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「ベニスに死す」の「世界で一番美しい少年」②〜人生の選択と運命と薄命

「美人薄命」

容姿が美しく生まれついた人は、とかく幸せ薄かったり、短命であったりすること。 

コトバンク

「ミッドサマー」にビョルン・アンドレセンが出演した、という情報が入ってきたとき「あの人、生きてたんだ」と失礼ながら私は思った。

 あんな感じに生まれついた人はどう生きていくのか、当時から子どもながらにどうにも不思議でならなかった。

 

 余談になるが、日本でも素晴らしく整った容姿の俳優が男性にも女性にも何人かいるが、この人はどういった役を演じていくのだろう、と訝ったことがある。

 例えば平成で言えば、橋本環奈。「奇跡の一枚(2013)」と言われた一枚の写真がメディアで話題になった。確かに異次元的に美しい少女の姿をそこに見ることができた。こういう場合、普通に喋るその人を見てがっかりするようなこともあり得る。ある一瞬を捉えた静止画と動くひとりの人間としての姿には、いささかの隔たりがあるものなので。この人どうなるんだろう、と余計な心配をしていたところ、その後女優としてメキメキとその才能を発揮し始めた。今ではドラマ、映画、CMと超売れっ子女優だ。加えて奇跡の美少女的雰囲気はすっかり払拭されていて、コメディーもうまいこと演じる。

 それもそのはずで、橋本は、是枝裕和監督の「奇跡(2011日本)」という映画に、前田航基・旺志郎らとともに子役で出演して才能を発揮している。私がこの映画を観たのは、橋本がすでにスターとなってからだった。橋本が出演しているとは知らなかったが、声ですぐわかった。あれ?この子って橋本環奈じゃない?と。生来の能力を持っていたのだ。私は常日頃思っていることがある。俳優や歌手として成功する条件に「声」がある、と。いわゆる売れている俳優や歌手の声は、独特の色合いを持っているものだ。

 

「容姿が美しく生まれついた人は、とかく幸せ薄かったり、短命であったりする」というのは、すなわち、美しすぎるがゆえに人に付きまとわれたり、嫉妬されたりして、言ってみれば普通の世界でごく普通に生きていくことに支障が出る、ということもあるだろう。居るだけで目立つわけで。短命というのも、ダイアナ妃やその他俳優などの例を辿っても、やっぱりね、ということは少なからず見つかる。事故死、病死、自死も含めて、それは美少年美少女の運命の為せるわざなのかもしれない。

 逆に言えば、美形の人間は、芸能界のような容姿が物を言う世界でこそ活躍できる。のだが、その印象があまりに衝撃的であると、そのイメージから脱却して成長していくことが困難になる場合もときとして悲劇的にあるわけだ。

 

「世界で一番美しい少年」というドキュメンタリー映画は、ビョルンが現在、すなわち老齢まで生きていることを教えてくれた。正直なところ、複雑な思いがした。例えばアラン・ドロンのように老齢までしっかりと俳優をやっている、ということではなく言ってみれば、老いぼれていた。乱雑な生活態度のようだし、自暴自棄のようにも見える。

 ここまでいったいどうやって生きてきたのだろう。情報をつなぎ合わせると、俳優の仕事もそれなりにしていたようだし、音楽の仕事もしていた(いる)らしい。なにしろこの人、ピアノをとても上手に弾く。17歳の頃のショパンの演奏テープが流れたが、うまい!東京の誰もいないホテルのレストラン(?)で、実際にピアノを演奏する老ビョルンの姿も撮影されていた。

 兎にも角にも「ベニスに死す」のタッジオは生きていた。それが、このドキュメンタリー映画を見たときの偽りのない、そして失礼かもしれない私の感想だった。

 

 あるところである学者が、とある映画について語っていた。

 年老いた主人公の姿と彼の語りからはじまる映画。さかのぼって子供時代の物語がそこから語られていく。そのような手法の映画やドラマはいくらでもある。が、この学者は、とくにこの映画に感銘を受けているようだった。いや一例としてあげたのかもしれないが、詳しいことはわからない。

 すなわち、かつて少年だった老人。そして思い出語りがはじまった物語のなかの少年は、この老人になるわけだ。そして映画を観ている人たちは、少年が老人になって何をするのか、少年の未来を知っている。

