なんだこれは。すごすぎるドラマだ。傑作じゃないか?
いや、名作。
そして悲しすぎる too sad。
野木亜紀子は、どうしてこんなストーリーを思いついたのだろう…
これは、朝子の物語だったんだね。いや、鉄平と朝子の悲恋物語。
「海に眠るダイヤモンド」 2024年10〜12月 TBS日曜夜9時(日曜劇場)
脚本/野木亜紀子 プロデュース/新井順子他 演出/塚原あゆ子他
主演/神木隆之介(1955年〜現代 二役)
出演/(1955〜75年 端島)杉咲花 土屋太鳳 池田エライザ 清水尋也 斎藤工 他
(現代 東京)宮本信子 尾美としのり 美保純 酒向芳 豆原一成 片岡凜 他
最終話のクライマックスシーン。較べ方に難があるかもしれないが、アメリカのテレビドラマ「コールドケース」(2003〜10年/主演・キャスリン・モリス)の雰囲気と似ていた。
「コールドケース」は未解決殺人事件を解決する刑事ドラマ。フィラデルフィア市警が舞台。死体があがったり、遺品が出てきたりとさまざまな理由で持ち込まれる事件。数年前のものから、戦時中のものまで。どうしてそうなったのか、どうして殺されたのか、どんな人間関係だったのか、そのストーリーが過去と現在を映像で行き来しながら語られ、そして事件は紐解かれ、ちょっとした切なさが残る。
過去と現在を行き来するだけでなく、謎が解けたあとに切なさが残るところも、「海に眠るダイヤモンド」は「コールドケース」に似ている。
ちなみに、「コールドケース」は日本リメイク版もある。2016〜20年、WOWOWで放送された。主演は吉田羊。背景をうまく日本社会に置き換えていて、上手に仕上がっていました。
さて、「海に眠るダイヤモンド」最終話、どうしてこんな悲劇(悲恋)が生まれてしまったのか、その謎が解明されると同時に、その愛の証が目の前に広がる美しいシーン、そして、そこにはもう大切な人はいないという現実が重なる激しい切なさが、視聴者の胸をえぐる。私のドラマ視聴歴史のなかで、ここまで心をえぐられたドラマは、はじめてだ。
「アンナチュラル」「MIU404」「ラストマイル」の野木亜紀子、新井順子、塚原あゆ子という黄金チーム。その時点で世間の期待も大きかった。だからなのか、ドラマがはじまった当初、いささか酷評する評論家もいた(これについてはあらためて言及→記事⑤)。
何から書いたらよいのか…
上に書いた最終話の衝撃が大きすぎて、切なすぎて、現実世界に戻ってくるのが難しい。
実は私は、恋愛ドラマ、ラブストーリーというのが苦手だ。このドラマを見はじめたとき、もしかして有名な炭鉱の島を舞台にした、「ただの」恋愛ドラマ?幼馴染たちの四角関係?という恐れも一瞬あったのだ。
まず、「端島」の映像がすごい。いわゆる「軍艦島」。長崎の炭鉱のこの島が舞台。あの廃墟が、映像のなかで生き生きと蘇っている。そのまんま。え?すごい!としか言いようがないのである。
「軍艦島」という名称は知っていた。2015年に世界文化遺産に登録されたその島が長崎県長崎市の「端島」という名前だということを、恥ずかしながらこのドラマではじめて知った。
「不思議な廃墟の島」というイメージしかなかったが、このドラマによってそのイメージが私のなかで一変した。
公式サイトにこうある。
民放の中では最もビックバジェットの枠なので、せっかく作るのであれば、大人の鑑賞に耐えうる、海外でも通用するクオリティにしたいと思ったことがまずあります。より映画的な方向です。次に、最近の日曜劇場は『半沢直樹』(TBS系)のヒットからスカッと爽快なドラマのイメージが強くなりましたけど、もともとはヒューマン系が主流だったんですよね。なので、今回はちょっとそっちに立ち返ってみようと。人々がどう暮らし、どんな青春があって、彼らの人生がどうなっていったのかを愚直に書いていく。そこに端島という特殊な環境と、現代がクロスすることによって、ちょっとした謎が生まれたという形ですね。
いつからか、騒々しいドラマが多くなった「日曜劇場」。昔は心に響くヒューマンドラマの枠だった。痛快な分かりやすいエンタメドラマのほうが視聴率が高いのだろう。が、謎解きというエンタメ性を入れつつも、原点回帰の人間ドラマとして描かれた「海に眠るダイヤモンド」は、令和の名作と語り継がれて然るべきかと思う。
海外に売り込んでほしい。高評価を得るに違いない。なんだったら、ハリウッドがリメイクしたがるかも。
そのときは、細かくカットされているシーンをちゃんと入れてほしい。放送後、ディレクターズカット版を配信で観たが、そのほうが分かりやすかった。
