ねことんぼプロムナード

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本当は怖くないNo15「悪魔」カード①~アンチテーゼ レジスタンス カウンターカルチャーだった~「サタニック・テンプル」の教義~

「悪魔」と聞くとどのようなイメージを持ちますか?

恐怖を感じない人はいないでしょう。欧米では映画にもたびたび登場していますので、どこかでその恐ろしい姿や所業を目にした人は多いと思います。欧米のキリスト教会には、エクソシストなる悪魔を追い払う仕事をする聖職者がいます。

 

タロットカードNo15「悪魔」には、様々な意味、解釈があります。

このテキストでは、No12「吊られた男」カードのパワーを借りまして、「通常とは別の独特の視点」からこのカードを眺め、思いを致してみたいと思います。

 

町山智浩アメリカの今を知るTV」BS朝日

2019年7月6日放送

「悪魔を崇拝する人々の総本山 悪魔教寺院「サタニック・テンプル」

映画評論家・町山智浩が「サタニック・テンプル(The Satanic Temple/悪魔教寺院)」を取材しています。

「サタニック・テンプル」の活動についてのドキュメンタリー映画「Hail, Satan?」がアメリカで公開されたそうですが、残念ながら日本では未公開。

この団体の本部教会はマサチューセッツ州セイラムにあります。セイラムは、17世紀に魔女裁判が行われ、無実の女性たちが殺された街としても有名です。

悪魔教というと、黒魔術など不道徳なことをする集団を想像します。アメリカTVドラマ「クリミナル・マインド」でも、FBI行動分析課が犯人の署名的行動から悪魔教の儀式を読み解いたりするエピソードがいくつかあります。 

この団体の活動には、憲法違反を訴える裁判や慈善活動などなどがあります。例えば、2013年にフロリダで神様に対する祈りを学校のホームルームで捧げることが州法で法制化したのを政教分離、信教の自由の侵害、憲法違反で訴えました。キリスト教福音派の多いオクラホマ州では、議員たちが議事堂前の公共の土地にモーゼの十戒の石碑を建設。これは政教分離に反すると主張し、十戒の石碑が許されるならサタニック・テンプルのシンボル像であるバホメット(山羊の頭をした悪魔像)も置いてもらおうとしたところ、十戒の石碑は撤去されることになりました。その他、海岸や高速道路ではゴミ拾いをしたりと、環境整備活動もしているようです。

 

「他者の自由は必ず尊重しなければならない」

「信仰とか宗教のために科学的事実を捻じ曲げてはならない」

「人の失敗を責めてはならない」

この団体の教義「7つの誓い」の一部です。極めてまともな自由と人権の尊重です。

国税庁の審査により正式に宗教団体として認可されている「サタニック・テンプル」。

共同設立者(2013年創設)のルシアン・グリーブスに、「宗教団体認可にあたって聖書のようなものは必要なのか」と町山が尋ねると、

「基礎となる教本は必要だが、大いなる存在からの言葉といったいわゆる聖書のようなものでなくてもよい。私たちは独自の倫理観をもとに構築した経典を持っており、それに基づいて信仰を謳っている」

という答え。

「大いなる存在からの言葉」といったものをありがたく崇めはじめるとき、そこにカルト化した人々がうごめきはじめます。日本の都道府県が宗教法人として認めた団体は数多あります。その条件として、教義、儀式、本尊、礼拝施設などいくつかありますが、それがとんでもないカルトと化する要因とも重なることが皮肉だと私は思っています。「サタニック・テンプル」が、天啓のようなものを崇めているのではなく倫理観を軸に集まり活動しているというのは、いわゆる「宗教」「カルト」らしくなく、私個人的には許容できるものです。

 

アメリカのなかでキリスト教徒たちがあまりにも政治的に暴走しているので、それを止めるたるためにアンチテーゼとして、ちょっとジョークに近い政治運動として始めたのがこのサタニック・テンプル」と町山。

ルシアン・グリーヴス

「宗教に対する政府の立場は中立でなければいけません」

「宗教の自由はすべての人にあることに気づいてほしい」

 

町山「あなたがリーダーですか?」

ルシアン「僕はリーダーではない。悪魔教はものすごく民主的だから、リーダーとか教祖とかそういうのはない」

TBSラジオ「たまむすび」)

自由と人権に民主の尊重も加わっています。

 

さらにルシアン・グリーヴスは語ります。

「多様な考えが共存し、尊重することが私たちのメッセージです」

ローリングストーン誌」によるとこの団体は、「トランプ大統領就任後は急激に入信者を増やしていった」とのことです。

「信教の自由、宗教の自由を侵す公共機関や政府に対して抵抗をするための団体だ」と町山は解説しています。

 

このグリーヴスさん、ハーバード大学出身だそうです。ハーバード出身だろうと、東大出身だろうと、教養も深くなく、短絡的な差別主義者の人は大勢いますのでまともさの裏付けとしては不十分かもしれませんが、参考までに記しておきます。