 街で出会う少年少女にも未来があり、老人たちには少年少女だった時代がある。そういう意味で未来は決まっているかのごとくである。いや、決まっているのだ、と学者は言う。無限の可能性が開けているわけではない、と。

 確かに可能性は無限ではない。けれども選択肢は都度用意されている。この映画を私も観たが、この少年にも選択肢はあった。が、「その選択」(冒頭シーンでの老人の状況に至る道のり)を少年が積極的に選ぶシーンがある。それは親や家族のことを慮ったゆえの選択で、自分の「ほんとう」を押し殺した選択だったのかもしれないし、成長していくなかでそのような思いを抱く人間となったがゆえの素直な選択だったのかもしれない。いずれにせよ少年は、自分が生まれた場所で年老いるまで生き延びてきた。

 実は私はこの映画の言わんとすることがよく分からなかった(古い映画ということもある)。でもおそらく、我が人生はこれでよかったのだ、ということを言いたいのだろうと思った。けれども、現代に生きる私としては(文化的背景も違うが)「ありえたかもしれない人生」のほうをなぜ選ばなかったのかな、そちらのほうが新しい生き方だったのでは?と思ってしまった。それも、この主人公の人生の流れを知っているから言えることではあるのだが。

 

 似たような気分を私は最近よく感じることがある。それは、昭和のアイドルたちの映像をテレビで見るときだ。例えば、のちに結婚して子どもを設けて、そしてその子どもが長じてから自殺してしまうなんて、この頃のこのアイドルは思ってもいないはずだ、などと一瞬にしてその人の人生を辿ってしまうと、なんとも言えない衝撃を受けてしまう。この過去の映像のなかのこのアイドルに未来があって、その未来を視聴者は知っている。これは、上記の学者と同質の感覚かもしれない。

 ダイアナ妃の結婚当時の映像を見ても、このあと子どもを産んで、離婚して、そして事故死してしまう、そんな悲劇をこの当時誰も想像も予言もしていない。でも、現在の私たちは知っている。そうなることを。

 自分自身もそうかもしれない。幼少時代の写真を見て、このあとどんな人生が待っているか、どんな人生を自分が送ることになるのか、どのような選択をする(してしまう)のか、それを知っている大人になった自分がいる。

 テレビの情報番組のなかで「今日の天使ちゃん」などと視聴者から送られてきた幼児の映像が紹介されると、ふと感じることがある。確かに今は天使かもしれないけれど、どのように成長していくのかな、なかには犯罪を犯してしまう人もいるだろう、そこまでではなくても悪人になってしまう人もいるだろう、みんながみんな天使のままで年老いていくわけではない(意地悪で言っているわけでない)。ヘルマン・ヘッセの「メルヒェン」のなかの一話「アウグスツス」を思い出す。私には悲しい物語だが、人生とはそんなものなのかもしれない。

 大人になった、あるいは老人となった人間としては、子ども時代や青年時代の写真を見たとき、ここでこういうことがあるからそのときAじゃなくてBを選びなよ、と自らの後悔とともに「ありえたかもしれない人生」のほうを教えてあげたくなる、ということがあるかもしれない。いや、かもしれないではなく、ある。SFドラマや映画だったらそれができる。けれども、ドラマのなかでさえもどうも思う通りにはいかない。ということを考え合わせるとやはり運命なのか、と思わざるを得ない。

 

「世界で一番美しい少年」も、老ビョルン・アンドレセンのシルエットで始まる(ちょっとホラーっぽい)。顔はまだはっきり映さない。学者の語っていた映画と同じような演出だ。そして、そこから美少年ビョルン・アンドレセン時代の人生が巧みに語られていく。タッジオを演じ、そして特に日本で人気を博した彼、この時代の彼には老人となった21世紀の未来があることを私たちはすでに知っている。

 彼の場合、自己選択権があったのだろうか。もちろんどんな人も子どものときには、親や周囲の大人たちの意見や助言、指示に従うのが一般的だろう。学者の論考にあったあの古い映画のなかでは、少年に選択肢と選択権があって少年自身が考えることができた。けれどもビョルンの場合は、オーディションを受けた瞬間から、このドキュメンタリー映画のなかにいる老ビョルン・アンドレセンへと向かって一気に道が通ってしまったかのようだ。本人の選択や気持ちは次第に無視されていく。監督の思惑や祖母の金儲け主義によって。いや、けれども、そんな俗世の因果を超えた不可視の導きのようなものを感じるのは私だけだろうか。

