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「ベニスに死す」の「世界で一番美しい少年」①〜ビョルン・アンドレセンの過去と現在と日本

「世界で一番美しい少年」(2021年スウェーデン

 というドキュメンタリー映画を観た。

 

 世界で一番美しい少年?それは誰だ?

 ビョルン・アンドレセン。「ベニスに死す」のタッジオ役だった人物。

「ベニスに死す」(1971年イタリア フランス アメリカ)

 は、トーマス・マンの小説をルキノ・ヴィスコンティが監督した映画だ。日本では1971年に公開されている。

 私がこの映画の存在を知り得てから夢中になって観たのは、その公開よりも10年ほどあとのことだった。

 トーマス・マンヘルマン・ヘッセが好きだった私が持っている「ベニスに死す」の文庫本のカバーには、この映画のなかのシーンのビョルン・アンドレセンの写真が6枚も使われている。角川文庫の昭和53年改版十五版(現在は絶版)。私はもう一冊「ベニスに死す」を持っている。新潮文庫で「トニオ・クレーゲル」といっしょに収録されているものだ。こちらは「トニオ・クレーゲル」を読みたくて購入したのだと思う。表紙のカバーはごく普通に地味なものだ。翻訳は高橋義孝(エッセイが絶妙で、かつてけっこう読んだ)。

「ベニスに死す」は、主人公の老作家グスタフ・フォン・アッシェンバッハが滞在先のベニスで死んでしまう物語なのだが、その死因は疫病。コロナパンデミックのなか、ふと思い出される疫病小説(カミュ「ペスト」など)のひとつとしても紹介されている。

 

 すでにもうどこから仕入れた情報かはるか昔のことなので忘れてしまったが、この老作家のモデルは作曲家のグスタフ・マーラーで、ベニスに療養旅行に行っていたときの実際のエピソードに基づいている、とどこかで読んだ記憶がある。その話を聞いたトーマス・マンが主人公を小説家にして「ベニスに死す」を書き、さらに時を経てヴィスコンティが主人公を音楽家に戻して映画を撮った。

 ウィキペディアによると、この物語はトーマス・マン自身の実話に基づいているようだ。タッジオのモデルになった少年も実在している。写真まで載っているので、こちらが真実のようだ。けれども私がどこかで読んだと記憶しているエピソードのほうがロマンチックじゃないかな。映画は、マーラー交響曲5番第4楽章のアダージョで始まる。映画のなかで都度、この曲は印象的に流れる。この映画でこの曲のファンになった人も多いのではないだろうか。マーラーの他の曲は知らなくても、この曲だけは知っているという人も。

 

 ビョルン・アンドレセンは確かに美しい少年だ。小説のなかでももちろん老作家(映画では老音楽家)が恋い焦がれてしまう美少年としてタッジオは描かれている。

 余談だが、朝ドラ「半分、青い。」(2018年NHK)のなかで、漫画家・秋風羽織(豊川悦司)が、美少年のことをタッジオと呼ぶ人だった。萩尾律(佐藤健)に会った瞬間にそう呼んでいた。タッジオは知る人ぞ知る美少年の別名とも言えるのかもしれない。

 

 ビョルン・アンドレセンは、2019年に「ミッドサマー」(アメリカ スウェーデン)というサイコロジカルホラー映画に出演している。ビョルンは1955年生まれなので、撮影時は63歳くらいだろうか。「世界で一番美しい少年」のなかの彼もそうだが、年齢のわりに老けて見える。白いヒゲや傷んで見える長髪のせいかもしれない。「世界で一番美しい少年」によると「ベニスに死す」に出演以降、彼はなかなか過酷な(とくに精神面で)人生を送ることとなってしまったようなので、どうしてもその経緯が姿かたち、容貌に染み出してしまっているとも言えよう。

 ちなみに「ミッドサマー」は、あまりいただけない映画だった。主演のフローレンス・ピューは「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(2019アメリカ)」のエイミー役でアカデミー助演女優賞にノミネートされた俳優だ。だから、というわけでもないのだが、なんでこんな映画に出たのだろう、と思うくらい私としてはかなり低評価な映画。簡単にいうと、ホラーなカルト集団の儀式のなかで主人公のトラウマが解消された、ということなのか?

