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「無意識のフェミニスト」が望んでいる社会~エマ・ワトソンの国連スピーチ~

エマ・ワトソン

イギリスの女優です。

1990年生まれ。現在、28歳(2018年)。

2001年「ハリー・ポッター」のハーマイオニー役でデビュー。

 

子役から成長して、現在も女優の仕事を続けています。子役だけでぽしゃってはいません。学業も修めています。さらに、2014年に国連組織 UNWomenの親善大使に任命され、女性が教育を受ける権利の拡充についての啓蒙活動などもしているそうです。

日本の女優にも、このような人がいてくれたら、と無い物ねだりをしたくなります。

日本では、山本太郎が干され(現在は国会議員。良かったです)、石田純一も、東京都知事選に名乗りを上げるも、干されることを恐れた家族の大反対にあいました。

テレビなどで政治的発言をする芸能人も少数いますが、本気モードの人はテレビから離れていくようです。

女性だともっと難しいのでは?誰かが日本のエマ・ワトソンになるのは難しそうですね。

なんて言っている場合では本当はないと思います。政治の話が、芸能人にせよ、学校でにせよ、会社、居酒屋でにせよ、タブーだという現状は、世界的にかなり珍しい風景のように思います。日本は独裁国家ではないはずです。

 

そのエマ・ワトソンが、2014年9月20日、「HeForShe」について国連本部でスピーチを行いました。(「HeForShe」とは、男性にもフェミニズムの活動参加を呼び掛ける国連のキャンペーン)

 

先の2回に分けた記事で、アメリカのラッパー、リッチー・レセダについて書きました。【「家父長制」「有毒な男らしさ」という歪んだ固定観念が犯罪の要因になっている】というグループプログラムを刑務所のなかで行って「フェミニズム教育」を伝えている受刑者です。

彼は独房のなかで「フェミニズム文学」を読んでいろいろ考えて、今の思想に到達したと言っていました。そして自身のことを「フェミニスト」だと公言しています。

私は、この記事の最後で「フェミニズム」「フェミニスト」という表現に良いイメージを持っていなかったということを書きました。これまで、それらしい事を書くときには、自分はフェミニストではないが、と前置きしたりしてきました。「ウーマン・リブ」も同様です。

何かこう、逆に「女性蔑視」的な、そして軽々しい、ある種の非難の意味合いの込められた言葉のようなネガティブワードのように感じていたからだと思います。

 

そんなことを思っておりましたところ、

このエマ・ワトソンの国連スピーチなるものとネットなかで遭遇したのです。

彼女は、こう問いかけています。

なぜ、フェミニズムは不快な言葉になってしまったのでしょうか?

イギリスやアメリカでもそうなの?と私は敏感に反応しました。

日本とは社会状況も考え方も感じ方も違うでしょうから、そっくりそのまま当てはまらないのは分かっていますが、それでも「あ、おんなじだ」とシンクロしたのでした。

 

以下のスピーチ抜粋訳文はBuzzFeed News Japanからです。

 

「男女差別を終わらせ、ジェンダー平等を呼びかけたい」とスピーチははじまります。

6ヶ月前にUN Women親善大使に選任されました。フェミニズムについて語れば語るほど、女性の権利を主張することが男性嫌悪に繋がってしまうことが問題であるとひしひしと感じています。この現象を終わらせ、世の中の意識を変える必要があります。

実際、フェミニズム「男性も女性も平等の権利と機会を持つべきという信念、そして性別による政治的、経済的そして社会的平等の理論」という定義なのです。

 

(略)ところが最近調べてみたら、フェミニズムは人気のない言葉になっていたのです。

女性たちは、自分がフェミニストではないと言っているのです。どうやら私は、表現が過激で、攻撃的で、孤立させるようで、男を嫌う魅力のない女性として分類されているようです。

なぜ、フェミニズムという言葉は不快なものになってしまったのでしょうか?

 

イギリスで生まれた私は、

男性と同じ賃金を女性がもらえるのは正しいことだと考えています。

自分の体について、自分自身で決められるのは正しいことだと考えています。

自分の国で、私を代表する女性たちが政策や意思決定に参加できるのは正しいことだと考えています。

男性と同様に女性も社会的に尊重されるのは正しいことだと考えています。

しかし悲しいことに、すべての女性がこのような権利をもつ国は、この世界にはひとつもありません。

 

これらの権利は、人権だと考えています。

しかし、私は恵まれています。本当に人生で恩恵を受けてきました。

両親は私が娘として生まれてきたからといって、与える愛情の量が減ったことはありません。学校は、私が女子だからといって制約しませんでした。私に助言してくれた人たちは、私がいつか子どもを産むかもしれないからといって、これ以上何もできないとは考えませんでした。

このような人々こそが今日の私を作り上げてくれた、ジェンダー平等の大使なのです。

気づいていないかもしれません。しかし、この人たちは無意識にフェミニストとして世界を変えていっているのです。そして、もっとこのような人々が必要なのです。

 

そしてそれでも、まだこのフェミニストという言葉が嫌いな場合——大事なのは言葉自体ではなく、その背景にある考えや思いなのです。

 

