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「同期のサクラ」第9話〜そのたった小さなひと言に大きく救われる〜

え?サクラはどこへ行くんだろう。

 

「同期のサクラ」日本テレビ水曜夜10時

主演/高畑充希 脚本/遊川和彦

 

意識不明から目覚めたサクラ。

 

リハビリで体調回復後、就活に励むが、バカ正直に花村建設を辞めた経緯を話すサクラを採用してくれる会社はない。

そうなんだよね。面接で正直に自分のことを話すことなどできない。ウツだったとか、たぶん言えない。もっと言えば、たいていの人間が、したくもない仕事をするために、あるいは地位や名誉のために、面接で嘘をつく。上手に嘘をつけない人が落とされる、という構図。

とりあえずコンビニでバイトするが、マナーの悪い客をいつものように注意してしまい、店長が土下座させられ、それを動画撮影されてしまうという顛末。そして、クビに。

 

自分は今何をすべきか考えるサクラ。

同期の仲間たちの悩みについてアドバイスを考えて、それを伝えることにする。

ところが、サクラが考えていた助言を、仲間ひとりひとりが全く同様に気づいて実践しようとしていた。

みんな、サクラを頼らず、自分で考え行動することができるようになっていた。

 

さほど深い気づきのあるエピソードではなかったが、そのなかでも、以下にあげるシーンとセリフはとどめておきたい。

 

故郷に帰る決心を同期たちに報告するサクラ。

自分がいかに何もできない人間であるかを思い知らされた、と話す。

何の資格もないし、技能もないし、手に職もないし、運転も……家事だってろくにできないし。

これって、就職できない人がよく言われる文言だ。

そういえば、もう随分と昔のことだが、私の知り合いが言っていた。「とにかく運転免許は取っておけ、それさえあればどこかに就職できる、と父親に言われたから車の運転はできる」と。また、別の知り合いもこう言っていたのを思い出す。「資格が何もないから仕事が決まらない。とにかく資格だよ、資格」と。

 

島を出て、東京に来てから10年。私はただ、文句ばっかり言ってきただけなんです。みなさんと較べてなんにも成し遂げていないんです。

やっぱり私みたいに忖度できない人間は、東京には合わなかったんです。

じゃあ、またいつか。

この「文句」という文言が気になった。

サクラのようにいわゆる「忖度できない」人間が述べる意見は「文句」と言われることが多いように思う。「意見のある人は何でも言って」と言っておきながら、自分の考えや提案を話すと面倒がったりうるさがったりする上司や店長がいる。また同僚たちも、黙ってたほうがいいと助言する。日本では、意見や提案、アイデアを文句、あるいは非難と受け取る傾向があるようだ。

東京に合わないのではなく、日本に合わないのかも。

 

アパートを出ていくサクラを引き止めて仲間たちが連れて行った場所は、10年前の新人研修のときサクラが「本当に社長賞を取るべきだ」と褒め讃えた保育園の建設現場。

(蓮太郎)これ設計したやつが言ってた。あのときおまえが褒めてくれて、これを建てるのが夢になったから、10年かけて着工にこぎつけることができたって。(略)何度もくじけそうになったけど、そのたびにサクラが言ってくれた言葉がよみがえって、勇気がわいたって。

(葵)サクラは自分が何も成し遂げられていないとか言ってたけど、おまえがやってきたことは、こうやって、もう土台がしっかりできてんだよ。おまえが灯した火は誰かの心で燃え続けてんだよ。今でも。

(菊夫)おれたちのここ(胸を指す)にも、まだまだ完成途中だけど、おまえが築いたものがあるんだよ。それなのに、それをつくったおまえがほっといて逃げるつもりかよ。それじゃ、ここまでつくったものを建設中止にするようなもんじゃないのか。

(百合)サクラ、私にこう言ったじゃない。百合さんと友だちになりたいのは、あなたの言ってることに嘘がないから、信用できると思ったからですって。そんなあんたが自分に嘘つくの?それじゃぁ、ほんとに友だちじゃなくなるよ、私たち。

そして同期たちは、いかに自分たちがサクラに助けてもらったかを話す。

 

