とらつばロスにぜったいなってしまう…
「虎に翼」
《「韓非子」難勢から》ただでさえ強い力をもつ者にさらに強い力が加わることのたとえ。
(コトバンク)
この言葉については、第1週ですでに触れた。聞き慣れない言い回しだった。世間では、同じことを表現しようとするとき、「鬼に金棒」と言うことが多いと思う。私も使ってきたし、よく耳にしてきた(最近はあまり聞かなくなったが)。
先日「鬼に金棒だね」と言う機会があり、そう言ってから「虎に翼だね」と言い変えました。「これからは“鬼に金棒”じゃなくて“虎に翼”って言おう」とそのとき言っていた私でした。
けれども、この物語の主人公であるトラちゃんこと寅子(ともこ)は、もともと「虎」でも「鬼」でもなかった。「ただでさえ強い力をもつ者」ではない。女性というだけでその真逆。
すなわち、この「虎に翼」とは、「寅子に翼」という意味なのだろう。「トラ」は文字通り「トラちゃん」。「翼」は「法律」。登場人物たちは、戦前から戦後の時代の流れのなかで、法律を武器に世の中の不条理と立ち向かい、権利を主張し、守ろうとする。
弁護士と判事たちの、人権を巡るドラマだった(同じ法曹界でも検事はちょっと毛色が違う)。
最終週。いよいよ美佐江(美雪)と美位子の前途が明らかとなる。
さらに、寅子の当初からの思索、「法とは何か」が語られる。
長文です。お時間のない読者さんは気になるところだけでもぜひ!
①美雪(美佐江)の行方
②美位子の最高裁での裁判
③人生と法 そしてちょっとホラー
④<第130話>最終週最終話の回収 & 米津玄師は天才だ
〜①美雪(美佐江)の行方
前週で寅子(伊藤沙莉)の前に現れた美佐江の娘・美雪(片岡凜)。祖母・佐江子(辻沢杏子)が、再び補導されてしまった美雪を助けほしいと言う。美雪にこのまま娘の美佐江をなぞってほしくない、と。
「蓋をしてきたものと向き合うのは苦しい」と、航一(岡田将生)に話す寅子。
「蓋をしてきたもの」は、いずれどこかで再び対面することになるのが人生の常。解決されていないから(100%解決させることのできることなどこの世にはないが)。
とはいえ、全く別の形の似たようなシチュエーションで現れるのも常だと思うが、本人ではないものの、その娘と、しかも瓜二つの、ほぼ本人と言っても過言ではないような女性と出会い(再会し)、対峙することになるとは。なかなかのホラーだ。
窃盗教唆、売春防止法違反で、美雪が再び家裁に送致されてきた。
審判の前に寅子に挨拶に来た美雪。
友だちに売春をさせ、金品を窃盗させた疑いを持たれている、と話す寅子に、調査はいらない、ぜ〜んぶ自分がやったと言い放つ美雪。そして、正直に答えたご褒美に質問してもいいか、と尋ねる。ご褒美…ですか。
寅子と美雪の対話を、少し長いですが大事なので引用します。
美雪 先生はどうしてだと思います?どうして人を殺しちゃいけないのか。
寅子 今の質問のこと、おばあさまから聞いた?
美雪 え?…もしかして、母も同じ質問を?…そうなんだ、お母さんも同じことを…。
寅子 奪われた命はもとに戻せない。死んだ相手とは、言葉を交わすことも、触れ合うことも、何かを共有することも永久にできない。だから人は、生きることに尊さを感じて、人を殺してはいけないと本能で理解している。それが、長いあいだ考えてきた私なりの答え。
理由が分からないからやっていいじゃなくて、分からないからこそやらない。奪う側にならない努力をすべきと思う。
美雪 (鼻で笑いながら)そんな乱暴な答えで母は納得しますかね?
寅子 美雪さん、私は今、あなたの質問に答えています。お母さんの話はしていません。私の話を聞いて、あなたはどう思った?
(ナイフを取り出す美雪)
緊急通報ボタンを押そうと音羽(円井わん)が立ち上がるが、寅子が制す。
美雪 母の手帳、ご覧になったんでしょう?母も娘も他の子たちとは違う。異質で特別で、手に負えない、救うに値しない存在だと。
寅子 逆。まったく逆。
あなたのお母さんも、確かに特別。でもそれは、全ての子どもたちに言えること。あなたたちは、異質でも手に負えない子でもない。手帳を読んで気づいた。
私はあなたのお母さんを、美佐江さんを、恐ろしい存在と勝手に思ってしまった。そのことが過ちだった。美佐江さんは、とても頭はよかったけれど、どこにでもいる女の子だったと思う。
美雪 どこにでもいる女の子が、人を支配して操ろうなんて思いますか?
