ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

占い現場のミステリー①〜本当?記憶違い?思い込み?おとぎ話?……嘘?〜

 私はタロット占い師です。

 この仕事をしていると、不思議な事や人にしばしば出会います。

 おそらく占い師なら誰にでもあるだろうと思っているのですが、いっしょに机を並べて占いをしていた占い師の方々の占いが漏れ聞こえてきた限りでは、あまり(私が感じる)不思議なことはなかったように思います(私の体験ですからほんの微々たるものですが)。

 二人三人と占い師が並んでいるところよりも、ひとりでぽつんとやっている占いのほうが不思議なことは起こりやすいのかもしれません。現に私も、ひとりのときによく出会っていたように思います。相談者さんや声を掛けてくださる方も、第三者がいるところでは不思議にはなりにくいでしょうし、そもそも自分と占い師以外に別の人(たとえ占い師でも)がそばにいるような状況では、不思議なものを抱えている人は寄って来ないのかもしれない、とうっすら思ったりもしています。

 

 そんな不思議エピソードの数々はまた追々書いていくつもりですが、純粋な不思議とはいささか違う、ときに感じることのあった奇妙な感覚についてここでは書きます。

 

香山リカのココロの万華鏡」というコラムが、毎日新聞で連載されているのですが、その2021年3月23日の記事です。

 国会答弁での「記憶にありません」というフレーズは困るという話題から、記憶にまつわる患者さんについてのエピソードが語られます。

(略)精神科の診療室にいると、記憶にまつわる悩みごとには、不思議なこともあると思う。

たとえば、あるときやってきた70代の女性は「夫の物忘れがひどいんです。認知症だと思うんです」と話した。

 このあと夫はテストを受けて「認知症のごく初期」という診断がついた。

しかし、妻は「初期じゃない。重度です」と言い張る。

 妻の誕生日も忘れて「おめでとう」の言葉もなかった、正月には孫にお年玉をあげるのも忘れた、と。

私はそこでようやく「あっ」と気づいて夫にたしかめると、いずれもちゃんと実行したという。

実は、すべてを忘れていたのは妻の方だったのである。

 その後、夫はそんな妻をいたわりながら、認知症治療の通院に付き添っていた、ということです。

 

 井上ひさしの小説に類似の物語がありました。「十二人の手紙」です。どれも最後ははっとするどんでん返しな内容なのですが、そのなかに「実はあんたの方だったのか」というエピソードがあったのです。

 それを読んでからなのかどうなのかは分かりませんが、相談者さんの話を聞きながら、もしかしてこれ嘘(とは言わないまでも)逆なんじゃないか、思い込みや思い違いなんじゃないか、と思わず思ってしまうほどの話を聞くことがあるのです。

 

 人生というのは本当に色々なことがあります。事実は小説より奇なり。え〜そんなことあるんだぁ、という人生談話はみなさんも友人知人からたまに聞くことはあるかもしれませんが、そんな人生談とは少し違う奇妙なこともあるのです。

 そういう相談者さんが、何度かいらしてくださって繰り返し同じ話しをしていきます。そんなとき、これひょっとして全部事実と違っていたらすごいな、と失礼ながら思ってしまうことがまれにあるのです。なにしろ私は映画やドラマが大好きなので。

 けれども、同じ話を繰り返すのは、その問題がすんなり解決しないことを本人が知っていてある程度了解している場合があります。自分で絶対になんとかしなければいけないと思っているわけでもないのですが、ストレス解消とでも言うのでしょうか、誰かに話を、不満を聞いてもらいたいという思いから占い師を訪れてくれている、ということもあります。そうしたお話をお聞きするのも、占い師の仕事です。

 

 香山リカのコラムを読んで、私がここでちょっと触れておきたいと誘発されたのは、例えば自分のほうが加害者なのに被害者の立場として占いに臨んでいるのではないか、と思われるような相談のことです。

 一方的に加害者ではなくても、例えばトラブルや不満などを大げさに言っている場合もあります。そういうことは、私にもみなさんにもあることだとは思うのですが、そういうときは、どうなるか占ってほしいと尋ねられてもなかなか厳しいものがあります。誰かをどうにか捻じ伏せるための占いは私は正直したくありません。

 とはいえ、最近はセクハラやパワハラも多いですし、ニュースなどで聞くような就活ハラスメントの話などは、本当にあるんだなと驚きました(昔からあるのですが、表に出てこなかっただけだとは思いますが)。

 占いの域を超えている場合には、当たり前ですが弁護士や警察をおすすめします。

 