 いずれにせよ、「ベニスに死す」とその後の怒涛のような出来事、日々の暮らしに、ビョルン・アンドレセンは大いに傷ついたのであり、それを自分の悲しい生い立ちとともに、ずっとひきずって生きてきた。

 

 たったひとつだけ明確に言えるのは、美しいタッジオは老人になった、このみすぼらしい老人はタッジオだった(みすぼらしそうな様子は演出なのかもしれないが)、ということだけだ。この言葉で、私が感じた衝撃は伝わっているだろうか。

 日本のアイドルたちの当時の映像を見て、この人はこのあと…云々という思いを抱くような切ない気持ちや人生の機微を思うような感情はビョルン・アンドレセンには感じない。

 加えて、生き続けていたタッジオは、ローマ皇帝ハドリアヌスが寵愛し、若くして死んだアンティノウスではなかった、ということだ。そういえば「ベニスに死す」では、死んだのはタッジオではなく、タッジオに憧れを抱く老作家アッシェンバッハのほうだった(疫病で)。

 

 あの小説のなかのタッジオも老人になったのだろうか。あのあと、どんな人生を送ったのだろう。そして、トーマス・マンが出会った実在の少年も(タッジオのモデルであるモエス男爵は、第二次世界大戦後もポーランドに住み、1986年に亡くなった。映画公開ののち、タッジオのモデルは自分だと話したらしい。〜ウキペディアより)。

 音楽プロデューサーの酒井政利は、映画監督に認められたがゆえにその後の人生に苦しむ俳優は日本にもいるが、ビョルンの場合は運命だったのだ、と言っていた。

 1912年に「ベニスに死す」をトーマス・マンが書いたときから、まるで、1971年に映画でビョルン・アンドレセンがタッジオを演じることが決まっていたかのようですらある。もっと言えば、タッジオはそのときからビョルンだったのだ。

 

 死を見つめることは美を見つめることだ、とヴィスコンティが言っていた。

 池田理代子は、人生のなかの一番美しいほんの一瞬を切り取ったすばらしい作品だったと褒めちぎっていた。

 桜があっという間に散っていくように、人間の美も長くは続かない。ゆえに美人薄命なのかもしれない。

 人は必ず年老いていく。言いたくはないが歳を取るということは、どうしたって見栄えは醜くなっていくのだ。

 かつての美少年ビョルン・アンドレセンもすっかり老いさらばえている。でも、笑う目元はあのときの美少年ビョルンとまったく同じだ。

 

 パリでの経験(詳細は映画でご覧ください)よりも、日本での仕事のほうがずっと良かったのではないかな。日本はビョルンの心の傷に加担していたと先の記事で書いたが、ドキュメンタリー映画を観終わると、日本での待遇はヨーロッパのそれよりも良かったのかもしれないと思いたくなってくる。

 日本ではあらゆる準備が整えられていた、と言う。衣装も「ベニスに死す」風のものが用意されていた、と。映像を観る限りではサイズもピッタリ合っているし、これを観ると「日本スゴイ」と言いたくなる。

 エンドロールに流れる曲が、途中から「永遠のふたり」という彼が日本でレコーディングした歌に変わり、そして、この映画は終わる。

 この歌がまた切ない。日本での健気に仕事をこなす彼の映像を観ると、なんだか涙が出てくる。とはいえ、けっこうな額の報酬はしっかり受け取っていたのだろうから、健気に仕事をするのは当たり前といえば有り前か。

 

 ビョルン・アンドレセンの人生そのものが、映画になるようなドラマだ。ドキュメンタリーではなく「実話にもとづく映画」にできそうだ。そう考えても、彼は運命の人なんだろう。

 こうして彼のドキュメンタリーを観ることで、私自身の人生のさまざまにも思いを致すことができたし、運命や人生ということをなおいっそう深く、そしてこれまでとは違う視点で、私は考えはじめている。

 

③へ続く

「ベニスに死す」ワンシーンとツトム ©2023kinirobotti