ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

「毒親介護」〜占い師の感想〜

こんなドラマのようなことが本当にあるとは…

 

毒親介護」

石川結貴/文春新書

 

介護問題は子育て問題と深い関係があるのだな、と思った。

ひとつは、精神的にも肉体的にも、たったひとりの能力許容範囲を越えている、という意味で。

もうひとつは、毒親とその毒親に育てられた子どもの関係性を連綿と、最大限に反映するという点で。

 

大昔からずっとあったのだろうが、人間の意識上昇によって、児童虐待が明らかになる例が増えている昨今。子どもが死亡してしまうという悲しいニュースもある。

そんないわゆる「有毒な親」に育てられた子どもたちは、親をどう介護できるのか。恨み心の強い場合、介護などできるのか。

 

介護は、多くの問題点を抱えている。

国は、自宅介護、親族での介護を推奨している。今の政権は特にそちらの方向を強く進めている。思想的なのか予算的なのか。

できれば自宅か、あるいは居心地のよい所で最後を迎えたいと私も思う。が、暴力や認知症の症状がある場合、これは決して平和にはいかない。

 

親の面倒もみれないとはなんて冷たい娘、息子なんだ、という批判を浴びせてくる人は、日本の場合特に多いのかもしれない。どんな親でも親だという、いかにもまっとうに聞こえる言い分だ。いや、確かにその通りだ。だから悩む。そして娘も息子も自分を責める。

毒親ではない立派な親でも、そしてどれほどしっかり最後まで面倒をみるんだと親への感謝の気持ちを抱いている場合でも、老化の状態、症状によっては、なかなか厳しいこともあるだろう。

精神も肉体もくたびれ果て、時間も仕事も人生も奪われているのなら、それはおかしいと私は思う。奪われるってなんなんだ、けしからん、と言ってくる人もいるだろう。そして、そういった価値観に束縛されて自己処罰的に憔悴していっている人も人知れずいるのではないか、と想像する。

 

行政にできることは、本当は多いのだろうと思う。けれども福祉への予算が足りないこと、人手不足を理由に遠ざかる傾向にある。

お金の問題を言えば、家族も同じだ。介護のために仕事をやめなければならない実情があるとき、親の国民年金だけでは足りないので働かなければならないがパートすらなかなか見つからない、ということもあるようだ。

……お金はどこにあるのだろう?

めでたく金銭問題は解決したとしても、介護のプロでさえ心身の限界があるなか、どうしたらいいのか分からない、というのが正直なところではないだろうか。

崩壊寸前と言われる介護現場。カルロス・ゴーンくらいの給与なら介護職を選択する人は増えるのだろうか。短期間だったらできるのか。けれども、ベテランの存在は大きい。付け焼き刃でできる仕事でもない。いや、カルロス・ゴーン以上の対価に値する人間的仕事だと私は思う。

一日4時間で4〜5日勤務。時給は最低でも2500円。もちろん副業OK。あるいはベーシックインカムがあるとより良い。これは、あらゆる「労働」に適応できる理想型だ。すでに始めている会社もあると聞く。

 

さて、毒親の問題だ。

向き合っている人たちの生育環境はさまざま。虐待も暴力だけではない。

けれども共通していることがある。その有毒な親は有毒な親(親族)に育てられている、という背景。有毒な目に合っている、と言ったほうが正しいかもしれない。

しかし、それを認識したからと言って、自分に向かいつづけていた有毒を許せるわけではない。

いっそのこと早く死んでほしい。

まだ生きるつもりなんだ。

そう思わず思ってしまうのは非人間的だからではない。

 

この本の登場人物たちは、苦しい胸の内を明かしながらも、毒親の介護を引き受けている。

兄弟姉妹のなかには上手に逃げる人も多い。彼らは遺産のことだけは忘れない。結局、真面目で優しい心を持った人にあらゆる負担がかかる。

 

毒親介護をしている人たちの家庭のことは詳しく分からないが、おそらく本人は毒親にはなっていないようだ、と感じる。そう信じたい。

 

有毒の連鎖はどこかで止めなければならない。先祖が祟るとはそういうことでもあるのだと私は思っている。ゆえに、高額な金銭を払ってお祓いをしてもらっても、その霊能者の懐を温ませることに貢献するだけだ。

 

介護を通して、忘れていた親からの仕打ちを思い出す人もいるそうだ。

親子関係というのは、そういうところがある。

介護だけではない。

別の誰かの家族の様子を見て、初めて自分の家族の不具合に気づくこともある。

妊娠出産を機に、親の自分への仕打ちを思い出す女性もいる。子育てをしながら自分の親の苦労を慮って感謝するということもあるだろうが、それ以上に憎しみ、あるいは悲しみ、やるせなさが募ってしまうのが、有毒を受けた人の特徴だと私は思っている。

 

私は占い師なので、毒親に関する相談もある。

直接的なこともあるが、相談者さんの悩みをカードに尋ねているうちに、発覚してくることもある。そちらのほうが多いかもしれない。できるだけ他人には話さないようにしてきたのか、そこに近づいてくると堰を切ったように語り出す人もいるし、涙を流す人もいる。

