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「カムカムエヴリバディ」② 罪悪感を背負って生きていた算太と雪衣〜秘密を語る③<老いの哲学 人生の回収⑧>

「カムカムエヴリバディ」

NHK2021年後期朝ドラ(2021年11月〜2022年4月)

脚本/藤本有紀

出演/上白石萌音 深津絵里 川栄李奈 オダギリジョー

 

 若い時に自分がしたこと、してしまったことをひどく後悔している2人がいる。

 雪衣(岡田結実/多岐川裕美)と算太(濱田岳)。

 

 雪衣は、安子(上白石萌音)の嫁ぎ先である雉真家の女中。算太は、安子の兄。

 ふたりとも、安子とるい(古川凛/深津絵里)が生き別れになった原因は自分にあると思って生きてきた。

 雪衣も算太も、死を目の前にしてるいに謝る。自分のせいだった、と。

 

 算太は、大月家の居間の死の床で「すべて自分が悪い、安子は何も悪くない」と、るいに謝り、2冊の通帳を渡す。古い通帳と新しい通帳。新しいものは、ひなた(川栄李奈)の母親がるいだということを知ってからここ10年間で貯めたものだった。算太からの償い。

 

 雪衣は、安子とるいが大阪で生活している間に雉真家に入っていた。安子の夫・稔(松村北斗)は雉真家の長男だったが戦死。そのあとも安子は雉真家で暮らしていたが、自立する道を選んで雉真家を出ている間だった。

 ある日、商売にしているおはぎを配達している最中に安子は自転車で転んでしまった。安子は腕を折り、幼いるいは額に大きな傷を負った。そこで、雉真の家に帰って来るよう義父・千吉(段田安則)と次男・勇(村上虹郎目黒祐樹)に説得されて、安子とるいは雉真家に戻って来る。

 しばらくして千吉は、勇に安子と結婚して家を継ぐことをすすめるが……。

 雪衣は勇のことが好きだった。勇は幼い頃から安子のことが好きだったが、安子は兄の稔のことが好きだった。稔と安子は相思相愛、両家の反対を乗り越えて結婚することになり、勇には安子への気持ちを諦めたという経緯があった。

 戦地から生還した算太は、たったひとりの肉親となった安子を訪ね、しばらく雉真家に居候することとなった。そこで雪衣を見初め、プロポーズをするのだが……。

 

 雪衣が自分の罪悪感、後悔を打ち明けるシーンは2度あった。

 1度目は、年老いた算太(病を得ている)が大月家に突然現れて最後の時を過ごしたあと、錠一郎(オダギリジョー)の提案もあって、算太の遺骨とともに雉真家へ里帰りすることとなった1994年の夏。るいには32年ぶりの雉真家。

 算太の遺骨に手を合わせて涙している雪衣をるいが不思議に思っていると、雪衣はおもむろに語り始めた。

「あのとき算太さんがいなくなってしまったのは、私のせいだと思う」と。

 算太は優しい人だった。「たちばな(安子と算太の実家である和菓子店)」を立て直せたらいっしょに暮らしてほしいと言う算太に雪衣は次第に心を許していったが、ある夜、雪衣は勇(安子のことで自暴自棄になって泥酔していた)と結ばれてしまった。明け方、雪衣が勇の部屋から出てくるところを目撃してしまった算太は、たちばな再建のための通帳を持って契約をするために大阪へ行き、そのまま失踪してしまった。

「母は算太を探すためだけに大阪に行ったのか」と問うるい。ロバート(村雨辰剛)と会うためじゃないのか……るいは疑っている。なぜなら、大阪へ安子を追って行った先で、るいはロバートと安子がいっしょにいるところを見かけたので(ロバートは進駐軍の情報網を使って安子といっしょに算太を捜索してくれていた。一方でロバートは安子に心を寄せていたという事実はあるが、この時点での安子には恋愛感情はない。もちろん悪くは思っていないだろう、悲劇の後とはいえ夫婦になるわけだし)。

 安子はたちばなを立て直すその一心だったはずだと、雪衣はきっぱり答える。

 

 2度めの告白は、病院のベッドのなか。もう長くはないであろう雪衣を見舞いにきたるいに、安子は見つかったかと尋ねるシーン。

 雉真家で幸せな家族を堪能していた雪衣は、戻ってきた安子とるいを疎ましく感じていた。その上、勇と安子は仲が良い(幼馴染なので当たり前なのだが、それだけではなく勇の心には安子がいたのは確かだった)。

