著者の繊細さに心が安らぐ本。
「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」
三國万里子著/新潮社
著者のことを知らなかった。この本にたどり着いた経緯も覚えていない。たぶん誰かがネットで紹介したのだと思う。
著者は編み物作家。だから「編めば編むほど…」なんだ。
幼い頃のことから最近のことまでが、静かに優しくランダムに語られる。
最初のエッセイ「三國さん」には、驚いた。三國さんとの出会いのときのことが綴られているのだが、この男性への著者の興味の持ち方がなんともユニークなのである。そして面白がって読み進んでいると、唐突に「半年後、わたしは三國さんと結婚した」と言う。え?と驚く私。ばかだねぇ、著者の名前は三國万里子じゃん。鈍感にもほどがある。でも、三國万里子のことをこの度はじめて知ったのでしかたないね、と自分を慰める。
ちょっとおとなしめで、あまり学校が好きではなく、友だちもできず、でも心にはたくさんのファンタジーがあるような、そんな女の子の印象を私はこの本から受け取った。
そんな万里子の良き理解者だったのがおじさん、母の弟のひろしだったようだ。
詳しくは分からないが、海外生活の経験もある、わりと自由で柔らかい発想の持ち主で、いざというときに本気で助けてくれる(そういう知恵や人脈を持っいる)人物。「おじさん」という存在にときどきあるパターンで、すなわち行き詰まりや停滞や退屈に、明るい光を投げかけてくれる役割の人。こういう理想的な「おじさん」の存在は大事だと、どこかで誰かも言っていた。
私が思い出すのは、NHK朝ドラ「ひよっこ」に登場した主人公みね子(有村架純)の叔父、ビートルズが大好きな宗男おじさん(峯田和伸)。この人は父親(みね子の祖父)からすると破天荒で扱いに困るタイプなのだが、でも、宗男おじさんが現れるとその場がパッと明るくなって空気が軽くなる。宗男おじさんと話していると、何でもできそうな気になる、そんな人だ。例えば夢は諦めないでいい、とか思わせてくれる人。
この本に登場する万里子のおじさん、ひろしも、そんな人物のようだ。万里子がフランスに行きたいと言うと、知り合いの温泉宿の社長に万里子を預け、「100万円貯めろ、そしたらフランス行きのことはなんとかしてやるから」と言うひろし。頼もしいし、なにより何事も否定しない。
あの時、なぜひろしに連絡したのだろう?
考えるまでもなく、それは、ひろしがいつもわたしにとって「外の世界を開いてくれる」人だったからだ。
(P52)
結局、万里子は5ヶ月で仲居の仕事を辞め、フランスに行くこともなく東京に戻るのだが、このエピソードが私は好きだ(「ひろしおじ」「23歳」)。そして「外の世界を開いてくれる人」という表現がまさしく、親戚にひとりはいると言われている、珍しいものを持って来てくれたり、いろいろなことを教えてくれたり、希望を与えてくれたり、楽しい気分にさせてくれる「おじさん」そのものではないか。
著者は、常に弱々しい雰囲気を漂わせているが、実は「自分自身」をしっかりと持った少女、人間だ。周囲の人々の気持ちをあれこれと気にかけはするが、だからといってそちらに無理に合わせることはない。こういう人が本当に強い人なのかもしれない。
中学生のとき、著者は放課後の家庭科部でのびのびと過ごすことができた。部員がほどんどいなかったのでひとりで広い部屋を独占して、思うままにミシンを使い、編み物をした。そんなとき、本当の自分に戻った心地がした、と言う。
家に帰ってからはピアノを2,3時間練習し、夕飯の後は、学科の勉強はほどほどにして音楽を聴き、深夜まで本を読んだ。家庭が寝静まってから居間に降りていき、朝のうちに新聞でチェックしておいた古い映画を観る習慣もできた。
(P100)
自分ひとりの時間を、ゆったりと満たされて過ごしていることを伝えてくれるこの一節が私は好きだ。私もこんなふうに中学校時代を送ることができていたら…とちょっと自分を情けなく回想したりした。
