コロナウイルスパンデミックが起きてからの日本の様子はおかしすぎる。他国の様子と比べると不明瞭で稚拙に見える。
哲学者マルクス・ガブリエルが意見を発信している。
簡単に抜粋する。
コロナ危機。
世界秩序は揺らいでいます。全ヨーロッパの緊急事態という緊急措置が経済と民主主義に影響を及ぼします。
ウイルスの前には誰もが平等です。
コロナウイルスは、欲望のために無数の生物を破壊してきた人間のヒュブリス(傲慢)に対する地球の免疫反応なのでしょうか?
コロナウイルスは、21世紀のイデオロギーの体系的な弱点を明らかにしています。科学技術の進歩だけで人間の道徳を進歩させることができると誤解し、科学の専門家が社会問題を解決できると信じさせています。
彼らはウイルスを封じ込めることができるでしょうが、きれいな水がないために毎年死んでいる20万人もの子どもたちには興味がないのですか?子どもたちはドイツ、スペイン、フランス、イタリアにいないからです。が、それも事実ではありません。私たちの消費システムによる不当な状況から逃れるためにヨーロッパの難民キャンプにいるからです。
道徳的な進歩がなければ、本当の進歩はありません。
パンデミックは、人種差別的偏見がどこにでもあることを私たちに教えています。ドナルド・トランプは中国の問題として分類しようとしており、ボリス・ジョンソンは社会的ダーウィニストの方法で優生的集団免疫を作り出せると信じています。多くのドイツ人は自分たちの医療システムがイタリアよりも優れていると信じています。危険で愚かな偏見です。
グローバルな教育という全く新しいアイデアが必要です。
私たちを互いに競争する民俗文化、人種、年齢層、階級に分ける精神毒に対する予防接種が必要です。
ヨーロッパとアメリカとの経済戦争の継続。
武器と化学兵器、逃げる移民、人種主義とナショナリズムの広がり。
気候危機は、どのウイルスよりもはるかに悪い。なぜなら、それは人間のゆっくりとした自滅の結果だからです。これはコロナによって少しだけ減速されます。コロナ以前の世界秩序は正常ではなく、致命的でした。
私たちは新しい教育を必要とし、誰もが倫理的な訓練を受けなければなりません。私たちは盲目的に科学と技術を追っています。
ウイルスと戦うことは正しいことですが、科学の専門知識に対するポピュリストの軽視から緊急事態になったことを忘れてはいけません。
国民をだめにしているグローバル資本主義の感染の連鎖を認識しなければなりません。私たちはフルタイムの観光客と商品の消費者となり、それはウイルスよりも多くの人々を長期的に殺します。
自殺的グローバル化から抜け出す唯一の方法は、愚かで定量的な経済論理によって動かされる国民国家の蓄積を超えた世界秩序であるという哲学的洞察ではありませんか?
環境破壊、気候危機、というのは人間の心の現れだと言う。決してスピリチュアルなことではない。人が生きてきたなかで学んできたことを軸に選択してきたその結果の風景だ、という意味のことを桑子敏雄が「何のための教養か(ちくまプリマー新書)」という著書のなかで述べている。
おそらくマルクス・ガブリエルも、同質のことを語っているのだと思う。
コロナは、人類の欲望、傲慢による自然破壊、それに対する地球の免疫反応なのではないか?と述べるガブリエル。これも一瞬スピリチュアルか?と思ってしまう人もいるかもしれないが、特に赤く記した部分だけでも、このガブリエルの言及には納得性があるように思う。
差別感覚もあからさまになっている。日本だと患者や病院まで「エンガチョ」的に排除したり攻撃したりする有様だ。
環境問題的には、中国では社会活動が止まって空気がきれいになったというニュースもあった。
ロンドン、パリ、ニューヨーク……でも活動が止まっているので、ますます地球の空気がきれいになるかもしれない。そもそも公害は、イギリスの産業革命から始まったのだし。
佐々木 寛
危機の際に、それまでの社会の本質が明らかになります。この国に今必要なのは、真実に正面から向き合う“勇気”です。(ツイッターより)
私はここ数年ずっと考え続けている。これは日本民族という人種の特性なのか?それとも、誰かの意図によって教育された日本人の成れの果てなのか?