 雪衣は、幼いるいを言葉で傷つけた。安子を悪者に仕立てるようなことをるいに吹き込んだ。自分は腹黒いことを言った、と雪衣は悔やんで謝罪する。

「みんな間違う」と言って、るいは雪衣を許す。

 

 雪衣の言葉と算太の行動がバタフライエフェクトになっているとはいえ「自分を捨てた母」を憎んでいたるいも、実は母がいなくなってしまったのは自分のせいだったのだと気がついていく。みんな間違う、というのはそういうことだ。不幸な生い立ちという背景はあるにせよ、雪衣自身も告白しているように雪衣には悪意があった。その雪衣の巧みな誘導とるいが目撃してしまったロバートと安子の光景から、るいは大きな誤解をした。

 とはいえ、安子自身も、るいの額の傷を治すためには莫大な費用がかかることを知り、たちばなを立て直したとしてもとても支払える金額ではないと義父に言われ、治療費を出すことができる裕福な雉真家にるいを残していく決心をして、るいを大阪へは連れていけないことをるいに伝えて悲しませていたので、るいが安子に捨てられたと感じても致し方のない状況ではあった。

 雉真家は雉真家で、るいは雉真の家の娘なので出ていくならひとりで出ていくように当初から安子に言っていた。もちろん安子はるいを手放す気持ちは微塵もなかったのだが、額に負わせてしまった傷を人質に取られ、さらには自家の和菓子屋を立て直すという情熱を心のどこかで優先させた。もちろん、軌道に乗ったらるいを引き取ることができるという自分の人生への希望と期待は持ち続けようとしていた。

 意欲と願望をベースに人々の思いは複雑に絡み合い、そして行き違うのである。

 それぞれがそれぞれに責任を負っているのではあるが、あの日るいが言い放って扉を閉めた「I hate you」が、最終的に安子の心を打ちのめしたのは間違いない。のちに安子は言っている。歯車が噛み合わなくなったままで、自分がるいの前から消えてしまうことがいちばんいいのだと思った、と(ゆえにロバートとともにアメリカへ行った)。

 そして、死のうとしていた錠一郎を助けたるいと同じように、死のうとしていた安子を救ったのはロバートだったのだ。

 

 自分を捨てた母を憎んでいたるいも、高校卒業後に岡山を出て大阪へ行く。そこでトラウマを刺激される場面に出会っていくことで、抑圧されていた(していた)記憶が徐々に蘇ってくる。すなわち、安子がアメリカに行ってしまったのは自分に原因があるのだということに気づいていくわけだが、そのような「誤解」「行き違い」「齟齬」が招く不幸というものは、あちらの人生にもこちらの人生にもあるものだ。自分が誰かを誤解して苦しんだり、恨んだり、トラウマのようになってしまっている事もあるだろうし、逆に誰かに誤解や傷を与えてしまっている事もあるだろう。

 どれほどの運命のいたずらが彼らを翻弄していたのだとしても、るいが自分の額の傷を見せながら言い放ったあの「I hate you」は、想像を絶する悪夢の一言であった、と私は思う。

 だが、のちに安子(アニー)も反省している。あの時、たちばなを立て直すことに心を奪われていてるいの気持ちに寄り添っていなかった、と。母親としては、娘を守り切れなかったという悔やんでも悔やみきれない現実と向き合うしかないのだろう。

 ここにもまた、罪悪感を背負って生きつづけていた人間が2人いたのだった。

 加えて年老いた勇も、るいに謝罪している。おとなたちの都合でるいを苦しめてしまった、と。勇もまた、深い後悔を抱えていたようだ(もしかしたら、勇の最大の後悔は、稔と安子が出会う前に安子に告白しなかったこと、かもしれない。そうできていたとしても勇の恋が成就したかどうかは分からないが、勇としてはそうしていれば良い結果になったと信じている節はある)。

 それぞれがそれぞれに、当時は自分を生きるのに必死だったであろう人々が、安子とるいの悲しい物語の原因は自分にあると、年を重ねて口々に語ることで、暗闇は光、日向へと置き換わっていった。

 言うまでもなくいちばん罪深いのは、稔や安子の実家、その他大勢の人間の命を奪った戦争であることは間違いない。日本全国で戦争の爪痕は、その体験者たちにさまざまな多くの傷跡を残していたのだ。

 

