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「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督映画)②~登場人物から「思い出」を考えてみた~タロットカード「カップ6」

ワンダフルライフ』のテーマのひとつは、「人にとって思い出とは何か?」という問いです。

死者たちは初めて辿りつく施設で、職員から「あなたの人生を振り返って、大切な思い出をひとつだけ選んでください」と言われます。選ばれた思い出のシーンは、職員の手によって映画化され、死者たちはそれを観ながら、思い出とともに天国へと旅立つことになる。

是枝裕和「映画を撮りながら考えたこと」ミシマ社P33)

  

「ワンダフルライフ」(英題After Life)

1999年公開(日本)

監督・脚本/是枝裕和

出演/ARATA(井浦新) 小田エリカ 寺島進 内藤剛  谷啓 伊勢谷友介 他

 

「思い出とは何か?」ということをこの映画から汲み取ってみました。

 

タロットカードに「カップ6」というカードがあります。

このカードは『「思い出」には「よい思い出」もあれば「よくない思い出」もある』ということを教えてくれています。

「よくない思い出」というのは、その記憶に囚われて、そこから抜け出ることができない、先へ進めない、先へ進もうとするとそのときの感覚に阻まれてしまう、そのような思い出です。

楽しくて良い思い出だったとしても、そのことにしがみついているのであればまた、その思い出も「今を生きる」という視点からすれば「よくない思い出」となってしまいます。

例えば、好きだった人の思い出。その人のことを忘れることができずに、新しい恋人を見つけることもできず、結婚もできない、出会いがあっても必ず較べてしまって別れてしまう、というような人、いませんか?過去の栄光よ再び的な人、いませんか?「思い出」が足枷になってしまっています。

 

「ワンダフルライフ」のなかで、子どもの頃のシーンを「印象深い大切な思い出」として選んだ人もいました。自然な幸福感です。穏やかに死にゆくために(この映画では天国へ旅立つために)は、「カップ6」のエネルギーが「幼き日の思い出」としてポジティブ効果をもたらす人たちです。

ですが生きている人間からしますと、「過去の思い出」に囚われていると先へ進めませんよ、ということがあります。「過去の思い出」が「ノスタルジー」となってしまうとよくありません。過ぎ去った時を懐かしむ心は、往々にして後ろ向きな姿勢です。あのころはよかったなぁとか、あのときはうまくいったのにとか、そういった過去の自分や状況が強く思い出されるのは、たいてい今がうまくいってない(と思っている)からです。現実逃避の精神構造となっています。良かったときのことを思い出して元気を回復する、という手立てももちろん歩みを進めるときには有効に働くこともあります。けれども落ち込んでしまった心が浮上してきたら、そこに留まることは速やかにやめなければいけません。過去は過去、ですので。

この映画内で「子どもの頃の思い出」を天国へ持っていきたいと語る人たちは、大人になってからの自分をネガティブに捉えているのではないか、とも推測できます。

 

映画の登場人物死者22名の何人かの思い出から、思い出の構造を眺めてみましょう。

A)夛々羅(たたら)さんというおばあさん。戦後、お兄さんから買ってもらったかわいらしいワンピースのことと、自分が劇場などで童謡を歌って踊ったこと、それが楽しい思い出。

これはとても優等生な思い出だと、私は思いました。同時に、それ以上に印象深い思い出はなかったのでしょうか、とも疑問に思いますが、この女性は言葉づかいも丁寧でお上品なので、七転八倒のご苦労はされていないのでしょうと推測できます。夫や子どもや孫がいるのかどうかは映画のなかでは分かりません。お兄さんを3年前に自分が看取った、ということを言っているので、もしかしたら、ずっと兄妹で仲良く暮らしていたのかもしれません。

 

B)9歳のときの関東大震災のことが忘れられないという女性。地震のあと竹藪に避難してみんなで遊んだ。母親たちがごはんを炊いておにぎりを作ってくれた。それが忘れられない。

 

C)戦地での体験を語る男性。何も食べておらず塩分を摂取していないので力がでない。敵兵に囲まれたとき、どうせ死ぬならその前にタバコをくれと要求したらくれた。それから食べ物もくれと言ったらごはんを炊いてくれた。そのときのなんともいえない幸福感。

 

A)とB)は幼い日の思い出。

B)とC)は怖い体験のなかでの救われた記憶。別の死者で、自殺しようと思った瞬間に光を見て、気づいたら電車がすでに通り過ぎていた、脳裏に過ったのは恋人と親の顔だった、というときを選んだ男性もいた。恐怖や絶望そのものはネガティブでしかなく、忘れたい記憶ではないのかと思うが、強烈に残っている情景ということで言えば何よりも強烈な出来事であるし、さらにそこに「救われた」という記憶が加わると、人生のどの場面よりも強烈な幸福感となるのであろう、と想像します。

