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萩尾望都「一度きりの大泉の話」②〜嫉妬という感情を知らないその純粋さ〜

 萩尾が苦しんだ出来事、それは大泉で起きた。

大泉に住んでいた時代のことはほとんど誰にもお話しせず、忘れてというか、封印していました。

しかし今回は、その当時の大泉のことを初めてお話ししようと思います。

 と本の帯にある。

 

「一度きりの大泉の話」

萩尾望都河出書房新社

 

 萩尾望都竹宮惠子。重ねたり、較べたりして語られることが多いと思う。いっしょに生活していた時期があったと聞いていたので、ずっと交流があるとばかり私は思っていた。この本を読むまで。

 けれども、この二人が親しい関係だったのは、萩尾が上京してからほんの2年ほどの間のことだったのだ。たった2年。

 その2年の間に、「トーマの心臓」「ポーの一族」の構想が萩尾にはできあがっていたようだ。

「小鳥の巣」が掲載されたとき、萩尾は竹宮と増山(後述する→③)に呼ばれ、どうしてあれを書いたのか問い質されたという。少年、中洲にある寄宿学校、薔薇……。なぜ?と。

 そして絶縁を言い渡される。

 萩尾には何がなんだかわからなかった。自分の何がいけなかったのか、どんな失礼なことをしてしまったのか、いろいろ考えているうちに、目や皮膚に支障が現れたという。目が痛くてよく見えないなか、それでも仕事は続けた。そして、埼玉県の田舎へ引っ越す。

 萩尾はこのときには理由が分からなかったそうで、あとになって分かったと言っているが、いやいやどうみても嫉妬でしょう、と私なら「秒で」分かる。自分たちが描きたかったことを先に描かれてしまった。作家だったらそういうことはある。

 

 そもそもこの大泉の住居には、竹宮が萩尾を招いてくれた。そして編集者も紹介してくれて、ボツつづきだった萩尾の作品に発表の場が与えられた。だから萩尾は竹宮にものすごく感謝しているはずだ。大恩人であるに違いない竹宮とその日以来いっさいの交流もないというのだから、受けたショックはいかばかりかと想像を絶する。さらにその日以来、竹宮の作品は全く読んでいないという萩尾。

 私も友人の豹変に心身症っぽくなってしまった経験があったが、とても辛かった。車を運転していて信号無視をしそうになって焦ったりした。豹変ってこういうことかと、言葉の意味を体感した。萩尾望都の心痛からすれば大したことではないかもしれないが、私には大きなショックだった。心療内科へは行かなかったが、これが心身症ってやつかなと思ったりしながら自力で治癒した。

 

 この嫉妬感情のことを、萩尾は「排他的独占領域」と言っている。

同じジャンルを描くということは、その人の大切なものを奪うことになるらしい。理屈ではない。固執やこだわりとはそういうものです。愛が理屈ではないように。

(P274)

  これは様々な場面で意外とあることかもしれない。ファン同士の対立なんていうのもそうではないだろうか。

 

新選組に思い入れを持っている一部の人の中には、自分の考えた新選組とは違うものがあると、自分の聖域を侵略されているように感じるのかもしれません。私の認めるもの以外はダメという、排他的独占愛が現れてしまいます。

(P273)

 これは、木原敏江新選組をモデルにした「天まであがれ!」を描いたときに「新選組を勝手に描くな」「☓☓さん以外の新選組は認めない」という抗議文が木原のもとに届いたという話に触れている一節だ。

 

 私は竹宮惠子の自伝「少年の名はジルベール」も「扉はひらくいくたびも」も読んでいない。今後も読むかどうかは今のところ分からない(他にも読みたい本がたくさん控えているので)。

 竹宮の自伝が出版されてから、萩尾の周辺がにわかに騒がしくなったようだ。取材やらドラマ化の申し出やら竹宮との対談依頼やら。すべて断っているがそれでも諦めずに取材が来る。断る理由を知らないからしかたがない。それゆえ萩尾は意を決して「一度だけ大泉のことを話す」ことにした。

 

 萩尾は、竹宮の自伝を読んでいない。送られてはきたが、読んでいない。マネージャーが読んだ。萩尾のマネージャーは元漫画家で、大泉時代からの友人、仲間。竹宮は萩尾のことを褒めていた、悪くは書いていないとは聞かされているようだ。

 私も気になってレビューとか書評とか、いくつかに目を通してみた。

 どうやら竹宮は、萩尾の才能の奥深さに羨望と嫉妬を抱いていたということを書き記しているようだ。それが同居解消の要因だった、と。竹宮は萩尾に恐れすら感じていたのかもしれない。