 私たちには、多かれ少なかれ、あるいは事の大小はあるにせよ、後悔や罪悪感を持ち続けていたりすることがあるものだ。

「カムカムエヴリバディ」を観ても分かるように、誰かを傷つけてしまったり、誤解を与えしまうような言動の背景にあるのは悪意だけではない。誤解が誤解を呼んでしまうこともあるし、善意(だと思っている)かもしれない。

 

 私は「老いの哲学」を執筆しているなかで、高齢期に人生の回収をしようとするとき、誰かに対して何かしらの後悔や罪悪感に苛まれ続けている人が、その相手に(ときにわざわざ捜し出して)会ったり、手紙を書いたりして謝ったりするようなことはしないほうがよい、と提唱している。長い年月を経て、互いの環境は全く違っているのであり、謝罪を受け入れてくれる人もいるかもしれないが、迷惑に感じる人もいるからだ。特に、忘れられない初恋の相手とか、好きだった人にコンタクトを取ろうとするのは、振った相手にせよ、振られた相手にせよ、またどういった心根からにせよ、すべきではない、と私は思っている。配偶者がいるなら配偶者に失礼だし、互いに配偶者がいなかったとしても、そして映画のようなロマンティックなストーリー展開が万が一にもないとは言えないとしても、避けるべき道ではないかと私は考えている。

「カムカムエヴリバディ」のように見事に調和されるようなシーンは、現実の世界では、全く無いとは言わないが、まず無い、と言ってよい。

「老いの哲学」を参照してほしいが、若い頃の罪悪感を持ったまま老齢期を迎え、ついには心が苦しくて精神科を訪れた女性の話、夫に昔の恋人や浮気相手について打ち明けられて老齢期の過ごし方が分からなくなってしまった妻たちの人生相談があったりする現実からは、特に恋愛沙汰については、秘密があるのなら墓まで持っていったほうが無難である、と思わざるを得ない。男性も女性も、過去の恋愛やその相手に思いを馳せるには、そうさせるだけの理由が生活のなかに何かあるのだろうから、そちらのほうに視線を移して、余生のために改善するなりなんなりを心がけるほうが健全である。

 高齢期は、できるだけ最後の日まで、心穏やかに暮らしたいものだ。

 前者の女性のように誰かにしてしまった事への罪悪感については、心で謝罪してできるだけ心を軽くしていく以外にない。それこそ「誰でも間違うことはある」のであるから。雪衣と算太の物語からも分かるように、彼らも十分に苦しんでいた。老齢期まで苦しんだら、それはもう十分以上である。もちろん人を傷つけたという過去は抹消されはしないのだが、その相手の人物だけが善人で自分だけが悪人だというわけではない、という慰めを成り立たせてもバチは当たらないのではないだろうか。

 直接回収のためのグッドタイミングな状況が訪れたときには、それもまた縁であろうから、柔軟に考えておくこともまた人生である。

 

 罪悪感を抱え持ちながら、それでも「カムカムエヴリバディ」の登場人物たちの人生は続いてきた。

 るいの小中高校生時代はまったく描かれていないので、雪衣がどのような態度でるいに接していたのかは分からない。が、それでもるいは、トミー北沢(早乙女太一)がお嬢様だと見抜くほど育ちの良さが身についているところからすると、雪衣は勇といっしょに、るいのことを雉真家の長男の娘として手抜かりなく育ててくれたのだろうと推測できる。

 朝ドラは全部観ていると言っていた雪衣。一日のたった15分が楽しみな時間だと。まさかそれ以外の時間は全て罪悪感に苛まれていたわけではもちろんないだろうが、勇と結婚してからこの方、幸せな生活のふとした瞬間に「後悔」はちらちらと顔を覗かせていたのかもしれない。

 それは、算太も安子も勇も同じだ。

 るいは少し違っていて、安子への遺恨のような感情を抱えて生きてきた。けれどもそれは、長じてから蘇ってくる記憶が算太と雪衣の告白によって裏付けられて自責の念へと変容し、「I hate you」は「I love you」へと換言された。

 

 さらに深く、運命論の観点からも考察できそうだが、長くなったのでとりあえずここで筆を置く。

 るいと安子の周囲の人々、及びるいと安子自身が抱き続けた罪悪感、後悔と謝罪を、私がテキストテーマのひとつにしている「老いの哲学/人生の回収」につなげて、あれこれ随想してみました。

「カムカムエヴリバディ」a la TsuTom ©2022kinirobotti