の意識。自分で自分を責め、自分を許すことができない。教師失格。

 亜哉子は、当時の生徒と再会したことと、家族の間で起きている様々な問題をきっかけに、この思いを家族に打ち明けることとなった。話せてほっとした、という亜哉子。そして、辛いことを思い出させてしまったと謝る義父も、自分の妻のせいではなかったと安堵する。そして、家族の問題がすこし前進した。

 

 誰かに話すとその傷から解放される。

 あれほどの震災だ。いくら学校の先生でも自分の家族のことが心配になって当たり前だ。だからといって亜哉子は職場放棄をしたわけではない。ただひたすらに自分だけが知っている、自身の心の問題であり、罪悪感だ。

 豪雨浸水被害が起きたとき、自分の家の様子を見に行ったらしい知事がどこかにいた。テレビドラマ「救命病棟24時」では、震災が起きたとき自宅に帰ってしまった看護師がいた。

 公と私。職業によっては公を優先すべきものがあるのは確かだ。それは本当にとても尊い仕事だ。

 以前、教師が自分の子供の入学式に行くために自分が勤務する学校の入学式(始業式)を欠席した、という話題が報道番組を賑わせたことがあった。記憶が定かではないが、その先生は担任を持っていたのではなかったか。欠席してもいいルールがあったのかもしれないが、私としては(子どもを預ける側からすれば)、こういう教師は何かあったときに自分のクラスの生徒たちを見捨てるにちがいない、という評価を下してしまう。特別な始まりの日なので普段とはちょっとわけが違う。といっても、それは生徒たちにとっても、この教師の子どもにとっても同じなのだが。

 

 実はモネの妹、みーちゃんこと未知(蒔田彩珠)も心に罪の意識を抱えたままだったことが、最終週で判明する。モネの促しで初めて心の内を打ち明けた。

 震災の日、中学1年生だったみーちゃんは、おばあちゃんを置いて逃げてしまった、という。だから島にいてつぐないの人生を送らなければならない、とずっと思ってきたようだ。

 おばあちゃんは、未知が逃げようと言っても、どんなにひっぱっても絶対に家から動かなかった。それで海(津波)が見えたので自分ひとりで逃げた。おばあちゃんはそのあと大人の人たちが助けてくれた。

 自分を責めつづけているみーちゃんにモネは言う。何度思い出しても、そのたびに私が「みーちゃんは悪くない」と言うから、と。力強い言葉だ。

 

 この朝ドラ「おかえりモネ」は、朝のドラマにしてはハードな脚本だ。主人公に紆余曲折があっても、ストーリーだけをわくわくと追えるような偉人伝とは違う。

 前の記事の最後でも書いたが、このドラマには何度か打ち明け話のシーンが出てくる。そのとき自分はどう思っていたか、どう感じていたか、どんなことを考えて生きてきたか……、が語られる。

 故郷に縛られているんじゃないか、故郷のために何かできることはないか……。自分は本当は何がしたいのか。

 

 人は、誰かの気持ちを慮って、あるいは自分自身の罪悪感を閉じ込めて、表面的には明るく振る舞うことができる。明るくなくてもごく普通に、人に言えない出来事など持っているようには見えない顔つきで生きることができる。私はそのような状態を「みんな嘘をついている」と思ったことがあった。

 嘘などというとなにやら心穏やかではいられないが、でも、思っていることと違うこと、ときに正反対の言動と価値観で生きている(これを世間では「大人になる」と言っている)のだから。若い私にはそう見えた。どうしてみんな本当のことを言わないのだろう、言ってくれないのだろう、と。けれども、それが思いやりだったりすることもあるので、そうした「思いやり深い大人な」人たちからすれば、私のような思考はがさつで冷淡に見えるのかもしれない。

 

「ここに来て話してくれてもいいです。声を聞かせてください」とモネは放送した。

 モネのラジオで、あるいはモネに打ち明けてもいいけれど、知っている人がいたり、聞いたりしているとちょっと二の足を踏むかもしれない。話すことが自己顕示になってしまうようなケースもある。

