ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

「ただ」でする仕事ってなんだろう?「ただ」でしてもらえる仕事って何だろう?③~補足/人・仕事への尊重~

補足です。

 

この「ただで○○」なのですが、とても気持ちの悪いものを感じるわけです。

内田樹が言っていた、フランスのノーベル賞作家カミュの身体感覚。

つまり、理由は分からないけどなんとなく「良いと感じる」「良くないと感じる」といった感覚です。誰にでもあると思います。シックスセンス的なものかもしれません。

どう感じるかは人それぞれですし、またその感度の具合も人それぞれだと思います。

そのなかの「なんかいやな感じがする」を、感じるのです。

 

これです。このツィート、何度も取り上げて申し訳ありません。

kanana*violinist@kana_vn1222
「ただで弾いてくれない?」

この言葉があまり好きじゃない。だって音大で技術と精神を研き、全てを音楽に捧げた人に「ただで」って簡単に言ってほしくない。医者に「ただで診て」とは言わないのに、なぜ芸術だとボランティアになってしまうのか。音楽家は死ぬまで勉強。精神を削る命がけの仕事。

 

 

例えば、たまにテレビでお笑い芸人が口を揃えて言う、公共の場で「なんか(面白いこと)やってみて」と言われて困る、という話。

それとの同質性を感じてしまうのです。

 

人、他人、人間への尊重、敬意というものが欠落しているコミュニケーション。

 

上記ツィートのヴァイオリニストの場合は、友人知人からの要求なのだとは思います。親しい人か、あるいは久しぶりに会った人か。

「占い」の場合、親しい友人からお金を取ることはいささかためらわれますが、食事などをおごってもらってそのついでに、ということはよくあります。

 

「何か面白いことやってみて」はたぶん「やってみろよ」の感覚が強いのではないか、と思うのです。

つまり「試し」です。

本当に面白いかどうかやってみろ、オレさまが判定してやるから的な。

上記ヴァイオリニストの場合は「うまいかどうか聞いてやるから弾いてみろ」ということは非常に考えにくいですが、その友人知人が音楽関係者でない場合は、なかにはそういう気持ちの人もいるかもしれません。同じ音楽家はそのような要求をすることはまずないでしょうし、もしそのような発言があったとすれば「冗談」なシーンであり、このヴァイオリニストが立腹してツィートすることはないでしょう。

もちろん、友人知人のなかにも、あなたの演奏がちょっと聴いてみたい、聴かせてほしい、という純粋な気持ちのクラシックファンなどもいることでしょう。私はこのタイプかもしれません。

でも、たぶん、そういう人は「ただで」とはわざわざ言わないと思うのですよね。それとも、逆に「プロなのに申し訳ないけど」という謙虚な気持ちからの「ただで」なのでしょうか?そういう人もいるかもしれませんが、それでもこの「ただで」という言葉、この場面、状況下で使われると「いや感じ」が否めません。

このヴァイオリニストも身体感覚が反発しているのだと想像します。

 

ここからは自身の経験です。

友人にはサービスすると言いましたが、以前こんなことがありました。

ある友人に占ってほしいと言われ、ランチをご馳走になって、占ってあげました。そのあとの雑談のなかで、「こんど弟が行くって言ってた。もう行ったかもしれない」と言うのです。「行く」というのは、私が占いをしているお店のことです。「どんなもんか知りたい」と言っているらしいのです。

このときの友人の顔がちょっとニヤッとして、瞬間、私の身体感覚は「いや~な感じ」を受けたのです。「あ、試そうとしてるな」と思いました。

邪推かもしれませんが、例えば「姉ちゃん、だいじょうぶなの、そんな人とつきあって。今度オレがみてきてやるよ」といったような助言的対話があったのかな、と感じました。

私はそのときこう思いました。友人なのに失礼だな、と。一生懸命相談に乗ってあげたのに、感謝のない人なんだな、とすら思ってしまったのです。

友人だと思っていたのは、私だけだったのかもしれません。その後もこの友人の、自分の悩みにのみ夢中で非常に自己中心的に考える様子を見て、あ、いわゆるサイコパスなのか、と感じてぞっとしました。そしてお付き合いするのをやめようと、心なかで決断しました。

悲しく恐怖な体験でした。

 

これも結局は、「人を尊重」する心持ちがあるのかどうなのか、というところに帰結するのではないか、と思う次第です。

人間、あるいはその人がしている事への尊重の気持ち、敬意です。これは、必ず人に伝わります。

尊敬するかどうかは、個人的な問題ですから、そういう仕事は尊敬できないのよね、ということはあってもいいと思います。好き嫌いもあるでしょう。

が、それ以前の問題として、あらゆることはまずその人を尊重する、敬意を払うということから始まるのではないか、と私は思っています。極端なことを言えば、どんな犯罪者でも、人間としては尊重されるべき、ということです。人権、ですね。テロリストでも、凶悪犯でも、その人の死を笑ったり、喜んだりすることは「尊重」とは違います。そう私は思っています。例えば死刑なら、たとえそれを望んでいたとしても、それが妥当だと感じていたとしても、厳粛に受けとめるべきです。

 

話は広がりましたが

「ただで○○してくれない?」という言葉の持つ、なんとも言えない不気味で不愉快な臭いは、人間への軽蔑であり侮蔑である、と思わざるを得ないのです。