ちょっと意地悪な批評視点から述べますと、どん底からの救済、浮上によって味わう幸福感は、はたして本物の幸福感なのだろうか、ということもあります。怖い体験のあとの優しさや安心は、誰かを支配しようとする人物がよく使う手口でもあります。人間はそのようなホルモンや意識の仕組みを持っているということのようです。

「生還」という一種の「神秘体験」的なものでもあるのでしょう。

 

D)成人式の日に、つきあっていた男性と帝国ホテルで会う約束をしていた客商売の女性(白川和子)。彼は既婚者だった。天国へ持っていきたい思い出としてその状況を選ぶが、実は彼はホテルへ来なかった、と担当者にあとで打ち明ける。それでもこの時のことを「大切な思い出」として選んだ彼女。

 

E)学校の部室にいる自分の耳に憧れの女性のカバンについていた鈴の音が聞こえて近づいて来るとき、を選んだ若い男性。

 

D)は、単純に考えれば、待ちぼうけという裏切られた悲しい思い出です。その男性がよほどステキな人だったのでしょう。けれども、これを選択したということは、やはりそのとき以上の「大切な思い出」がない、ということでもあると読み取れます。そう考えると彼女の50年近い人生は苦労が絶えなかったのかな、男運が悪かったのかな、と空想してしまいます。 

D)とE)の共通するところは、「待っているとき」です。「待っているときのワクワク感」をこの上なく幸せに感じているのです。もしかしたら、そのあと失恋したからこそよけいに印象深い思い出として残っているのかもしれません。ちなみにE)の男性はそのあと失恋したのかどうかは定かではありません。

 

F)一時期パイロットを目指して訓練を受けていたとき、たった1回だったが、セスナで雲の間を飛んでいたときに見た景色が一番思い出深い、という男性。

 

F)の男性は、試験に受からずパイロットになれなかったのでしょうか。まだお若そうです。何か特別な事情があって訓練をやめざるを得なかったのでしょうか。その後の人生のなかで死ぬ間際までしていた事々よりなにより、この思い出が光っているということです。

 

G)21歳のフリーター男性。選ぶつもりまったくない、とつっぱねて担当者たちを困らせる。そして夢じゃだめなのか?と問い掛ける。初めは夜寝ているときに見る夢の話をしていたが、実はそこではなく、将来の夢を選んではいけないのか?と持論を展開しはじめる。過去のことはただの記憶でイメージ化されているにすぎない、未来のことのほうがリアリティがある、と。過去の同じ瞬間だけ生きていくことは、僕にとってものすごく辛いこと。

ちなみにこの青年は、若き日の伊勢谷友介が演じています。役名も伊勢谷くん。

 

F)とG)のシンクロは「夢」。

F)では、叶わなかったのかもしれないが、自分の夢に少し近づいて体験しているときです。

G)は、21歳なので、諦めた夢でも、夢の途中でもなく、これから何かをしようとしているとき。フリーターということなので、何かやりたいことがあって定職につかないのか、単に定職につけなかったのか、そこは定かではありませんが、将来こうなりたいとか、こうなるだろうというシーンを描いて、天国ではそのなかにいたい、ということです。何かあったのでしょうね、いや、何かしないといけないという価値観を持っていたのかもしれません。夢を強く持っていれば持っているほど、21年間の人生のなかではまだ満足できる思い出はないのかもしれません。不満足なそのなかからのひとコマを選んで、尚且つ、過去のその瞬間のなかだけに生きるなんてたまったもんじゃない、ということでしょうか。これには一理あるように思います。どれほど幸せなシーンだったとしても、施設の職員の説明によれば、その思い出のワンシーンはそのまま固定されるようなので、ということはそこには「変化」も「成長」もないわけですから。夢を抱いていた若い彼からすれば天国とはいえ、そんな退屈なところはないでしょう。やりたかったことをやって満足しているそんな思い出の世界に行きたい、と考えるのも頷けます。往生際が悪い、と言えばそれまでですが。

 

H)「あんまり自分のしてきたことを振り返りたくないんですよね、やな思い出ばっかりだったし、かといってこれから長生きしたとしてもそれほど楽しいことがあったとは思ってませんから」と言う50歳の男性・山本(志賀廣太郎)。さらにこう述べる。「もし8歳とか10歳の思い出を選んだとします。そしたら僕は、そのときの気持ちだけ持っていくことができるんですか?他のことは全部忘れられるんですか?そうですか、忘れられるんですか。じゃあ、やっぱりそこは天国ですね」。山本は結局、5歳のときに押し入れにガラクタを持ち込んで自分の隠れ家にした「そこ」「その暗闇」を選んだ。