寅子 でももう真実は分からない。なぜなら私たちは、美佐江さんを永遠に失ってしまったから。
私は美佐江さんに対して、全てを間違えた。もっと話をすべきだった。彼女が分からないなら、黙って寄り添うべきだった。ひとりの大人として、そうすべきだった。ごめんなさい。
音羽 そんなのきれい事がすぎます。そこまで佐田判事が背負うことじゃない。
寅子 そう。あのとき私は、そう思って線を引いた。それが巡り巡って今、あなたが目の前にいる。だからね、美雪さん、私、もうこんなこと繰り返したくない。あなたのことを、諦めたくないの。
あなたはお母さんのまねをしなくていい。手帳に残された言葉の意味や、お母さんをかばう理由を見い出そうとして傷を負わなくていい。お母さんのことを、好きでも嫌いでもいい。親にとらわれ、縛られ続ける必要はないの。どんなあなたでいたいか、考えて教えてほしいの。
美雪 つまらない。そんなのつまらない。そんなのありきたり。そんな私じゃだめなんです。
寅子 どんなあなたでも私はなんだっていい。どんなあなたでも、どんなありきたりな話でも聞くわ。だから、話しましょう。何度でも。
(ナイフを投げ捨てて出ていく美雪)
なぜ人を殺してはいけないのか、という質問に答えるのは容易なことではない。ずいぶん以前に、ジャーナリストの筑紫哲也が作家といっしょにその疑問について考えていたことがあった、と記憶している。どのような答えが出たかは覚えていない。
人間のなかにある良心としか私には言えない。そこに理由はない。いけないものはいけない。盗みやいじめと同じように。でも「モーゼの十戒」にも「仏教の十善戒」にも、盗んではいけません、殺してはいけません、と書いてあるので、人は盗んだり、殺したりしてしまうものなのか。
「奪われた命はもとに戻せない。死んだ相手とは、言葉を交わすことも、触れ合うことも、何かを共有することも永久にできない。だから人は、生きることに尊さを感じて、人を殺してはいけないと本能で理解している」
寅子が長い年月、考えてくれた理由と答え。「本能」は「良心」でもあると理解する。
どうして美雪は美佐江をなぞろうとしてしまったのか。3歳の頃に亡くなっているから、さほどの影響も記憶もないように思うが。やはり手帳の存在が大きいのかな。その間、いろいろあっただろうし。
自分も母のようになるのではないか、という恐怖と同時に、母親の気持ちを知りたいという欲求もあったのかもしれない。そんなことをするときの母はどんな気分だったのだろう、と。想像ではなく、実体験することで知り得る。
「お母さんのまねをしなくていい。親にとらわれ、縛られ続ける必要はない」と語った寅子。人間は、どこかで親にとらわれ続け、気づかぬうちに束縛されていることがある。自らそうしていることもあるが、親のほうが積極的に働きかけていることもある。
「親に縛られ続ける必要はない」は、「帰るところは親元だけじゃない」と同質の助言だと思う。家裁発足のころ、栄二(中本ユリス)という少年に言っていた(第14週)。離婚に際して両親ともが親権を放棄したがっていたのだ。子どもにとっては親が全てだというのは幻想でしかない、と言ったら言いすぎだろうか。
一方でこのドラマのなかでは、寅子と花江(森田望智)は、どちらかというと親にとらわれていないと思う。自分の気持ちを大事にしている。そしておそらく二人とも、親をはじめ、家族を尊重している。尊重し合うことが健全な関係を築くのかもしれない。
加えて、ここで言う「特別」とはどういう意味なのか。後で出てくる「特別」(寅子と桂場の対話)とどう違うのだろうか。
(ナレーション)
寅子は美雪を試験観察とし、民間の施設でしばらく生活させることになりました。
半年後。施設では問題を起こさず、祖母も面会に来て関係は良好であるという報告をする調査官の音羽。
審判の日。
施設での暮らしが居心地いい、と言う美雪。そして、まだ施設にいたいと申し出る。祖母が自分といると心が休まらないだろうから、母を思い出し続けるものもかわいそうだから、と。
「理由は分かりました。それで、あなたの本心は?あなたはどうしたいの?」と寅子。