 

 ビョルン・アンドレセンの現在の自堕落な生活ぶり、生い立ち、「ベニスに死す」のオーディション、撮影風景まで、このドキュメンタリー映画は巧みに、ときに冷酷残酷に彼の人生を映し出す。

「ベニスに死す」監督のヴィスコンティは、ヨーロッパの学校へ美少年を探しに行く。そこで出会ったのがビョルンだった。ひと目で惹きつけられたようだ。

「背が高いな」とヴィスコンティはしきりに言っていたので、そこだけはすこし不満だったのかもしれない。確かにひょろひょろっと高い。少年のイメージだともう少し小さいほうがしっくりくるかもしれない。けれども、美貌がずば抜けている。他を寄せ付けない。親もさぞかし美しいのかなと思いながら観ていると、母親も整った顔立ちだった。なるほど。けれども妹はそれほど美少女という雰囲気でもない。

 母との別れや死、祖母がビョルンを使って儲けようとする金、映画関係者たちよる性的搾取、乱れた生活、母と父について知ろうとする年老いたビョルン…さまざま映し出されていくなか、私の視線がとまったのは、彼と日本との関わりだった。

 まことにそれは、良くも悪くも「日本らしい」。

 

「ベニスに死す」で一躍スターとなった「世界で一番美しい少年」ビョルン・アンドレセン。彼をさっそく呼びつけてあれこれやらせたのは、日本だったのだ。日本は「ベニスに死す」後の彼の人生の過酷、残酷に深く関わっていたのだ。いや、言い方は悪いが、加担していたのだ(と私は感じてしまった)。

 

 いつ来たのかな。「ドキュメンタリー 世界で一番美しい少年」は日本で、現在のビョルン・アンドレセンを撮影している。日本のテレビ番組や雑誌などでひっぱりだこだった当時の映像や写真も紹介される。このドキュメンタリー映画を撮るにあたって、そしてビョルン・アンドレセンの人生にとっても、日本は欠かせないアイテム、存在ということなのだろう。

 当時関わった人々との再会が用意されていた。マネージャーのマックス・セキ(おそらく当時の日本での)、音楽プロデューサーの酒井政利池田理代子はビョルンの容貌に影響を受けた漫画家だった。

 約50年ぶりに再会したマネージャーは「ビョルン」と叫んで親しげに英語で語りかけ、当時を懐かしむ。池田は初対面なのだが「ベルサイユのばら」のオスカルのモデルはビョルンだったと言いながら、スケッチブックにビョルンの絵を描く。

 酒井は持ち前の勘で、ビョルンのちょっと陰のある魅力を当時見抜き、日本でのレコードリリースをセッティングした。現在ネットにあがっている彼の歌を聞いたが、歌も日本語もとても上手だ。彼はもともと音楽の勉強をしていたようだ。ただ普通に音楽を学んで音楽の仕事をしたいという夢もあったようだが、「ベニスに死す」のおかげで(おかげで、という表現は正しくないかもしれないが)、ビョルンの人生の道はあらぬ方向へとどんどん進んでいってしまった。

 

 日本というのは、海外の歌手や俳優、学者や作家など、注目を集めている人物を直ちに連れてくることに長けているように私は感じてきた。その気質の良いところは、例えば海外文学や思想書などたくさん日本語に翻訳してくれるので、私たちはたくさんの名著に触れることができる。

 アーティストたちも日本でコンサートをよく開く。以前、イギリスのある人気グループの人が言っていた。手っ取り早く稼ぎたければ日本行け、と。詳しい事情は想像もできないが、たぶんほんとに儲かるんだろう。そのなかの悪い点が、使い捨て(と昔良く言われた)という形で現れるのかもしれない。いっとき儲かればそれでいい。とは言え、それが人気、流行、ということでもある。

 ビョルン・アンドレセンは、その日本の風潮に巻き込まれた、というように私はこのドキュメンタリー映画から受け取った(受け取り方はさまざまだと思う)。

 一方で日本の少女たちは、金髪で白人の美しい少年に心を奪われて熱狂していたのは間違いない。1971年頃というと、もうひとり、白人で金髪の少年が日本の女の子たちを魅了していた。「小さな恋のメロディ(1971イギリス)」のマーク・レスターだ。実は私はこちらのほうが馴染みがある。ビョルン・アンドレセンのファンのほうが年齢層が高かったのかもしれない。映画自体も「小さな恋のメロディ」は少年少女向けで、「ベニスに死す」のほうはいささか哲学的で大人向けの作品だ。

 

 カラオケ店(?)で、当時日本で出した自分の歌を歌うビョルン・アンドレセンが映し出された。覚えてるんだ。どんな気持ちで歌ったのだろう。懐かしかったのか、それとも…。ものすごいトラウマとなっていただけなのなら、おそらく歌わないのではないか。もしかしたら、過去の美しい栄光を辿っていたのかもしれないし、あるいは、このドキュメンタリー映画の監督からの指示だっただけかも?

 

②へ続く

「ベニスに死す」角川文庫版表紙