 

H)の発言から分かるように、「他のことは全部忘れる」=「辛いことは全部忘れる」ことができる、つまり、ずっと「選んだその感覚」を持っていられるというのであれば、「辛いこと」ではなく「嬉しいこと」「楽しいこと」を人は選ぶはずです。忘れたいことばかりの、よほど過酷な人生だったようです。

 

I)女子高校生・吉野香奈(吉野紗香)の選んだ思い出については①の記事で書いたので省きますが、H)の伊勢谷くんと年が近い同じ若者でも、彼女の場合は、物理的、表面的思い出から精神的、クオリア的思い出を選びなおしました。風に白い洗濯物がはためいている夏の日の縁側で母に耳掃除をしてもらっているというただただ懐かしい感覚の思い出。これは、奥深い示唆を投げかけてくれているように思います。

私はH)もI)もどちらの気持ちも理解できますし、できればどちらも欲しいですね。

 

J)夏休みの前の日。路面電車に乗って窓から入ってくる風に吹かれていたときを選んだ中年男性。

 

J)は、D)E)の「待っているとき」と、I)の「穏やかなとき」の両方を含んでいるように思います。つまり、明日から夏休みが始まるというワクワク感と、路面電車から眺める風景の楽しさと心地よい風が穏和な静けさを運んできている、というある種の贅沢なワンシーンです。

 

K)すでに幼い自分に戻っているおばあさん(原ひさ子)。9歳の記憶のなかに生きはじめている。

 

K)のおばあさんは、これもある種の「悟り」なのかもしれません。が、G)の伊勢谷くんのことを考え合わせますと、そこが幸福だったり、穏やかだったり、平和だったり、純真だったとしても、9歳という幼い記憶のなかに閉じ込められてしまうのには、私もいささか抵抗があります。大人の自分、人生の理不尽などを体験してきた大人の自分が、やっぱり子供のころはよかったと懐かしんであの頃に帰りたい的気分に浸ったり、癒しの場として提供されるのであれば、まだ納得できますが、大人になってから得た知識の楽しさだったりまで忘れてしまうのでは、なんだか記憶喪失になってしまったようで寂しい感じがします。それでもこのおばあさんは、担当者の川嶋(寺島進)が話していた娘と桜の思い出話を理解して聞いていたようで、旅立つ前に、庭で広い集めた桜の花びらを川嶋にプレゼントしてくれます。「純真」というものが人に与える「優しさ」。そういった役割の人もいるのかな、とも思いました。

 

さて、「生きた証」を残したいとずっと思っていた「ワンダフルライフ①」の記事で紹介した渡辺さん(内藤武敏阿部サダヲ・青春時代)。

職員の話では、ほとんどの人が生きた証は残せないので、ここへ来てから探しても遅い、とのことです。

でもほとんどの人が残せない「生きた証」って何でしょうね?と思います。

 

なお、この75歳の渡辺と、渡辺の担当者で若くして戦死した望月(井浦新)、この二人と渡辺の妻、つまり望月の婚約者だった女性との三角関係、あるいは悲恋物語は、ぜひ映画でご堪能ください。

 

総じて言えるのは、年齢が高くなればなるほど、幼いころの思い出を選択するのですね、ということです。そして「穏和なとき」です。

またこんなことも私は感じました。人生でも恋愛でも、人は「待っているとき」、結果へ向けての「最中のとき」に幸福感を感じるのだな、ということです。結果はどうであれ。いや、もしかしたら手に入れたその成功が死ぬまで持続していた人は「待っている間」を選択しないかもしれません。手に入ってしまったものには大した価値を置かなくなってしまうということがあるのかもしれません。渡辺と望月の悲恋物語も、その類いのことを伝えてくれているように思います。伊勢谷くんの「未来の夢じゃだめなのか」という問い掛けも、この類いと通底していると思います。

 

あ、そうそう。伊勢谷くんは結局思い出を選ぶことができませんでした。ですので、職員としてどこかの施設で誰かの思い出探しのお手伝いをすることになるのでしょう。

 

みなさんはどうですか?

自身の思い出と、ああでもないこうでもないと格闘してみてくだい。

そこから見えてくる何か、これからの人生のヒントがあるかもしれません。

 

タロットカード「カップ6」は、「思い出の浄化」というメッセージを常に問い掛けてくるカードです。

 

 

参考記事 

risakoyu.hatenablog.com