息子がエゴン・シーレの画集を購入した。
買おうかなぁ、と息子が迷っていたとき、もうちょっと良く考えたほうがいいんじゃないの、と私は言っていた。なぜなら、私としては嫌いではないのだが好きでもないし、美術書にありがちのけっこうなお値段なので。
が、息子ももう子どもではないし、私に買ってほしいと言ったわけでもない。気がつくと購入していた。ネットで注文したので、美術系のその他数冊の書物といっしょに箱に入って届いた。
息子が箱を開けて本を取り出すのを見ていた。
へぇ〜見せて、なんて言いながら私も手にとってみた。エゴン・シーレの画集だけでもけっこうな重量。加えて数冊の書物である。配達の人も大変だな、と思ったりしながら、ふっと私の目に飛び込んできた文字「奈良美智」。
「え?奈良美智だって」と言う私。
「え?なに」と興奮したように私からその画集を引き取る息子。「え、知らなかった!」とますます興奮する息子。
「いいじゃんいいじゃん買っちゃいなよ」などと喜んで賛成していなかった私だったが、「奈良さんが良いって言ってるならいいんじゃない」と、いささかナンセンスなことを口走りながら突如賛同に回った。
私も息子も奈良美智ファンである。
本の帯というのは意外と大切なんだな、とあらためて思った。
上にも書いたが、エゴン・シーレを忌避しているわけではない。何と言ったらいいのか、私のようなド素人にはなかなか堪能できない、といったところだろうか。
とはいえ、実はエゴン・シーレには思い出がある。
大学生のとき、なぜかエゴン・シーレが流行っていた。私の界隈だけだったのかもしれないが。
文学や美術に詳しい私の友人Mも、エゴン・シーレに興味を持っていたようだった。私はMほど興味を抱くことができずにいたが、当時人気のあったイギリスのロックバンドのヴォーカルが、雑誌のインタビュー記事でエゴン・シーレについて語っていた。私はこのバンドとヴォーカルの人のファンであった(けっこう哲学的な人で、卒論で彼のの言葉を引用させてもらった)。
ゆえに、私も何気にエゴン・シーレを知った気になっていた、と思う。
ある日Mがポツリと言った。
「なんか分かる。あの人エゴン・シーレが好きだって言いそうだった。分かりやすい」
Mは決してほめているのではない。批判まではしていないが、そうそう軽々しく言ってほしくなかったのかもしれない。それほどMはエゴン・シーレの作品を愛していたのだろうか……。
このMの言葉に私が何と応答したのかは全く覚えていない。だが、Mの発した言葉だけは妙に記憶に残っている。
ゆえにエゴン・シーレと聞くと、学生時代の友人Mとのこの対話のシーンが自動的に蘇ってくる。
もっと深く話を聞いておけばよかった。今もし尋ねたら「え?そんなこと言ったっけ?」と言われるかもしれない。
どうしているかな、M。私に子どもが生まれたときお祝いに来てくれた。それからMは離婚した。そこまでは知っているが、その後は連絡が途絶えた。私も子育てやなんやかやでけっこう必死だったので、いつの間にかMのことは忘れていた。
そしてまた今、エゴン・シーレとともに、長い年月を経て記憶が呼び覚まされた。