コロナウイルスパンデミックに対する行動も政策も、日本だけ変だ。これまでにもそうした感想を持つ出来事は都度あったが、今回の事象は、それを最大限に表明している。
このままだと日本人はどこかで滅びて「ニホン」というワードが、22世紀か23世紀の辞書には「愚か、愚かな」という意味で載ることになるかもしれない。この空想は「スター・トレック」による。ヴォイジャーが宇宙の果てで出会ったヴァードワー人。助けを求めてきたので手を貸そうとしたとき、クルーのひとりが「ヴァードワーは愚かという意味で辞書にある」ことを発見し、警戒することに。
今の日本を体験していると、ちょくちょくこの有名なSFドラマのエピソードを思い出してしまう。
一斉休校を要請したと思ったら、4月の新学年からは再開しろと発表。その一方で、新学期が始まる頃には感染者が爆発的に増えているという予測もある。
危機感を煽るとか、みんなががんばっているときに、などという根性論的精神性、理解し難い歪んだ信条を振りかざして、良心や真実や倫理や道徳を語る人をうちのめそうとする人が組織のトップや隣りにいたりする。
国民の命への対策、日本では現金給付を嫌がって、商品券?
欧米、アジアでは、給料8割支給や、一律、あるいは18歳以上に10万から20万円の給付を行う。公共料金も無料にしたりしている。それもすぐに実行する、できる。
日本では、今生活に困っている人たちに買い物してくれというわけだ。しかも世界中で外出禁止、都市封鎖を行っているときに。
え?旅行もしろって?
「違うわよ(トリバゴのCM調で)」
「違うだろ(豊田真由子調で)」
小売販売業、観光業などの倒産を防ぐためなのかもしれないが、方法が全く違うと思う。変すぎる。
これはさすがに愚策中の愚作。外出や旅行の自粛を要請しながら助成すんの?ブレーキとアクセルを同時に踏むとはこのこと。→政府、コロナ対策30兆円規模に 消費減税見送り公算、旅行代助成
これはまさしく、上記ガブリエルが述べている「私たちはフルタイムの観光客と商品の消費者となり、それはウイルスよりも多くの人々を長期的に殺します」ではないか。
商品券で家賃は払えません。
現金給付は5月末以降?つまり6月か。なんだそれ。
5月末以降にするのは、所得制限を設けるからという理由。6月までに生きていけなくなる人が出てくるだろう。
そもそも彼らの発想がおかしい。
西村大臣なる人。元官僚。この人の話を聞いていて、はっきりわかった。やらない理由を追っている、しかも、国民の命のことなど頭の片隅にもない、どころか、人間をなんだと思っているのかレベル。
この人はこう言っていた。国民というのは「消費税を下げると実行されるまで買い控えをする。現金給付をすると貯蓄する」と。本当にこんな思考回路なんだ、と唖然とした。
庶民の暮らしが分からないのだろう。
自分は満員電車に乗ったことがないから様子がわからない、と加藤厚生労働大臣は言ったそうだ。
この人たちは、王侯貴族を気取って、優越感を味わっているだけの人たちなのだろうか。
森友学園問題が政界汚職事件のB級映画だとすれば、こちらは「レ・ミゼラブル」。
欧米では、外出しないでください、薬や生活必需品や食料品関係以外の仕事はしないでください、生活費や食事の心配はしないでください、と指示と安心を発信する。
人の「生活」「命」のことを考えている。
日本は「お金」「商売」のことを考えている。それもおそらく大企業や政治屋の関係者のことを念頭に置いている。そうはいっても結局は、社会は個々人から成り立っているのだから、市民をただの消費奴隷扱いしていると、あとで大変なことになる。大企業の人や政治屋関係者だってそれぞれ市民なのだから。
お金儲けは悪いことですか?と開き直った人がかつていた。村上世彰(村上ファンド)だ。
いや、悪いことではないだろうが、その儲け方と心根は天国の門を入れるものなのですか?と問いたい。
お金があれば何でも買える、と言った人もいた。堀江貴文。
確かにお金がないために学業ややりたいことを諦めなければならないこともある。お金さえあれば簡単に解決する、ということも多々ある。だが、そんな社会にしないようにするのが政治の仕事だと私は思っている。
でも、本当はお金で買えないものはある。理想主義でもなんでもなく。
メルケル首相の国民向けスピーチが理性的でかつ愛情深い。
特にこの部分。日本では聞いたことがない。なにしろ、大臣たちは満員電車にも乗らないし、スーパーマーケットで買い物もしないのだろうから。