 

いわゆる広く知れ渡っている「悪魔の本性」というのは本来、上記にあるようなこの団体が行っている事々や教義とは真逆です。人の自由など尊重せず、束縛します。捻じ曲げてはならないどころか、捻じ曲がった思想を持っています。「悪魔」カードに描かれている悪魔の頭部は山羊と言われていますがその角は(山羊の様相ではなくても)、文字通り捻じれた形をしています。

ルシアン・グリーヴスは「僕はリーダーではない。悪魔教はものすごく民主的だから、リーダーとか教祖とかそういうのはない」と言っていますが、これはとても意義深い発言です。

「悪魔」「悪魔的な人」というのは元来リーダーになりたがるものです。導くとか育てるとかいう善良なる心持ちからではなく、自己本位の支配欲からです。人間の世界にも似たような人々がいます。誰かの上に立ちたいだけの人は、権力欲、名誉欲、優越欲を満たすことに明け暮れて人生の大半を過ごします。

組織が腐りやすいのは、リーダーという立場や役職というものがそこに集う人間たちの欲得に基づく野心を擽ってくるからです。宗教の世界では、取り巻きによっておだてられ、祭り上げられた教祖が必要以上に権力を持ち、信者たちをあらゆる手段で束縛して支配し、カルト化していきます。宗教の世界というのは平穏を理想としているはずにもかかわらず魑魅魍魎をしばしば目にします。宗教団体のみならず、誰かひとりを盛り立てて、煽てていくところに集団の「カルト化」は始まります。始まりは極めて善なる志だったとしても。ゆえに、「サタニック・テンプル」では「リーダーはいない」と宣言しているのでしょう。リーダーという存在が君臨すること、あるいはそれをつくりあげてしまうことの、それこそ悪魔的恐ろしさを知っているがゆえに。

 

「サタニック・テンプル」は、「神の独裁に対して反対をする運動」だと町山は言っています。「悪魔を悪魔として尊敬しているのではなく反逆者として尊敬してる」と。

「言葉で書かれた掟よりも良心を信じよう」

「聖書には悪魔がキリストを誘惑したと書いてあるが、それは砂漠で苦行をしているキリストに、そんなことしてもしょうがないよ、と言っただけだ」

「イヴにりんごを食べさせた悪の元凶のように言われているけれど、あれは知恵の実で、人間はそのあと利口になって文明を築いたでしょう」

TBSラジオ「たまむすび」より)

 「サタニック・テンプル」のこれらの主張を聞きますと、「レジスタンス」「カウンター」という活動や文化を彷彿とさせます。

 

十戒」や「五戒」にある、殺していけません、盗んではいけません、嘘を言ってはいけません、などなどは洋の東西を問わず現代でも通じる道徳です。残念ながら、大昔から人間は成長していないようです。

ですが、「十戒」にある「私のほかに神があってはならない」については、いわゆる「一神教」の落とし穴的要素が多分にあります。(「偶像崇拝」を禁じているのは逆に「悪魔」カードでの注意すべき「熱狂」という自己喪失の観点からはよい戒めだと思いますが、それは別のテキストに書きます。)

「サタン(ルシフェル)」の「失楽園」的行動が、「神の独裁」に対する「レジスタンス」「カウンターカルチャー」だとすれば、「これ以外はだめ」という神からの命令はは、「不当な権力支配、独裁、全体主義」へのレジスタンの「オブジェクション、プロテスト(異論反論抗議)スイッチ」を押すんだろうな、と容易に空想できます。

ここでNo5「神官」というカードが浮かび上がってきます。

「神官」はいわゆる「お坊さん」です。教皇、司祭、神父、牧師、僧侶などなど、教会、寺院で働いている聖職者です。このカードは、学習、純真、慈悲、善、精神的成長などの真面目で誠実な意味が大きく、決して怖いカードには見えません。ところが、組織の長で権力を持ったキャラクターだという視点に注目しますと、信者たちを統率して束縛する存在でもあり、また信者たちは実は戒律や教義で脅されたり縛られたりして神官にひれ伏しているのかもしれません。脅されるとは尋常ではありませんが、神秘世界でよく使われる「バチが当たる」がそれです。

そのような姿は、「信仰」ということを考えたときには、神に、あるいは神官に従順に付き従う信者といういかにも美しい光景にも見えるかもしれませんが、一方で現代的感覚からしますと自由を奪われているような雰囲気も醸します。

「No5神官」には「ルール」という意味もあります。ルールは人間がたくさん集まって暮らす場所には欠かせないものです。が、人々を従えて、逆らえないようにするための戒律や規則でもあります。特に「自由」を愛する人々からすれば、規則づくめの世界は窮屈でしかないことでしょう。

もちろんだからと言って、人を殺していいというわけではなく、無法地帯に自由を求めているわけでもないということは万人の共通認識としてあるということを付言しておきます。

 

===②へつづく

 

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