美雪といっしょに暮らしたい、と言う祖母。離れて暮らしてほっとしたのも事実だが、この半年、面会の日がどんどん楽しみになった、と。
すると美雪も、「おばあちゃんといっしょにいたいです」と涙を流す。
「並木美雪さん。あなたを不処分とします。あなたは、きちんと人生を歩んでいけると判断しました」
寅子の態度はずっと変わっていない。「あなたの本心は?」と尋ねる。自分はどうしたいのか、という本音を引き出す。上に書いた栄二少年にも同じことを尋ねた。そして彼は自分の行き先として、親元ではなく、自分に親切にしてくれていた伯母を選ぶ。
審判後、「美雪さん、また犯罪を繰り返すと思いますか?」と尋ねる音羽に、寅子は言う。
そうならないことを心から祈っているし、きっと更生してくれるわ。でも、駄目なときは、そのとき。
この感じだと、音羽はとても再犯を懸念しているようだ。
私も同じく懸念する。
サイコパスが、いわゆる更生はできないということは、アメリカのテレビドラマ「クリミナル・マインド」でも、サイコパスの受刑者を扱った研究者によるドキュメンタリーなどからも、よく知られている。
寅子は美雪を信じる。と同時に、「でも、駄目なときは、そのとき」という負の可能性があることも決して忘れていない。それは、「特別」だからではなく、きっと誰にとっても有り得ることだから。
この回収は最終話(記事下④<第130話>)で登場する。
②美位子の最高裁での裁判
山田轟法律事務所。今、この憲法に見合った世の中になっているのかどうかを考えている…と、よね(土居志央梨)。
憲法第14条。これは、このドラマ全編に貫かれているテーマでもある。
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
昭和47年(1972年)4月。最高裁法廷。
回りくどい前置きはしない、と言ってからよねの弁論がはじまった。素晴らしい内容なので、引用します。
刑法第200条。尊属殺の重罰規定は、明らかな憲法違反です。
昭和25年に言い渡された刑法第200条の最高裁合憲判決。その基本的な理由となるのは、人類普遍の道徳原理。
はて?
本件において、道徳の原理を踏みにじったのは誰か?
尊属である父を殺した被告人ですか?それとも、家族に日常的に暴力をふるい、妻に逃げられ、娘を強姦し続け、子を産ませ、結婚を阻止するために娘を監禁した被害者である父親ですか?
暴力行為だけでも許しがたいのに、背徳行為を重ね、畜生道に落ちた父親でも、彼を尊属として保護し、子どもである被告は、服従と従順な女体であることを要求されるのでしょうか?
それが人類普遍の道徳原理ならば、この社会と我々も、畜生道に堕ちたと言わざるを得ない。いや、畜生以下、クソだ。
「弁護人は、言動に気をつけるように」と注意を促す桂場(松山ケンイチ)。
「不適切な発言でした。おわびいたします」と謝罪してから、小声で「いけ、山田」とよねを励ます轟(戸塚純貴)。
憲法第14条は「すべての国民が法の下に平等である」とし、第13条には「すべての国民が個人として尊重される」とある。
本件は、愛する人と出会った被告人が、全ての権利を取り戻そうとした際、父親から監禁と暴力による妨害を受けた結果であります。
当然、正当防衛、もしくは過剰防衛に該当する。もし今もなお、尊属殺の重罰規定が、憲法第14条に違反しないものとするならば、無力な憲法を、無力な司法を、無力なこの社会を、嘆かざるを得ない。著しく正義に反した原判決は、破棄されるべきです。以上です。
道徳原理って何なんだろう。絶対的な親子関係ってことなんだろうね。でも、この父親がしたことは「背徳行為」「畜生道」「クソ」だ。それでも尊属殺の重罰規定が合憲だと言うのなら、憲法、司法、社会は無力としかいいようがない。
昭和48年(1973年)4月。最高裁大法廷判決。
「もし勝てたらどうなるんですか?」と寅子に尋ねる美位子(石橋菜津美)。
寅子 原判決が破棄されれば、おそらく執行猶予がついて、あなたはすぐ社会に戻ることができる。
美位子 でも、それって、いいんでしょうか。
寅子 え?