経済全体にとって、大企業も中小企業も、商店やレストラン、フリーランサーにとっても同様に、今は非常に困難な状況です。
今後何週間かはいっそう困難になるでしょう。私は皆様に約束します。連邦政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を守るために可能なことをすべて行います。
わが国の経営者も被雇用者もこの難しい試練を乗り越えられるよう、連邦政府は、必要なものをすべて投入する能力があり、またそれを実行に移す予定です。
また、皆様は、食料品供給が常時確保されること、たとえ1日棚が空になったとしても補充されると信じて安心してください。スーパーに行くすべての方にお伝えしたいのですが、備蓄は意味があります。ちなみにそれはいつでも意味のあるものでした。けれども限度をわきまえてください。何かがもう二度と入手できないかのような買い占めは無意味ですし、つまるところ完全に連帯意識に欠けた行動です。
ここで、普段あまり感謝されることのない人たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。
ドイツでは文化大臣が、フリーランスの芸術家へ無制限の支援を言明している。
日本では、子育て社員には約8000円、フリーランスは約4000円。しかも申請内容のハードルが高すぎて申請できないと嘆いている人もいる。
危機になると、その人が「いのち」をどう考えているのかが、如実に分かってくる。
今、人類はこうした局面に立たされていると思う。私は、これを人の本性が現れる、と先日も占いセラピーのエッセイで書かせていただいた。それは他人を観察する目だけではなく、自分自身にも向かってくるだろう。
オリンピックについても、開催云々の前に、オリンピックというものがどういった背景を持っているものなのかが明瞭になった。これは「危機の際に、それまでの社会の本質が明らかになります」である。
いま市民に必要なのは使いやすい現金だと思う。
限定つき商品券は、コロナが収まったあとの対策としては有効だと思う。
発想が逆、どころか、おかしい。
この国はいかにして与えないか、助けないかが基本にある。どうしても現金を渡したくないらしい。
知り合いの中国人が言っていた。日本の試験は落とすためのものだから受けにくい。だから同じ試験でも海外のものを受ける、と。
日本人の発想基軸はこれなんだ。与えない、合格させない。
これが民族性なのかどうなのかDNAなのか、学者の研究を待ちたい。
できない理由ばかり探す日本国。
これはもしかしたら国民にもしみついているかもしれない。
ネガティブ思考。
まずはどうしたら最良の方法が実行できるのかを考えてから、最悪を覚悟するほうが健全だ。
できないできないばかり言うのに、最悪を覚悟すると、そんなこと言うもんじゃないと言う人たち。変だ。その延長で、プランBを用意しない。プランBを考えるということは、プランAを否定することになるという非論理的思考、あるいは、プランAの発想者の意固地的プライド排他原理とでもいうような極めて日本人特有の気味悪さからくるのだろう。
避難する想定をしないで原発をつくったのも、金儲け主義とこの歪んだ精神のせいだと思う。避難訓練をするということは危険っていうことですよね、という感覚を市民に与えないためだ。
こういう感じの人、権力者だけではなく、会社とか隣人とか家族にもいる。別のことを提案すると烈火のごとく怒り出す人、いますよね。
コロナウィルスが沈静化した後、私たちはこの国の在り方を様々な点から見直すことを求められる。今まで通りのあり方を継続することはできない。だがそのとき、大きな、そして重要な示唆を与えてくれるのは、この時期に不自由さを感じている人、あるいは動くことに困難を感じている「弱い人」たちだ。
産業革命以降のあらゆる地球の歪みが、コロナウイルスを通じて顕現してきたように見える。
新自由主義による経済格差の拡大から中産階級を充実させるために、富裕層と大企業にはたくさん納税してもらうという政策に切り替える必要がある。トマ・ピケティによるとコロナ危機はそのチャンスだということだ(町山智浩情報/映画「21世紀の資本」紹介にて)。
聖書に書いてあることを噛みしめるような出来事が次々起きているように見える21世紀の地球。それでもまだ「今だけ金だけ自分だけ」を固辞するなら、もっと厳しい試練がやってくるかもしれない。決してスピリチュアルや預言書的洗脳思考ではなく。
宇宙からやってくれば、「地球が静止する日」になるのか?