周囲とはもしかしたら少し異質な感性を持っていたのかもしれない著者は、そんな自分のことを自分でよく知っていたのであろうと思う。もちろん、この本には書かれていないネガティブな事々もたくさんあったであろうが、あれこれ思考を巡らせながらも、自分自身を見失わずに一歩一歩踏みしめるように歩んでいる。
そして、勉強は入学試験や入社試験のためにするのではない、と結論づける。
自分が触れ始めた「良いものたち」つまり本や音楽や映画を、もっとしっかり理解するために勉強する(略)それなら、家でもできる。本を読もう。音楽を聴いて、映画をたくさん観よう。
(P102〜103)
著者は学校にいることが苦痛になり、早退という方法を見つける。
さすがに早退が続くと、担任に仮病を見抜かれる。そんなとき国語の丹後先生が助け舟を出してくれた。「まりこはさ、家に帰ってコーヒー飲んだら具合が良くなるんだよね。帰ったらいいじゃない」と。40代半ばくらいの女性教師。
ある日、非常口でしゃがんでアリを見ている万里子を見つけて丹後先生が問いかける。「まりこはさ、本を読むでしょう。最近何読んでるの?」「稲垣足穂とか。『一千一秒物語』を繰り返し読んでます」丹後先生は、自分が持っている全集のなかに稲垣足穂もあったから、と言って貸してくれることになった。
わたしは礼を言いながら、あり得ないような、魔法の言葉を交わしあったような気持ちになっていた。「イナガキタルホ」と言って通じる人が、こんな近くにいたなんて。
(P105)
貸してもらった作品を読んだが、「一千一秒物語」以外はほぼ難解で歯が立たなかった。万里子は次のように思う。
誰かと本の話をした、それも稲垣足穂についての話をした、それだけでもう、十分に幸せな気分だった。
これからわたしは「自分なりに自分のことをやっていく」ことにするけれど、その先にはもしかしたら特別な友達が待っているかもしれない。そしてそれはきっと、丹後先生みたいな人なんじゃないか、という予感がした。
(P105)
なんだかとても共感してしまった。自分の好きなことについての話が通じる相手となかなか出会えない人もいる。そんなときに受け止めてもらえた喜びは、人を幸福にしてくれる。めったに出会えない出会い。魔法の言葉を交わせる人。
そして万里子は思いを馳せる。自分らしくやっていくその先に「特別な友達」が待っているかもしれない、と。すなわち「魔法の言葉を交わせる人たち」。
著者はそれでも恵まれているほうではないだろうか。「おじさん」のひろしも良き理解だったのだから。
万里子の母が「まりこには友達がいなくて」とぼやくと、
まりちゃんは喩えていえば瓢湖の白鳥の群れに迷い込んだ鶴だよ。ここで仲間が見つからなくても、他の鶴がいることろに行けばいいさ。ワセダとかどう、きっとまりちゃんに合う仲間がいるよ。
(P50)
そう言って大学を薦めてくれたひろし。
温泉宿の仲居の仕事に両親が猛反対したときも、
その仕事をわたしに薦めたひろしの立場も、親戚内で悪くなったはずだった。でもひろしは言い訳をせず、ただ母に向かって「まりちゃんは東京に飽きたんだよ」とだけ言ったらしい。
(P53)
まるごと受け止めて肯定してくれる人の存在は本当に貴重だと思う。
そうした出会いという体験もあったからこそ、著者は自分と向き合う心を育てていくことができたのではないか(というのは私の身勝手な、もしかしたら失礼かもしれない感想だ)。
著者は、自分に合っていることと合っていないことを正直に感じ取っていく力を持っている。そしてそれに逆らわない。
例えば、大学を卒業してすぐにはじめたアルバイト先でのこと。古着が好きだった著者は古着屋の職場を選んだ。暇すぎる店内で、洋服を開いては畳むという無意味な作業を繰り返す(立ったまま洋服を畳む技術は身についた)。その上、お客に「お似合いですよ」などと言って服を上手にすすめることができない。接客に向いていない。
