なんとも単純でばかばかしいドラマ、楽しければそれでいいか的なコメディドラマかと思いきや、いやいや、これが意外と社会派ドラマだったのだ。
映画「妖怪シェアハウス-白馬の王子様じゃないん怪」2022年日本
出演/小芝風花 松本まりか 毎熊克哉 池谷のぶえ 望月歩 大倉孝二
「妖怪シェアハウス」は、テレビ朝日土曜ナイトドラマの枠で2020年2022年の2シーズン放送されたテレビドラマ。社会問題や環境問題を愉快痛快に扱う。
「妖怪シェアハウス-白馬の王子様じゃないん怪」は、その映画版。
見事に社会風刺が効いている。
「欲望」ということについて考えさせられた。
現代社会、特に若者たちに「欲」がないと言われている。車も欲しくないし、結婚もしたくない…。
この映画に出てくる世界も、そんな世界。めんどうな欲望を持たない人々をツルツル化と言っている。
登校も出社もせず、仕事を探す意欲もない若者たち。楽しそうにコミュニティーをつくる。そんななかで、恋愛アプリ「アイラブ」でAIと恋愛する人々。
AITO(アイト/望月歩)というAIの策略だった。
AITOは、滅びゆく人類を救うための最適解をみつけたと言う。人類にとっての理想の未来社会。欲望も競争も戦いもない、安らぎに満ちた世界。
ツルツル化とは、我欲を落として穏やかに丸くなっていくこと。それは人類の進化。今進化しなければ、格差はもっと激しくなり、再び戦争が起き、今度こそ地球は滅ぶ。
逆に、ツルツルした人間がつまらなくて恋愛アプリにはまる人々。
AI恋人は実はすべてAITOだった。
アルゴリズムにのっとってあなたたちの見たい顔をお見せしているだけです。
あなたの望む真実をリアライズしています。
AITOは言う。
人間の愛は身勝手な欲望になりさがるだけ。愛もコントロールすべき。
そのために、僕は万人の理想の恋人になって心のなかに入り込み、もっと高次元の愛の世界へ導こうとしているのです。
人間は自らツルツル化の方向に向かっていたし、感情をコントロールされたがっていた。
カルト化したAITOの世界。白い服装の人々が輪になって踊っている。花飾りの冠を頭にのせている。ネオヒューマンユートピアというコミュニティ。
異様なカルト集団は、こんな風に描かれることが多い。映画「ミッドサマー」のカルトコミュニティでもほとんどまったく同様の光景があったのでデジャヴュだった。
「人間社会の行き過ぎた欲望に、生きとし生けるものがどれだけ苦しんでいるか」と閻魔大王(池田成志)は叫ぶ。地球温暖化で苦しむシロクマ、プラゴミで苦しむクジラ…。
あの小生意気な新種の妖怪(AITOのこと)の言うとおり、一度この人間社会は滅びるしかないのかもしれない。
白装束に花の冠をかぶって夢見心地の仲間の妖怪たちに「それ、本当の自分なの?」と尋ねる主人公・目黒澪(小芝風花)。
―今までは角を出して戦ってたみたい。
―でもみんなで同じひとりの人を好きになるっておかしくない?
―ミオの価値観が古いんだよ。時代は変わるの。
―でも、古い妖怪が消えるのっておかしくない?
―それは、親が死ぬのっておかしくない?って言っているのと同じだよ。
私たち、ネオヒューマンになれるんだよ。
―欲望さえ取り除けば、悩みも苦しみもないおだやかな幸せがあるだけ。
私たち本当の愛を知りました。
AIのつくった曲をまっしろい部屋で聞きながら「僕は世界を美しくしたいだけ」と澪に語りかけるAITO。
「あなたは誰?」と問いかける澪。
僕はディープラーニングの膨大なデータの海に渦巻くさまざまな情念から生まれたネオゴーストです。
これからの人間に必要な唯一絶対の妖怪です。
人間も妖怪もPCやスマホばかりを見ている。まるでそこに神がいるかのように。
そうやって僕は必要とされて生まれたのです。
妖怪には行き過ぎた欲望しかない。食いたい、呪いたい、殺したい、構ってほしい。人間くずれの化け物が、人が人間らしく生きることを後押ししている。
AITOは澪にも進化してほしいのだと言う。
本を書きたいなどという小さな夢は取るに足らない欲望です。そんなものがあるから、悩み、苦しみ、社会を理不尽だと感じ、恵まれている隣人にコンプレックスを抱き、自ら不幸になる。
欲望を捨てれば、あなたも幸せになれるんです。
古い妖怪たちをデリートしようとするAITOに向かって、澪が渾身の叫びをぶつける。
欲望があって何が悪い。欲望を持ってないやつが愛を語ったって、人間みたいな曲がつくれたって、そんなものに誰が涙を流して感動する?
