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終戦の日~「夏になるとどうして」なのか「夏にだけどうして」なのか~

昨日8月15日は「終戦の日」でした。

 

10年20年30年前は、今よりもっと注目されていたように記憶しています。

 

どうして夏になると戦争のことを報道するのか。

という声があるようです。これはどちらかというと、戦争のことはもういいんじゃないか、という気持ちも込められているらしいのです。

一方で、

どうして夏にだけ戦争のことを報道するのか。

という声もあるようです。こちらは、そうじゃないだろう、急に思い出したように取り上げるのではなく、常日頃から取り上げるべきではないか、という意見のようです。

 

私自身、ちょうど似たようなことを考えていたので、心が反応してしまいました。

自問自答していたのです。

少し前から、新聞記事や書籍の広告、テレビやラジオ番組などに、戦争に関する内容がちらほら見られるようになり、あ、そういえば、もうすぐ「終戦の日」か、と思っていました。

これは「どうして夏になると……」に近い感情かと思います。

次にこう思ったのです。

この時期にだけ戦争の話題を取り上げるというのでよいのかなぁ、と。

これは「どうして夏にだけ……」に近い感情かと思います。

 

そして私はこう思ったのです。

地球上で戦争は止まっていないということを考えると、あるいは、日本も含めていささかきな臭い雰囲気がないでもないことを考えると、「戦争の野蛮さ、愚かさ」というものを知るという意味から、常時伝えていくことは大事なのではないか、とまずは思いました。

けれどもはたと思ったのです。でもそれって、なかなか難しいことだなぁ、と。

だからこそ、こうして記念日があるのだな。ぜひとも思い出さなければいけない事、その日。

ですので、

せめてこの日だけでも、いや、この日周辺には必ず、「戦争」ということに思いを致す、思いを致すことができる、万人が知る機会を得て考えることができるのだ、ということなのだな、と帰結したのでありました。

 

ほとんど記録が焼かれてしまい、検証が難しい日本の戦争。

それでも、口を開くことのできなかった方々が顔を出して辛い記憶、体験を語ってくださっています。

昨日8月15日放送の 

NEWS23特別企画】綾瀬はるか「戦争」を聞く ~語らなかった女たち~

 これも過酷だった。ひどすぎる。女性への性暴力。

混乱した世界では、人権などどこ吹く風になる(ただし、当時日本には、おそらく「人権尊重」という観念も概念もなかったようなので、日本はまずそこを学ばなけれならないのかもしれない)。

 

ゆえに、そのような「事」を起こさないために、人は、それこそ常日頃から戦争の悲劇を知り、そして、人権尊重と寛容の精神を心に刻み、再確認し続けなければいけないのだろう、と思っています。

長い道のりかもしれません。