美位子 私、人を殺したんですよ。
私、あのとき、ひもで締めあげた感覚が今でも手に残ってるんです。毎晩毎晩、夢に見て。服役したほうが、気が楽なんじゃないかって、ずっと考えて。
寅子 何かしらの罪を償いたいと思うことは、あなたの尊厳を全て奪って、何度もあなたの心を殺してきた相手を肯定してしまいかねない。
あなたができることは、生きて、できるかぎりの幸せを感じつづけることよ。
この寅子の受け答え、すごいですね。
確かに、美位子は人を殺している。そこまで追い詰められたということを勘案しても、人を殺してしまった事実は厳然としてある。美位子自身も、忘れ得ぬ体感としてその記憶を持っている。
「何かしらの罪を償いたいと思うことは、あなたの尊厳を全て奪って、何度もあなたの心を殺してきた相手を肯定してしまいかねない」
こんなこと、 なかなか言えない。その通りだけど。乱暴に言えば「償いたいなんて思わなくていい、それは父親の背徳を肯定することになるのだから。あなたには幸せになる権利がある」ということ。償ってもらいたいのは美位子ほうだものね。
これ、美雪(美佐江)からの「なぜ人を殺してはいけないのか」という問い掛けと微妙にリンクして複雑だ。
いや、寅子は、美位子の行為を肯定しているわけではない。場合によっては殺してもいいと言っているわけではない。これはあくまでも尊属殺の重罰規定が不平等だという観点からの係争だ。とはいえ…。
主文。原判決を破棄する。被告人を懲役2年6月(げつ)に処する。この裁判確定の日から3年間、右刑の執行を猶予する。
尊属殺に関する刑法200条は、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比べ、著しく差別的であり、憲法14条1項に違反して無効である。この見解に反する従来の判例は、これを変更する。
(ナレーション)昭和25年の合憲判決から23年。長い時をかけて、歴史が塗り替わったのです。桂場は、この翌月、定年を迎えて長官を退任。裁判官人生に幕を下ろすことになります。
これも、このドラマのテーマのひとつ。
急には変わらないかもしれないけれど、人の努力と継続によって、着実に変えていくことができる。そして、変化するときは、あっという間に変化する。まるでずっとそうであったかのように。
轟の恋人である時男(和田正人)が、「僕たちの関係が法的に認められるような今日みたいな瞬間を、生きている間に迎えられたらいいな」と言うと、「そのためにできることは続けよう。俺たちが駄目でも、次の世代のために」と、轟が静かに返す。
頼もしい。
よねが美位子に言い聞かせる。
もう誰にも奪われるな。おまえが全部決めるんだ。
私も占いの相談者さんによく言っている。自分の権威を誰かに渡さないで、と。尊厳は奪われていいものではない。奪われたら、取り返さなければならない(美位子の悲劇はここだ)。そして何より、自ら渡してはならない。
私たちは、自分を大切にし、そして尊重し合わなければならない、と思う。
③人生と法 そしてちょっとホラー
美位子は、よねの紹介で、新潟の涼子(桜井ユキ)と玉(波瀬川なぎ)の店で働くことに。
星家を訪ねてきた美位子が「人生に失敗したことのない人たちはかっこいいな」と言うと、優未(川床明日香)が、「私は世間からみたら失敗してるよ。大学院中退してふらふらしてるわけだから」と言い返す。
すると、寅子が熱弁。
いいえ!美位子さんも優未も、人生を失敗なんてしていない。
あなたがもし失敗したと思っているなら、それはお母さんの育て方が悪かったせい。お母さんのせい。自分を責めて辛くなるくらいなら、周りのせいにして楽になって。ここまで頑張ってきたあなたたちには、その権利があるってこと。だから失敗なんかじゃ絶対にない!