自分ではどうしようもなかった。
(略)
そういう自分が情けなく、つらかった。
(P138〜139)
3ヶ月ほどして、著者は「役に立たないから辞めてほしい」と店長から言われる。でも上の人間が大卒の著者を惜しがるので、自分の都合で辞めることにする言い訳を考えてほしいと頼まれる。
むしろ正直なところ、辞めていいんだ、と思うとホッとして、「じゃあ『祖母が死んで、長女のわたしは実家に帰ることになった』ということにしましょうか」と提案すると、店長は「ああ、いいわね」と言った。
(P139)
それなりに自分を情けなくも思っているようだが、それでも自分には合わない仕事なのだと分かっているゆえに、深く傷つくことも悔しく思うこともない。むしろホッとしている。自分を首にした店長にとって都合の良い言い訳まで考えてあげて。
このあと「のんびりとして、暇すぎず、わたしでもいいって言ってくれる職場」を探す。秋葉原の「ゲームス・パーク」という店を見つけた。悪くない仕事だったが、3ヶ月ほどして、このままずっとここにいるわけにはいかないと、アテネ・フランセに週2回フランス語を習いに行く。そしてこのあと、既述した「おじさん」に相談して秋田の山奥の温泉宿へ行くことになる。
実際にやってみないと分からないことってある。いや、たぶん全てそうだ。ゆえに仕事は、3ヶ月くらいで「違うな」と感じたら辞めたほうがいい。「3年がんばってみろ」と世間では言われているが(確かにそういうこともあるのだが)、その間に心身ともに病んでしまう人もいるだろう。自分にとって居心地の良い場所を探すことは大事だ。
心地が良く、そのときの本人の目的や状況に合致していれば自然と居着くことができるし、そこで成長したり変化したりして、次にやることを探したり、夢を実現したりする。そんな自然な成り行きがあるのだ、ということをこの本は教えてくれる。
ゆえにこの書物のタイトルは「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」なのだな。
「わたしはわたしに」なる、とは「ほんとうの自分に」なるということだ。嘘の自分でも、飾っている自分でも、卑下している自分でも、誰かと較べている自分でもない「ほんとうの自分」。
追記
最後に「ままごと」というエッセイから。
寿司を食べながら、夫と対話する著者。
「わたしこの頃、しあわせで、いつ死んでも大丈夫って思うんだよね。もちろん死にたいわけじゃないけど。せいじも育ったしさ」
夫はうなずいた。
「それはしあわせなことだね。実は俺もそうなのさ」
その言葉を聞いて、20年前に夫とした喧嘩がよみがえった。
(略)
息子が生まれて半年経った頃、晩酌で機嫌よく酔っ払った夫が、
「俺はあまり長く生きないで、ほどほどで死ぬのでオッケー」といった。
それがわたしにはカチンときたのだ。
家族ができたのに、ハッピーじゃないの?
無責任にもほどがある、と突っかかった。
今思えば、もしかしたら夫はあのとき、「今しあわせだからいつ死んでもいい」って言いたかったのかもしれない。
(P198〜199)
確かに人は幸せいっぱいなとき、「もういつ死んでもいい」なんて言ったりする。ほしいものが手に入ったり、なりたいものになれたり、十分満足している証なのだろう。
同時に「いつ死んでもいい」にはダブルミーニングがある。「もうこれ以上生きていても何もいいことない(なさそうだ)から、死んでしまいたい」という意味にもなる。これは前者の意味の真逆で、不満足の現れだ。
前者は心残りがない状態、後者は心残りでいっぱいの状態だ。
満足なときは「いつ死んでもいい」と感じ、不満足なときは「もう死にたい」と思う。けれども、いずれにしてももうこれ以上なにもすることがない、と思っている心の状態だ。人は幸福すぎても不幸すぎても「死」を思い浮かべるようだ。
にしても、著者の夫の発言は、後者の意味に誤解されてもおかしくない口調だったかもしれない。