 私もそうですが誰かに何かを相談するとき、自分を悪く言う人はいません。

 もちろん誰かを傷つけてしまったと深く悩んでいる、という相談だってありますよ。

 けれども人間というのはたいていは自分本位です。それはそれで良いのですが、香山リカのコラムにあるような、井上ひさしの小説にあるような、どんでん返し的状況というものがなきにしもあらずだな、ということは相談を受けていてほんの少数ですが感じることがあるのです。

 

 これは占いでの話ではなく私の知人の話なのですが、夫の態度があまりにもひどいので離婚を考えているが、生活費のことを考えるとなかなか踏み切れないという話を何年もしているのです。ずっと同情していたのですが、夫の大嫌いな癖というのをこの妻自身もやっていることに気づいたとき、それって似たもの夫婦だから?と思ったりもしました。が、しばらくして、実は逆の話で、夫のほうが妻に音を上げていたりしたら……とちょっとゾッとしたことがありました。まさに香山リカの患者さん、井上ひさしの小説です。

 

 もうひとつ思い出すのは、あるお上品な感じの相談者さんです。女性です。話の内容がまるでおとぎ話のようなのです。

 もちろんちゃんと占いました。けれどもあとで、私は真面目に取り組んだけれどもあれは全部作り話だったかもしれないな、と思ってしまったのです。

 しばらくしてその方が再びいらしたとき、「あ、〇〇さんですよね」と私が言いますと「覚えてます?」と照れくさそうにおっしゃいました。忘れたくても忘れられません。それほどインパクトの大きい人です。

 そして、そのおとぎ話はさらにリアルになっており、この間にあったことなどなどを詳しく話してくれたのです。あ、ホントだったんだ、と私は申し訳なく思いました。

 世の中には、こんなに恵まれた(資産家のようでした)、そして不可思議に優雅に人生を過ごされている人がいるんだなぁと、しみじみ思ったものです(いや、意外とけっこういます。これは人生論のテーマになりますので別の機会に)。

 付け加えますと、不思議な体験は私にもありますし、不思議な体験を語る相談者さんもけっこういます。この相談者さんの場合は、そういったスピリチュアル的な不思議ではありません。

 もしかしたら語り口や彼女の人生の捉え方が不思議さを演出していたのかもしれません。彼女から上品さと優雅さと神秘性をなくしたら、もっと泥臭い相談内容になっていたのかもしれません。

 本当におとぎ話じゃないのかどうなのか?

 たぶん実話、だと思います、が……。

 

 さて、「記憶」について香山は最後にこう綴っています。

つらい経験をしてその前後の記憶があいまいになった、という経験をしたことがある人も多いだろう。私自身、20代に失恋したときのことがよく思い出せず、友人から「あのとき泣いて、たいへんだったよねえ」などと言われても、「記憶にありません」と答えるしかない状態だ。

 

 自分の記憶は自分のフィルターを通しているので、同じ出来事を誰かといっしょに経験しても、記憶が違っているということはたくさんあります。

 ですので、相談者さんの相談事も、なかなか単純にはいかないということもあります。カードが真実を語ってくれていたとしても、本人が間違って記憶していたり、記憶が封印されていたりすれば、「〇〇でしたね」とカードを読んでも「それは違います」となってしまうでしょう。

 上の例で言えば、「香山さん、あなたそのときとても傷ついて大泣きしましたね」と占い師が言っても「いいえ、それほどでもありませんでした」と答えるかもしれない、ということです。実はこんな風にカードは言ってるけど、と語りかけますと、そこから「え?」となって考え始めてくれる人もいますし、あくまでも自分の記憶や思いが正当で、心のなかでは「この占い師ヘボだな」と感じている人もいるでしょう。

 すごく傷ついて心に負担がかかっているのに、占い師(タロットカード)に言われるまで気づかなかったという人もいます。気づこうとしない、気づきたくないし認めたくもないというプライドだったり、強がりだったりすることもあるのかもしれません。他のだれでもない、占い師に言われたのだからと心が解けることもあります。

 

 ちなみに、香山リカの診療室を訪れた女性が占いにいらしてタロットカードを引いていただいたら、あれ?むしろ夫さんがあなたのことを心配しているようだけど……というようなリーディングができるカードが並んで混乱する、と予想できます。占い師は医者ではないので、いちど夫さんといっしょに病院へ行ってみたらいかがですか、というおすすめが助言のひとつになると思います。

 

 議員や官僚の「記憶にありません」は作為的で悪質です。

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