人生に失敗はない、そう言いたかったのかな。
それにしても、「自分を責めて辛くなるくらいなら、周りのせいにして楽になって」は、ナイスなセリフだ。普通は、誰かのせいにするな、社会のせいにするなとか言われる。新自由主義の自己責任ばやりの最近はとくにそうだ。
確かに何でもかんでも他人のせいにするのはよくないが、恨むとか復讐するとかではなく、辛くなって病んでしまうくらいなら、誰か(何か)のせいにしちゃって心を軽くする、というのもポジティブでいいのではないだろうか。
美位子を見送るためにいったん外に出た優未が戻ってくる。そして、いささかくよくよしている寅子に言う。
そして、このあとがホラーなんです。
私ね、寄生虫の研究も好き。家のことも、料理も好き。読書も好きだし、麻雀も好き。着付けも、お茶や刺繍も好き。笹竹で働く時間も好きだし、みんなといる時間も、ひとりでいる時間も、おかあさんといる時間も好き。好きなことと、やりたいことがたくさんあるの。だからつまりね、この先、私は何にだってなれるんだよ。それって最高の人生でしょう。最高に育ててもらったって思ってるから。だから、私のことは心配ご無用です。小さい頃話してくれたでしょう。たくさんよりどころをつくってほしいって。
じゃあ行ってくるね。
このあと、カメラワークが引きの画面になったとき、そこに、白い幽霊の後ろ姿が映り込むんです。
いや、これはきっとすごく感動的な場面なのだと思うのだけれど。
カメラがその幽霊を前から映すと、もちろんそれは優三(仲野太賀)。外の光が当たって背中は白く見えたんだね。前から見ると、あの出征のときの服装。
トラちゃん。約束まもってくれて、ありがとうね。
優三の笑顔。寅子の笑顔。
そこへ航一が帰宅。
良いシーンなんだと思うけど、いやいや、本当に、優三の後ろ姿がぱっと映り込んだとき、私は怖かった。なんというか、すっごくリアリティのある演出、カメラワーク。
NHKの「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」みたいだった。
この26週間の「虎に翼」を振り返ると、けっこうホラーな感じのシーンも多くて、やっぱりスティーヴン・キングもちょっと入ってるな、と思いました。尊属殺事件は「黙秘(原題/ドロレス・クレイボーン)」をすこし彷彿とさせます。映画(1995年アメリカ)はキャシー・ベイツ主演。ちなみにキャシー・ベイツは、「ミザリー」(1990年アメリカ 原作/スティーヴン・キング)でアカデミー主演女優賞を受賞しています。
寅子は、横浜家裁の所長に就任。
笹竹で、仲間たちが就任祝いをしてくれる。そこへ、桂場がだんごを食べにやってくる。
寅子が桂場に話かける。
お会いしたら言いたいことがあったんです。私たちずっと法とは何かを話してきましたよね。
今私は、法とは船のようなものなのかな、と思っています。人が人らしくあるための、尊厳や権利を運ぶ船。社会という激流にのみ込まれないための船。
船の使い方は乗り手しだい。人らしさを失い沈むことも、誰かを沈めることも、間違うこともある。
人生という船旅を、快適に幸せに終えるために、乗り手の私たちは、船を改造したり、修繕したりしながら進む。
明日にはまた違うことを言っているかもしれませんが。生い立ちや信念や格好、男か女かそれ以外か、全ての人が快適でいられる船にするよう、法をつかさどる者として、不断の努力を続けていきます。
「私は今でもご婦人が、法律を学ぶことも、職にすることも反対だ」と言う桂場。
④<第130話>
すでに寅子が亡くなって15年。1999年(平成11年)。
「“男女共同参画社会基本法”が、先週衆議院本会議で可決、成立し、今日施行されます」というテレビニュースの声。
優未が、家を取り仕切っている。優未は55,6歳くらい?
寅子の幽霊が、優未のそばをうろうろ。
航一は老人ホームに入居していて、ときどき帰宅する生活。
のどか(尾碕真花)の夫は画家として成功しているようだ。随分前にニューヨークで個展を開いたりしていたしね。
朋一(井上祐貴)は家具職人になっている。
結局この兄妹は、芸術系だったってことか。
でも朋一は弁護士になってもよかったのにね。ああいう人権派は、裁判官よりも弁護士向きだと思う。まあ、またいつでも戻れるか。
大学受験のとき美大を諦めたのどかだったが、夫が画家になることを応援することで、dreams come trueの道を歩むことができていて、幸せなのだろう。夫に画家を諦めさせない意志を貫いたものね。
優未は、自宅で着付けや茶道のお教室、雀荘と寄生虫研究の雑誌の編集、花江とそのひ孫の面倒をみる生活を送っている。自分の人生は幸せだった、いつ死んでもいいようなことを以前言っていた花江。なんと長生きだったんですね。
優未は、器用なんですね。その辺りは寅子に似てないのかも。ある意味で反面教師だったのかな。そして、職業がひとつではない人間の最先端をいっている。副業というと資本主義社会に搾取されている風を免れないが、人の仕事が一種類である必要はまったくないわけで。
何かをするために何かを諦めるではなく、できること、やりたいことをとにかくやってみる精神でしょうか。
そんなある日、例の橋の上で美雪を見かける優未と幽霊の寅子。
もちろん優未は美雪を知らない。
その女性は、どうやら会社を突然クビだと言われて、なんで?と戸惑っている様子。携帯電話で誰かと話している。自分なりにがんばったのに、でも、たぶん自分が駄目だったのかな、と。
そこへ優未が唐突に声をかける。
優未 それ、あなたが駄目でも悪くもないと思います。労働基準法の第20条かなんかにあるんです。雇用主の解雇予告義務。確か、30日前、だったかな。とにかくあるんです、そういうのが。みんなが持ってる権利なので、使わないと。
もしよろしければ、弁護士に相談なさったらどうですか。私の知り合いでよければご紹介します。佐田優未の知り合いと言ってくだされば。
美雪 佐田?