 嫉妬や恨み辛みを回避するためには離れるのが一番良い。友人でも家族でも。私も、これ以上嫌いになりたくないと思って離れた人がいる。

 萩尾は、竹宮からいっしょに住まないかと誘われたとき、確執を抱えていた親から離れるのに最適な条件が舞い込んで嬉しかった。それもあるので、萩尾は竹宮にものすごく感謝しているはずだと私は思うのだが、それすらも掻き消えてしまうほどの「排他的独占領域」侵害への竹宮と増山の反応であり、仕打ちだったのだ。

 

 ネガティブな態度を示されたとき、いったい自分のどこがいけなかったのかと思い悩む萩尾のその純粋な心持ちを読んでいて、「重版出来!」の中田伯(新人漫画家)を思い出した。

 私は原作漫画は読んでいないので、TBSドラマのほうで言及させていただく(2016年/脚本・野木亜紀子/主演・黒木華)。

 中田伯(永山絢斗)は、黒沢心(黒木華)が見出した天才。だが、絵が荒削りで下手クソだった。画力がない。ベテラン漫画家・三蔵山(小日向文世)のところでアシスタントをしながら漫画のあれこれを勉強することになる。

 第7話「天才VS凡人…マンガの神様に愛されたい」。

 20歳で新人賞を取ったのにデビューできず、すでに40歳を迎えるチーフアシスタントの沼田(ムロツヨシ)は、次第に中田への劣等感に苛まれていく。ある夜、沼田は中田のネームノートにインクをぶちまけてしまう。その圧倒的な才能に恐れをなして。三蔵山が自分が誤ってやってしまったということにしたが、中田は三蔵山が誰かをかばっていると疑う。

 一方、沼田はアシスタントを辞めて故郷に帰ることを決断。最後の別れのとき、沼田はインクをぶちまけたのは自分だと中田に告白する。

沼田「なんでか分かるか?」

中田「絵が下手でむかついた?」

沼田(大声で笑いながら)「おまえはすごいな。ほんとにすごい」

挨拶を交わして行ってしまう沼田。

 

それを通りの反対側で見ていた黒沢。中田に駆け寄る。

中田「ネームノートのインク、沼田さんでした。何にむかついたんだろう」

黒沢「うらやましかったんだと思います。中田さんの人生がどんなだったとしても、沼田さんは中田さんになりたかったんです」

 中田には親との確執があり、帰る場所のない人。沼田は漫画をやめて実家の酒屋をつぐ。中田は黒沢というよき理解者と出会えた。沼田は自分の作品を理解してくれる編集者と出会えなかった。そういった対比もある(これはまた別の機会に語れそうなテーマだ)。

 沼田は中田のことを「自由で正直で残酷」だと言う。

 でも実は中田は、沼田の作品の理解者だった。

 ボツになった沼田のネームをひょんなことから読んだ中田は、すばらしいと涙する。

ネームを読んで泣いている中田。

アシスタント「泣くような話だっけ」

アシスタント「アンドロイドの恋愛ものだよな、自己犠牲で終わる」

中田「違います。これは自分自身の存在を問う物語です」

(略)

アシスタント「分かんないよふつう」

中田「ならどうやって分からせたんですか」

アシスタント「分からせられなかった。だからボツなんだよ」

 この瞬間中田は、編集者にも分からなかったその沼田の作品の真髄を理解してくれた唯一の人間となった。

 別れ際のシーンで「なんで帰るんですか。あのネーム、原稿にしないんですか」と問いかける中田に沼田は言っていた。「おまえが泣いてくれたからもういいや」と。

 中田の存在が2つの意味で沼田に漫画をやめることを決意させた。圧倒的な才能とそしてその天才による自分への承認。

 ……いや、話はそこではない。

 なぜ、萩尾の本を読んでいてこのドラマ、中田伯のことを思い出したのか。

「絵が下手だからむかついたのか、何にむかついたんだろう」と純粋に戸惑っている中田伯。黒沢には分かっていた。嫉妬だと。

 ちなみにこのドラマ、久しぶりに観たらすっごく面白い。おススメします。

 

「嫉妬」という感情に馴染みのない萩尾。

 そんな萩尾に、誰にも語ることの出来ないような大変な状態がデビュー間もないころから今までずっと続いてきた。そして、そんななかで第一線の漫画家として活躍しつづけて、ファンの(私の)心に知性や文化、感動や思考する術を宿してくれた。「100分de萩尾望都」の出演者たちはみな「神様」と言っていた。私も同じ気持ちだ。

 

 さて、そろそろ寄り道をやめなければならない。

 語り尽くせないし、もっと触れたい箇所もある。

 が、この読書エッセイを書こう、いや書かずにはいられなくなった気持ちの核心を語らせてください。

 

 それは、前述した「竹宮と増山 」の「増山さん」という人のことです。

 

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