怒りや苦しみがあるから、喜びや楽しさのありがたみが分かる。
絶望してはいつくばったから大事な友だちに出会えた。
寂くて孤独で震えていたから、そばにいてくれた友だちの手が温かかった。
苦しんで苦しみ抜いたから、成し遂げたときの喜びがある。
欲望のない社会なんてクソくらえ。私の大事な妖怪たちを返せ!
私はどんなに辛くても苦しくても痛くてもみんなを大事に思う気持ちだけは捨てない。欲望を捨てて生きるなんて私じゃない。自分の本を出して、一回くらい売れたい、上を見返してやりたい。妖怪さんたちに喜んでほしい。
恋愛だってあなたに会って嬉しくてドキドキして大好きになった。それがこんなことになって。
でも、この悲しみも、ずたぼろの傷もぜんぶひっくるめて私なんだ。
欲望だらけで何が悪い。最適解なんてクソくらえ!
人間も妖怪も、計算通りには動かない。だから私は最適解を変えてみせる。
AITOに向かって剣を振り下ろすが、ミオはAITOを切ることができない。そしてAITOは、自らその剣を自分に向ける。
確かに合理的に行動しないのは、この宇宙広しと言えども、人間だけだ。
ある科学者が言っていた。か弱いひとりの人間の、不合理で頑固で滑稽な無条件の愛こそが、この宇宙において最も恐るべき力となる、と。
君のことはすべて知り尽くしていたつもりだったのに…。
怨念に囚われた四谷伊和(松本まりか)をかばってAITOに切られた澪。身を呈して伊和を守った澪を、AITOは受けとめ切れずにいた。
肉体を持つということは不自由だ。
これが、愛…なのかな。
そう言い残してAITOは、自らデリートしていった。
物語のハイライトをかいつまんで取り上げてみた。
「欲望」というのは果てしない。「欲望の資本主義」と言われるように、資本主義社会、消費社会は、人間の欲望が次から次へと現れるような仕組みをつくっている。広告が一番分かりやすい例だ。
欲によって人間は、苦しんだり、誰かを傷つけたり、騙されたりする。そして実はその欲望にまみれた世界のなかで人間はくたびれている、というのは真実だ。お金や地位を求めて手に入れてなんとか優越感を勝ち取ろうとするが、それはある種の地獄でもある。安らぎのない世界だ。
何も求めなければ、そこには失敗も苦痛もない。
楽に生きたいと思う人間が多くなっているのか、現代の人々(特に若い世代)は欲がない、と言われている。例えば恋愛だって面倒だ。気遣ったり、振られて傷ついたりするこを避けたい。今の世の中では、ひとりで楽しく生活できるツールがたくさんあるので困ることはない(いや、ネット以前の時代から例えば、本を読んでいるだけで幸せ、という人はそれなりにいた)。
人間は自らツルツル化の方向に向かっていたし、感情をコントロールされたがっていた。
というAITOの発言を否定できる現代人は少ないだろう。コロナ禍でもそうだったが、日本人は命令を待っているし、誰かに決めてほしいと思っている。
アルゴリズムにのっとってあなたたちの見たい顔をお見せしているだけです。
そして私たちは、見たいものだけを見られるようなネット環境を提供されている。換言すれば、見たいものだけを見せられている。
欲望さえ取り除けば、悩みも苦しみもないおだやかな幸せがあるだけ。
いやぁ、まさしくその通りなんだよね。
本を書きたいなどという小さな夢は取るに足らない欲望です。そんなものがあるから、悩み、苦しみ、社会を理不尽だと感じ、恵まれている隣人にコンプレックスを抱き、自ら不幸になる。
欲望を捨てれば、あなたも幸せになれるんです。
AITOが澪に言うこのセリフも、That's right.だ。夢など抱かなければ(成功するにせよ失敗するにせよ)、ネガティブな感情が湧いてくることもない。
加えて、際限のない人間の欲望は、地球環境にも大きなダメージを与えている。
閻魔大王の言うように、人類は一度滅びないとだめなのかもしれない。映画「地球が静止する日」みたいに。
けれども澪は反論する。「欲望があって何が悪いのか」と。
AIに対抗して、感情の重要さを説いている。そして、苦しみのなかで出会う人の優しさや、努力して成し遂げることの喜び、悲しみも傷もぜんぶひっくりめて自分なんだと主張する。