私、いつも思うのですが、時間内に入れ込むために、ちょっとずつカット(ときにたくさん)するんですよね。そういうのとっぱらって、50分の週もあっていい、74分の週もあっていい、ってな具合にできないのかな。そこは配信系の勝利なのかな。
あ、それからこのドラマ、いわゆるタイパで見ることはおすすめできない。すなわち、倍速視聴で効率的に内容と結末を知ろうとしても、そこには、このドラマが表現しようとしている人生の機微や感動は存在しないだろう。一話一話、ドラマの時間に沿って堪能する、役者の表情を伺う、小道具や伏線に気を配る(これは気づかないこともあるので、回が進んで疑問に思ったところで見返すのもよい)、そんな風に観ないと、この物語の醍醐味を知ることはできないだろう。
とはいえ、本当は時間通りの視聴が当たり前なのだが、タイパ・コスパのこのご時世、倍速視聴が当たり前という人々も多いなか、前者の当たり前をおすすめをさせていただくのは、あくまでも、このドラマを深く味わうため。
上に紹介した「今回はちょっとそっちに立ち返ってみよう」という公式サイトの文言には、ゆっくりじっくりドラマを味わってほしい、という制作者たちの願いも込められているのではないだろうか。論理国語ではなく文学国語として。
さて、このドラマをこれから観ようという方は、ここから先を読まないでください。予備知識なく「海に眠るダイヤモンド」を鑑賞し、感動してほしいから。ブックマークしていただいて、視聴後に読んでいただけたらとても嬉しいです。
それでも予備知識あってもいいや、という方はぜひ読んでください。
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最終話(9話10話が2024年12月22日に2時間SPとして放送された)をたどることで、この物語、すなわち鉄平と朝子の物語のおおよそを語れると思う。
最終話、端島で撮影された白黒フィルムを観ながら玲央(神木隆之介)が言う。
おれは、鉄平に声をかけられたってことか…
そうなのだ。この物語は、荒木鉄平(神木隆之介)が玲央を呼んだところからはじまったのだ。いささかスピリチュアルな感想ではあるが、最終話のこのシーンのこのセリフを聞いて、なるほど、と合点がいった。
第1話、2018年夏、いづみ(宮本信子)がウォーキングの休憩中におにぎりをかじっていると、目の前に玲央が現れる。玲央は、ホストクラブの看板の自分の写真に飲み物の入ったカップを投げつける。うだつが上がらず、自暴自棄になっている玲央。人生を諦めかけている。
そのホストクラブの写真と玲央を見て、いづみは鉄平にそっくりだと感じ、そして、声をかける。
わたしと結婚しない?
人生変えたくないか?
鉄平にそっくりな玲央といづみが2018年の東京で出会って、物語が動いていく。
このときいづみは、娘の鹿乃子(美保純)、息子の和馬(尾美としのり)と喧嘩して、いささかやけっぱちになっていたのだった。ウォーキングに出かけてそのまま家出、一週間ほどビジネスホテルに寝泊まりしていた。
鹿乃子と和馬は、いづみ(「IKEGAYA株式会社」の社長)が引退したあとのことで揉めている。二人の子どもたちの考え方は、いづみの理想とはいささか違ってしまっていたのかな。この年(2018年)の春に「鉄平の日記」を入手してそれを読んでいたことで、いづみの心には何やら複雑な思いが渦巻いてしまっていたのだろう。
そしてたぶん、その日記のおかげで、いづみは、目の前に現れた玲央を鉄平と錯覚してしまった。それほどいづみの心は、端島の時代に飛んでしまっていたのだ。
そして後日、長崎、端島へ玲央を連れていく(鉄平がいづみに素直に従うのは、ホストクラブの太客になってくれそうだから)。
ここから、玲央と瓜二つの鉄平が登場し、過去の端島と現代の東京が交錯しながら物語が展開していく。私たち視聴者は、玲央と同じ顔の鉄平が活躍する端島の生活と炭鉱の様子を、臨場感溢れる映像とストーリーで体感していく。
だが私たち視聴者は、それにすっかり騙されていたのだった。
私たちは初回からずっと、玲央の親は誰だ、と推理していた。鉄平に似ているということは、荒木家と関係あるはずだ…ということは…云々と、最終話直前までず〜っと推理し続けてきた。
ところが、最終話で当時の端島を写した白黒フィルムのなかにいた鉄平は、私たちの知っている鉄平、すなわち神木隆之介では…ない…。え?だれ?
