新幹線はガラ空きだった。
街なかも人はぐんと少ないのだろうと思うが、それでも結構いる。みんなじっと籠もって、ゴーストタウンのようになっているわけではない。
マスクが売られていないのが困る。
さすがに手持ちがなくなって買えない人が増えてきたのか、マスクをしていない人(することができない人)の姿もちらほら見える。これが朝夕の満員電車に乗らなければならない人だったら、本人も周囲も困惑だな。
休業を余儀なくされている職業の人たちは本当に困っていると思う。
税金や光熱費や家賃やローンが払えなくなるのではないか。蓄えがいくらかあったとしても、金持ち商売でない限りなかなか厳しいだろう。
私の仕事はいわゆるフリーランスになるわけだが、役者やデザイナーなどと違い、補償してほしくてもおそらく基準を示すのが難しい。不規則なので。
対面なら濃厚接触となるので、相談者さんもそして私自身も何気に警戒してしまうのは致し方ない。
限定的休業補償ではなく、香港などのように、18歳以上の国民に一律15万とか20万とかの給付をしたほうがいいのでは?光熱費、家賃、食費は、それこそウイルスよりも命にかかわる。そもそも社員とフリーランスで補償に差があるのが理解しがたい。フリーランス、個人事業主のほうがむしろより死活問題だと思う。そして子どものあるなしに関係ない。
命を守るというのは、ウイルス感染しない、させないということだけではない。経済活動ができないなか、子どもの有無にかかわらず全国民の命は、衣食住にかかっている。
これを機に、働き方、暮らし方、生き方がシフトアップできたらいいのにと思うが、原発事故のあともすっかり戻るどころか退行したので、期待は薄い。
むしろ、独裁権力者が現況を巧みに使って、さらに権力を強めていく。命を人質に取られた人は、たいてい服従してしまう。神様っていないのかな。
ひとりひとりが、こういうときこそ、事象や人物を観察していくことが大事だ。そのためには、学ぶこと。学びなしには洞察することはできない。
例えばこんな感じ。
ハンナ・アレントを読み直そう。ディードリッヒ・ボンヘッファーやヴィクトール・フランクルを、幸徳秋水や内村鑑三も。ファシズムの本質を見極めた人、ファシズムと闘った人、非戦を説いた人の言葉を、しっかりと胸に刻もう。そのおもいを今に蘇らせよう。そのために彼、彼女は命を賭して語ったのだ。
にしても、これからもずっとこんな感じで鉄道や街に余裕があるといいのだが。
下記のイラストはちょっと行き過ぎだけど、でも、自分が降りるときには(終点ではない)本気でこんな感じだった。
空間過多よりも、適度な空間が快適だ。