優未 (メモを手渡しながら)法律はあなたの味方です。じゃあ。
知り合いの弁護士って誰だろう。
ここで美雪は、「特別」ではなくごく普通に会社員として仕事をしている、という回収がなされたわけですが…。
「笹竹」での桂場と寅子の対話の続き。
桂場 法を知れば知るほど、ご婦人たちはこの社会がいびつでおかしいことに傷つき苦しむ。そんな社会に異を唱えて何か動いたとしても、社会は動かないし変わらん。
寅子 でも、今変わらなくても、その声がいつか何かを変えるかもしれない。
桂場 君はあれだけ、石を穿つことのできない雨だれは嫌だと、腹を立ててきただろう。
寅子 未来の人たちのために、自ら雨だれを選ぶことは苦ではありません。むしろ、至極光栄です。
桂場 それはきみが佐田寅子だからだ。きみのように、血が流れていようとも、その地獄に喜ぶ物好きはほんの僅かだ。
よね いや…。ほんの僅かだろうが、確かにここにいる。
桂場 失敬。撤回する。きみのようなご婦人が特別だった時代は、もう終わったんだな。
寅子 はて?いつだって私のような女はごまんといますよ。ただ時代がそれを許さず、特別にしただけです。
桂場は最後まで、人の話に耳を傾ける人でしたね。
ここで言う「特別」は、決してよい意味ではない。声をあげられない人たち。時代が平等、公平でないと、特別な人たちが生まれてしまう。それは、優遇不遇どちらの意味でも。
「知れば知るほどおかしいことに気づく」というのは、本当にそうだ。寅子だって、改正前の憲法にあった女性は無能力者という既述に「はて?」となって、社会の仕組みのへんてこさに気づいて、そして法律を学び、裁判官になったのだから。
「傷つき苦しむ」ということもあるやもしれないが、むしろ知ることによって生じた疑問は、成長や発展を促すのではないか。
「石を穿つ雨だれになれ」と言われるのは嫌だけれど、「一粒の雨だれになろう」と自ら決心することは厭わない、と言う寅子。ほんとに。前者はネガティブだけど、後者はポジティブだから。
祝賀の席に戻った寅子。「寅子!」と呼ぶ母・はる(石田ゆり子)の声が聞こえてくる。はるは「どう地獄の道は?」と尋ねる。「最高、です」と答える寅子。寅子、いや伊藤沙莉も泣いていたけど、私もちょっと込み上げてきたこのシーン。この幽霊は怖くなかった。
そして、ラスト。米津玄師の主題歌とともに、フラッシュバック映像。
そしてそして本当のラスト。
桜舞う法廷で法服姿の寅子。
♪さよーならまたいつか♪
という歌に合わせて、寅子が口を動かす。明るい笑顔で場面から立ち去っていく。
米津玄師がX(ツイッター)に書いていた。
虎に翼最終回ありがとうございました。主題歌という一歩引いたところからの関係でしたが、さよーならまたいつか!をここまで愛情深く扱って頂けることになるとは思いもよりませんでした。朝ドラの主題歌を担えたのがこの作品でよかったと感慨に耽っております。半年間ありがとうございました。
なんか、米津玄師の感動も伝わってくる。
そして私自身、米津玄師は天才なんだな、とこのドラマで気づいた。ファンの方々からすれば、なんだおまえ、かもしれないが。
こんなにドラマにピッタリの楽曲がつくれるんですね。だからこそスターなんだろうけど。
この歌、大好きで、毎回ちゃんと聞いていました。録画やオンデマンドで観るときは、主題歌飛ばすことも多いのですが、「虎に翼」に限っては、毎回必ず、聞いてました。すなわち、130回聞いたということ。いや、違う。その他に、土曜日の週間一挙放送も観ていたし、毎日の放送も可能な限り観ていたので、130×3に限りなく近い回数を聞いていることになる。今年の紅白歌合戦が楽しみ。
とても素晴らしく、有意義なドラマでした。
脚本の吉田恵里香に拍手です。私の朝ドラベスト5に入ります。
さよーなら、またいつか。
スピンオフ希望します。
