NHKスペシャル「“駅の子”の闘い ~語り始めた戦争孤児~」
2018年8月12日(日)放送
知らなかった。こんなことがあったなんて知らなかった。
私だけ勉強不足だったのだろうか。
戦争孤児。
戦争や災害で孤児になる人がいる。
それは世界中にいる。
戦後、駅で暮らす子どもたちが日本中にたくさんいたそうだ。
これを番組を観て、私は
「意味が分からなかった」。
思考回路がおかしくなる。
?????????
え?だって、
戦争で親を失って、途方に暮れている子どもたちだよね。
助けてあげたいけど自分も生活ができないくらい大変で、というのなら分かる。
「差別」?
積極的に嫌悪して差別するってどういうことなんだろう……
私の感覚のなかに全くない感覚。
むしろ、同情したり、労わったり、心を寄せてあげたり、じゃないのか。
取り締まりをする人たちも、まるで汚いものを扱うかのような態度。
え?どういうこと?意味わかんない。
このドキュメンタリーを観ながら、私はそうつぶやいていた。
親類を頼っても、優しかったはずの人たちが人が変わったように冷たくなっている。
外では野良犬扱いだ。
証言者は言う。
人間が人間にやるようなことじゃないよね。
どうしてあんなことができたのか。
なんで浮浪児になったのか知ってるはずなんだよね。
本当に。その通りだ。
昭和21年GHQが日本へ入ってきて、ようやく対策が取られるようになったそうだ。
彼らが厚生省に言ったのは「浮浪児童は困る」だった。一週間以内に東京から浮浪児がひとりもいなくなるようにと通達。
専門施設ができ、自治体による一斉収容、いわゆる「かりこみ」が行われる。
「かりこみ」って、そんな表現で報道していたのか、役人たちがそういうネーミングをしていたのか、いずれにせよ、心が野蛮だな。
しかし、施設も決してよい環境ではなかった。
体罰、檻に入れられる……。
駅で暮らす方がましだと、施設を飛び出す子もいた。
よく身に染みたよね、人の冷たさというのかね。
本当に優しかったら、あの孤児たちが、浮浪児たちがいたら、まわりでね、温かい手を差し出しているはずなんだよね。
日本人というか人間は案外そういう冷たさを持っているもんじゃないのかな、と思うけどね。
戦争についてふと考えるとき私がいつも思うのは、空爆も食糧難も憲兵も怖いけど、いわゆる隣組とか、冷淡な人に豹変する人間たちが一番が怖い、ということだ。
日本人だけではないのかもしれないが、日本民族の特性のひとつ、かもしれないと、様々な書物を読むにつれ、思い始めている。
なにしろGHQという西洋人が来るまで、子どもたちは放っておかれたわけで。
敗戦して、政治も生活もままならないということはあったかもしれないが、彷徨って苦しんでいる子どもたちに意識がいかないどころか、野良犬扱いすらするという神経は、1000年2000年かけて育成されてきたものと言わざるを得ない。
GHQの「浮浪児童は困る」は、おそらくキリスト教徒の発想なのだろうと推測する。
なにがしかの政治的意図などももちろんあったであろうが、そうだとしても、浮浪児の存在はキリスト教徒、キリスト教国として恥ずかしいことなのであろう。その思想は、尊い。
話はずれるが、昨夜、8月14日ラジオ番組「荻上チキセッション22」で、戦争の話をしていたが、日本軍の人権意識の低さについて語られていた。食糧の問題、うつの問題、それらは放っておかれた。
それに対して、アメリカは、過去の経験に学んで、兵士たちの精神を保つために、例えば、休暇制度を設けたそうだ。充分に休んでから戦地に復帰してもらう。
いや、だからといって戦争していいよというわけではありません。そもそも戦争はそれ自体が悪なので。
日本人の人権尊重意識の低さ、というよりむしろ「皆無」を証明するのに、これもひとつのよい例であるという例です。
話を戻します。
でも、そのGHQの命令を受けた日本人のやり方は、それもやっぱり野蛮だった。
GHQはそこまでの指導しなかったのか。そんな様子を見て、日本人ってやつらはなんとも野蛮な民族だな、とでも思っていたかもしれない、と空想すらしてしまう。
さらに、児童福祉法もできて、施設への補助金も始まったそうだけど、きっとネコババするやつがいっぱいいたんだろうなぁ、と邪推してしまう。
それでも、そんな人非人な人間たちのなかにも、まれに優しい人間はいる。きっと必ずそういう人、いてくれますよね。
証言者たちも、そういった恩師や配偶者に恵まれて、ここまで人生を送ってきた。
自分が駅の子、浮浪児だったということを打ちあけることができないまま夫と死別した女性。80歳を過ぎてから清掃のアルバイトを始めた。
国に対して「空襲の被害者への謝罪と補償を求める活動」に寄付をするため、だそうだ。
すごいな。すご過ぎる。ご老体で。
でも「それほどのこと」だったのですよね。
こういった事実をまずは認識していくことで、この方々の辛い体験に少しでも寄り添うことにつながり、さらに戦争の悲惨さの記憶と未来の平和につながれば、と思っています。
女性は言う。
戦争は絶対にしてはいけない、と。