そうなればまるごとハリウッド映画だ。
予定通りできないであろうオリンピックへ向けて、聖火を運ぶイベントの景色はなんだか色褪せている。使われているタレントやオリンピアンは全く悪くないのだけれど、滑稽にさえ見えて気の毒に思っていた。3月24日、オリンピック延期が発表されて、聖火リレーも中止となった。とりあえず愚かで気味の悪いリレーを見続けないですむようだ。
が、これを誰かの手柄のように得々とされては困る。それよりも、他国に倣って市民、労働者たちを物理的に助けていただきたい。
給付されるのが現金か商品券かの違いは、生活のケアか、景気回復策の一つなのか。不透明な私たちの明日をケアしてくれようとしているのか、下がった景気の指標を上向かせたいのかの違いだ。今、私たちが危機に直面していることを最も感じていないのが政治の最前線の人たちであることはよく分かった。
商品券はコストも時間もかかります。今必要なのは早急にシンプルな一律現金給付です。ギリギリで生活してる人達が見えていないんでしょうか。
日本人の多くが貯えもないまま収入を絶たれて、家賃が払えるか心配している状態で商品券配ってどうするのか。
「現在の格差社会は無理ゲーなんです。最初に配られるお金に倍の差がついているモノポリー。最初から投資できる人とできない人に分かれてる。絶対に逆転が起こらない。それでゲームする実験では、最初に倍のお金を持った人が持ってない人をバカにするようになる」
モノポリーというゲームは、対戦プレーヤーを全員破産させれば勝利者となるゲームなのだそうだ。
最初からお金を持って勝ち進んでいく人はお金のない人たちをバカにしていくと言う。バカだからお金がないのだ、と。この話を聞いて、私はどこぞのふんぞり返った大臣の顔が目の前を過ぎった。
どっちがバカなのだろう。そう言えば、西川史子がテレビで堂々と言っていた。努力しないから貧乏なんだ、そんな人たちを努力した自分が助ける義務はない、と。
政治家は、普通に電車に乗って、普通にスーパーで買い物して、平均的な生活費で生活してほしい。
政治家が家業になっている現在、金持ち商売になっている。いや、それどころか、労働者から搾取した金で生きている贅沢な王様、そしてバカ殿様になっている。
どこぞのふんぞり返った大臣は、現金給付をすると庶民は貯蓄に回すからだめだと過去のトラウマから言っているのだと解説する人がいる。が、この人は、そもそも庶民を貧乏人にしておきたいという欲求があるのだ。貧乏人に威張るのがこの人の生きがいだからだ、と私は常々思っている。
生活の苦しみや心配なく生きることが許されない日本。欧米の取り組みを聞くと羨ましくさえ感じる。あの格差社会アメリカでさえ、今回はちょっと違う。そもそも欧米にはカウンターカルチャーがあるので、服従隷従体質の日本とは全く別の性質、文化だ、ということは留意しておいたほうがいいかもしれない。
政治も経済も、トマ・ピケティーやマルクス・ガブリエルが言うように倫理を進化させる変革のチャンスかもしれないが、世界が変わっても日本は変わらないだろう。政治家と官僚の発想が自己本位で、利他、倫理、道徳という概念を知らないからだ。
「人間は責任を免れるために道徳を手放したくなる」
とマルクス・ガブリエルは言っている。