おまえには自分にしかできないことがある。

おとなになるとは、自分の弱さを認めることだ。

本気で叱ってくれるのが本当の友だ。

辛いときこそ自分の長所を見失うな。

大切なのは勝ちより価値だ。

人生でいちばん辛いのは自分に嘘をつくことだ。

桜はけっして枯れない。たとえ散っても必ず咲いて、たくさんの人を幸せにする。

みんな、じいちゃんがFAXで送ってくれた言葉なんです。

それを全部、今みなさんに言われたような気がしました。

 

直接知り得ることはないかもしれない。が、自分の言葉が誰かを励まし続ける、ということはある。いや、むしろそのようでありたい。

また、誰かの言葉に救われた一瞬があったり、ずっと励まされつづけている、ということがある。私もそのような言葉を何かあるたびに思い出す。それを言ってくれた人たちの顔まで思い出すことができる。きっと本人の記憶には全く残っていないだろうが。

「そのたったひと言」、傍からみればなんの価値もないような言葉かもしれない「そのたったひと言」が、ある人の人生を大きく救い、助けるという奇跡は確実に存在している。

 

「同期のサクラ」第9話と同じ週に放送していたNHK朝ドラ「スカーレット」にこんなシーンがあった。

喜美子(戸田恵梨香)と結婚の約束をした八郎(松下洸平)。陶芸家を目指してコンテストに出品する作品を制作中。だが、社長から出来上がった作品を評価されなかった。喜美子の幼馴染である信作(林遣都)の家が雑貨店からカフェになって新装開店することに。以前に八郎のつくった湯飲み茶碗を気に入った信作の両親(財前直見/マギー)が、八郎にコーヒーカップを依頼する。八郎は二つ返事で引き受けるが、喜美子は、出品作品制作に支障をきたすから断るようにと八郎を促す。そこで八郎が喜美子に言ったセリフ。

喜美子は自分の作品が否定されたら悔しくてがんばる、と言うが、八郎は違う。

僕は自分の作品、あかんていわれたら自分も全否定されたよな気持ちになってしまう。

今日、湯飲み茶碗好きや、言われて救われた。小さなことやけどな、ものすごぉ大きく救われたんよ。コーヒー茶碗ほしい言われたんも、作品づくりにかえせる。力をもろうた。

「小さなことに大きく救われる」、ほんの小さなひと言が、反応が、対応が信じられないほど大きな救いとなって何かを生み出していくことがある。 

だが世の中、その真逆のことが多い。最近よく言われている「呪いの言葉」。「小さなことに大きく挫折させられ」てしまったという人は意外と多いのでは?ほんの小さなひと言が、反応が、対応が信じられないほど大きな意欲喪失を招くこと。下手をすると、ウツにもなりかねない。

サクラの言葉も八郎が受けた言葉も「祝福の言葉」だ。できれば私たちは、出会う人たちに「呪いの言葉」ではなく「祝福の言葉」を投げかけていきたいものだ。さすれば世の中は平和になるはずだ。

私も占い師という仕事がら、心掛けている。出会った方々がみな幸せであってほしい、自分を諦めないでほしい、と。

 

私はこれからも北野桜であり続けます。

じゃ、また明日。

自分が自分であり続けることを宣言したサクラ。

自分は自分以外の何者にもなれない。そんな大切なことを日頃の私たちは忘れて、誰かと較べて卑下したり、承認欲求に駆られたりしながら、ネガティブな相対世界のなかに生きてあがいている。

 

「こん世界に私を必要としてくれる人がいると信じてっけ」

サクラ、完全復活。

 

しかし、花村建設に戻って来ないか、と誘う現副社長で元サクラの上司、黒川(椎名桔平)。この中小企業面接でのシチュエーションの流れは、黒川が設定したのかな?

 

最終話、どうサクラが回収されるのか、視聴者にどのような問題提起をしてくるのか、いささか不安がよぎる予告。

「派遣占い師アタル」の最終話は、納得な内容だったが。

遊川脚本は、常にはハッピーではない。どんな教訓が待っているのだろう。

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「同期のサクラ」 ©2019kinirobotti