 以前にも書いたが、旅先の行きずりの人は、打ち明け話を聞いてもらう相手としては格好の人物になってくれることが多いように思う(もちろんその人物の人柄にもよるが)。知らない人なので、喋る方も聞く方も偏見がないぶん、判断したり、無理に変な助言をしようとしたりしない。けっこう受け身な感じで聞いてくれる(100%ではない)。あるいは、心療内科医と似通った立場としては占い師もいる。これももちろん占い師の人柄や相性もあるが、心療内科へ行く前にちょっと試してみても損はない、と私は思っている。若新雄純(実業家 テレビコメンテーター)も数年前に同様の提案をして、占い師の存在を認めるコメントをしてくれたと記憶している。

 

「おかえりモネ」の亜哉子や未知のような体験からくる罪悪感は、同種の体験をした人でないとなかなか深く理解して受けとめるのは難しそうだし、もしかしたら医者でも誰でも、この震災を体験していない人の言葉は軽薄に聞こえてしまうかもしれない。

 人はみな何かしら罪悪感を抱えている、人生の回収にあたってそのことにあたらめて気づいてしまうかもしれない。それが人生総決算の評価の良し悪しに関わっているとき、後悔していることに対して「あなたは悪くない」と日々言われ続けたとしても、それで救われるのかどうなのか、という疑問は残る。が、そのように励ましてくれる人がそばにいてくれることは、それはそれで、いや、それだけでありがたいことだ。

 

 ひとつ思うことがある。

「おかえりモネ」の最終週もそうだったが「未来への希望を持つ」ことが、人生回収での罪悪感や救われない思いへの処方になるのではないか。

 60歳でも70歳でも80歳でも、そこから先の未来へのいわゆる夢、願望を描くこと。過去の悔しい思いを払拭するためとか、逆転さよならホームランを打って見せつけてやろうといった相対的な望みではなく、自分の中での成長だ。あれをしようこれもしようという気概を持ちつつ余生を送ることが、罪悪感や悔恨からの救出作戦になるかもしれない。もちろん体力や健康状態によってその取り組み方は人それぞれになるとは思うが。

 すなわちゆるやかに描くのか、がっつり描くのか。体力と財力に相談してできそうなことを夢見るのか、たとえ体力的にも財力的にも明らかにできそうもないことであっても思いっきり夢想するのか。「BucketList(死ぬ前にやりたいことリスト)」にはそのどちらも書いていい、否、書いたほうがいい、と私は思っています。

 今立っているところから先の夢、目標、望みを明確にすることによって、「え?こんなことできちゃった」という体験をすることになるかもしれません。いわゆる「引き寄せの法則」は、全年齢に分け隔てなく働くのですから。

 

 加えて、前の記事「罪悪感の罪 秘密を語る①」の70歳女性のエピソードと「おかえりモネ」が教えてくれることは、「秘密」「思い出」の処理方法だけではなく、私たちがいかに過去の出来事(思い出)に束縛されて脱出できない(「No15悪魔」「ワンド9」)でいるか、ということだ。

 70歳の女性は、自らの行動を恥じて50年間苦しんできた。70歳ということだから20歳のときの事だ。う〜ん、私だって恥じ入る事はいろいろある。

 けれどもこの女性は、恥じて苦しんでいる。ということは良い人なのではないか?悪人だったら恥じたり、苦しんだりはしない。恥じて苦しんでいるというだけでも、自分を許してあげるに値いするのではないだろうか。してしまった行為はともかくもこの精神科医が言うように、ものすごい悪行ではない。その手紙を受け取った人の心は確かに当時傷ついたかもしれないが、あなたも50年間、行き場のない思いを抱え込んで苦しんできた。

 もう「自分を許して」あげませんか。そして余生を楽しく自分のために生きてほしい、と思います。

 みーちゃんと亜哉子も、ここから先の夢に向かって歩き出しました。

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