玲央が「似てる?」と尋ねると、いづみも「似てないね」と言う。
これ、神木をメイクで変化させるか映像をいじっているのかと思ったら、全く別の俳優を使っている。百蔵充輝。この仕掛けもすごい。視聴者もすっかりこの物語のなかに引き込まれているので、鉄平の正体に驚愕するという見事な演出である。
第4話の最後で、このフィルムの映像がちらっと流れるのだが、そこに写っているのもこの本物の鉄平?と見返してみて気づいたのだが。どうだろう。このときは、神木隆之介にしか見えなかった、というか、そこまで意識して見ていなかったので…。
過去の記憶というのは、曖昧になっていたりつくり変えられていたりすることが多々ある、ということを私たちは知っている。そんな発見をしたときの驚きと、過去という時間のなかにある私たち人間の神秘とでも言おうか、そんな、もうこの手で触れることのできない「時」の虚しさが募っていく感覚が、この昔のフィルムのなかの鉄平に凝縮されていて、なんとも言えない。
すべてが虚しく見えるのは、きっと年を取りすぎたせい。
そんなセリフをいづみも言っていた。
そもそも、このドラマは現代の東京にいる玲央の登場からはじまった。鉄平ではない。鉄平の物語なのに。
従って私たち視聴者は、玲央の肖像からドラマのなかに入っていく。さらにいづみの言葉に取り込まれて、自然と端島の鉄平を玲央と同じ顔で認識して動かしていく。実際、そうした演出、仕掛けである(玲央も鉄平も神木隆之介)。
この巧みなプロットがなければ、すなわちこれが鉄平からはじまっていたら、最終話での種明かしは不自然だったかもしれないし、このトリックが効果的に働くことはなかったであろう。
いづみは、今ごろになって突然手にした鉄平の日記と親子喧嘩の影響によって、混乱していた。ゆえに、タイミングよく現れた玲央を鉄平の容貌と重ね、そして本気で「そっくりだ」と思い込んでしまった(全く違うタイプではないのだろうが)。
そして「おれは、鉄平に声をかけられたってことか…」という玲央のつぶやき通り、このときここに玲央が現れたシンクロニシティは、鉄平の魂による導きだったのだろうと言っても何も問題はないと思う。
なにしろいづみの意識は、鉄平の日記によって1965年以前に引き戻されている。そして、鉄平には心残りがあった。どうしてもいづみに、いや、朝子(杉咲花)に伝えたいことがあったのだ。その強くて悲しい思念が、二人を引き合わせた。
いづみが銀座食堂の看板娘・朝子であることは、物語中盤で明かされる。「いづみ」とは「出水」。池ヶ谷朝子の旧姓。玲央には自分の名前は「いづみ」だと言っていた。
この仕掛けも巧妙である。TBSのドラマサイトの相関図でも、名字が明かされていない人物がいた。朝子の実家(銀座食堂)がそうだった。食堂の従業員である虎次郎(前原瑞樹)も名字が明かされていなかった。なぜなら池ヶ谷だからだ(いづみの会社はIKEGAYA株式会社)。
玲央の親が誰なのか、と同時に、いづみの正体は誰なのか、という謎解きも同時進行だった。朝子?百合子(土屋太鳳)?リナ(池田エライザ)?そして、朝子は誰と結婚したのか?
再視聴してみると、いづみは、はじめて玲央とホストクラブへ行ったとき、キラキラしてる、キラキラしたものが好きなんだ、と言っていた。このセリフを覚えていたら、いづみの正体に、ドラマの展開よりも先に気づくことができたかもしれない。
加えて、玲央が「朝子」のことを「いづみ」と呼ぶのは、東京で事業に成功した「いづみ」と端島の「朝子」を区別するうえで非常に有効だ。同一人物でありながら、別人のように扱う。すなわち、「あの夜」の謎の前と後の彼女。杉咲花と宮本信子。
実は、端島時代の登場人物は、朝子以外は誰も年老いた姿を見せない(すでにみな亡くなっていることもあるが)。リナだけが、息子による回想シーンで皺のある手をちょっと見せる。例外として、還暦祝いの写真。いづみと仲良く写っている虎次郎は、年老いているが俳優は前原瑞樹。彼の特殊メイク(と言っていいのかな)である。杉咲ではなく宮本とのツーショット。
ゆえに私もここでは、東京の池ヶ谷朝子を「いづみ」と呼ぶ。
いづみは玲央を自宅、池ヶ谷家に住まわせ、第二秘書として雇う。
玲央を訝しげに思っていたいづみの家族だったが、玲央といづみの孫たちは次第に打ち解け、鉄平の行方を追いはじめる。図書館などで端島について調べ、閉山のときの写真も発見していた。が、そこに鉄平は写っていないといづみは言う。なぜなら、「あの夜」鉄平はどこかへ行ってしまって、そのまま帰って来なかったから。
そう、鉄平は「あの夜」、島を出て行ってしまったのだ。
「あの夜」は、鉄平が朝子にプロポーズをするはずの夜だった。朝子はずっと待っていた。朝まで待ち続けた。
このドラマは、「あの夜」から2018年までを埋めていく物語だったのだ。
②へつづく