1995年に、ヒラリー・クリントンは北京で女性の権利についてスピーチをしました。悲しいことに、彼女が変えようとした多くのことは、今でもなお達成されていません。

▲1995年、中国・北京で国連が主催した世界女性会議で、ヒラリー・クリントン氏は「人間の権利は女性の権利であり、女性の権利は人間の権利である」と宣言した

 

ここからは、アメリカのリッチー受刑者が説いていた「有毒な男らしさ」と符合する主張です。

男女平等は、男性のみなさんの課題でもあるのです。

なぜかというと、私は母と同じく父の存在が大事だったのにもかかわらず、今日まで父は親としての役割を軽んじられるのを目にしてきました。

精神病に苦しんでいても、「男らしくない」と見られることを恐れて助けを求めることができない若い男性を見てきました。イギリスでは、20歳から49歳男性の最大の死因は、自殺なのです。交通事故、ガン、そして冠状動脈心疾患を上回っています。

男の成功という歪んだ意識によって、男性が傷つきやすく、不安定になっていくのを見てきました。男性も、平等の恩恵を受けているわけではないのです。

 

男という固定概念に囚われている男性について、話すことは多くありません。しかし、私には固定概念を押し付けられていることが見えます。彼らが固定概念から自由になれば、自然と女性にも変化が起きるのです。

もし、男性として認められるために男性が攻撃的になる必要がなければ、女性が服従的になるのを強いられることはないでしょう。

もし、男性がコントロールする必要がなければ、女性はコントールされることはないでしょう。

 ちょっとまどろこしい表現ですが、ここで話されていることは、リッチー受刑者が話していたことと全く同じです。

「有毒な男らしさ」「家父長制」という歪んだ価値観にとらわれて、いや、おしつけられて、本当の自分を見失ってしまった男性たちによる、暴力、支配、そしてリッチー受刑者に言わせれば、犯罪。

 

私たちが私たちではないものでお互いを定義するのをやめて、ありのままの自分として定義し始めたら、私たちはもっと自由になれるのです。これが、「HeForShe」そのものなのです。自由であることなのです。

男性にも、この責任を引き受けてほしいのです。彼らの娘が、姉妹が、そして母親が偏見から自由になれるように、そして彼らの息子も傷つくことが許される人間でいられるように。

彼らが手放したこの一部を取り戻すことで、もっと自分らしく完全な自分でいられるようにです。

 

ハリー・ポッターの女の子が何を言っている?」と思っているかもしれません。「国連の壇上で何をしている?」と。良い質問です。自分自身にも同じことを問いかけています。ただわかっていることは、この問題を重要だと思っていることです。そして私はより良くしたいのです。

私がこれまで見てきたことを、この与えられた機会に発言することが使命だと思います。イギリスの政治家、エドマンド・バークはこう言いました。「悪が勝利するために必要なたった一つのことは、 善良な男性と女性が何もしないことである」。

このスピーチをするにあたって、不安や迷いが湧き上がったとき、自分自身に堅く言い聞かせました。

私でなければ、誰がやるの?今やらなければ、いつ?

 

 私たちが今もし何もしなければ、女性が男性と同量の仕事をして同じ賃金をもらうのに、75年もかかるのです。私は100歳になってしまいます。

ネガティブで申し訳ありませんが、75年でできればいいですが、今の地球の状況では、200年300年かかるかもしれません。

 

もしみなさんが平等を信じているならば、みなさんは、先ほど話した無意識のフェミニストなのかもしれません。

「平等」「平和」「人権尊重」「穏やかさ」「幸福」を望んでいる人は、ということだと思います。

 

たまたま今「フェミニスト」というワードが流行っているのかもしれません。日本では無視されているように見えますが。

いつかもっと適切で分かりやすい単語、表現が出てくるのかもしれません。けれども、今のところこれは良いワードなのかもしれません。

前にも書きましたが、私は、女性、子ども、老人、障害者、いわゆる弱者に優しい社会は、地球上の全ての人々に優しい、平和な社会だと考えてきました。

フェミニスト」という言葉をどちらかというと拒絶してきた私も、エマ・ワトソンが言うところの「無意識のフェミニスト」だったようです。

 

このBuzzFeedの記事の最後にこうあります。

エマ・ワトソンが「フェミニズム」をスピーチで使った理由
エマ・ワトソンは、人々を遠ざけないようスピーチで「フェミニズム」という言葉を使わないようにアドバイスされていたと明かしている。

「しかし、じっくり考えて最終的には、フェミニズムという言葉を使うのが正しいことだと考えました」

また、スピーチをしてから12時間以内には「ネットで脅迫されていた」とも語っている。

「『これであきらめるだろう』と思ったのかもしれません。でも、さらに決心が固まりました」

「激怒していたのですが、『これだから私がやらなければいけない!だから私がやらなければいけない』と思うようになりました。なので、この人たちが私のやる気をなくさせようとしていたんだとしても、逆効果でした」

 強い女優さんですね。

日本にも、男性でも女性でも、このような俳優なりが登場してくれることを切に願います。

それを見守り、応援することが庶民の役目です。

さもなければ、実現に500年以上かかるでしょう、と想像します。