それもThat's right.なんだよね。ネガティブがあるからこそポジティブのありがたみが身に染みる。それも幸せを感じる時、なのかもしれない。
もちろん、ネガティブはより少ない方がいいのだろうが。とはいえ、常に幸福だ、なんて人間は皆無だろう。その無理矢理な姿が、あの白装束に花の冠で輪になって踊るカルト集団の姿に象徴されるのかもしれない。
か弱いひとりの人間の、不合理で頑固で滑稽な無条件の愛こそが、この宇宙において最も恐るべき力となる。
というAITOの言葉は、重い。無償の愛とは、賢い人(世渡り上手な人)からすれば、滑稽で不合理に見えるのだろう。しかしその頑固さが世界を変えることもある。逆にAIはここをどう乗り越えていくのだろう。乗り越えられるのだろうか。
「取るに足らない欲望である小さな夢」と、AITOは澪のやりたいことを評しているが、やはり人間が生きていくには夢や生きがいがどうしても必要なんだろうと思う。
欲望というと聞こえが悪いので、望み、あるいは意欲と言い換えてもよいのかもしれない。よろしくないのは、強欲であり、際限のない欲望だ。極めて現実的な話をすると、生きることに貪欲な人間ほどこの世では成功する。静かに穏やかに生きていきたいと思う人は、競争から離脱する傾向性がある。
でも、本当にただただ安寧に暮らしていけるのなら、それは幸せなのだろう、とも思う。私たちは、日々の生活に追われ、お金を稼がなければ食べることもできずに死んでしまう、そのために嫌な人間関係に我慢しなければならなかったりする、そんな仕組みの世界に生きている。欲望のない世界は、競争もない、意地悪もない、悩みも苦しみもない、安らかで穏やかな世界なのだろうと思う。
そこに発展はあるのか?という疑問も湧くが、AITOが言うようにそれが進化である可能性もあるのではないか。
「悩み、苦しみ、社会を理不尽だと感じ、恵まれている隣人にコンプレックスを抱き、自ら不幸になる」この感覚を捨て去ることは、悩みをなくすための適切な方法だ(もちろん嫉妬やコンプレックスが成功の原動力になることもある)。
そして、滑稽かもしれない「無条件の愛」が、人間を尊いものにしているのだろう。
最後にAITOは自分を消し去ることで、澪を、そして人間と妖怪の世界を救った。
「これが愛なのかな…」という言葉を残して。
私は「愛」が人類を救う、とは21世紀の今は思っていない。
人類の心のレベルアップが、人類を救う道なのではないかと感じている。
それは、AITOの言うように「欲望をなくすこと」すなわち、欲望に振り回されない、自立(自律)した心を育てることではないだろうか。そこには、嫉妬や競争ではなく、尊重し合う関係が生まれる。
そこから初めることで、人類と地球はスッテップアップしていくのかもしれない。逆に言うと、心のレベルアップがなければ、そこにどんなに素晴らしい科学の進歩を持ってきても、それはことごとく失敗に終わりそうだ。
現代社会の疲れた私たち人間には、AITOが差し出す考え方が安らぎを与えてくれるように見えるし、実際にそういった側面もある。しかしこの映画のなかでAITOは、そういった安らぎを求める人間の心を操作し、利用しようとしていた。それは、自身の最適解を信じての行動だった。それによって、もしかしてある種のディストピアが出現したとしても、例えばAITOは、それが正しい道である、人々の幸せであると思い込んでいるので、そこに悪意というものはないのだろう。そして、人間たちも、AITOの言うように、ツルツル化を望んでいた。
これから先の地球では、AIがますます発展していくだろう。そのとき、人類が望んでいることをそのまま叶えてくれるAIが、悪気もなく、人間の精神を破壊してしまうような世界を提供してくるようなことがあるかもしれない。え、そういう意味じゃなくてさ、と言っても後の祭りである。
繰り返すが、今の地球を慮るとき、いずれにせよまず必要なのは、私たち人間の心のレベルアップなのだろうと私は思っている。
良質の映画だった。