自分の親の仕打ちに気づいていなかった人が気づく、ということもある。ともすると、知らぬが仏で気づかないほうが良かったのではないかと思うかもしれないが、悩みの本質がそこにある場合(たいていはそこにあるのだが)、気づいていかないと同じ悩みに常に、生涯、振り回されることになる。

 

介護問題は、物理的に行政的に解決できることは多いのではないか、と私は思っている。「自助 互助 公助」と言うが、今の政権が提唱しているのは自助と互助。公助を放棄しているようにも見える。道徳のようなものをかざしながら。

介護をする側、介護をされる側、両方の自分を想像するなら、公助がどれほど大きなパワーになるか分かるのではないか、と思うのだが。

 

夫(妻が介護者の場合)や親に対して復讐しているかのような態度に出る人もいるようだ。

最後の最後に、謝罪や礼を言わせたい、その一心で介護している人もいる。

有毒な親から褒められたことがないので、なんとか今度こそ褒められたいという気持ちの人もいる。承認欲求だ。

そんな風にして繋がれた関係は、不健全だ。直ちにやめたほうがいいと私は思う。そうは言っても、見捨てられないのが人間だ。もし自分よりも親との関係が良かった兄弟姉妹がいるのであれば、そちらに任せるのが最善策だと思うが、それもままならない。

介護を拒絶して逃げてしまうと、保護責任者遺棄罪に問われてしまうだろうから、行き場がない。

毒親から逃げることができるのは、毒親が元気なときだ。成人して、あるいは結婚したりして独立することは、毒親から逃げるとてもよい機会であり、手段でもある。親子の縁を切りますと積極的に啖呵を切ることもできる。が、数十年後に再びやってくるかもしれない有毒の時からは身勝手に逃げることはできない。

 

そうした精神的なことも含めて、相談にのってくれる公的機関があればいいと思う。おざなりの助言を渡して終わるのではなく、良い解決策を提示し実践できるそうした社会は、双方にとって良い環境になると、私は思う。

 

毒親に育てられた人がケアマネージャーになる例もあると言う。これは朗報かもしれない。

毒親との関係のあれこれは、経験者にしか分からないだろう。なぜなら普通の人は「親が我が子を嫌う」などということが想像できないからだ。あるいは因習的価値観(本当は理想的なことなのだが)に縛られていてそれ以外のことが考えられない。ゆえに、「そんなはずないじゃん」と軽々しく言い、さらに「それは親不孝だよ」と当人を責める。

理解者は大いなる味方だ。

 

現在の高齢者が生きてきた時代は、過酷な時代だった。戦争もあった。貧しい日本も体験した、とこの書物は言う。

家庭的な問題だけではなく、社会的問題も大きく影響しているということも有毒の要因になっている。それは否定できない重大要因ではあると思うが、豊かな国となった今でも、幼児虐待とそれがもたらす不幸は止むことがない。

占いの相談者さんのなかには、子どもをつくるのが怖いという人もいる。なぜなら虐待されたので、自分もそんな親になってしまうのではないか、と。ひとりではない。そういった悩みを抱える複数の人に会っている。

 

文筆家の古谷経衡の著述によると、彼の両親は有毒な親のようだ。憎しみの感情は消えないし、やられた被害は百年忘れない、と書いている。

2019年3月、「実の親と絶縁した」というメルマガが配信された。内容はとてもヘビーだった。

法律的に絶縁ということはできないので、そう宣言した、ということだ。

 

私はこう思う。

親族と縁を切る宣言は、大嫌いだから、許せないほどひどい仕打ちを受けた、というのが原因でなされるのだとは思うが、このまま付き合いを続けていたらもっと嫌いになる、これ以上嫌いになりたくないので接触を断つ、という理由もあるのではないか。

人の心は複雑だ。

親、兄弟姉妹は、もとより親であり兄弟姉妹なのだから、切っても切れない縁がそこには厳然としてあるわけである。何らかの情が皆無という人はおそらくひとりもいない、と言っても過言ではないのではないか。

ゆえに、もっともっと嫌いになるのは嫌だし、またその感情によって自分もこれ以上傷つきたくない。

これは、自己本位だろうか。いや、自分の人生は、親の人生ではない。自分自身の精神衛生を第一に考えるのは、決して間違ったことではない。

どれだけ苦しくても、どれだけ罵倒されても、親の介護が自分の生きがいになるのであれば、それはそれでいいと思う。むしろそういう人は、親から引き離したら逆に精神的によろしくないかもしれない。

しかし、そうでない人もいる。けれども、そうでない人も親を捨てたようなことになれば、それなりの良心の呵責を感じるだろう。

いずれにしても、自分を責めてしまうような環境、状態になってしまうのはよくない、ということは言えるのではないか。

どのような選択をしたとしても、その背景を慮ってあげることは人間らしい行為だし、そのような社会をつくっていくことが国の役目なのではないか、と私は考える。

 

古谷経衡と親の関係のその後、どう決着したのか気になる。

プライベートなことなので、知らせる必要もないか。親の人権も尊重しなければならない。

 

介護問題と子育て問題は切り離すことができない。

という感想から、有毒な親とその子の関係性に言及した。

親子問題については、機会があれば今後、さらに書きたいと思っている。

 

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「ツトム母の思い」 @kinirobotti